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2017年7月27日 (木)

二期会のばらの騎士

Img152  昨夜は東京文化会館で行われた二期会のばらの騎士公演に行ってきました.

 ばらの騎士はドイツ後期ロマン派を代表する作曲家の1人,リヒャルト・シュトラウスの代表作です.当時のオペラ界はポスト・ワーグナーともいうべき様々な模索が行われていた時代です.R・シュトラウスも当初はサロメやエレクトラといった不協和音や無調性など前衛的な作品書いていましたが,1910年に公開されたこのばらの騎士は,一転して落ち着いた古典的な作風となっています.

 舞台は18世紀女帝マリア・テレジアの時代(フランス革命のひと世代前)のウィーン,大貴族で軍人でもあるヴェルデンベルク侯爵の奥方マリー・テレーズ(元帥夫人)と彼女の若き愛人オクタヴィアン,夫人の従兄弟のオックス男爵,そして成金商人ファーニナルの一人娘でオックスの婚約者であるゾフィーの4人を中心に物語は進んでいきます.

Dsc_1654  ストーリーは貴族たちの他愛のない恋愛劇なんですが,若い愛人を持つ中で自らに忍び寄る老いに不安を感じる元帥夫人や粗野で好色だけどどこか憎めないオックスなど人物の魅力も素晴らしい作品です.ただ自分が若い頃はこうした昼ドラのような設定(笑)やシュトラウスの音楽があまり子のみでなく,あまり好きなオペラとはいえない作品だったんですが,自分も老いを意識する(笑)なかでの心境と好みの変化からかどんどん好きになっていった作品でもあります(味覚でも若い頃と年を重ねた後で変わる好みってありますよね).ちなみにばらの騎士という名前は,当時婚約にあたり花婿側が花嫁側に銀の薔薇を贈るという習慣があり(本当は当時のウィーンにそんな習慣はなく,台本作家ホフマンスタールの創作),花婿に代わってその薔薇を届ける役目をする若い紳士のことです.

Dsc_1657  今回はグラインドボーン音楽祭との提携公演で,その演出での上演でしたが,二期会の公演らしく,キャストはほぼ邦人によるものでした.この作品,特に主要4人がかなり個性的で歌だけでなく演技でもかなり高い水準を求められるんですが,みななかなかの好演でした(演出は新国立のレパートリーとは違って抽象的で原色を意識したもの).

 ちなみにこの日はプルミエということで,先着70組のペアに銀の薔薇ならぬ銀色の薔薇がプレゼントされました.自分たちが会場入りした時まだそれが残っていて,終演後にいただきました.

 真夏のオペラ鑑賞,素敵なひと時でした.

Dsc_1661  写真は貰った銀の薔薇を嬉しそうに持っている自分です(ばらの騎士か 笑).

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2017年7月25日 (火)

土用の丑の日

 今日は土用の丑の日,世間ではウナギ屋さんが活況を呈する日であります.この土用の丑の日にうなぎを食べるという習慣は,江戸時代に始まったとされ,特に平賀源内があるウナギ屋に当時夏にウナギが売れないことを相談されて(実はウナギの旬は秋から冬),店先に「本日土用丑の日」と掲げさせたところ,売れ行きが増加,やがて他店もこれをまねて,この日にウナギを食する風習が広まったという説が有力視されています.

Img_3058  もっとも平賀源内が土用の丑の日を持ち出したのには理由があり,それ以前から土用の丑の日には「う」の付くものを食べるとよいという説があったのが背景にあります.そこで「う」の付くものとしてウナギを出し,しかもそれが栄養価の高いものであったことから,暑くて体力が消耗する夏を乗り切るために,栄養のあるウナギを食べようという習慣になったと思われます.

 ただ,江戸時代とは比較にならないほど国民の栄養状態が改善した現代社会において,このウナギの効用がどこまであるのかは疑問があります.一方で近年ウナギの稚魚であるシラスウナギが激減しており,このままでは近い将来ウナギ(二ホンウナギ)が絶滅してしまうのではという議論もあります.

 そうした背景の中で,土用の丑の日は何もウナギだけではなく,「う」の付くものなら何でもいいじゃないかという話題も出てきています.そう考えてみると,牛,ウニ,うどん,梅干し,ウド… とたくさん出てきます.

Img_2146 Img_3122 Mizusawaudon1 Fuu2010100nam  どうせならこれらを組み合わせて,ウドの酢味噌和え,生うに,牛肉と進み,うどんをいただいて最後に梅干しとお茶で締める究極の土用丑の日御膳なんてのを出してもいいんじゃないかと思ったのでした.

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2017年7月24日 (月)

夏休みの旅行

 新潟や北日本では大雨になっているところもあるようですが,関東以西では梅雨明けが発表され,多くの学校でもこの週末から夏休みに入ってはいよいよ夏本番といった感じです.学校の夏休みは1か月以上あります.ドイツやフランス辺りなら社会人でも長期の休みを取る人も多そうですが,日本の社会人のそれはせいぜい1週間から両端の土日に祝日をくっつけてmax10日程度が関の山でしょう.

 夏休みといえば旅行です.昔から旅行大好き人間の自分は,まとまった休みがあればほぼ確実に旅行に出かけています.特に比較的長めの休みが取れる夏は海外旅行が定番で,特に21世紀になってからは夏季休暇で海外に行かなかったのは2014年のみだったりします(これは翌年2月にウユニ塩湖という大型の旅行を計画していたために,あえて行かなかった).

 そんな夏休みの旅行,以前は毎年ビーチリゾートの時代もありましたが,近年は秘境系がマイブームで,特に体力が必要そうなアフリカや南米の僻地に行きたいという思いが強くなっています.とはいえそこは他の興味とのバランスもあるので,昨年のイスラエルのような歴史的な場所も惹かれます.

 で,今年ですが実は以前から計画は立てていました.それはアイスランド,イギリスやアイルランドのさらに北にある島です.名前のイメージは氷の島ですが,そんなことはなく緑が多く,火山性のために温泉もある美しい島です(一方でグリーンランドは氷に覆われた島で,思うにアイスランドとグリーンランドはどう考えても名前が逆のように思う).

 そんなアイスランド,実はオーロラが観察できる高緯度帯に位置しています.オーロラというと冬というイメージがありますが,実は一年中発生している自然現象です.ただ高緯度地帯は夏季には夜が極端に短くなるので観測できないということにすぎません.ただ,9月ごろになるとこの地域もだいぶ夜が長くなるので十分にオーロラが観察できるようになります.一方で9月はまだ本格的な冬にはならないため,それほど気温も下がらず(アイスランドの9月は東京の12月程度らしい),オーロラ観察に最適な時期ともいわれています.そんな9月のアイスランドに2015年にウユニ塩湖でお世話になった写真家の先生が同行するツアーが某旅行会社から出され,「これは行くしかない」と早々に申し込んでいたのです.

 が,しか~し

 今日その旅行社から件のツアーは催行中止になったと連絡が入りました.どうやら思うように人が集まらなかったらしいんですが,いい企画なのになぁと残念に思うことしきりです.

 一方でこれで,今年の旅行が完全に白紙に戻ってしまいました ( ゚Д゚).どうしようか,これから考えたいと思います(行きたいところは山ほどあるので 笑).

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2017年7月21日 (金)

ブログ開設記念日

Byzantine2neo  今日7月21日は当ブログ,ビザンチン皇帝の日常の開設記念日です.このブログは自分のホームページ「ビザンチン皇帝の部屋」の一部として主に日常の出来事を語る場として2006年7月21日に開設しました.

 当初の目論見とは異なり,日常よりも小旅行やイベント参加などのネタがメインになっていて,名が体を表していないような気もしますが,今日で丸11年,飽きっぽい自分がよくここまで続けてきたものだと感心しています(笑).ここ数年はツイッター(このブログの右に張り付けてあります)の利用頻度が挙がっていることもあって,以前に比べると更新頻度が下がっているのが残念なんですが,それでも今日現在で総記事数1747,総アクセス数484240,なんといっても訪問して下さる方々のおかげと考えています.これからもよろしくお願いいたします.

 ちなみに当ブログの特徴として,開設以来11年間テンプレートを一度も変えたことがないというのがあります(単にめんどくさいからというウワサも).これはココログのKimonoラブリングというテンプレートで,決して派手ではないんですが,なんとなく落ちつくので使い続けているのでした.

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2017年7月18日 (火)

二つの訃報

 今年は梅雨入りした後,ちょっと雨の日もありましたが,その後特に7月に入ってからは基本的に晴れベースの日々が続いている当地です.

Img_3160  日中はかなり気温が上がり,夕方にはヒグラシの鳴き声が聞こえるなど,すっかり夏模様となっています.ただ今日7月18日は朝はいつも通り晴れだったんですが,お昼過ぎから急に曇りはじめ,やがて激しい雨と共に雷も鳴り出しました.都心では雹も降っていたそうですが,いわゆる梅雨のしとしと雨ではない,真夏のスコールのような雨,もう夏本番だなと感心する一方,そういえばまだ梅雨明けの発表はなかったなと不思議な気分になりました.

 そんな7月18日二つの訃報が飛び込んできました.ひとつは医師の日野原重明先生,聖路加国際病院名誉院長で100歳を優に超えた最近まで現役の医師として活動なされていた方です.自分と同じ職業なんですが,本当にカッコいい生き方だなぁといつも見ていた方でした.

 もう一人は俳優の砂川啓介さん.世間では大山のぶ代さんの旦那さんとしての方が有名かもしれませんが,自分の世代では超人バロムワンに登場する主人公の少年の伯父さん(松五郎,劇中では松おじと呼ばれていた)のイメージです.こちらも違う意味でカッコいい方でした.

 そんなお二人のご冥福を心からお祈りいたします.

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2017年7月16日 (日)

シスマ

 連日本当に梅雨なのかという暑く晴れ渡る日が続いていましたが,今日はやや曇った一日になっています(とはいえ暑いことに変わりはないですが 💦).職場のあじさいも連日の暑さですべて干からびてしまったかと思ってたんですが,まだ元気に咲いている株もありました.

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 さて今日は7月16日,10年前のちょうどこの日新潟県中越沖地震があった日です.このブログのバックナンバーを探したら当日の記事もありました(地震と雷 こうしてあらためて昔の記事を見ると今よりもよっぽど充実しているな).

 先日は九州の方で豪雨による水害がありましたが,日本は昔から災害の多い国です.2007年の中越沖地震後だけでも,2011年の東日本大震災,2014年の御岳山の噴火,昨年春の熊本の地震のほか,2015年&2016年夏には東日本を中心に台風による水害があったのは記憶に新しところです.こうした災害多発地帯に住んでいるがゆえに,たとえ災害があっても助け合い,落ち着いて行動する国民性が形成されたとも言えます(日本で大きな災害が起こるたびに,外国ではよくある略奪や暴動系の事件がほとんど起こらないことは海外メディアが驚くところです).災害は忘れた頃にやって来るというのはまさにその通りです.この機会に自宅の防災用品等のチェックを行いたいと思いました.

 で,本日のブログのタイトルであるシスマ,これはラテン語で分裂という意味です.一般名詞ではあるんですが,特に日本の学術の世界ではキリスト教会の分裂の意味で使われます.キリスト教の歴史はまさに分裂の歴史であるわけですが,その中でももっとも大きいのが中世におけるローマカトリック教会と東方正教会の分裂です.この分裂劇そのものは数百年かけて徐々に進行したわけですが,それを象徴するような事件が1054年7月6日に起こりました.

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 当時のキリスト教会の中心地は西方のローマと東方のコンスタンティノープルでした.ローマはもちろんローマ教皇庁のあるところですが,一方のコンスタンティノープルは東ローマ帝国(ビザンチン帝国)の都です.一応聖職者としての格ではローマ教皇の方がコンスタンティノープル総主教よりも上なんですが,ローマ皇帝とい大君主をバックに持つコンスタンティノープル総主教の権勢も大きく,特に7世以降教義などの点から両者の対立は大きなものとなっていました.

 こうした状況を打開するためにローマ教皇から使節として枢機卿フンベルトがコンスタンティノープルに派遣されていました.しかしながら政治的な思惑もあってコンスタンティノープル総主教のミハイル1世はなかなか使節に会おうとはしませんでした.1054年7月16日こうした総主教側の対応に怒ったフンベルトは,ミハイル1世の破門状を当時総主教座が置かれていた聖ソフィア大聖堂の宝座に叩きつけて立ち去ったのです.これに対して総主教側も相手を破門し両者の対立は決定的になりました.

 これが世界史上シスマと呼ばれる事件です.書籍によってはローマ教皇とコンスタンティノープル総主教が相互に破門し合ったと書かれているものもありますが,前述のようにローマカトリック側の当事者は枢機卿フンベルトです.しかもこの時彼を使節として派遣した教皇レオ9世はすでに亡くなっていたので,総主教の破門が教皇の意志だったのかは不透明です(激怒した枢機卿の個人的な行動ともとれます).また総主教側が破門した相手はあくまでもフンベルト枢機卿(とその従者)であり,ローマ教皇は含まれていません.

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 というわけで,この日をもって東西教会が正式に分裂したというわけではなく,あくまでも象徴的な事件の日として記憶されているのでした.ちなみにフンベルトが破門状を叩きつけた宝座は大聖堂の至聖所という本来は聖職者しか立ち入ることのできない場所にあるわけですが,聖ソフィア大聖堂は現在無宗教施設であるアヤソフィア博物館となっているため,今は誰でも立ち入ることができます(ドームの一番奥,今はミフラーブがあるあたりです).

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2017年7月14日 (金)

巴里祭

 久しぶりの更新となりました.7月に入ってから先週は恒例の家族旅行に出かけていたりいろいろ活動していました(旅行の話題は後日こちらにアップします).

 さて,暑い日が続いています.九州北部では豪雨で大きな被害がでているところもあるわけですが,当地はまだ梅雨が明けていないというのが信じられないような夏本番の日が続いています.

Degpesuqaabiljpg_large  (写真1) 職場のアサガオもお疲れモードです(笑)

 さて今日は7月14日はフランスの革命記念日です.1789年のこの日,折からの不景気等による生活苦から不満を募らせた民衆がパリのバスチーユ牢獄を襲撃,この暴動が全国に波及することでフランス革命が始まったとされています.このため同国ではこの日は祝日とされ,市内では様々な行事が行われています.

Paris59 (写真2) パリの目抜き通りシャンゼリゼ通り(2008年3月訪問時)

 フランスという国は独特の文化や風土のある国です.日本から見ると欧米諸国,西ヨーロッパ諸国と一緒くたにされたイメージがありますが,政治的には現代のグローバリゼーションの中心にある米英とは常に一線を画した行動をとっています.文化的にも禁欲的なプロテスタントのイメージがある(特にアメリカ)とちがい,たとえば以前話題になった風刺画文化など,時にはちょっと??なことも平気で行ったりします.食事関しても,お世辞にも質素&ジャンクなイメージでお世辞にも美味といいにくい(笑)米英とはきわめて対照的にフランスの食は洗練されています.

 このような現代に続くフランス人のアイデンティティの原点となったのがフランス革命なのです.

Img_0  この革命記念日をテーマにしたフランス映画がQuatorze Juillet で意味はそのまま7月14日です.これはルネ・クレール監督によって1933年に作られた作品で,特に革命をテーマにしているわけではなく,1930年代のこの日に繰り広げられた庶民の恋愛劇です.,日本では巴里祭という題で公開され人気を博しました.



 自分も学生時代ある年の7月14日にレンタルビデオ店でこの作品を借りてきて,観たのを覚えています.

 そんなことを思い出した2017年7月14日でした.

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2017年7月 5日 (水)

7月になりました

Img150  気が付いたら7月になっていました.2017年も半分が終わってしまったわけで,本当に月日が経つのは早いです(年々早くなっていく感じだ).そんな7月初めの昨夜,現在公開中の”宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 第二章”を鑑賞してきました.

 自分は宇宙戦艦ヤマトのヒットをリアルに体験した世代です.最初のテレビ版ヤマトが放映された時はまだ8歳でしたが,小学校高学年時の再放送時に人気が出て映画化,そして自分が中学1年時の昭和53年に続編の”さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち”が公開されました.思春期の多感な時代にあの作品はインパクトが強すぎて劇場で涙ボロボロ状態になったのを覚えています(そのためか,今でも沢田研二のあの歌を聞くと斎藤や真田さんの殉職の場面が浮かんできてそれだけで泣けます).

 そんなヤマトの初期作品をリメイクした宇宙戦艦ヤマト2199が制作公開されたのが2012年,自分も全作品劇場で鑑賞しました.そして今度はいよいよその続編のリメイクとなったわけです.

Img_3129  今回公開されたのは第二章発進編,テレサからの謎のメッセージを受け取った旧ヤマトクルーが再びヤマトに乗り込んで地球を後にする場面です.2199もそうだったんですが今回のリメイクで面白いなと思ったのが,旧作で多くの視聴者がツッコんだであろう疑問にきちんと答えを用意しているところです.たとえば2199なら,宇宙各地に侵略の手を広げられるほどの強大な軍事力を持っているはずのガミラスが,七色星団の決戦になぜ空母4隻しか投入しなかったばかりか,その後は艦隊決戦すらなく,あっさりと母星への侵入を許したのはなぜかと言った疑問です(2199ではそれに対する明確な回答が用意されていた).今回もヤマトの帰還からわずか3年で地球があれほど復興し,しかもアンドロメダなどの最新鋭戦艦がぞくぞく就航できているのはなぜかという疑問がありましたが,今回それへの回答がきちんと用意されていたのはさすがでした.

 まだまだ上演は続くのでネタバレはしませんが,ヤマトファンは必見だと思います.

Dsc_1606  終演後はカキの夕食,美味でした !(^^)!

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