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2017年5月19日 (金)

日常に戻って

 さて,GW~ひのパレという毎年の流れが一段落し,普通の日常が戻ってきました.自分的には今月はもう大きなイベントはありません(来月になれば能代寮歌や合唱団のコンサート,さらには学会など立て続けに入ってくるが).

 というわけでこれから先は通常業務がメインになってくるわけですが,気が付いたら11月に行われる学会の演題登録の締め切りが来週に迫っていました💦.ネタは用意できているのであとはそれを抄録にまとめるだけなんですが,この週末に一気にやりたいと思います.

 そんな週末の金曜日は隣県の沼津市に泊まり込みの出張で来ています.夕食も出るんですが,いつも健康的な(笑)食事だけだと飽きるので,駅前のモスに入りました.

Dsc_1546  注文したのは定番のモスチーズバーガー(とクラムチャウダー).他にも興味のあるメニューはあるんですが,吉野家に入ると牛丼を注文するのと同じで,結局はこれに落ち着いてしまいます.久しぶりでしたが美味しかったです.

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2017年5月15日 (月)

第20回ひの新選組まつりに参加してきました!

Img153  5月14日に東京の日野市で開催された第20回ひの新選組まつり隊士パレードに参加してきました.2006年の第9回以来毎年参加しているこのお祭り,お祭り自体は土日の2日間開催なんですが,近年は所要が被るケースも多いこともあり日曜日のパレードのみの参加が多くなっています(今年も前日は同窓会の総会だった).

 以前からここでも書いているんですが,今年自分に与えられた役柄は,長州藩士高杉晋作です.

 ある意味新選組まつりと対極に位置する人物なんですが,同じく長州の桂小五郎,土佐の坂本龍馬や薩摩の西郷吉之助と共に,新選組と同時代の人々(以前の名称は新選組と出会った人々)枠の定番となっています.

 で,パレードに参加した感想

 アウェイ感がハンパない ( ;∀;)

 いやぁ,新選組,新選組,会津,会津,新選組とそれに歓声を上げるお客さんの中を行進する長州藩士… 完全アウェイってこういうのをいうんだろうと実感しました💦.元々自分自身が佐幕派で会津&新選組びいきなこともあって,沿道の誠の旗や会津の旗はまともに見られませんでした ( ;∀;).ホント強烈です(笑).

 同時代枠での参加は4回目ですが,かつて扮した松本良順(幕医),井上松五郎(井上源三郎さんの兄)は完全に幕府方の人物だし,昨年の清河八郎(庄内藩)も尊攘派とはいえ,出身は東北の庄内で,しかも新選組の前身浪士組のプロデューサーということもありそれほど違和感はなかったんですが,今年は徹頭徹尾反幕的行動を取っていた革命家の高杉晋作のアウェイっぷりは突出していました.

 とはいえ,そんなことでめげるビザンチン皇帝ではありません.今回は高杉といえばこれだろう!というアイテム,三味線を持参して爪弾きながらパレードに臨みました.詳細は後日,いつ完成するか不明なレポ(まだ第13回,第15回,第19回が未完)になりますが,同じ枠の方々が個性的で素晴らしい方々ばかりだったこともあり,楽しい一日でした.

P5140798 P5140023 (左写真2) 功山寺決起! (右同3) ひのパレのレジェンド神楽教授と

P5140019 C_ywir9uwaejcfvjpg_large (左写真4) 今年のミスター&局長とちゃっかり記念撮影(きゃぁ~撃たないで 笑),(右同5) 沖田総司とのネタ写「労咳コンビ」

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2017年5月11日 (木)

記念の日

 今日は5月11日,実は当ブログにとっては非常に大切な日である.

 まずは,ブログ名にもなっているビザンチン帝国の都コンスタンティノープル(現イスタンブール)の開都記念日であることだ.古代ローマ帝国の都はもちろんローマ市だったわけだが,3世紀以降産業の衰退が激しく,街には無産市民や無能な元老院が跋扈しているありさまで,まともな政治が行える環境ではなくなっていた(それどころか下手にこの街にいると政争に巻き込まれて殺される恐れもあり,まともな皇帝はローマに寄り付こうとはしなくなった).一方でこの頃から東方に勃興してきた大国(パルチア王国,ササン朝ペルシャ帝国)に対応するためにも,ローマよりももっと東側に新しい都が望まれていた.

 この時に白羽の矢が立ったのが,ビザンチウム(ビザンチオン)と呼ばれるバルカン半島の南東部,ボスポラス海峡に面した港町である.この街は金角湾という良港を備えるほか,3方を海に囲まれた要害の地でもあり,東方ににらみを利かせる新首都として相応しいと考えられたのからある.折しもディオクレティアヌス帝亡き後の後継者争いに勝利したコンスタンティヌス1世が正式にこの街を新首都とし,その開都式を行ったのが330年5月11日なのである.

Isutanbul22_015 Istanbul1_233 (左写真1) 幼子と聖母マリアに捧げものをするコンスタンティヌス1世(右)とユスティニアヌス1世(左),(右同2) イスタンブールの象徴アヤ・ソフィア(聖ソフィア大聖堂) ともに2009年9月訪問

 続いては同じくビザンチン帝国の話題.ローマ帝国は395年のテオドシウス帝の死後完全に東西に分裂したが,西の帝国の衰退は激しく476年に滅亡する.その旧領はゲルマン人諸部族が群雄割拠する土地となったが,その失われた領土を回復したのが6世紀のビザンチン皇帝ユスティニアヌス1世である.彼の時代帝国は領土的な最盛期を現出した(ただし経済面を含めた全盛期は10世紀末~11世紀初頭のマケドニア朝といわれる).そんなユスティニアヌスが生まれたのが483年5月11日のことである.

 そして3つ目は新選組関係の話題,近藤勇や沖田総司とともに新選組でもっとも有名な人物の1人である土方歳三が函館で戦死した日である.慶応四年(1868年)正月の鳥羽伏見の戦いに始まる戊辰戦争は,その後の上野戦争や会津戦争等を経て,翌明治二年の箱館戦争に至る.この間新選組は佐幕派勢力として常に闘い続けてきたが,土方歳三もまた彼らとともに戦いこの箱館までやってきていた.しかしながら新政府軍の攻勢の前に形勢不利となり,5月11日一本木関門付近の戦いにて戦死したとされている(弁天台場に立てこもっていた新選組は5月14日に,五稜郭の本隊は5月18日に降伏した).

Hiji3 Hiji2 (左写真3) 現在の一本木関門,(右同4) 同地にある土方歳三の碑(ともに2007年4月訪問)

 このように5月11日はビザンチン帝国と新選組を愛好する当ブログにとって非常に重要な日なのである.

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2017年5月 8日 (月)

岩国観光

 5月3日は徳山に宿泊,夕食は駅前の小料理屋さんでした(そういえば自分の人生で徳山に宿泊したのは初めてだ!).

 翌4日は朝から一日岩国市の観光となります.岩国といえば錦帯橋と岩国城ですが,それだけではありません.自分的に極めて重要なスポットがあるのです.それが寂地峡五竜の滝,山口県唯一の100選滝です.錦帯橋の架かっている錦川の支流、宇佐川のさらに上流の寂地川に架かる滝です.

 徳山の中心部から国道315号線を北東方面に進み,須々万から国道434号に入って中国山地の奥深くへ,途中には対向車とのすれ違いも困難な個所もありました(いわゆる酷道というやつ).約1時間40分ほどで寂地峡に到着,駐車場に車を停めて散策開始です.寂地峡五竜の滝は連続した5つの滝を一匹の竜に見立てた滝群です.本来寂地峡は大きな峡谷で,滝以外にも見どころはあり,その気になって散策するとそれこそ丸一日かかるんですが,五竜の滝だけを見るならそれほど苦労はありません.駐車場から最奥の滝である竜頭の滝まで遊歩道で15分ほどでした(滝散策の難易度は低い).滝のある寂地川は清流でここは日本の名水100選にもなっています.この日は朝から良いお天気で,春の峡谷散策は非常に気持ちが良かったです.

P5041136_2 P5041146 (左写真1) 中国山地の奥地寂地峡,(右同2) 五竜の滝の最初竜尾の滝です

P5041160 P5041188 (左写真3)登竜の滝,(右同4) 竜頭の滝

 観瀑の後,今度は岩国市内を目指します.これまた約1時間半ほどの距離でした(それにしても岩国市は広い 笑).先ほどの滝の駐車場も結構混んでいたんですが,岩国市内の混みっぷりは半端ではありません(さすがGW).錦川河川敷の大駐車場はすごい数の車でごった返していました.

P5041218 9f9b9_0003025810_3 (左写真5) 岩国寿司と蓮根麺のセット,(右同6) 岩国寿司は本来ビッグサイズです

 さっそく観光と行きたいところですが,ちょうどお昼時ということで錦帯橋目の前にある食堂しらため別館さんへ.地元名物の岩国寿司と蓮根麺のセットを注文しました(どうでもいいが,自分たちが入った直後からわらわらと客がやってきてすごい行列に,相変わらず運がいいな自分 笑).岩国寿司はご飯と具材(錦糸卵や蓮根,魚介など)を何層にも重ねて大量に作り切り分けるスタイルです.一種の押し寿司なんですが,食感はちらし寿司に近いと思いました(元は山城での戦に備えた保存食だったとか).

P5040339 (写真7) 錦帯橋パノラマ写真

 食事の後はいよいよ錦帯橋へ.自分は過去何度か来たことがありますが,ウチのKは初めての訪問だそうです.江戸時代の前期,延宝元年(1673年)に架けられた錦帯橋は世界的にも珍しい木造による5連のアーチ橋です.架橋から270年もの長期にわたって多くの人々の往来を見守ってきましたが,昭和25年の台風によって流失してしまい,現在のものはその翌年に復元されたものです.以前来たときは通行人も少なくゆったりでしたが,この日はGWということでものすごい人でごった返していました(笑).

P5041315 P5041232 (左写真8) 記念写真,(右同9) 大勢の観光客で賑わっています

(写真10) これまた岩国名物シロヘビ

 橋を渡ってそのまま岩国城方面へ,ただし城に登るロープウェイが混雑で40分待ちという情報が入ったため,先に麓のシロヘビ館に行きました.岩国は名物がたくさんある土地ですがシロヘビもまたその一つです.本来はアオダイショウのアルビノなんですが,なぜかこの土地に多く生息しているということで,古くから神聖視され保護されてきた歴史があります.このシロヘビの館は以前来たときは小さな小屋という感じだったんですが,昨年新しい建物に新装されたようでした.

P5041246 P5041272 (左写真11) 新装なったシロヘビ館,(右同12) シロヘビです

 シロヘビの後,少しは空いたかと思いロープウェイへ,さすがに40分待ちという状況は改善されたようでしたがそれでも30分近く待たされました(笑).

P5041299 P5041297 (左写真13) 岩国城模擬天守,(右同14) 山上からの岩国市内と錦帯橋

 ロープウェイに乗ること数分で横山山上に到着,ここから徒歩数分に岩国城の模擬天守が立っています.岩国城は慶長十三年(1608年)に完成しましたが,元和元年(1615年)の一国一城令によって破却されたため,城としてはわずか8年という短命に終わっています.しかも当時の天守があった場所は今とは違って,より錦帯橋よりも遠い場所(今でも天守台がある)にあったことがわかっています.今の場所に天守が建てられたのは純粋に下界から見た時に錦帯橋とのコラボがカッコいいからにすぎません(多分).天守内部には各種刀剣や昔の資料等が展示されています.

P5041302 P5040351 (左写真15) かつて政庁があったとされる場所に建つ錦雲閣,(右同16) 岩国名物蓮根を使ったコロッケ(美味です)

 岩国城見学の後は再びロープウェイで下山,周辺を散策して家路につくことになります.来るときは新幹線だったんですが帰りは飛行機です.車で岩国空港に向かったんですが,市内中心部からは2キロほどで歩いても行ける距離でした.さばを読んで行ったら時間が余りすぎたので売店でお酒を買って飲んでしまいました(もちろんレンタカー返却後です 笑).こうしてGW山口旅行は無事に終了したのでした.

18195122_1308476985916330_211272516 (写真17) 山口の美味い酒大集合\(^o^)/

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2017年5月 6日 (土)

高杉晋作ゆかりの地

P5030229 (写真1) 高杉晋作終焉の地

 一夜明けた5月3日(憲法記念日)は朝から良いお天気,さっそく観光に繰り出します.まずは市内中心部からというわけで,最初に行ったのが高杉晋作終焉の地.幕末の元治元年禁門の変で朝敵とされ,その後の幕府との第一次征長戦争,列強との馬関戦争によって滅亡の崖っぷちに立たされた長州藩の衰勢を一気にひっくり返したのが高杉晋作の活躍でした.彼の作った奇兵隊や彼の後輩たちが後の明治維新の原動力になったわけですが,高杉自身は肺病(たぶん肺結核)により慶応三年(1867年)の春に亡くなります.その最期の地がここ下関の新地になります(当時ここは庄屋林算九郎の邸だった).

35201aa0000017097_1 (写真2) 萩藩新地会所跡

 終焉の地を見学していたら地元の観光ガイドの方が史跡マップをくれました(以後はそのマップを頼りに散策).ここから北に徒歩数分歩いた場所が萩藩新地会所のあった場所で,元治二年(1865年)1月に功山寺で決起した高杉が伊藤博文らとともにこの地に談判に訪れています.実は幕末期,下関は長州藩ではなく支藩の長府藩の領地だったので会所は出先機関の役割を担っていました.

 この新地会所跡の隣が厳島神社,同名の広島の世界遺産とは無縁ではなく,平安末期に本家厳島神社の分霊を持って平家の人々がこの地にやって来たのですが,壇ノ浦の戦いで敗れた後,地元の人がその分霊を祭って建立したとのゆかりがあります.境内には慶応二年の小倉戦争での戦利品として奇兵隊が持ち帰った太鼓があります(毎年9月の第1土曜日にこの太鼓を打ち鳴らす「太鼓祭り」が行われる模様).

P5030234 P5030235 (左写真3) 厳島神社,(右同4) 奇兵隊が持ち帰った太鼓

 厳島神社を北に抜けてそのまま山陽本線の線路の近くの小道を歩いて北上し桜山神社を目指します.途中には晋作が小倉戦争後に療養していた寓居跡がひっそりと建っていました.

P5030239 (写真5) 高杉晋作療養の地

 桜山神社は別名招魂社といい慶応元年に晋作の発議で建設されたものです.ここには幕末維新の動乱で亡くなった多くの志士たちが祀られています.先ほどの小道を北上し桜山小学校を左手に見ながら少し行ったところに入り口がありました.見上げる階段はちょっとめまいがしますが(笑),気が生い茂っているためさほど苦労せず登れました.

P5030242 (写真6) 招魂社の入り口

 神社に着くとさっそく墓地(?)へ.整然と石碑が並ぶさまは言葉はなくとも強い印象を受けました.立場は異なりますが,同じ尊王攘夷を掲げた水戸の回天神社にある共同墓地を訪れたときと同じ印象でしょうか.石碑は最前列の中央に吉田松陰が(彼の石碑だけ少し大きい),その隣に高杉晋作,久坂玄瑞,吉田稔麿、入江九一といった大物が並んでいたのが印象的でした.

P5030248 P5030247 (写真7,8) 整然と石碑が立ち並びます

 招魂社を後にして下関駅方面に戻ることにします.下関医療センターそばを通って,幕末期の道のルートそのままとなっている路地を南下していきます.その途中に慶応元年ごろにこの地に潜伏中だった晋作が反対勢力に襲撃された際に隠れたとされる井戸(ひょうたん井戸)がありました.

P5030252 P5030256 (左写真9) 昔と同じ路地,(右同10) ひょうたん井戸

P5030263 (写真11) 白石正一郎旧邸跡

 井戸を見学した後は付近の吉田松陰宿泊所跡などを見て,そのまま国道191号線へ出ます.ここには幕末の下関の豪商白石正一郎旧邸跡があります.白石はいわゆる尊攘派の志士を経済的に支援していた人物として知られています.長州藩の高杉晋作や久坂玄瑞はもちろん,土佐脱藩の坂本龍馬も援助したそうです.奇兵隊は文久三年にそんな彼の家で結成されました.今は邸の痕跡を残すものはなく,記念碑だけがひっそりと建っています.

P5030282 (写真12) 日和山公園への階段

 そのまま191号線を歩いて線路を潜るとここから国道9号線になります.東に数百メートル歩いてちょっと裏道に入るとそこに日和山公園への登り口になります.先ほどの桜山神社(招魂社)の階段と違って日を遮るものもないので疲労の激しい階段でした(笑).なんとか登っていくと公園に到着,ここは関門海峡が一望できる丘になっていて,高杉晋作の立像が立っていました.

P5030280 (写真13) 高杉晋作の立像

 公園散策を終えたらちょうどお昼時だったので駅そばの大丸内のレストランへ.この日は英気を養うためにうな重をいただきました(最近値上がりしているためかうなぎを食べたのはすごく久しぶり).飲み物としてアイス抹茶を注文したんですが,甘い味が付いていました(これが普通なのか?).

 食後はレンタカーで長府に向かいます.

P5030291_2 (写真14) 功山寺の山門

 長府は萩を拠点とする長州藩の支藩である長府藩の中心です.城郭は今の開見台公園のある高台に位置していましたが,城下町はそれよりも北に広がっていました.萩と同じように昔の城下町の風情が良く残っている街です.ここでまずやって来たのが功山寺,ここがいわゆる高杉晋作決起の地です.

P5030295_2 (写真15) 有名な高杉晋作の騎馬像

 元治元年の禁門の変やその後の馬関戦争,第一次長州征討で追い詰められた長州藩は幕府に恭順を示す俗論党が主導権を握っていました.これに対して同年12月15日深夜に高杉は彼の意思に賛同したわずかの兵とともに俗論党から政権を奪うべくここで挙兵したのです.当初は100人に満たない勢力でしたが奇兵隊など長州藩内の諸隊が次々に合流し,各地の戦いで勝利し,翌元治二年2月には俗論党は壊滅し,以後長州藩の藩論は倒幕一本になります.そんな高杉決起の寺は新緑がまぶしいところでした(実はここには2010年にも来ているんですがその時は紅葉がきれいでした).

 ちなみにこの功山寺の境内には騎乗した高杉の像が建っているんですが,高知桂浜の坂本龍馬像,東京高幡不動尊の土方歳三像と共に幕末三大像と呼んでいる人もいます.

P5030299_2 (写真16) 下関市立歴史博物館

 続いては功山寺向かいにある下関市立歴史博物館へ.ここはかつて長府博物館という名称だったんですが,昨年リニューアルされて今の名称になったようです.この日は常設展に加えて高杉晋作オンリーの企画展も行われていました(前回訪問した2010年は大河「龍馬伝」の年だったので企画展は坂本龍馬だった).ここの目玉は馬関戦争でフランスに戦利品として持ち去られ,その後貸与という形で戻って来た荻野流一貫目青銅砲です.パリのアンヴァリッドに残されているもう一門よりも小振りな砲で,弾痕がなく馬関戦争当時実際に発射されたわけではないとされています.博物館の後は近くの長府毛利邸や古江小路を散策しました.

P5030313 (写真17) 東行記念館

 長府を後にしてレンタカーでさらに西に向かいます.次なる目的地は吉田地区にある東行庵,そう高杉晋作の墓地になります.東行とは高杉晋作の号で,もちろん平安末期の有名な僧侶西行のパロディです.慶応三年4月に亡くなった高杉は彼自身の遺言にしたがいこの地に葬られました.そして彼の愛人だったおうのが出家して梅処を名乗り初代庵主となったものです.ここには高杉の墓の他,彼ゆかりの品々を展示した東行記念館もあります(ただし東行記念館は東行庵敷地内にあるものの,組織上は下関歴史博物館の分館).まずは記念館に入ります.なんといってもここの注目は高杉が愛用していた道中三味線や瓢が展示されていることです.戦場にも三味線を持っていき弾いていたといわれるほど音楽好きで,いつでも瓢が放せないほど酒好きだった彼らしい品々です.

P5030320 (写真18) 高杉晋作の墓

 記念館を出て境内を散策,ほどなく高杉のお墓を見つけました.酒好きの彼をしのんでいるのか酒瓶がいくつか添えられていたのが印象的です.

 幕末期に肺病で若くして亡くなった著名人といえば高杉のほかに新選組の沖田総司がいます.高杉の墓所はこのようにいつでも誰でも見ることができます.一方で沖田の墓所である東京の専称寺は檀家以外の墓参を原則として認めていません(年に1回の総司忌の日のみ例外).これはかつては沖田の墓も普通に墓参できたのですが,一部の心ないファンの行為により多大な迷惑をこうむったお寺側が今のような処置をとったからです.どちらも幕末期の人気キャラだと思うんですが,こういった違いが出てくるのはファン層が相当に違うせいなんだろうかと複雑な気分になりました.

Dsc_1501  東行庵はまた花の綺麗なところです.桜はさすがに終わっていましたが,ツツジや藤などがきれいに咲いていました.

 これにてこの日の観光は終了,その後は一路この日の宿泊先である徳山に向かいました.

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2017年5月 5日 (金)

下関に行ってきました

 世間はゴールデンウィークの真っ只中です.もっとも自分の場合,当直がちょくちょく入るのと,この時期はどこに行っても混むのとで,GWは特に出かけないというのが基本パターンになっています.

 ただ今年は2日の午後に休みが取れたことと,3&4日が連休で特に予定もないことから,思い立って出かけることにしました.向かう先は山口県!,「なぜにそんなところへ」という声が聞こえてきそうですが,最近行ってなかった地域であるのと,いよいよ来週に迫ったひの新選組まつりで,(新選組とは全然関係ない 笑)高杉晋作をやることになったので,そのゆかりの場所を見て歩きたいと思ったからです.

 5月2日はお昼で職場を上がって,午後2時過ぎの新幹線ひかり号で西に向かいます.名古屋駅でのぞみ号に乗り変えてさらに西へ,6時半ごろに小倉駅に到着しました.下関市内には新下関駅も存在するのですが,基本的にこだま号しか停まらない駅のため,時間的にはのぞみ停車駅である小倉まで行って下関駅まで戻った方が断然速いのでした(小倉-下関はおおよそ10分).

P5020193 (写真1) 下関駅構内

 小倉からの乗り換え電車を降りて近くの階段を下ります.改札口の雰囲気は昔と変わらなかったが,改札の外は様変わりしていました.自分が最後に下関に来たのは2010年秋のとで,この頃は古い駅舎の風情が残っていたんですが,ここ数年で近代化されたようです.駅構内にあった「ヘアサロンゑき」という床屋さん(ここは1980年代に初めて来たときから存在していた)も無くなっており,かわりにおしゃれな店ができていました.駅前のペデストリアンデッキも規模が大きくなっていましたが,駅向かいに聳えるノートルダム下関の威容は変わっていないようでした.

Donbe_101 Donbe_100 (左写真2) 今はなきヘアサロンゑき,(右同3) そのように書いてあります(2010年撮影)

P5020201 (写真4) 寿司・割烹 浪花さん

 駅前のホテルにチェックインして,その後夕食へ.やってきたのは地元では有名なお寿司屋さん「寿司・割烹 浪花」さん,実は7年前にこの地を訪れた際も来ているお店です.下関というとフグ(現地ではフクというが)が有名なんですが,3月いっぱいでシーズンは終了となっています(とはいっても観光客相手に冷凍物などは出すのだが).このためこの日はお店お勧めの旬の魚をいただきました.お刺身の他に稚鮎の天ぷらなども食したんですが,注目だったのはオコゼ! 東国ではあまりなじみのない魚(というか自分的には超人バロムワンのオコゼルゲしかイメージがない)なので,その話をしたところマスターがわざわざ生簀から出して見せてくれたのでした(感謝).一通り食べて大満足の下関の夜でした.

Dsc_1471 Dsc_1474 (左写真5) お刺身,(右同6) 稚鮎の天ぷら

Dsc_1478 Dsc_1479 (左写真7) オコゼのにぎり,(右同8) これが実物です

Dsc_1481 Dsc_1482 (左写真9) 赤貝,(右同10) さざえ

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2017年5月 1日 (月)

5月になりました

18157862_1304618019635560_1816317_2  いよいよ今日から5月です.数日前までは涼しいというよりも寒いくらいの日もあったんですが,昨日あたりから一気に気温が上がり,30℃超えの真夏日だったところもあったようです.世間的にはゴールデンウィークの開幕で,人によっては9連休などという人もいるようですが,自分は基本的に暦通り,しかも途中に当直が挟まっているために長期の連休とはなりません.

 そんな5月は例年だと公私ともにイベントの多い月です.本業関係だとメインの神経学会の学術大会があるのが5月なんですが,こちらは今年国際学会とのタイアップとなっているために5月ではなく,9月開催のため今月はありません.その他温泉気候物理医学会の学術大会も今年は6月になっており,本業関係は地方会や小規模な学術講演会のみということになります.

 一方で趣味関係だと月末に他団体のコンサートへの賛助出演もあるんですが,なんといってもメインは13~14日に行われる,ひの新選組まつりでしょう.今年で第20回の節目を迎えるお祭りです.初参加の第9回(2006年)以来毎年参加し続けている春のビッグイベントです.その新選組まつりの参加要項が先週届いていました.

Img_2985  今年は昨年に引き続き,新選組と出会った人々枠で参加します.役は以前ここでふれたように長州藩士高杉晋作です.佐幕派で会津&新選組びいきの自分がよりによって討幕派の急先鋒的な高杉晋作なんて!自分でも信じられないんですが(笑),別にこれは希望してなったわけではなく,何の希望も書かずに申し込んだらこうなったというのが正解です(笑).

 今年のパレードの募集にあたっては,出会った人々枠には希望を書く欄に加えて,その役柄に対する思いを作文にする趣向も盛り込まれていました.サンナンさんとか鉄之助といった例年人気の役柄などでは,その思いも選考対象になるんだろうなと思ったんですが,基本めんどくさがりの自分は作文を書くようなガッツはなく,特に希望無しで申し込んだというわけです.ただ裏を返すと,仮に高杉晋作に関して熱い作文を書いて応募した人がいれば,そちらが選ばれていただろうことから,そこまで熱い高杉希望者はいなかったと思われます.その点はさすが新選組まつりという気がします.

Img_2984  その他昨年もそうだったんですが,パレード終了後はすみやかに着替えてくださいという記載も見られます.これも昨年書いたんですが,想像するにパレードで盛り上がってしまい時間が経つのも忘れて写真を撮ったりして過ごす方がいたんだろうと思われます.それだけ盛り上がれるお祭りだということですが,今年も楽しみであります.

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