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2017年4月15日 (土)

歌劇「オテロ」

Img149  今週の水曜日(4月12日),東京の初台にある新国立劇場で行われた歌劇「オテロ」公演に行ってきました.

 シェークスピアの有名な作品「オセロ」をオペラ化した作品です(オテロはOthelloのイタリア語読み).

 ヴェルディはその生涯に26作品のオペラを書いていますが,この「オテロ」は最後から2番目,25作品目にあたり初演されたのは1887年です(有名な「アイーダ」から16年後).台本を書いたのはアリゴ・ボーイトという若い詩人兼作曲家,彼は当時ヨーロッパの音楽界を吹き荒れていたワーグナー理論の崇拝者で,自らもワーグナー風のオペラ,メフィストフェーレを作曲しましたが,初演が大失敗に終わり,作曲家としてやっていくことへの限界を感じたようです.そのため,自らが書いた台本を作曲家に売り込む方向に転向しました.そんなボーイトの台本にヴェルディが作曲したのがこのオテロというわけです.

 この作品の最大の特徴はそれまでのイタリアオペラの伝統であったナンバー制が廃止されたことです.これによって,従来のレシタチーヴォ(セリフ部分)・アリア(歌部分)の区別がなくなり,全編音楽が途切れなく展開するようになりました.ワーグナー以降の作品ではおなじみのスタイルですが,ワーグナーのようにライトモチーフの洪水で慣れない観客が混乱するようなことはなく(笑),輝かしい合唱に美しい旋律といったイタリアオペラの良さもしっかりと残っています(特に4幕のデズデーモナによって歌われる「柳の歌」は従来のイタリアオペラ風のアリアです).ストーリーは原作にかなり忠実ですが,オリジナルが5幕構成なのに対して,第1幕部分を丸々カットすることで,劇はシンプルになりデズデーモナの悲劇性とイヤーゴの悪人ぶりがいっそう際立つようになっています.

 演奏に関しても冒頭の合唱から迫力満点で,オテロのカルロ・ヴェントレ,デズデーモナのセレーナ・ファルノッキア,イヤーゴのウラディミール・ストヤノフともよくまとまっていたと思います(演出は舞台上に運河を再現したマリオ・マルトーネのプロダクション).

 ただ今回問題だったのは舞台ではなく客席でした.

 開演後まもなく隣の方からイビキと寝言が… ( ゚Д゚)

 声のした方をチラッと見ると,年配のオッサンが伸びた様に寝ています(明らかに酔っている).その後も時々声を出したり前かがみになって前列の若い人にもたれそうになるなどひどい状態で,とても劇に集中できませんでした.

 前半(1幕&2幕)終了後の休憩時間中に係員に撤去されたようで,後半はようやく楽しめたんですが,オペラのチケットって決して安くないはずなのに,一体このオッサンは何をしに来たのだろうと不思議に思ったのでした.

17814213_1287987954631900_188593876  ともかくこのオテロ,19世紀型のイタリアオペラ愛好者の間には,ヴェルディがワーグナーの軍門に下ったとあまり評価しない人もいるんですが,なんといっても元が完成度の高いシェークスピアの戯曲であり,この劇をアリアとレシタチーヴォで分断すると,せっかくのドラマがぶつ切りになってダメになってしまうので,これはもうこのスタイルしかないんだろうなと感じています.

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