追悼の例会
昨夜(4月26日)は都内に出かけてきました.
現在自分はいくつかの合唱団に所属しているんですが,そのひとつである東京マドリガル会の例会のためです.この会は16世紀の英国マドリガルをメインに歌っている珍しい団体です.会の歴史は非常に古く,最初のコンサートが開催されたのが1929年(昭和4年)のことです.以来1年も休むことなく続けられ,なんと第二次世界大戦中もその活動は途切れることはなかったのです(ドイツ音楽ならともかく,当時の敵国である英国の歌を歌い続けていたわけですからすごいことです.当時は大学の教室などで活動していたそうですが,戦時中とはいえ私立大学の内部にはまだ自由があったことが伺えます).
こうした長い歴史を持つ会ですが,諸事情からコンサート活動は昨年をもって一区切りとなり,現在は月に1回程度集まって純粋にアンサンブルを楽しむ会となっています(ちなみにこの会では「練習」とは呼ばず「例会」と呼んでいます).
そんなマドリガル会に私が参加するようになったのは,岩手県から神奈川県に居を移した2008年のこと,私の高校の先輩で,当時持っていたもう一つのブログ(Yahooブログ)にコメントを下さっていた方(Sさん)からのお誘いでした.この先輩は音楽,特に合唱音楽に造詣が深く,また同郷岩手など東北出身の若い音楽家を常に応援している方でした(こうした若手音楽家のコンサートやコンクールなどにはいつも駆け付けていて,その辺の世界では有名な存在でした).私が参加している盛岡バッハ・カンタータ・フェラインや東京21合唱団のコンサートにもいつも来て下さいました.
そんなSさんが亡くなったという知らせが来たのです.
実は先月21日に盛岡で行われたヨハネ受難曲の演奏会にもSさんは来てくださいました.あの日はコンサート終了後自分は合唱団のレセプションに参加していたんですが,Sさんは東京から聴きに来てくださったほかの方々と会食をしていて,偶然自分が帰りの新幹線に乗るための盛岡駅でばったりとお会いしたのです.その時はいつもと変わりがなく,「自分はこれから夜行バスで帰るんだよ」とおっしゃっていたのを覚えています.まさかそれが最後のお話になるとは…
聞くところによると,先輩はその晩夜行バスで東京に戻った後まもなく急逝されたとのことでした.
そして昨夜はSさんが亡くなったことが明らかになってから初めての例会だったのです.会ではみんなにとってのSさんの思い出などが語られ,追悼のためのマドリガルやルネサンスの宗教曲を歌いました.その席上他の会員がおっしゃってたんですが,「Sさんはいつも裏方のような仕事を嫌な顔一つせずやってくださっていて,そこにいるのが当たり前すぎる存在だった.こうして亡くなったことを知って,そこにぽっかり大きな穴があいたのが分かった」,「いつも普通にふらっと現れる方だったから,今日もひょっこり現れるんじゃないかと思ってしまう」など,生前の人柄がしのばれるお話が出ていました.本当に同感です.
例会からの帰り道,駅に向かう途中で自分もS先輩の人懐っこい表情を思い出し,いろんなお話をしたけど,もうすることはできないんだと思うと急に涙があふれてきました(親戚の葬儀では涙をながすことなんかない自分なのに).
S先輩のご冥福を心からお祈りいたします.
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