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2017年4月27日 (木)

追悼の例会

 昨夜(4月26日)は都内に出かけてきました.

 現在自分はいくつかの合唱団に所属しているんですが,そのひとつである東京マドリガル会の例会のためです.この会は16世紀の英国マドリガルをメインに歌っている珍しい団体です.会の歴史は非常に古く,最初のコンサートが開催されたのが1929年(昭和4年)のことです.以来1年も休むことなく続けられ,なんと第二次世界大戦中もその活動は途切れることはなかったのです(ドイツ音楽ならともかく,当時の敵国である英国の歌を歌い続けていたわけですからすごいことです.当時は大学の教室などで活動していたそうですが,戦時中とはいえ私立大学の内部にはまだ自由があったことが伺えます).

 こうした長い歴史を持つ会ですが,諸事情からコンサート活動は昨年をもって一区切りとなり,現在は月に1回程度集まって純粋にアンサンブルを楽しむ会となっています(ちなみにこの会では「練習」とは呼ばず「例会」と呼んでいます).

Img_3 (写真1) 数年前のコンサートの様子

 そんなマドリガル会に私が参加するようになったのは,岩手県から神奈川県に居を移した2008年のこと,私の高校の先輩で,当時持っていたもう一つのブログ(Yahooブログ)にコメントを下さっていた方(Sさん)からのお誘いでした.この先輩は音楽,特に合唱音楽に造詣が深く,また同郷岩手など東北出身の若い音楽家を常に応援している方でした(こうした若手音楽家のコンサートやコンクールなどにはいつも駆け付けていて,その辺の世界では有名な存在でした).私が参加している盛岡バッハ・カンタータ・フェラインや東京21合唱団のコンサートにもいつも来て下さいました.

 そんなSさんが亡くなったという知らせが来たのです.

 実は先月21日に盛岡で行われたヨハネ受難曲の演奏会にもSさんは来てくださいました.あの日はコンサート終了後自分は合唱団のレセプションに参加していたんですが,Sさんは東京から聴きに来てくださったほかの方々と会食をしていて,偶然自分が帰りの新幹線に乗るための盛岡駅でばったりとお会いしたのです.その時はいつもと変わりがなく,「自分はこれから夜行バスで帰るんだよ」とおっしゃっていたのを覚えています.まさかそれが最後のお話になるとは…

 聞くところによると,先輩はその晩夜行バスで東京に戻った後まもなく急逝されたとのことでした.

Img_2986  そして昨夜はSさんが亡くなったことが明らかになってから初めての例会だったのです.会ではみんなにとってのSさんの思い出などが語られ,追悼のためのマドリガルやルネサンスの宗教曲を歌いました.その席上他の会員がおっしゃってたんですが,「Sさんはいつも裏方のような仕事を嫌な顔一つせずやってくださっていて,そこにいるのが当たり前すぎる存在だった.こうして亡くなったことを知って,そこにぽっかり大きな穴があいたのが分かった」,「いつも普通にふらっと現れる方だったから,今日もひょっこり現れるんじゃないかと思ってしまう」など,生前の人柄がしのばれるお話が出ていました.本当に同感です.

 例会からの帰り道,駅に向かう途中で自分もS先輩の人懐っこい表情を思い出し,いろんなお話をしたけど,もうすることはできないんだと思うと急に涙があふれてきました(親戚の葬儀では涙をながすことなんかない自分なのに).

 S先輩のご冥福を心からお祈りいたします.

 

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2017年4月23日 (日)

この週末は

 先日の九州の記事で温かくなり冷房が欲しいと書いたんですが,その舌の根も乾かぬうちに暖房が欲しい寒い日々に逆戻りした当地です(笑). そんな4月中旬の週末は,ウチのKが活躍するイベントが2つあったので応援がてら出かけていました.

Dsc_1467  その1は4月22日(土)午後に開催された「マーラマポノ フラショー&講演会」,これは市内で循環器科の開業医をされているドクターがやっているフラスタジオが主催して行われたショー&講演会,縁あってウチのKも参加しています.ちなみにマーラマポノ(malama pono)とはハワイの言葉で「お元気で」とか「お大事に」とかいう意味だそうです.

 前半はフラダンスのショー,ハワイ各島のイメージカラーを身に着けて様々な踊りと歌が披露されました(途中で花がばらけるというアクシデントも…).一転して後半はヒプノセラピー(催眠療法)に関する講演,講師はヒプノセラピストの中野日出美さんです.こっち方面の話題に自分は明るくないんですが,講演の中で出てきた前世療法という言葉を聞いて,昔の怪獣番組ダイアモンドアイの前世魔人を思い出してしまいました.

Img_2983  そして昨日4月23日(日)の午後はその2,「第55回木の実会&14th KONOMIKAI PartⅡ 声楽演奏会」です.こちらは合唱&声楽指導者の桑原妙子先生の門下生が日ごろの鍛錬の成果を発表する場としての演奏会です.昨年の今頃も記事にしたんですが,元々は学生の部である木の実会と大人の部であるKONOMIKAIという2つの発表会が別々にあったのが,数年前から合同で開催されるようになったという経緯があるそうです.

 私も所属している小田原医師会合唱団の指揮者の先生やウチのKを始め,団内にも師事している人がいるという縁から私も聴きに行っています.今回は学生・大人合わせて21人の方々(プラスプロの方)の発表でした.ウチのKも緊張しながらも頑張っていたと思います.

 で夜はお疲れさん会とばかりに食事に繰り出しました.この日は魚介系,岩手県産の生牡蠣や地物の活アジのお刺身が美味でした (^.^).

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2017年4月21日 (金)

平家の隠れ里

 一気に気温が上がり,湿度の高さも相まって冷房が欲しいんじゃないかと感じられる昨日今日です(先週までは暖房が欲しかったのに隔世の感 笑).

 さて先日所用で九州に出かけてきました.で,業務の後せっかくここまで来たのだからとレンタカーを駆使して山の中へ(笑).やってきたのは五家荘,平家の隠れ里として知られる場所です.

P4160116 P4160118 (写真1,2) そのものズバリの平家トンネル

 壇ノ浦の戦いで源氏に敗れた平家の残党は自らの血統を残すため追手を逃れて全国に散りました.そんな彼らが隠れ住んだとされる地が平家の隠れ里で,四国の祖谷渓や大分県の平家山などと並んで有名なのが熊本県の五家荘です.元々は泉村という自他体だったんですが,合併により今は八代市の一部になっています.

P4160120 (写真3) ひたすらこんな道

 この五家荘,隠れ里という言葉がぴったりくるような山奥の地です.東西南北どこからアプローチするにせよ,狭くて曲がりくねった道しかなく,訪問が大変だからです.車がすれ違ることができるポイントが少なく危険なため,この地域では昼間でも車のライトを点けることが奨励されています(山深くて昼でも薄暗いからというのもありますが,カーブミラーで対向車に自らの存在を知らせるためと思われます).

P4160025 P4160017 (左写真4) 食堂,(右同5) 山菜そば

 そんな五家荘の東部,樅木地区にあるのが「五家荘平家の里」です.ここには平安朝をイメージした史料館や能舞台,古い民家を利用した食堂などがあります.この日は食堂で地元の山菜そばをいただきました.そばはつなぎ無しのボソボソと切れるお蕎麦,いわゆる田舎そばです.同じ平家の里である祖谷渓にもこういうお蕎麦があったっけ,もしかして平家名物なのかと思ったのでした.

P4160035 P4160053 (左写真6) 資料館と能舞台,(右7) 桜が残っていました

 資料館と能舞台は食堂から少し登った高台にありました.岩手のえさし藤原の里にもありそうな白と朱色をベースにした平安チックな建物です.史料館は特に古文書が展示されているわけではなく,人形やレプリカを中心とした歴史の解説がメインでした.九州とはいえ,山奥のこの地はまだ桜が残っています.平安調と桜の組み合わせが素敵でした.それにしても,これらの建物の材料をどうやってここまで運んだんだろうと不思議に思いました(もしかしてヘリで運んだ?).

P4160073 (写真8) 樅木の吊り橋です

 山深い五家荘は地形が厳しく,高低差も激しいため,地域の人々の道として吊り橋がたくさんあります.特に樅木の吊り橋は生活用の吊り橋としては日本一らしいです.渡ってみると下は見えるは,揺れるはでスリル満点です.

P4160108 (写真9) 梅ノ木轟の滝

 あと山深い五家荘にはたくさんの滝があります.代表的なのが100選にも入っている栴檀轟の滝ですが轟とはこの地域で滝を指す言葉だそうです.この日は近くの梅ノ木轟の滝を訪問しました.

 とにかく山奥ということがぴったりしすぎる五家荘でした(紅葉が素晴らしいとのことなので,今度はその時期に来てみたい).

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2017年4月15日 (土)

歌劇「オテロ」

Img149  今週の水曜日(4月12日),東京の初台にある新国立劇場で行われた歌劇「オテロ」公演に行ってきました.

 シェークスピアの有名な作品「オセロ」をオペラ化した作品です(オテロはOthelloのイタリア語読み).

 ヴェルディはその生涯に26作品のオペラを書いていますが,この「オテロ」は最後から2番目,25作品目にあたり初演されたのは1887年です(有名な「アイーダ」から16年後).台本を書いたのはアリゴ・ボーイトという若い詩人兼作曲家,彼は当時ヨーロッパの音楽界を吹き荒れていたワーグナー理論の崇拝者で,自らもワーグナー風のオペラ,メフィストフェーレを作曲しましたが,初演が大失敗に終わり,作曲家としてやっていくことへの限界を感じたようです.そのため,自らが書いた台本を作曲家に売り込む方向に転向しました.そんなボーイトの台本にヴェルディが作曲したのがこのオテロというわけです.

 この作品の最大の特徴はそれまでのイタリアオペラの伝統であったナンバー制が廃止されたことです.これによって,従来のレシタチーヴォ(セリフ部分)・アリア(歌部分)の区別がなくなり,全編音楽が途切れなく展開するようになりました.ワーグナー以降の作品ではおなじみのスタイルですが,ワーグナーのようにライトモチーフの洪水で慣れない観客が混乱するようなことはなく(笑),輝かしい合唱に美しい旋律といったイタリアオペラの良さもしっかりと残っています(特に4幕のデズデーモナによって歌われる「柳の歌」は従来のイタリアオペラ風のアリアです).ストーリーは原作にかなり忠実ですが,オリジナルが5幕構成なのに対して,第1幕部分を丸々カットすることで,劇はシンプルになりデズデーモナの悲劇性とイヤーゴの悪人ぶりがいっそう際立つようになっています.

 演奏に関しても冒頭の合唱から迫力満点で,オテロのカルロ・ヴェントレ,デズデーモナのセレーナ・ファルノッキア,イヤーゴのウラディミール・ストヤノフともよくまとまっていたと思います(演出は舞台上に運河を再現したマリオ・マルトーネのプロダクション).

 ただ今回問題だったのは舞台ではなく客席でした.

 開演後まもなく隣の方からイビキと寝言が… ( ゚Д゚)

 声のした方をチラッと見ると,年配のオッサンが伸びた様に寝ています(明らかに酔っている).その後も時々声を出したり前かがみになって前列の若い人にもたれそうになるなどひどい状態で,とても劇に集中できませんでした.

 前半(1幕&2幕)終了後の休憩時間中に係員に撤去されたようで,後半はようやく楽しめたんですが,オペラのチケットって決して安くないはずなのに,一体このオッサンは何をしに来たのだろうと不思議に思ったのでした.

17814213_1287987954631900_188593876  ともかくこのオテロ,19世紀型のイタリアオペラ愛好者の間には,ヴェルディがワーグナーの軍門に下ったとあまり評価しない人もいるんですが,なんといっても元が完成度の高いシェークスピアの戯曲であり,この劇をアリアとレシタチーヴォで分断すると,せっかくのドラマがぶつ切りになってダメになってしまうので,これはもうこのスタイルしかないんだろうなと感じています.

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2017年4月12日 (水)

ミンナミンC再び

 ウチのKが見つけてきました.

Img_2969  ミンナミンC,世に数あるオロナミンCの類似品の中でも一部で最も有名な商品です.一般のスーパーで見かけることはまずないんですが,ドラッグストアなどでオロナミンCの隣りにひっそりと並んでいることがあります(自分もこのブログ開設当初に記事にしたことがあります ジェネリック医薬品).

 製造しているのはタムラ活性,HPによると資本金1千万円の大阪に本社のある会社のようです.製品としては前述のミンナミンCの他に栄養ドリンクのイソビタンAや医薬部外品のイソビタンAⅡなどがあります.

 とはいえもっとも有名なのがミンナミンCであることは間違いなく,キャッチフレーズは「みんみんみんなのミンナミン」だそうです.

Dsc_1436  自分が以前勤務していた職場近くのドラッグストアで売っていて愛飲していたんですが,今回久しぶりにお目にかかって感動した次第です(味の方はオロナミンCよりも若干酸味が強い印象,これはオロナミンCには入っていないリンゴ酢やガラナエキスのためだそうです).オロナミンCに酷似したデザインも昔のままなんですが,よく見るとミンナミンの左上にの文字が…

 昔からこんな文字あったかな?と思い,古い記事の写真を引っ張って来たんですが,2006年当時は新ではなくNの文字になっていました

P1010009  Nって,もしかしてNEWのこと? だとしたら今の新と同じニュアンス,微妙な違いと言えなんか気になるのでした.

 ちなみにタムラ活性の本社はオロナミンCで有名な大塚製薬の大阪本部からほど近い場所にあるのでした.

Tamura

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2017年4月 6日 (木)

4月になって

Dsc_1433  新年度になって1週間が経過しました.この間気温が下がったりして桜前線はやや停滞気味のようです(職場の桜もほとんど咲いていない).

 一方で自分はというと,3月末から当直やらなにやら用事が立て込んでおり,気が付いたら夜家でゆっくり過ごす日がまったくない状態に置かれていました.とはいえ仕事で連日長時間残業をしていたというわけでもなく,宴会や練習もだいぶ入っていましたからそれほどストレスはありません.

 昨夜は職場の幹部職員の歓迎会でした.立食形式でしたが,自分が好きなワインや日本酒がたくさん出たので満足の宴でありました.

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2017年4月 4日 (火)

原生花園

 寒い週末が明け,久しぶりに陽気が戻ってきました.

Dsc_1419  自分の職場は自然豊かな(笑)ところなんですが,この温かさでいろんな花が一斉に咲き始めました.もちろん花壇として整備されているわけではないので,いうなれば原生花園でしょうか.

 春といえばタンポポです.日本で見られるものとしては在来種である二ホンタンポポと外来種のセイヨウタンポポがありますが,職場付近で見られるのはもっぱら二ホンタンポポです.

Img_2958_2 Img_2960_2  両者を見分ける方法は,花を裏返したときに見える緑色の部分(総苞外片)を見ることです.ここが真っすぐなのが二ホンタンポポ,反りかえっているのがセイヨウタンポポとなります.ここに咲いているの総苞外片が真っすぐですから二ホンタンポポということになります.

 その他職場には桜の木もあります.数年前までは桜並木と称することができるほどたくさんあったんですが,数年前の工事の影響か樹勢が大きく後退してしまいました.それでも残った樹ももちろんあり,こちらはまだ大半がつぼみ状態でした.が,よく見たらわずかに花開いたのもあります.

Dsc_1423 Dsc_1428  そんな爽やかな春の日でした.

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2017年4月 2日 (日)

4月2日

 今日は4月2日,新年度は昨日から始まっているんですが,週末にぶつかっているために実質的に動き始めるのは明日の3日からとなります.

 そんな4月2日は,実は学年が切り替わる日でもあります.すなわち4月2日生まれの子から,次の学年に所属することになるからです(以前の記事でも書いたいわゆる早生まれの最後が4月1日生まれ).普通に考えたら4月1日生まれから次の学年にしてもよさそうなものですが,いったいどういうことでしょうか.

 実はこれには学校教育法と民法の付属法である年齢計算保護者ニ関スル法律という2つの法律が関わっています.すなわち,学校教育法第17条によると,

「保護者は、子の満六歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから、満十二歳に達した日の属する学年の終わりまで、これを小学校又は特別支援学校の小学部に就学させる義務を負う。」

とあります.一方で後者の年齢計算ニ関スル法律によると,

年齢は出生の日より之を起算す

となっています.この出生の日から起算というのがミソで,これに従うと満一歳になるのは生まれた日から数えて365日目(うるう年だと366日目)ということになり,それは誕生日の前日になります.例えば1966年3月28日生まれの人が満一歳になるのは,翌年の誕生日である1967年3月28日ではなく,その前日1967年3月27日ということになるわけです.同様の理屈で〇年4月1日生まれの子が満六歳になるのは〇+6年3月31日であり,これを学校教育法の規定に当てはめると,この子供が小学校に入学すべきなのは〇+6年3月31日の翌日以降の最初の学年,すなわち翌日から始まる学年(〇+6年度)ということになるわけです.一方で〇年4月2日生まれの子の場合は,満六歳になるのは〇+6年4月1日であり,小学校入学はその翌日以降に始まる学年ですから,ほぼ1年後の〇+7年度ということになる理屈です.

 いうなれば,歳をとる基準が世間の認識(誕生日)と法律の規定とがで違っているために起こる現象というわけです.ちなみに4月1日生まれの著名人に俳優の三船敏郎さん,元プロ野球選手の桑田真澄さんが,4月2日生まれにはミュージシャンの忌野清志郎さんがいます.

 そんなことを考えた4月2日でした.

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2017年4月 1日 (土)

水星が見られる?

 今日は4月1日,日本では年度初めの日ですが,エイプリルフールの日としても知られています.エイプリルフールネタはあちこちで出ているでしょうからこのブログでは取り上げません(笑).

 一方で科学大好き人間の身としては,2017年4月1日は天文学的に興味深い日でした.それは水星の東方最大離角の日に当たっていたことです.

Pixta_22478141_l  水金地火木… で知られるように水星は太陽系の惑星のひとつ,しかも太陽に最も近い星です.大きさ(直径)は地球の3分の1強ですから,月よりもちょっと大きい程度,太陽系の惑星の中では最小です(かつて最小の惑星は冥王星だったんですが,準惑星に降格したため水星が最小になった).

 ただ小さいとはいえ,地球からの距離は木星や土星といった巨大惑星とは桁違いに近く,その明るさは最大で-0.4等星になります.とはいえ,水星の観察は容易ではありません.それは太陽に近すぎるためで,普段は太陽のそばにあるため,その明るさにかき消されて見えないのです(同じ内惑星でも明けの明星,宵の明星として太陽,月に次ぐ明るさの金星とは対照的).水星が観察できるのは太陽から最も離れた頃で,これを最大離角と呼んでいます.この最大離角には太陽の西側に位置していて,地球からだと夜明け前に見える西方最大離角と太陽の東に位置し日没直後に見える東方最大離角があります.このうちの東方最大離角が今日だったわけです.

 西方最大離角と違って夕方に見えるので,早起きしなくてもすむという自分にとっては非常にありがたい日です.以前から楽しみにしていたんですが… 今日は朝から雨,水星はおろか太陽の姿すら拝めませんでした(泣).

 次の水星の最大離角は5月下旬(西方最大離角),早起きして探してみようかな.

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