歌劇 「ルチア」
一昨日の晩(3月14日),初台の新国立劇場で上演された歌劇「ルチア」(新製作)のプルミエを観劇してきました.ルチアは19世紀前半を代表するイタリアオペラ作曲家,ドニゼッティの代表作で,私も非常に好きな作品のひとつです.
19世紀のイタリアオペラの系譜はロッシーニから,ベルリーニとドニゼッティ,そしてヴェルディからプッチーニに至りますが,ドニゼッティが活躍した時代は18世紀的な歌手の技巧を聴かせるのがメインのオペラから,よりドラマ性を重視したオペラへとの脱却が図られた時代です.歌劇という言葉に示されているように,古来オペラの主役は歌であり,ドラマはあくまでも歌に従属する存在とされていました.実際に当時の聴衆はドラマは二の次で,歌手の美声や超絶技巧を聴くために劇場に通い,素晴らしいアリアの後には割れんばかりの喝采で劇の進行が中断することは日常茶飯事だったのです.
しかし19世紀に入ると,これではいけない,オペラももっとドラマ性を重視すべきだという考えが生まれてきました.その一方,歌手の見事な技量を堪能したいという声も根強くありました.ところが,こうなると困ったことが起こります.それはドラマ性の重視と歌手の技巧の披露は基本的に両立しないからです.なぜかというと,従来のオペラでは物語が進行してクライマックスになると歌手はあらん限りの技巧を尽くして難しいアリアを歌います.アリアの間,他の登場人物はすることがなくなってしまいますからその間ドラマは止まってしまうことになります.これでは,せっかく盛り上がったドラマに水を刺すことになってしまいます.逆にドラマを重視すると,アリアなんか歌ってる暇はないことになります(ドラマ性をより重視したワーグナー作品にアリアと呼べるものがほとんどないのはその事実を証明しています).
そこでドニゼッティの時代には,この相反する二つの要求を解決する方法が考え出されました.それは,ヒロインが悲しみのあまり発狂してしまい,狂ったように超絶技巧のアリアを歌うというスタイルです.これなら観客は歌手の技巧を堪能する一方で,発狂してしまったヒロインに共感するというドラマ性も維持することが出来ます.ドニゼッティが活躍した時代には,こういう形式のオペラが多く作られ,こういう作品を狂乱オペラと呼んでいます.ルチアは狂乱オペラの最高傑作といえる作品なのです.
したがってこのオペラではなんといっても,ヒロインであるルチアを歌う歌手の出来不出来が重要なカギを握ります.有名なわりに上演頻度が高くないのはひとえにルチアを歌うことの難しさがあるからです.作品中,ルチアの歌うアリアは2曲だけですが,どちらも非常に難しく,特に後半のアリアはコロラトゥーラを駆使した極めて技巧的な歌と叙情的な歌がなんと延々20分も続きます.今回の公演でルチアを歌うのはロシア生まれのオルガ・ペレチャッコ=マリオッティさん,プロフィールによるとメトロポリタン歌劇場でベッリーニの歌劇「清教徒」のエルヴィーラを歌った人です(清教徒もヒロインが発狂する狂乱オペラ).2幕のアリアは鬼気迫るというか,凄い迫力で圧倒されました.その他今回の公演では,2幕のルチアの狂乱アリアで通常フルートのソロが奏でる部分をグラスハーモニカで演奏していたのも注目でした.この楽器自体普段目にする機会がなく,ましてや生で音を聴く機会もないんですが,その独特の音は狂気の世界にいるルチアの叫びにもの悲しくこだまするようでした.
演出に関してはまだまだ公演は続くのであまりネタバレできませんが,この作品の舞台であるグレートブリテン島北部の荒涼とした色彩が出ていたと思います.終幕で岬の突端で仁王立ちしているライモンド役の妻屋秀和さんが騎士長に見えたとか,1幕後半のスコットランドの民族衣装(キルト)を着たエドガルドが女子高生のコスプレに見えてしまったというのはナイショです(笑).
この公演,3月26日まであと4回あります.素晴らしい割に上演頻度が少ない作品でもありますからぜひ!
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