« 2017年1月 | トップページ | 2017年3月 »

2017年2月28日 (火)

ラオス旅行記②

 ラオス旅行記その2です.

 一夜明けて2月4日朝を迎えました.私の目を覚ましたのは目覚まし時計でもモーニングコールでもなく… 鶏の鳴き声(笑).いやホント,町中からけたたましく鶏の鳴き声が聞こえてくるんです.途上国の首都なんかだと,町行く車のクラクションで起こされたり,イスラム世界だとアザーン(朝の祈りの時間を告げる放送)で起こされた経験はあるんですが,鶏の集団に起こされたのは初めてです.

P2040107 (写真1) 霧が立ち込める早朝のルアンパバーン

 窓から外を見渡すと一面の曇り空,ただし朝方霧がかかっているものの次第に晴れてくるのが乾季のルアンパバーンの気候の特徴なんだそうです.身支度を整えてから朝食会場へ,卵料理付きのビュッフェスタイル(いわゆるイングリッシュブレックファスト)でしたが,麺料理のコーナーやご飯も蒸してあるなどラオス風の朝食もいただけます.フランスの影響が強かった国でもあるのでパンもバラエティが豊富です.朝からボリュームたっぷりな食事でした.

P2040110 P2050409 (左写真2) 朝食のパンも充実,(右同3) 卵料理のコーナー

 朝食後8時半にロビーへ,すでに待っていたガイドさんと車に乗りこみ観光に出発です.まずはルアンパバーン郊外にあるタート・クアンシーの滝に向かいます.実は当初の予定ではこの日は終日市内観光,翌日が郊外観光だったんですが,ガイドさんがこの日程だと2日目が非常にタイトになるからということで,初日の午前中に滝に行くことにしたのです(結果的に大正解).車はルアンパバーン市内から南東方向に向かいます.少しすると周辺はラオスの田舎といった風景に変わっていきます.ローカルな雰囲気の中を30分ほどで滝のある自然公園の駐車場に到着しました.周辺にはお土産物屋が立ち並んでいる他,規模の大きなトイレもあるんですが,用を足したのはいいけど手洗い場がなかなか見つからなくて焦りました(入り口の反対側にあった).

P2040003 (写真4) 公園の案内図

 ここからはよく整備された遊歩道を登ってきます.ここはルアンパバーン近郊でも有名な観光地らしく,多くの人で賑わっていました(ただし観光客のほとんどが外国人でラオス人の姿はまれ).少い歩いて最初に姿を現したのがクマ牧場(笑),実はラオスは日本でもおなじみのツキノワグマの生息地なのです.ただ密猟や環境破壊から絶滅の危機にあり,この公園で保護が図られているとのことでした.

(写真5) だるそうに寝てる熊

 P2040130フェンスに囲まれたエリアにはざっと見10頭くらいのツキノワグマがいましたが,基本的に彼らの活動時間は涼しい朝夕に限られるので,気温が上がり始める今時分はだるそうに寝ている個体ばかりでした.

P2040017写真6) なんかシュールな画像

 熊の柵の周囲には世界のクマを紹介するコーナーがあって,そこにはシロクマやヒグマ,ナマケグマやマレーグマ,さらにはジャイアントパンダの像が展示されていましたが(なかなかシュールな感じ),このゆる~い雰囲気はかつて秋田県鹿角市にあった八幡平クマ牧場を思い出しました.

P2040021 (写真7) ブルーの天然プール

 熊牧場の散策後さらに歩いていくと,一面ブルーの天然プールが現れます.ここは滝の下流にあたる場所で,水浴することも可能なところです.今回我々は水浴はしませんでしたが,欧米系の観光客は結構泳ぐそうです(我々のすぐ後にやってきた欧米人が泳ぐ準備をしていた).ちなみにここの水が青いのはこの辺の地質が石灰華(トラバーチン)と呼ばれる炭酸カルシウムを主成分とするものだからだそうです(中国の九塞溝と同じ).

P2040025 (写真8) ドクターフィッシュもいます

 プールを散策していたらガイドさんが,「ここには面白い魚がいるよ」と水に手を浸しました.すると茶色い小さな魚が集まってきて皮膚を盛んに突っついています.そう,これがガラ・ルファという名の鯉の仲間の淡水魚です.人間の角質を食べるとともに皮膚に適度な刺激を与えることで神経を活性化するとのことで,ドクターフィッシュの別名もある魚です(日本でも水族館などで飼育されている).彼らが角質を食べるのは,別にそれが好物だからではなく,生育環境が過酷なためヒトの角質でも食べないと生きていけないからです.そんなドクターフィッシュも生息している公園なのでした.

P2040047 (写真9) 棚田のような光景

 そこからさらに川を遡っていくと,棚田のような光景や,日本でもおなじみの水車があったりとなんとなく懐かしい景色が観られました.そうしてしばらく歩いて目の前に大きな滝が姿を現しました.これがここの目的地クアンシーの滝です.説明によると落差は50m,直瀑ではなく,数段に渡って落ちてくるタイプの滝です(日本で言えば茨城の袋田の滝か).ここでしばし休憩します.実はここからさらに滝の上部に登っていく遊歩道があるらしいんですが,こう配がきついのと今日は時間がないので断念しました(実際この公園は泳げるし,一日がかりで遊びに来てもいい感じ).この滝ではタイ,ラオスと個人旅行しているという高齢の日本人男性と遭遇,私たちのガイドが日本語が話せるとのことで,当地のゴルフ場事情を尋ねていました(笑).

P2040065 (写真10) クアンシーの滝

 しばし写真を撮ったりして寛いだ後,駐車場に戻ります.来た道を引き返すのかと思ったらそうではなく,今度は舗装された快適な道でした(一方通行ではないが,川沿いの遊歩道とちょっと離れた舗装道があるらしい).15分ほどで駐車場に戻り再びトイレを使って車に乗り込んだのでした.

 この後はルアンパバーン市内に戻っての観光です.対向車線にはこれからクアンシーの滝に向かう車がたくさんやってきます.ガイドさんによると昼頃からこの滝は非常に混雑するので,帰りは渋滞になることもあるとか,今回我々は比較的人の少ない午前中に観光することができたわけです.

 約40分ほどで市内へ,まず向かったのはプーシー市場,主に地元の人たちが利用する市場です.近年はラオスでも首都のビエンチェンなどでは現代風のショッピングモールもあるようですが,地方では昔ながらの市場が普通です.野菜や肉,米といった食料品から雑貨品までが,所狭しと並んでいました(スマートホンの店もあった).商店はほとんどが簡単なシートで覆われただけのところが多いんですが,一部2階建てになっている部分がありました.ガイドさんによるとこの2階部分は金製品売り場なので行く人は少ないそうなんですが,それよりも注目はここにエスカレーターがあったこと.なんでもルアンパバーン初のエスカレーターなんだとか.

P2040103 P2040114 (左写真11) カラフルな野菜が並びます,(右同12) アジア的な市場です

P2040097 (写真13) 壊れているエスカレーター しか~し,できてまもなく壊れてしまい,用をなしていないとのことでした.それ以前にこの街の高齢者にはエスカレーターは不評で(乗った直後と降りる直前がダメらしい),修理されなくても苦情はこないとのことだった.

P2040132 (写真14) もち米の煎餅

 市場を後にして次に向かうのは世界遺産ルアンパバーンを代表する寺院,ワット・シェントーンです.ラオスは共産主義国家でありながら,敬虔な仏教徒が多いところです.歴史的には今のラオスの原型といえる,14世紀半ばのラーンサーン王国建国後にスリランカから上座部仏教がもたらされたとされていますが,それ以前に唐朝時代の中国からの大乗仏教が進行された時代もあるとされています.古都ルアンパバーンには数多くの寺院がありますが,その中でも最も歴史が古いのがこのワット・シェントーンでその建立は16世紀半ばとされています.場所はメコン川とナムカーン川の合流部,ちょうど土地が半島のように突き出ている部分の先端です(この寺院からだと両方の川が見える).寺院の近くで車を降りて白い門から中に入ります.入り口付近にはなにやらお煎餅のようなものを売っている人がいましたが,白い普通の煎餅かと思って見たら,もち米の煎餅でした!

P2040159_2 (写真15) キングギドラみたいです(笑)

 ワット・シェントーンには本堂の他,たくさんの建築物があります.まず入り口入ってすぐ右手にあるのが霊柩車庫,ここには1960年に行われたラオス国王サワーン・ワッタナーの葬儀の際に使われた霊柩車が保存されています.たくさんの黄金の龍の背中に棺(というか巨大な壺)が乗った霊柩車は非常に壮麗な感じでした.またここにはたくさんの仏像や壁画も残されており,往時のラオス王朝の威光を忍ばせてくれました.

P2040192 (写真16) 本堂背面のモザイク画

 続いて向かうのが本堂,ここはお寺の中心部ともいうべき場所です.まずはその外観を観察,湾曲した屋根が三重にかさなった,いわゆるルアンパバーン様式といわれる特徴的な屋根です.その湾曲具合が見事で,ラオスでもっとも美しいといわれています.本堂背面の外壁にはマイトーン(黄金の木の意)と呼ばれる巨大な木と様々な動物などがモザイクで描かれています.これは仏教の物語を描いてあるのだそうです.

P2040143 (写真17) 三重の独特の屋根

 本堂の中には巨大な仏像が鎮座していました.体は金色ですが,ミャンマーの大仏のような白塗りの顔ではなく,斜め下から見上げたその姿は,なんとなく奈良の大仏を彷彿させました.大仏周囲には小さな仏像も並んでいるんですが,見ると一体の仏像の上に龍をイメージした樋が走っています.これはラオスのお正月に仏像に水をかけるための仕掛けとのことでした(毎年四月中旬に行われるラオスのお正月=ビーマイ・ラーオの水かけ祭りは有名).

P2040183 (写真18) 本堂の大仏

 一方で本堂の南西部には赤堂(レッドチャペル)と呼ばれる小さな堂があります.ここには16世紀の王セーターティラーによって搬入された寝仏があるのだそうです(我々が訪問した時は鍵がかかって中は見られなかった).その他ミャンマーでよく見かけたパゴダの小型版のようなものもたくさん見かけました.

P2040214 (写真19) ルアンパバーンを代表するフランス料理店エレファント

 ワット・シェントーンの見学を終えると大体12時20分,ちょうど昼食タイムである.この日はルアンパバーンでもっとも有名らしいフランス料理店「エレファント」に行きました.地元の人や観光客に人気の店らしく,ディナーだとなかなか予約が取れないらしいです.この日は前菜&メイン&デザートのチョイスメニュー,自分は前菜にかぼちゃのスープ,メインはポーク,デザートはアイスクリームを選択,飲み物はこの日もラオスビールをいただきました.

P2040212 P2040213 (左写真20) メインのポーク,(右同21) デザートのアイス

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年2月23日 (木)

ヘンデルの誕生日

 立春が過ぎて,寒さと温かさが入れ代わり立ち代わりしている感じの当地です.

Img_0  今日2月23日はバロック時代を代表する作曲家,G. F. ヘンデルの誕生日です.1685年の2月23日にヘンデルは今のドイツの東部にあるハレという町で生まれました.彼の父はわが子に法律を学ばせようと大学に入れましたが,ヘンデル自身は法律よりも音楽に興味があったようで,父の反対を押し切って音楽の道に進むことになります(彼と同年生まれの大作曲家J. S. バッハが音楽一家だったのと対照的です).

 まずは1703年に北ドイツのハンブルグにあるオペラ劇場の奏者となりました.ここでオペラの作曲も始めています.1706年から1710年にかけて音楽修業のためにイタリアに行き,ローマ,ナポリなどを遊学しています.この時当時イタリアで著名だった,A.スカルラッティの薫陶を受けたそうです.

 1710年に帰国したヘンデルは北ドイツにあるハノーヴァー選帝侯の宮廷楽長に招聘されました.ちなみに選帝侯とは,神聖ローマ皇帝位の選挙権を持つ有力な諸侯のことです.25歳でこんな重要な宮廷の楽長になったのですから,大出世といえます.しかし彼は就任して間もなくロンドンに渡りました.そしてこの地で新作のオペラを発表したのですが,これがウケて大いに気を良くしたようです.

 1711年にいったんハノーヴァーに戻りましたが,ロンドンでの成功の記憶が忘れられなかったのか,なんと宮廷楽長に在職のまま再びロンドンに渡り,以後二度とドイツに戻ることはなかったのです.言ってみれば仕事を放り投げて外国に逃げてしまったようなものです.雇い主のハノーヴァー選帝侯はどんな気分だったのでしょう.

 しかし事実は小説よりも奇なりと申しますか,その後すごいことになるのです ( ゚Д゚).

 1714年イギリス国王アンが急死し,17世紀以来のスチュアート朝が断絶してしまいます.イギリス議会では各地にいる,スチュアート家の親戚筋から新国王を探すことになったのですが(18世紀当時のイギリスではすでに国の主権は議会に移っており,国王は君臨すれども統治せずの存在になっていた),そこで白羽の矢がたったのが,なんとかつてヘンデルが捨て去った(笑)ハノーヴァー選帝侯その人でした.実は選帝侯ゲオルグはスチュアート家の血を引く人物だったのです.こうして選帝侯ゲオルグが新イギリス国王ジョージ1世としてイギリスにやってくることになったのです(ドイツ語のゲオルグが英語ではジョージになります).この時に過去のいきさつから新国王と非常に気まずい雰囲気になったヘンデルが,国王と和解するために作ったのが有名な水上の音楽と言われていますが,これは事実ではないようです.

 いずれにせよヘンデルはその生涯の大部分をイギリスで過ごし,1727年には正式にイギリスに帰化しました(名前もドイツ式のゲオルグ・フリードリヒ・ヘンデルからイギリス式のジョージ・フレデリック・ハンデルになります).1759年4月14日に亡くなり,その遺体はウエストミンスター寺院に埋葬されています.

 生前のヘンデルはオペラ作曲家として知られていましたが,その後彼のオペラは忘れ去られてしまい,メサイアなどのオラトリオ作品や協奏曲などが代表作とされるようになりました.しかし近年になり再び彼のオペラにも光が当てられるようになり,実際に上演される機会も増えています(今年のNHKニューイヤーオペラコンサートでもBCJによるヘンデルのオペラの一部が演奏されたのが記憶に新しい).

 そんなヘンデルのオペラ作品でもっとも有名なものが,歌劇「クセルクセス」でしょう.クセルクセスとは古代のペルシャ戦争期のペルシャ王です.この作品の冒頭に登場するクセルクセスによるアリアが非常に有名な「Ombra mai fù(オンブラマイフ)」です.この曲は一般にソプラノによって歌われる作品ですが,実は役柄であるクセルクセスは男性です.男性のアリアをどうしてソプラノが?と思いますが,これは「アリアは華やかでなければならない」という当時の風潮に原因があります.より高音の方が華やかだということで,当時は少年期に去勢することによって,成人してからも変声期前の声質で歌える男性歌手がたくさんいたのです(こういった歌手をカストラートといい,男性並みのスタミナとパワーで女性の声で歌うという現代では再現できない歌手だったとされています).このアリアを歌うクセルクセスもカストラートの役柄だったわけです.

 日本でこの曲が有名になったのは,なんといっても1980年代に放送されたキャスリーン・バトルが歌うニッカウィスキーのCMでしょう.故・実相寺昭雄の映像とともに歴史に残るCMじゃないかと思います(この時代,酒のCMにクラシックというのがたくさんあったと思います).

 ちなみに2月23日は日本の皇太子殿下の誕生日でもあります.なので順当に行くと,いずれこの日は祝日になることが予想されます.2月下旬の祝日があってもいいなと単純に思ったのでした.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年2月22日 (水)

北に行ってきました

 先週金曜日,2月17日には春一番が吹いて一気に春の気配を感じた当地です.気が付けば来週は早いものでもう3月に入るわけです.

 そんな2月下旬の週初めは所要で仙台方面に繰り出していました.やっぱり関東とは違って寒いなと感じました(小雪も舞っていたし 笑).

Img_2897  で,せっかく仙台まで来たのだからと,合唱団の練習に参加するために盛岡に移動しました.小雪が舞う程度だった仙台とは違って盛岡は根雪になっていました ( ゚Д゚).

 練習後は夜行バスで戻るわけですが,ちょっと時間があったために駅前の盛楼閣へ.焼肉と冷麺(あとはワインも)で英気を養ったのでした.

Img_2898 Img_2899

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年2月15日 (水)

ラオス旅行記①

 さて先日のラオス旅行,正式な旅行記はホームページの旅行記録にアップされるハズなんですが,いったいいつになるのか見当もつかないので(笑),忘れないうちにこちらに備忘録的に載せていきます(そういいながら昨年のイスラエル旅行も未完じゃないかというツッコミはなしで <(_ _)>).

P2030050 (写真1) 京成スカイライナー

 今回の旅行出発は2月3日朝ですが,前日は新国立劇場でプッチーニの歌劇「蝶々夫人」を観劇したため,その後日暮里に移動して駅前のホテルに前泊しました.当日は京成スカイライナーに乗って成田空港へ,事前に送っておいた荷物を受け取ってJTBの団体カウンターに行きます(団体とはいいつつ今回は我々2人だけのツアーなんですが).ここでeチケットをもらい今度はベトナム航空のカウンターへ.行ってみると激混み!! まさに長蛇の列でした(ハノイ行きとホーチミン行きがほぼ同時に手続きされていたためらしい).それでも30分くらいでどうにか手続きは完了しました.今回の行程はベトナムのハノイ乗り換えでラオスのルアンパバーンに入るのですが,ハノイから先の航空会社が異なるとかで搭乗券はハノイまでのみ,現地のトランジットカウンターで続きの搭乗券をもらう流れとなります.

P2030064 (写真2) 今回はベトナム航空です

 チェックイン終了後,特にすることもないのとこの先も混むことが予想されたため,さっさとセキュリティを抜けることにします.が,意外にも空いていてあっさりと完了(笑),出国審査も終わって搭乗まで時間が余ってしまいました.こういう場合の強い味方(?)ラウンジで時間をつぶすことにしたんですが,今回は旅行会社の方からラウンジ利用サービスが付いていたのでそちらのラウンジへ入ります.アルコールの他軽食が無料サービスだったので,朝食を兼ねていただきました(Kは醤油ラーメン,私はチキンカレー,その他ワインを飲んだのは言うまでもない 笑).かくして朝っぱらからほろ酔い気分で搭乗ゲートに向かうことになりました.

P2030069 (写真3) 機内からは見事な富士山が

 9時15分に搭乗開始となり機内へ,この日の飛行機はボーイング787でした.定刻に出発し本州を関東から関西,中国地方へと横断して東シナ海に抜けるルートです.安定飛行に入るとさっそく飲み物と昼食のサービスが始まりました.食事は和食と洋食の選択で自分は和食でKは洋食,飲み物は2人ともワインでした(笑).昼行便なので無理に眠っていく必要はないんですが,昨夜の睡眠時間が少なかった(日暮里のホテルに入ったのが0時過ぎ)こともあってうつらうつらしていました.気が付いたら飛行機はいつの間にか中国の上海あたりから大陸に入り南西へ進みやがてベトナム領空に入っていきます.その後降下を開始して,現地時間の13時56分(日本時間の15時56分)にハノイのノイバイ国際空港に着陸しました.

 飛行機を降りた感想は,「う~ん,ちょっとぬるいかな」という感じ,ベトナムというと常夏の国のイメージがありますが,南北に細長く南のホーチミンはそれこそ常夏なんですが,北に1500キロ離れたハノイの冬は朝晩など結構冷えるのです.

 人の流れに沿ってイミグレーション方面へ.ただ今回はベトナムには入国しないため,入国審査場直前で横にそれてトランジットカウンターに向かいます.ここでルアンパバーン行きの搭乗券をもらうことになりますが,我々の前に4人の日本人観光客がいました.なんでも阪急交通社のツアーとのことでした(こちらもルアンパバーン行き).ここでは受付のお姉さんがのんびり作業のため手続きはゆったりでした.まあ乗り継ぎ時間はほぼ5時間あるので,まったく焦る必要はないのですが(笑).

P2030076 (写真4) タイガービールでほろ酔い(^.^)

 搭乗券を受け取ると近くのエスカレーターを登ってセキュリティになります.ここでは靴も脱がされるほか,成田では大丈夫だったベルトのバックルが引っかかってしまいました.それでもここを通過して出発の制限エリアに入ります.まずは今度の飛行機が出るゲート26の場所の確認,その後は4時間ちょっとの長~い待ち時間です(本当は5時間だったが,さっきのトランジットで結構時間がつぶれたので4時間になった 笑).ラウンジでゆったりしたいところなんですが,残念ながらハノイの空港は自分のクレジットカードもプライオリティパスも使えるラウンジがありません(ホーチミンにはあるのに 泣).仕方ないので少し空港を散策することにします.ハノイの空港は2013年2月にアンコールワットを訪問した際,帰路のトランジットでも利用したことがあるんですが,その際はもっと小さい空港でした.ここ数年で大きく拡大されたもののようです(調べたら国際線用の新ターミナルとして2014年末に完成した模様,作ったのは日本の大手ゼネコン大成建設).ただ広いとはいっても東西に長いだけなので迷う心配はなさそうです.

 散策程度ではまだまだ時間が余るので,ゲート付近にあるカフェに入って時間をつぶします(東南アジアでは有名なタイガービールと軽食にピザをいただく).ネットを使ったりして時間をつぶし,搭乗開始時間が近づいたところでゲートに向かいました.

Dsc_1288 (写真5) ルアンパバーンへはプロペラ機

 26番ゲートは階段を下りていくパターン,どうやらボーディングブリッジではなくバスで連れていかれるパターンのようです.ゲートで搭乗券とパスポートのチェックを行い,そのままバスに乗り込みます.車内を見渡すと欧米系の観光客が多い印象でした(先ほどの阪急の人たちもいた).全員が乗り込んだところでバスは発車,ハノイ-ルアンパバーンは国際線ですが,乗り込む飛行機はプロペラ機でした.

Dsc_1376 (写真6) 入国カードの裏面

 18時50分定刻にプロペラ機は離陸します.安定飛行に入ると飲み物と軽食が配られましたが,むこうに着いたらすぐに夕食なので軽食はパスして飲み物だけをいただきました.その後ラオス入国のための入国カードが渡されます.カードとはいいつつ,裏に広告が印刷されたペラペラの紙でした.この時欧米系の観光客にはなにやら白い紙も配ってたんですが我々にはなし,どういうことだろう?渡し忘れなのかとちょっと不安を感じます.そうこうしているうちに飛行機は降下体制へ,約1時間ほどのフライトでルアンパバーンの空港に到着しました.

P2030090 (写真7) ルアンパバーン空港のターミナル

 降りてみるとほどよい涼しさという感じ,タラップで降りてそのまま空港のターミナルまで歩いていきます(とても小さい).まずはイミグレーションに向かいますが,ここで先ほどの白い紙の謎が判明,あれはビザ申請用の用紙だったようです.ラオス入国に当たって日本人は14日間以内の滞在ならビザは不要ですが,国によってはビザが必要なため入国前にここで取得する段取りになっているらしかったです.

 欧米系を中心に大半の乗客がビザカウンターに行ってしまったため,イミグレーションはまだがら空き状態,ほぼ一番乗りで通過できました(この便には地元民らしきひとはほとんどいなかった).その後ターンテーブルで荷物のピックアップ,幸いロストバゲージになることもなく出てきました.その先の税関は申告無しゲートを進み,到着ロビーへ.ここで現地ガイドさんと合流になります.我々の名前を掲げたガイドさんは現地人の男性でチャンポンさんという方でした(名前のイメージから長崎で日本語を勉強したのかと思いましたが,後から聞いたらそうではないらしい 笑).

 そのまま車に乗り込んで出発です.ルアンパバーンは世界遺産に認定されたラオスの古都(日本でいえば京都や奈良みたいなイメージか)ですが人口は8万人ほどの小さな町です.空港から少し走るとすぐ市街地ですが,大都会のような煌々とした灯りはありません.約10分ほどで夕食のレストランに到着しました.

P2030091 (写真8) 今回の旅行でさんざんお世話になったラオスビール

 この日の料理はラオスの郷土料理が並びます.まずはラオス北部を代表する麺料理カオ・ソーイです.きしめん風の温麺に辛味噌が乗った担々麺風の一品,見た目ちょっと辛そうでしたが辛かったです(笑).

 続いては各種ラオス料理,定番の豚のラープ(挽肉を各種香草を混ぜて炒めたラオス風そぼろ)や瓜の炒め物,川魚の唐揚げなどが出てきました.ラオスは内陸国で海がないので魚と言えば淡水魚なんですね.これらは他の東南アジア諸国に比べると辛くはなく食べやすかったです.飲み物はラオスのメジャービールであるBeerLao,あっさりした感じのビールでした.

P2030097 P2030099 (左写真9) カオ・ソーイ,(右同10)ラープ

 夕食後はホテルへ,この日から2泊するのがルアンパバーン中心部からちょっと登った丘に建つル・レジデンス・プーヴァオというホテルです.到着するとまずはハイビスカスジュースが登場(自家製石鹸のサービスもあった),チェックイン後部屋に移動となります.リゾート風味満点の部屋でした.

P2030103 (写真11) 部屋はこんな感じ

 この日は移動の疲れと明日からの英気を養うためもあってさっさと寝ることにしたのでした.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年2月14日 (火)

歌劇「蝶々夫人」

Img135  今日2月14日はバレンタインデー,日本ではお菓子屋さんの陰謀デーとして知られています.職場では義理チョコが飛び交うわけですが,チョコレート自体にあまり興味のない自分は,「どうせ飛び交うなら義理チョコじゃなく義理ワインや義理ビールならいいのに」と思ってるんですが,残念ながらそういう世の中にはなりそうにありません(^.^).そんな2月14日からもう10日以上前の話なんですが,2月2日の夜,新国立劇場でプッチーニの歌劇「蝶々夫人」を観劇しました.

 19世紀末から20世紀初頭に活躍したプッチーニは,ロッシーニからベルリーニ,ドニゼッティ,ヴェルディと連なるイタリアオペラの本流となる作曲家です.出世作となった「マノン・レスコー」から「トスカ」,「ボエーム」,絶筆となった「トゥーランドット」まで非常に人気の高い作品が多く,現在でも世界中の歌劇場で重要なレパートリーになっています.

 この「蝶々夫人」はそんなプッチーニの絶頂期とでもいえる1904年に初演された作品です(作曲順で言えばボエーム,トスカの次).日本の長崎を舞台にした蝶々さんの悲恋をテーマにした作品です.随所に日本の旋律が使われていることもあり,日本ではとりわけ有名な作品となっています.新国立劇場でも栗山民也さん演出の舞台は定番のレパートリーとしてこれまで何回上演されたかわからないほど取り上げられています.今回の蝶々さん役は安藤赴美子さん,素敵なステージに仕上がっていました.

 で,自分的にもこの「蝶々夫人」は非常に思い入れの深い作品です.それは学生時代に市民オペラに参加する機会があって,そこでこの作品に触れているからです.客席で聴くのももちろんですが,舞台に参加するのも夢のような瞬間で懐かしいのでした.

Img_1  写真は1995年,右端が当時の私です(蝶々さん宅の下男役でした.その隣の女性が蝶々さんの侍女のスズキです).

 ところで日本ではプッチーニはとりわけ人気の高いオペラ作曲家のように感じますが,それは彼の叙情的な音楽が日本人好みなところもあるのでしょうね(絵画の世界における印象派は日本人に人気があるのと共通してるかも).

C3qq3fyvcaa3p2zjpg_large  終演後はレストランでディナーをいただきました \(^o^)/.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年2月13日 (月)

3・11祈りのコンサート

Img146  1週間前はラオス旅行だったわけですが,この週末は趣味中心の活動となりました.まず土曜日は東京の合唱団の強化練習,終了後は例によって宴会となりこの日はそのまま都内に宿泊です.そして明けて2月12日は仙台へ,数年前から3月11日に仙台で開催される「祈りのコンサート」のオケ合わせに参加するためです.

 このコンサートは2011年3月11日に起こった東日本大震災で犠牲になられた方々を悼み,再生への祈りを込めて行われるもので今年で4回目になります.演目はモーツァルトの最後の作品であるレクイエムニ短調K.626,震災の起こった14時46分に黙とうを捧げ,その後演奏になります.入場は無料,コンサートの趣旨に従い普通のコンサートでは行われる拍手は遠慮させていただいています.合唱とオケは東北地方を拠点としている団体や個人,私も東北の合唱団に籍がある関係で可能な限り参加しています.今年は土曜日なので,お近くのかたはいらしていただけると幸いです.

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年2月 9日 (木)

遺失物

 先日ラオスからの帰宅途中の成田エクスプレスにコートを忘れました(笑).

 今は冬なので日本ではコートが必須です.なので2月3日朝成田に行くまではもちろん着用していました.ただ旅行先のラオスは南国ゆえ,コートは不要です.スーツケースに詰めてってもいいんですが,メインのクレジットカードの付帯サービスに空港でのコート無料預かりがあるのでもっぱらこちらを利用しています.今回も出発時に預けて,7日早朝の帰国時に受け取りました.

 で,そのまま成田エクスプレスに乗り込んだわけですが,空港から電車の中は温かいためコートは荷物棚に載せられました.そして品川駅での乗り換え時にそのまま忘れてきてしまったわけです.その後新幹線に乗り込む際に気づきました(泣).この日は快晴のお天気で気温も高めだったのでコート無しでも問題なく職場にたどり着きました.

 その後JR東日本の遺失物センターに電話して状況を話すと,コートはあっさり発見されました(特にコートに名前が刺繍されていたのがポイント高し).係員によるとコートは横浜駅にあること,預かり期限は2月9日まででそれを過ぎると警察に引き渡されること,受け取りの際は身分証明書が必要であるとのことでした.

 昨日の2月8日に東京に用事があったため,その帰りに横浜駅の忘れ物センターに寄りました.先日の電話でコートはすぐに出てきました.ここでもコートの名前と身分証(免許証)の名前が一致しているので特に細かく問われることもなく受け取ることができました.メデタシメデタシ… なんですが,この時自分の隣りのカウンターではちょっと酔った感じのオッサンが係員に絡んでいました.なんでもスイカを無くしたとかで,係員の「まだ挙がってないようです」との答えに納得できないのか,「なんでだよ! あ~あ,3000円の損害だ」とかなんとか宣ってました.こんなのに付き合わされる係員に同情でしたが,うろたえることなく淡々と対応していたさまに,こうした場合のマニュアルがあるんだろうなと思ったのでした.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年2月 7日 (火)

ラオスに行ってきました

C31lp7suyaatnuhjpg_large  2月になって初めての更新です.HPのトップ画面には書いていたんですが,先週金曜から今朝まで冬休みを取ってラオスに行ってきました.

 ラオスは東南アジア唯一の内陸国,東にベトナム,北に中国,西にミャンマーとタイ,そして南はカンボジアに囲まれています.今回は世界遺産に指定されている古都ルアンパバーンを中心に,その近郊や首都のビエンチェンを含めて観光してきました.機内1泊を含めて4泊5日と非常に短い旅行でしたが,景色に食にと充実した休暇を過ごすことができました.こちらの記事もボチボチ載せていきたいと思います(その前にイスラエル旅行記が未完なんだが 笑).写真はルアンパバーン市内のプーシーの丘からのメコン川と夕日です.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2017年1月 | トップページ | 2017年3月 »