今年は何の記念イヤー?
正月三が日もあっという間に終わってしまい,昨日からすでに日常が始まっています.とはいえ,すぐに日常のネタに戻るのも面白くないので,今日は今年記念イヤーとなる出来事を探してみることにします.
① ロシア革命100年
ロシア革命が起こったのが今から100年前の1917年のことである.当時は第一次世界大戦の最中で,相次ぐ敗戦と食糧不足に不満を抱いた民衆のデモやストライキが頻発,これに軍の反乱が加わって革命に至った(2月革命).ただこれによって成立した臨時政府は戦争継続の方針だったために,やがてレーニンによる10月革命に至り,世界初の社会主義国家ソビエト連邦が成立した.
② 江戸町奉行大岡越前誕生300年
時代劇「大岡越前」で知られる大岡忠相が江戸町奉行(南町奉行)に任命されたのが1717年(享保二年)のことである.以後八代将軍徳川吉宗の享保の改革で活躍,元文元年(1736年)に寺社奉行に転任した(同じ奉行という名前だが,旗本が就く町奉行と異なり,寺社奉行は大名が就く役職でありこれは栄転である).
③ 宗教改革500年
今年最大の記念日はこれかもしれない.マルチン・ルターが当時のカトリック教会を批判してヴィッテンベルクの教会に95か条の論題を掲げたことから宗教改革が始まり,現在あるプロテスタント諸教会の先駆けとなった事件が発生したのが今から500年前のことである.
④ シスマ(教会大分裂)収束600年
もう一つキリスト教関係の話題.14世紀の後半(1378年)にローマで教皇位についたウルバヌス6世に対して,主としてフランス人の枢機卿たちが反発してアヴィニヨンにクレメンス7世が立ち,2人の教皇が対立する事態となった.これが教会大分裂(シスマ)と呼ばれるものだが,それが終息したのが今から600年前のことである.
⑤ 藤原頼道摂政就任1000年
もっともキリがいい記念イヤーがこちら.父藤原道長とともに平安中期の摂関政治の全盛期を担った頼道が摂政に任命されてちょうど1000年です.彼は同じ年に藤原氏の氏長者にも任命されているが,父道長が健在であり,あくまでもその後見を受けた存在であった(徳川家康存命中の2代将軍秀忠みたいな感じ).
⑥ レオン3世即位1300年
もっとも当ブログにふさわしい記念イヤー.ビザンチン帝国史にその名を残すレオン3世が即位して1300年である.当時はイスラム帝国(ウマイヤ朝)による地中海世界席巻の時代であり,ビザンチン帝国の領土は大幅に後退し,首都のコンスタンティノポリスもしばしばイスラム教徒の包囲にさらされていた.そんな時代に即位したレオン3世は翌718年にイスラム軍を撃退し,帝国の危機は一段落し,その後徐々に復興の時代になる.そんなビザンチン帝国のどん底を支えた皇帝の即位イヤーである.
⑦ ローマ帝国最大版図1900年
古代ローマ帝国の全盛期であった五賢帝時代.その2人目がトラヤヌス帝である.彼は117年に現在のイランにあった強国パルティアを破り,ローマ帝国の最大版図を実現した(ただしその翌年には反乱がおこり,その版図は縮小に向かう).
⑧ 済西の戦い2300年
中国の戦国時代後半,燕の楽毅将軍が秦・燕・韓・魏・趙五か国連合軍を率いて斉を打ち破った済西の戦いから2300年の年である(燕の楽毅は斉の管仲と共に諸葛亮が自らを重ね合わせた人物でもある.斉の国を滅亡一歩手前まで追い込んだが,敵将田単の離間の計によって亡命を余儀なくされた).
⑨ アリストテレス生誕2400年
古代ギリシャの著名な哲学者アリストテレス生誕2400年である.プラトンの弟子である彼は,同時にオリエント世界とギリシャ世界を統一するアレキサンダー大王の家庭教師でもあった.今で言うなら哲学者兼科学者兼教育者という感じの万能人のイメージである(代表作は二コマコス倫理学).
⑩ 伍子胥没後2500年
司馬遷の史記にも登場する伍子胥,元は楚の人間だったが,平王によって父と兄を殺されたため呉に亡命,その後は呉王闔閭,夫差を補佐して楚を打ち破り,平王の墓を暴いてその死体に鞭打って復讐を果たした(これが死体に鞭打つの語源).しかしやがて夫差との関係が悪化し,最後は讒言によって自殺に追い込まれてしまう.それが今から2500年前の紀元前484年である.
このようにたくさんの記念日がある2017年であった.
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