イスラエル旅行記④ ~ガリラヤ湖畔編~
さて明けて9月15日,この日はガリラヤ湖周辺の観光をする日である.6時にモーニングコールで起こされ,支度をして朝食会場へ(昨夜の夕食と同じところ).夕べ同様,野菜の充実ぶりが凄い.が,昨夜と違ってハムやソーセージといった肉製品がない! その一方で昨夜はなかったチーズがたくさん並んでいる.そう,これがユダヤ教の食事規定「コーシェル」というやつで,それによると肉と乳製品を同時に提供してはいけないことになっているからである(これは聖書に「子山羊を、その母の乳で煮てはならない」とあるからという).
コーシェルの朝食後はいったん部屋に戻って準備,ホテルは連泊なので荷物の整理は不要だ.身支度を終えてロビーに集合となる.この日から1号車と2号車は基本的に別行動となるらしい.たしかに60人規模の団体が同一行動を取ったら狭い教会なんかの観光は大変だろうし,集合移動だけでひと騒動になってしまうことは容易に想像できる(10人程度の団体でも集合に遅れたり,行方不明になったりする人がいる).
8時5分にバスはホテルを出発,ガリラヤ湖畔を北上する.ガリラヤ湖は昨日行った死海とは異なり淡水湖である.イスラエル最大の水がめとして貴重な飲料水の供給源となっている.そんなガリラヤ湖畔はまた,若き時代のイエスが布教活動を行っていた地としても知られる.今日はそんな史跡を巡る予定になっている.
我々2号車はまずパンと魚の奇跡の教会と呼ばれるところに向かった.ここはルカの福音書に,イエスが5つのパンと2匹の魚を祝福して5000人の人々を満足させたとされる奇跡にちなんだ教会である.教会そのものは5世紀のビザンチン時代に立てられたらしい.ここにあるものでとくに有名なのが魚が描かれたモザイクで,同時代のイスラエルではもっとも素晴らしいモノらしい(お土産用のTシャツなんかにもこれが描かれていた).
(左写真4) オリーブをすり潰した岩といわれる,(右同5) ビザンチン時代のモザイク
続いて向かうのはここから数分のペテロ召命教会(ペテロ首位権の教会),ここはイエスが漁師をしていたペテロ&アンデレ兄弟と出会い,「わたしについてきなさい.あなたがたを人間を漁る漁師にしてあげよう」といったとされる地に立つ教会である.またゴルゴダの丘で刑死したイエスが復活し,弟子たちと食事をとったとされる岩もここにある.
食卓の岩ということで平らになっているのかと思ったら,ごつごつした普通の岩で,ここで食事をするのは大変なんじゃないかと思った(笑).ここに教会が建ったのは4~5世紀とされるが,現在の建物は20世紀になってからできたものらしい(ちなみにペテロ首位権の教会とは,ここでイエスがペテロに「私の羊を飼いなさい」と語り,これが事実上ペテロに自分の後継になれと宣言したから).
(左写真10) 食事の岩,(右同11) ビザンチン時代に使われていたという洗礼槽
ペテロ召命教会を後にして次に向かったのはカペナウム,若きイエスが布教活動を行った地である(カペナウムはヘブライ語で”クファル・ナフム”から来ており,”慰めの村”の意).ここの最大のポイントは3世紀ごろのものとされるシナゴーグ(ユダヤ教の会堂で,日本でいえば公民館みたいなニュアンス)の跡である.黒玄武岩の土台の上に石灰岩による建物の一部が残っていて,当時の雰囲気がしのばれる.
(左写真13) カペナウムのシナゴーグ跡,(右同14) 当時の土台でしょうか
このシナゴーグの向かいには使徒ペテロの実家の跡とされる土台もあって,こちらの上にはギリシャ正教の教会が建っている.教会の床はガラス張りになっていて,下の遺跡が眺められるようになっていた.この教会は行事のために立ち入れないことが多いそうだが,自分たちが訪れた時は入ることができた(日頃の行いがいいからだろう).ちなみにここでのイエスの布教活動はうまくいかなかったらしい.
(左写真15) ペテロの実家直上に建つ教会内部,(右同16) ペテロの実家跡
その次に訪問したのは山上の垂訓教会,ガリラヤ湖北端の湖が一望できる高台に建つ教会である.ここはイエスが弟子たちに「山上の垂訓」を語ったとされる地である(マタイの福音書5章).現在ここには1930年代に建てられたフランシスコ会(カトリックの修道会のひとつ)の教会が建っている.八角形をした綺麗な聖堂を持つ教会で,これはマタイ福音書5章に出てくる8つの聖句にちなんでいる.
(左写真18) 教会からのガリラヤ湖の眺め,(右同19) beati pacifici quoniam filii Dei vocabuntu(平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう マタイ第5章)
山上の垂訓教会を後にして丘を下り,今度は湖畔の船着き場に向かう.ここからガリラヤ湖のクルーズに参加することになっているからだ.この近くには近年発見された1世紀ごろの船もあるらしい(残念ながら見る時間はなかったが).
1世紀の船は小型ボートであるが,現代の遊覧船はもちろんそれよりも大きい.ここでは久々に1号車の人たちとも合流して船に乗り込んだ.出航に当たっては国旗掲揚・国歌演奏のセレモニーがあり,イスラエル国旗と日の丸が掲揚され,両国の国歌が演奏された(イスラエルと乗客の国旗が掲げられる模様).この辺りに国家を大切にするイスラエルの人々の意識が感じられた.
桟橋を出た遊覧船は湖を北東に進んでいく.左手には先ほど観光したパンと魚の教会,ペテロ召命教会,山上の垂訓教会の姿が見えた.一方右手には小高い高原地帯が広がっている.ここがニュースなどで話題になることもあるゴラン高原である.
元々ガリラヤ湖はイスラエルとシリアの国境で,ゴラン高原はシリア領だったのだが,イスラエルと敵対するシリアはここに砲台を築いてしばしばイスラエル領内を砲撃した.このため1967年の第三次中東戦争によってイスラエルはこの地域一帯を占領して現在に至っている(イスラエルは当地の併合を宣言しているが,国連をはじめとする国際社会はこれを認めていない).現在ゴラン高原には国連の監視軍が置かれており,日本の自衛隊も1996年から2013年まで部隊を派遣していた.そんなゴラン高原であるが,ここは雨もほどほどに降る肥沃な土地であり,現在はワイナリーもあるらしい(ワイン好きの自分にはたまらない話題).
(左写真25) 他のクルーズ船,(右同26) 魚を捕るパフォーマンスも
約50分ほどでクルーズは終了,もとの桟橋に戻ってきた.この後は昼食となる.この日は湖畔にある魚料理専門店であった.ガリラヤ湖といえば,ティラピアという淡水魚が名物で,これはマタイ福音書の17章にイエスがペテロに「湖に行って釣りをしなさい.そこで釣れた魚の口に銀貨が入っている.」といった記事に由来している.日本だと煮付けになりそうだが,当地では油でカラッと揚げたようなのが一般的のようだった.淡白な味わいだが,塩とレモンでいただくのが一番なのかなと感じた(ポン酢もいいかも).参加者の中には日本から持参した醤油やケチャップを使っている人もいた.自分たちはというと,当然のようにビールも注文していた.
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