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2016年10月31日 (月)

499回目の宗教改革記念日

 今日は10月31日,気が付いたら明日からはもう11月,時間が過ぎるのは早いなぁと感心することしきりです.

 そんな10月31日,世間的にはハロウィンです.ツイッターでも渋谷などでの大賑わいが話題になっているほど近年は日本でも定着した感があります.

 ただ一方で,この日はマルティン・ルターが当時の教会が行っていた免罪符の販売を批判した,「95か条の論題」をヴィッテンベルクの教会に掲げて,いわゆる宗教改革が始まった日でもあります.現在でもルター派をはじめとするプロテスタント諸教会ではこの日を宗教改革記念日として祝っています.

 ルター派であるトーマス教会(ライプツィヒ)のカントール(音楽監督)をしていたJ. S. バッハももちろんこの宗教改革記念日をテーマとした曲としてカンタータ80番「神はわがやぐら」を作曲しています.

 で,このルターの宗教改革が始まったのが1517年10月31日,実は来年がその500周年ということになります.ものすごい節目の記念日になるので,西洋ではさぞ盛り上がるのか!と思うんですが,実は全キリスト教徒に占めるプロテスタントの割合は決して多くなく(せいぜい2割くらい),多数派であるカトリックや東方正教の信徒にとっては,取り立てて祝う価値もない(批判された側なんだからそりゃそうか)ただの日なので,ドイツなどルター派が盛んな一部地域以外では盛り上がりそうもないのでした.

 これは自分も大好きなリヒターによるカンタータ80番です.

 

 ちなみに冒頭にあげたハロウィンですが,これも西洋ゆかりのお祭りなんですが,元々はケルト人の収穫祭が起源ということで,キリスト教とは関係のないお祭りです(悪魔装束の扮装なんかもするから,逆に教会には嫌われることも多い).

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2016年10月24日 (月)

肝付兼太さんの訃報

 声優の肝付兼太さんが亡くなったという報道がありました.

 肝付さんはドラえもんのスネ夫や銀河鉄道999の車掌さん,ジャングル黒べえの黒べえ,ドカベンの殿馬など,非常に個性的な役をこなす声優さんでした.スネ夫と車掌さんなんて,まるでキャラの異なる役ですが,それらを違和感なく演じることのできる能力を持った方だったわけです.それこそ自分が物心ついた頃から活躍されていた声優さんですから,数年前にドラえもんの声優陣が一新した際も,「自分でさえ中年も後半になってきているんだから仕方ないなぁ」と思ったものでした.

 ところで肝付さんといえば,ほぼ反射的にドラえもんのスネ夫が浮かびますが,現在のテレビ朝日がドラえもんの放送を始める以前,1973年(昭和48年)に日本テレビ系列でドラえもんを放送していたことがあります(俗に旧ドラなどと呼ばれる).実はこの日テレ版ドラえもんでジャイアンを演じていたのが肝付さんでした(旧ドラでのスネ夫役は「いなかっぺ大将」で西一を演じた故・八代駿さん).ちなみにこの旧ドラでは後にのび太を演ずる小原乃梨子さんがのび太のママだったのも印象深いです(のび太役はタイムボカンの丹平ちゃんで知られる太田淑子さん).

 今回の訃報に接し,久しぶりにこうした過去の懐かしいアニメ作品にまで思いをめぐらすことができました.肝付兼太さんのご冥福を心からお祈りいたします.

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2016年10月22日 (土)

バスの遅延

 いつも線路上を最優先で走っている電車は,日本では時間に正確な乗り物とみなされている(海外ではその限りにあらず).首都圏なんかだと時々人身事故等で遅れや運転停止が起こるが,これもそうしたことが異常なのであって,そうでなければ電車は正確に時刻通り動くのが普通と認識されている.

 それに対してバスは,信号など周囲の交通状況に大きく左右されるため,多少の遅れが出るのは想定内であり,時間通りにバスが来ないと怒り出す人は稀だ(多分).もっともこれは途中のバス停での話であり,始発のバス停においては時間通りに出発するのが普通である.しかしながら,お祭りなどで市内が大渋滞したりすると,運行に割り当てられているバスそのものが始発点にたどり着けないなどの理由で,始発から遅れが発生することもある.

 仕事で時々沼津に出かけているのだが,その際によく利用するのが沼津駅-三島駅の路線バスである.この路線は東海バス伊豆箱根バスが共同で運行していて,約10~15分間隔で走っているので利便性も高い.

 が,前述のような始発点での遅延が時々発生する.主に市内の混雑が理由のようであるが,これは始発が三島駅でも沼津駅でも起こっている.

 で,自分の経験で言えば始発の遅延が起こるのはいつも伊豆箱根バスの方で東海バスでのそういう事象は経験がない.もちろん運転手がサボっているはずはないので,もしかしたら伊豆箱根バスは東海バスに比べて少ない台数のバスで運用されているのかなと思った.つまり少ないバスをやり繰りして運行しているために,ちょっとした渋滞が起こるとバスが回らなくなるということかもしれない.昨日現地への出張で,沼津駅18時50分発の三島駅行き(伊豆箱根バス)に乗ろうとしていたのだが,時間になっても来ず,そのまま次の19時発三島駅行き(東海バス)に乗るはめになったことから思いついた次第である(結局自分が最寄りのバス停で降りた直後に,本来18時50分発と思われる伊豆箱根バスが遅れて走っていった).

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2016年10月18日 (火)

この日曜日は

 今月は何かと用事が多い月なんですが,この前の日曜日10月16日は演奏会のハシゴをしてきました

Dsc_1151 (写真1) 鎌倉芸術館

 まず向かったのは大船,駅から徒歩10分の鎌倉芸術館で開催された上大岡混声合唱団の第50回演奏会を鑑賞するためです.実はこの合唱団に自分の学生時代の仲間がご夫婦で参加しているんです.ただ,それを知ったのは今年の6月,神奈川県の合唱祭の時に偶然再会した際からです.この時に10月にコンサートがあることを聞いて予定に入れていたというわけです.

Img_2718 (写真2) 上大岡混声合唱団第50回定期演奏会

 この日のメイン演目はジョン・ラターのレクイエム,奇しくも自分が所属している東京21合唱団が6月にやった曲です.非常に美しいけど難しい曲,見渡すと年配の団員も多いんですが,全員暗譜で歌っていました(すごい!).その他,去年医師会合唱団で歌った,木下牧子の「サッカーのうた」もプログラムに入っていて懐かしかったです.終演後にロビーで再開,懐かし話に花が咲きました.

 夕方からは上野に移動して,下谷教会の音楽礼拝へ.この教会は毎週日曜日夕方にも礼拝をやっているんですが,この日は年に一度の音楽礼拝ということで,東京藝大バッハカンタータクラブの皆さんの演奏もありました(これがあったから参加したというウワサも 笑).

Img_2717_3 Img_2715_2 (左写真3 下谷教会の音楽夕礼拝),(右同4) 歌姫,金成佳枝さんと記念撮影

 取り上げられた曲はバッハのカンタータ140番BWV140,非常に有名な作品ですが,実はこのカンタータ,三位一体節後第27主日というハレー彗星並み(?)にめったにこない主日用のカンタータです(復活祭が春分の直後くらいにこないと出現しない).なので厳密に教会暦に従っていたらいつ演奏できるかわからない作品だったりします.バッハが活躍した時代にこの主日が出現したのはライプツィヒ時代の1731年で,このカンタータが作られ演奏されたのもこの年のことです(1731年11月25日).近年では2008年11月23日にこの主日が現れましたが,その後は少なくとも2030年まで出現する予定はないようです.ちなみに昨日は三位一体節後第21主日でした.この順番で行けば11月27日が第27主日にあたるんですが,残念ながら(?)その日は待降節第1主日になってしまいます.

 そんな演奏会ハシゴの日曜日でした(後半は礼拝なので演奏会とは言わないか 笑).

 コープマンの演奏のカンタータ140番です.

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2016年10月15日 (土)

楽劇 ワルキューレ

Img131  先日の10月12日新国立劇場に出かけてきました.演目はR. ワーグナーのワルキューレ,大作ニーベルングの指環の2作目にあたります.新国立劇場では昨年のラインの黄金から新しい演出(とはいってもフィンランド国立歌劇場でやったプロダクションなので,ピカ新ではなくゾロ新という感じか 笑)による指環が始まりましたが,その第2弾ということになります.

 前作ラインの黄金では,ニーベルング族のアルベルヒがラインの乙女たちから黄金を奪って作った,世界を支配する力を持つ指環が紆余曲折の末,巨人族のファーフナーの手に渡り,一方で神々の長ヴォータンは完成したヴァルハル城に入場したところで終わりました.

14650456_1097079450389419_872249646 (写真) 劇場のホワイエの様子

 今回の第一夜「ワルキューレ」では,いよいよ英雄ジークフリートの物語が始まります.とはいっても,まだジークフリートは登場せず,今回は彼の誕生に至る物語が展開されていきます.

 この作品は指環四部作のみならず,ワーグナー全作品の中でも傑作の誉れが高い作品です.言ってみればもっともワーグナーらしい作品ともいえます.それだけに濃厚なドラマが展開されるんですが,特に濃いのが第2幕後半のジークムント,ジークリンデとブリュンヒルデのからみと第3幕最後のブリュンヒルデとヴォータンの二重唱で,あまりの濃さにめまいがします(音楽としては第3幕冒頭でワルキューレたちが走り回る場面が,一般にワルキューレの騎行と呼ばれ,特に有名な場面です(映画「地獄の黙示録」で使われた).

14680682_1097082790389085_3974781_2 (写真) 幕間に見に行ったら指揮台に指揮棒が3本も置いてありました.これって指揮中に興奮して棒を曲げてしまった場合の予備なんでしょうか(笑).

 登場人物が少ないのもこの作品の特徴で,第3幕にワルキューレが8人(ブリュンヒルデも含めると9人)出てくる以外は,ジークムントとジークリンデ,ヴォータンとブリュンヒルデのメイン4人にフンディングとフリッカを加えた6人だけで物語が進んでいきます.それでいて演奏時間は4時間ですから,配役ひとりひとりに与えられた役割や歌唱が極めて重要で,それがために仮に歌い手がイマイチな場合,聞いているのが拷問になることもあります(一般的なオペラ作品で定番の合唱がこの作品にはない).

 が,今回はジークムントのグールド,ジークリンデのウェーバー,ヴォータンのグリムスレイ,そしてブリュンヒルデのテオリン(前回の指環のブリュンヒルデもこの人だった)と歌手陣の出来が非常によく,ともすれば睡魔に襲われかねない(笑)2幕のヴォータンの独白や3幕の後半もぐいぐい引き込まれていく感じで時間を感じさせませんでした.

14695308_1097085483722149_196458873  そんなワルキューレの公演,なにせ長いのでこの日は幕間に劇場内のレストランで夕食を頂きました(幕間に食事ができるほどワーグナーは幕間も長い.歌手の休憩のためと思われる).メインはローストビーフ,赤ワインとの組み合わせが最高です.

 で,この日開演のちょっと前に自分の近くの席にいた若いカップルがいきなりケンカを始めました((;゚Д゚)).ケンカと言っても女性の方が一方的に男性に詰め寄って小突いている感じだったんですが,ちょっと怖かったです(何があったんだろう…).

 それはともかく,次のジークフリート公演は来年6月の予定です.

 

 

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2016年10月10日 (月)

88周年マドリガルコンサート

14440646_1254486727937186_906124480  今日10月10日は体育の日ですが,一方で芸術の秋真っ盛りでもあります.そんな今日は東京の浅草橋教会で開催された東京マドリガル会第88周年コンサートに参加してきました.

 英国マドリガルというのは16世紀後半,いわゆるエリザベス朝時代のイギリスで盛んに作られた世俗的,無伴奏な合唱曲です.自分の学生合唱団時代にその片鱗にふれ,興味を持っている分野です.東京マドリガル会は1920年代に英国留学中にこのマドリガルを知り,慣れ親しんだ故・黒澤敬一氏が日本でもこれを歌い研究しようと,帰国後仲間たちと立ち上げたクラブです.最初のコンサートが開催されたのが1929年(昭和4年)で,以来一度も欠かすことなく毎年コンサートが開催されています.第二次大戦中も開催していたというから驚きです(当時同盟国だったドイツやイタリアの音楽ならともかく,英国マドリガルは当時の言い方をすれば完全なる敵性音楽ですから.大戦中は大学の教室でやっていたらしいです).

 1980年頃からは子息の黒澤宏氏に受け継がれ,連綿と活動が行われてきました.自分も縁あって2008年に関東に転居してから参加するようになりました(8年になるのかぁ).

 そんな東京マドリガル会のコンサート,諸事情あって定期的なコンサートとしては今回で一応の終止符を打つことになりました.今回は代表的な英国マドリガルを中心にオルガンやチェンバロの演奏などを交えながらのコンサートとなりました.

Pa101447 Pa101452  マドリガルは非常に魅力的な作品が多いんですがなんですが,大人数合唱団では取り上げられないこと,少人数でやるとなれば個々のメンバーに気合が入ってないと難しいことから,なかなかほかでやる機会のないジャンルです(なので学生合唱団の有志でやるというのがもっぱらだった).東京マドリガル会も活動自体は今後も継続するということなので,これからも取り組んでいきたいと考えています(まあマドリガル自体が人に聴かせるというより,自分たちで歌って楽しむ方がメインの世界ではある).

Pa101451  指揮者の黒澤宏さんと記念撮影です !(^^)!

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2016年10月 7日 (金)

イスラエル旅行記⑤ ~カナ・ナザレ編~

 昼食の後はバスに乗り込んで引き続き観光となる.午後からはガリラヤ湖を少し離れて西部のカナ・ナザレを訪問することになっている.まずはカナに向かった.

 

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(写真1) カナの婚礼教会

 

 カナは婚礼に招かれたイエスが水を葡萄酒に変えて祝福したことで知られる場所である.ヨハネ第2章に書かれているこの記事こそ,イエスの最初の奇跡とされ,現在はこの記事を記念して,ローマカトリック(フランシスコ会)とギリシャ正教の教会(一般に婚礼教会と呼ばれる)が建っている.ビザンチン皇帝としては当然ギリシャ正教会も訪問したかったのだが,残念ながら一般観光客(笑)には開放していないらしく,今回はフランシスコ会の教会のみの訪問となった.

 

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P9150335 (左写真2) 水瓶,(右同3) ビザンチン時代の教会跡

 

 このフランシスコ会の婚礼教会,もともとシナゴーグがあった場所にビザンチン時代教会が作られ,その後紆余曲折を経て今の建物が作られたらしい.ここに限らず,イスラエルの旅ではビザンチン時代というキーワードがちょくちょく出てくる.その言葉を聞くたびに嬉しい気分になるのは,自分がビザンチン皇帝を名乗る者だからだろう(笑).それはさておき,この婚礼教会はザルツブルクの教会をイメージしているそうで,そういわれればそんな気がするなぁと思った.明るい聖堂の他,一説によると葡萄酒に変わった水が入っていたという瓶も展示されていた.

 

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(写真4) 婚礼教会の会堂

 

 ちなみにカナは葡萄酒の奇跡のおかげもあって,お土産として葡萄酒が有名である.ただここはゴラン高原と違って良質な葡萄が採れるわけでもないため,質の良い葡萄酒というよりは,お土産としての葡萄酒という感じらしい.我々が立ち寄った土産物屋にもこうした葡萄酒が並んでいた(試飲できたのだが,非常に甘かった.記念なので購入した).

 

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(左写真5) カナにはワインの店がたくさん,(右同6) ギリシャ正教の教会にはビザンチン帝国の双頭の鷲の旗が!

 

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(写真7) ナザレの街は賑やかである

 

 カナの街を後にして,続いて向かうのがナザレである.イエスが育った地として非常に名高いが,旧約聖書にはこの町についての記載はない.このため新約聖書のヨハネ福音書では「ナザレからなんの良きものが出ようか」などとひどいことを言われる始末なのだが,実はナザレは古代以来交通の要衝だった場所で,そんなに無視されるような町でもなかった.ただ,旧約聖書に代表される古代ユダヤ人の世界観では,エルサレムを含む南部イスラエル(ソロモン王死後のユダ王国)こそが正統であり,ナザレを含む北部イスラエル(ソロモン王死後のイスラエル王国)は傍流扱いされていたことも関係するのだろう.北部のイスラエル王国は紀元前8世紀にアッシリア帝国に滅ぼされるのだが,この時南部のユダ王国の人々は「彼らは信仰心が足りないから滅ぼされたのだ」といった認識だったらしい(その150年後,紀元前6世紀には新バビロニアのネブカドネザル王によってユダ王国自身も滅ぼされ,住民がバビロンに連行されてしまった(バビロン捕囚)のは有名な話である).

 

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(左写真8) マリアの井戸,(右同9) 聖ガブリエル教会

 

 そんなナザレ,現在は人口7万人を数える都市となっている.住民の大半はアラブ人で宗教はイスラム教である.キリスト教における重要な街がユダヤ教の国イスラエルのしかもイスラム教徒が多数を占める場所にあるという事実に驚く人もいるが,実はこうした異教徒の共存は中世以来,東地中海では日常的な光景なのである.今回我々はまず聖ガブリエル教会に向かった.ここはギリシャ正教の教会で,伝承によるとマリアがここで水を汲んでいるときに,天使ガブリエルから御告げを受けたとされる場所に建つ教会だ.教会前には実際にマリアの井戸と呼ばれる共同水場(?)のような施設がある.現在では枯れてしまっているようであるが,比較的最近まで現役で使われていたらしい.

 

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(左写真10) 地下施設,(右同11) これがマリアの泉

 

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(左写真12) イコノスタシス,(右同13) いかにもギリシャ正教的なフレスコ画

 

 一方で教会内部にはかつてイスタンブールを訪問した際によく見た,おなじみのフレスコ画やカラフルなイコノスタシス(聖堂内部で一般大衆が待機する部分と特定の聖職者のみが立ち入ることのできる至聖所を分ける壁)があって華やかなギリシャ正教の教会という感じだった.また地下には教会のいわれとなっているマリアの泉があったが,この手の観光地では宿命なのか,大量のコインが投げ込まれていて風情が台無しになっていた(泣).

 

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(写真14) 受胎告知教会の正面

 

 次に向かうのはフランシスコ会による受胎告知教会,マリアが受胎告知を受けたとされる洞窟上に建つ教会である.フランシスコ会の教会としては中東で最大規模のものらしい.全体的に三角形をした外観はマリアのAを意味するとか.入り口の大きな扉には旧約聖書,新約聖書の物語が描かれていた.

 

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(左写真15) 旧約聖書の物語が描かれた扉,(右同16) こちらには新約聖書の物語が

 

 教会内部の真ん中には,当時マリアが天使から受胎を告知された洞窟とされる場所が大切に保護されており,そこを見学しようと大勢の巡礼者や観光客で賑わっていた(マリアの受胎告知場所は教派によって微妙に異なるようだ).一方で礼拝堂の2階部分には世界各国から贈られた聖母像が架けられていた(日本からは長谷川路可作の華の聖母子(細川ガラシャをイメージしたとも)が贈られている).

 

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(左写真17) 美しいステンドグラス,(右同18) 日本から贈られた聖母子像

 

 ちなみにこの教会の歴史は4世紀に遡る.キリスト教を公認した最初のローマ皇帝であるコンスタンティヌス大帝の母ヘレナがこの地に教会を作ったのが始まりとされている.以来何度も建設と破壊が繰り返され,現在のフランシスコ会の建物ができたのは1969年のことである.教会の下部には昔の教会の土台が保存されていて,中にはビザンチン時代のものと思われるモザイクもあって感動した.

 

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(左写真19) 受胎告知教会中心部,(右同20) ここがマリアの洞窟

 

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(左写真21) 2回の礼拝堂,(右同22) ビザンチン時代のモザイク

 

 受胎告知教会の次は,そこから徒歩圏内にある聖ヨゼフ教会である.マリアの夫ヨゼフを記念した教会だ.入り口には苦悩の表情(?)を浮かべたようなヨゼフの銅像が建っていた.ヨゼフがマリアの許嫁だった時代,マリアは突然天使から受胎を告知される.ヨゼフもその事実を知るわけだが,その時彼の受けた衝撃はさぞ大きかったであろう.まだ処女だったマリアが懐妊したというのだから.いくら天使の御告げだと言っても,果たして額面通りに受け取ったかどうか.なんといっても貞操観念の厳しいユダヤ教の世界である.

 

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(左写真23) ヨゼフの像,(右同24) ビザンチン時代の礼拝所への階段

 

 だが結局ヨゼフはすべてを受け入れた.生まれたイエスも我が子のように育てている.もしもヨゼフが律法に厳しい人物であれば,身重のマリアは追い出されていたかもしれない.そうしたらイエスが成長できたかどうかも怪しい.後のキリスト教の誕生もヨゼフの寛大な心があったからこそともいえる.

 

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(写真25) ヨゼフ教会礼拝堂

 

 そんなヨゼフ教会は,労働者の守護人だけあって地下には彼の時代の仕事場とされる遺跡があるほか,ビザンチン時代の地下礼拝所なども残されていた.

 

 このヨゼフ教会の見学でこの日の観光は終了,後はバスでホテルに戻る流れとなる.1号車の方では行方不明になった参加者がいる!と大騒ぎになっていたようだが(無事に発見された模様),何はともあれバスは出発した.

 

 帰りはホテルに着く前にティベリアのスーパーに寄ることになった.要はお土産用であるが,実は当初の予定ではエルサレムでスーパーに寄る予定だったのだが,その日はユダヤ教の安息日に当たってしまうためらしい.ユダヤ教徒の安息日は普通の暦でいえば金曜日の夕方日没から翌日土曜日の日没までの一日だ(日没スタートなのは,ユダヤ教の一日は日没から始まるため).その間正統派のユダヤ人は一切の労働が禁止されており,店の営業なんてもってのほかだからだ.スーパーは本当に普通のスーパーで,そこに数十人の日本人観光客が押し掛けたのだから,店の人もびっくりしてました(話題の爆買い状態か !(^^)!).私はというと,お昼に話題になっていたゴラン高原のワインを購入しました.

 

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(左写真26) ティベリアの商店街,(右同27) コーシェルのマック!

 

 買い物後はホテルに帰還,ナザレを明るい時間に出発したのだが,結局ホテル到着は昨日と大差のない時間になっていた.我々は部屋に戻ってシャワーを浴びたあと夕食に繰り出したのだった(この日もワインを堪能 笑).さあ,明日はいよいよエルサレムに向かう日である.

 *この続きはホームページ本編の旅行記録にアップしています(イスラエル旅行記エルサレム編

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2016年10月 4日 (火)

イスラエル旅行記④ ~ガリラヤ湖畔編~

 さて明けて9月15日,この日はガリラヤ湖周辺の観光をする日である.6時にモーニングコールで起こされ,支度をして朝食会場へ(昨夜の夕食と同じところ).夕べ同様,野菜の充実ぶりが凄い.が,昨夜と違ってハムやソーセージといった肉製品がない! その一方で昨夜はなかったチーズがたくさん並んでいる.そう,これがユダヤ教の食事規定「コーシェル」というやつで,それによると肉と乳製品を同時に提供してはいけないことになっているからである(これは聖書に「子山羊を、その母の乳で煮てはならない」とあるからという).

P9150217 P9150218 (左写真1) 朝食会場,(右同2) 肉類がありません

 コーシェルの朝食後はいったん部屋に戻って準備,ホテルは連泊なので荷物の整理は不要だ.身支度を終えてロビーに集合となる.この日から1号車と2号車は基本的に別行動となるらしい.たしかに60人規模の団体が同一行動を取ったら狭い教会なんかの観光は大変だろうし,集合移動だけでひと騒動になってしまうことは容易に想像できる(10人程度の団体でも集合に遅れたり,行方不明になったりする人がいる).

 8時5分にバスはホテルを出発,ガリラヤ湖畔を北上する.ガリラヤ湖は昨日行った死海とは異なり淡水湖である.イスラエル最大の水がめとして貴重な飲料水の供給源となっている.そんなガリラヤ湖畔はまた,若き時代のイエスが布教活動を行っていた地としても知られる.今日はそんな史跡を巡る予定になっている.

P9150014_2 (写真3) パンと魚の奇跡の教会

 我々2号車はまずパンと魚の奇跡の教会と呼ばれるところに向かった.ここはルカの福音書に,イエスが5つのパンと2匹の魚を祝福して5000人の人々を満足させたとされる奇跡にちなんだ教会である.教会そのものは5世紀のビザンチン時代に立てられたらしい.ここにあるものでとくに有名なのが魚が描かれたモザイクで,同時代のイスラエルではもっとも素晴らしいモノらしい(お土産用のTシャツなんかにもこれが描かれていた).

P9150011 P9150022 (左写真4) オリーブをすり潰した岩といわれる,(右同5) ビザンチン時代のモザイク

P9150016 P9150019 (左写真6) 聖堂,(右同7) 有名な魚のモザイク

P9150080 (写真8) ペテロ召命教会

 続いて向かうのはここから数分のペテロ召命教会(ペテロ首位権の教会),ここはイエスが漁師をしていたペテロ&アンデレ兄弟と出会い,「わたしについてきなさい.あなたがたを人間を漁る漁師にしてあげよう」といったとされる地に立つ教会である.またゴルゴダの丘で刑死したイエスが復活し,弟子たちと食事をとったとされる岩もここにある.

P9150071 (写真9) 庭に立つイエスとペテロの像

 食卓の岩ということで平らになっているのかと思ったら,ごつごつした普通の岩で,ここで食事をするのは大変なんじゃないかと思った(笑).ここに教会が建ったのは4~5世紀とされるが,現在の建物は20世紀になってからできたものらしい(ちなみにペテロ首位権の教会とは,ここでイエスがペテロに「私の羊を飼いなさい」と語り,これが事実上ペテロに自分の後継になれと宣言したから).

P9150052 P9150036 (左写真10) 食事の岩,(右同11) ビザンチン時代に使われていたという洗礼槽

P9150131 (写真12) カペナウムを訪問

 ペテロ召命教会を後にして次に向かったのはカペナウム,若きイエスが布教活動を行った地である(カペナウムはヘブライ語で”クファル・ナフム”から来ており,”慰めの村”の意).ここの最大のポイントは3世紀ごろのものとされるシナゴーグ(ユダヤ教の会堂で,日本でいえば公民館みたいなニュアンス)の跡である.黒玄武岩の土台の上に石灰岩による建物の一部が残っていて,当時の雰囲気がしのばれる.

P9150161_2 P9150167 (左写真13) カペナウムのシナゴーグ跡,(右同14) 当時の土台でしょうか

 このシナゴーグの向かいには使徒ペテロの実家の跡とされる土台もあって,こちらの上にはギリシャ正教の教会が建っている.教会の床はガラス張りになっていて,下の遺跡が眺められるようになっていた.この教会は行事のために立ち入れないことが多いそうだが,自分たちが訪れた時は入ることができた(日頃の行いがいいからだろう).ちなみにここでのイエスの布教活動はうまくいかなかったらしい.

P9150133 P9150139 (左写真15) ペテロの実家直上に建つ教会内部,(右同16) ペテロの実家跡

P9150234 (写真17) 山上の垂訓教会

 その次に訪問したのは山上の垂訓教会,ガリラヤ湖北端の湖が一望できる高台に建つ教会である.ここはイエスが弟子たちに「山上の垂訓」を語ったとされる地である(マタイの福音書5章).現在ここには1930年代に建てられたフランシスコ会(カトリックの修道会のひとつ)の教会が建っている.八角形をした綺麗な聖堂を持つ教会で,これはマタイ福音書5章に出てくる8つの聖句にちなんでいる.

P9150239 P9150358 (左写真18) 教会からのガリラヤ湖の眺め,(右同19) beati pacifici quoniam filii Dei vocabuntu(平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう マタイ第5章)

 山上の垂訓教会を後にして丘を下り,今度は湖畔の船着き場に向かう.ここからガリラヤ湖のクルーズに参加することになっているからだ.この近くには近年発見された1世紀ごろの船もあるらしい(残念ながら見る時間はなかったが).

P9150268 (写真20) クルーズ船の桟橋

 1世紀の船は小型ボートであるが,現代の遊覧船はもちろんそれよりも大きい.ここでは久々に1号車の人たちとも合流して船に乗り込んだ.出航に当たっては国旗掲揚・国歌演奏のセレモニーがあり,イスラエル国旗と日の丸が掲揚され,両国の国歌が演奏された(イスラエルと乗客の国旗が掲げられる模様).この辺りに国家を大切にするイスラエルの人々の意識が感じられた.

P9150298 P9150407 (左写真21) 国旗掲揚,(右同22) 記念撮影

P9150384 (写真23) パンと魚教会,ペテロ召命教会が見えます

 桟橋を出た遊覧船は湖を北東に進んでいく.左手には先ほど観光したパンと魚の教会,ペテロ召命教会,山上の垂訓教会の姿が見えた.一方右手には小高い高原地帯が広がっている.ここがニュースなどで話題になることもあるゴラン高原である.

P9150398 (写真24) こちらが有名なゴラン高原

 元々ガリラヤ湖はイスラエルとシリアの国境で,ゴラン高原はシリア領だったのだが,イスラエルと敵対するシリアはここに砲台を築いてしばしばイスラエル領内を砲撃した.このため1967年の第三次中東戦争によってイスラエルはこの地域一帯を占領して現在に至っている(イスラエルは当地の併合を宣言しているが,国連をはじめとする国際社会はこれを認めていない).現在ゴラン高原には国連の監視軍が置かれており,日本の自衛隊も1996年から2013年まで部隊を派遣していた.そんなゴラン高原であるが,ここは雨もほどほどに降る肥沃な土地であり,現在はワイナリーもあるらしい(ワイン好きの自分にはたまらない話題).

P9150280 P9150387 (左写真25) 他のクルーズ船,(右同26) 魚を捕るパフォーマンスも

P9150413 (写真27) この日のレストラン

 約50分ほどでクルーズは終了,もとの桟橋に戻ってきた.この後は昼食となる.この日は湖畔にある魚料理専門店であった.ガリラヤ湖といえば,ティラピアという淡水魚が名物で,これはマタイ福音書の17章にイエスがペテロに「湖に行って釣りをしなさい.そこで釣れた魚の口に銀貨が入っている.」といった記事に由来している.日本だと煮付けになりそうだが,当地では油でカラッと揚げたようなのが一般的のようだった.淡白な味わいだが,塩とレモンでいただくのが一番なのかなと感じた(ポン酢もいいかも).参加者の中には日本から持参した醤油やケチャップを使っている人もいた.自分たちはというと,当然のようにビールも注文していた.

P9150411 P9150409 (左写真28) セント・ピーターズ・フィッシュ,(右同29) おおっ!銀貨だ \(^o^)/

P9150412 (写真30) こちらは地元のビール,すっきりして飲みやすかったです

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2016年10月 2日 (日)

イスラエル旅行記③ ~死海編~

 イスラエルの入国審査が住んで建物の外に出ると強い日差しが照り付けて来た.やっぱり暑い.添乗員さんによると,今回の入国審査はいつもよりずっと楽でスムーズだったとのこと.実はこの日はイスラムのお祭りで,いつも以上にこの国境を超えるパレスチナ人が多いとのことで,我々はVIP用のゲートに回された結果のようだ(まあ,ビザンチン皇帝が参加しているんだから当然VIPだな 笑).

 用意されていたイスラエル側のバスに乗り込んで出発となる.まず向かうのはクムランの街,ここは1947年にヘブライ語聖書の最古の写本とされる死海写本が発見された場所である.考古学的に非常に重要な場所であるが,今回の訪問の目的は学術的な理由ではなく,昼食のためである(笑).

P9140084 P9140087 (左写真1) クムランのレストラン,(右同2) ビュッフェスタイルです

P9140091 P9140088 (左写真3) メインのカウンター,(右同4) 本日のランチ

 レストランは死海を一望できる高台に立っていた.このレストランはサラダバーは取り放題でメインは3種類くらいからの選択だった(自分はチキンを選択,以後イスラエルのレストランは基本サラダ自由のビュッフェスタイルが多い).ビールなどのアルコールにも惹かれたが,これから死海に入って浮かぶので我慢である(汗).食事後はお土産物コーナーを散策,死海名産のハンドクリーム等を購入した.

P9140094 P9140098 (左写真5) クムランの山肌(ここから死海写本が出てきた?),(右同6) 死海が見える

 そして15時にレストランを出発,目の前に広がる死海に向かう.駐車場でバスを降りて浜辺へ.ここでは水着とカメラ等必要なものだけをもって降りる(貴重品は添乗員さんに預け,それ以外の大事じゃない荷物はバスに残す).バスタオルを借りてシャワー室へ.本当は更衣室もあったのだが,面倒なのでシャワー室の隅でささっと着替えをした.準備が完了していよいよ浜に向かう!

P9140105_2 (写真6) 浜辺に向かう

 死海は海抜マイナス420メートルと地表面としては世界で一番低い場所である.また塩分濃度が30%と極端に高いことでも知られ,どんな金槌の人間でも浮いてしまうことでも有名だ.自分が子供の頃に読んでいた,世界の謎・不思議系の本には必ず載っていたスポットで,いつの日か行ってみたいと思っていた場所である.そんな死海についにやって来た! と感慨に浸りながら水に入る.

P9140118 (写真7) 手には死海写本

 が,足元の泥が滑ることこの上ない.いくら塩分濃度が高くて誰でも浮く死海でも,浮く≠溺れない というわけではない(実際に過去にはここで溺れた観光客もいたらしい).慎重に行かなくては,ということで足元を確かめながら進んでいった.少し行ってそろそろ浮かんでみようと思い,水に体を横たえる.そのまま足を湖面に出すと,

 本当に浮いた!

 感動の瞬間である \(^o^)/.

P9140121 (写真8) 子供のころからの夢が実現

 イメージとしてはライフジャケットを身に着けた状態で浮く感じに近いのだが,現実には何も身に着けていないのに浮いてしまう感じ.やっぱり面白いと思った.試みに死海の水がどんなものか舐めてみる.舌にのせた瞬間,しょっぱいというよりも痛い (;゚Д゚),ビリっという強い刺激がやってきた.さすが塩分濃度30%である.

P9140150

(写真9) 死海のパノラマ写真

 だいたい30分程度遊んだ後(ガイドさんに連続して10分以上浸からないようにいわれていた),浜辺にあったシャワーを使って泥と塩を洗い流し,着替えに向かう.この日はもうホテルに入るだけなので,ささっと着替えをしてバスに乗り込んだ.

 全員そろったところでバスは出発,ヨルダンとの国境付近(ヨルダン川西岸沿い)を走る国道90号線をひたすら北上する(この日の宿泊地はガリラヤ湖畔のティベリア).ヨルダン川西岸のこの辺はひたすら荒地が広がっていた.この荒地こそ,2000年前に洗礼者ヨハネが活動していた場所である.たしかにこんな荒地にいて「悔い改めよ!」と叫んでいる人がいたら相当なインパクトだなと思った.

P9140157 P9140185 (左写真10) ヨルダン川西岸の荒れ地,(右同11) 放牧が

 しばらく走ると検問所のようなところに到着,ここがイスラエルとパレスチナのヨルダン川西岸地区との境界になる.自動小銃を持った兵士が乗り込んで怪しいものがないかチェックを行った(特にパレスチナ自治区→イスラエルの際が厳しいらしい).ここを通過すると完全なイスラエルである.バスは快調に北上する… はずだったのだが,なぜか大渋滞! ガイドさんもなぜかわからないとおっしゃっていた.

 のろのろながらもバスは進んでいき,国道90号と92号の分岐点に到着,ガリラヤ湖の西岸を走るのが90号で,東岸に向かうのが92号である.バスは90号に曲がった.ここからはさっきまでの渋滞がウソのようにすいすい進む.バスの右手にガリラヤ湖が見える.交差点から20分ほどでこの日の宿泊地,リモニム・ミネラルに到着した.

P9150220 (写真12) リモニム・ミネラル

 このホテルは客室数200を超える大型ホテルで,我々のような大人数ツアーが利用するホテルのようだった.チェックインは添乗員さんとガイドさんが代行してくれるため,一同ロビーで待つだけ.その後ルームキーを渡され部屋に向かう(この時荷物をポーターに任せると,大人数のためいつ部屋に届くかわからないから各自持っていくように言われた).

 で,自分の部屋の前につき,カードキーで開けようとしたのだが… うんともすんとも言わない ( ̄▽ ̄).方向を変えたりゆっくりやったりしても全く反応なし.部屋に入れないじゃん! ということでフロントに行き添乗員さんに相談,結果新しいカードがやってきて無事に開いたのだった.

 その後は夕食,今回のツアーの夕食はすべてホテルのレストランだった.イスラエルの一般的パターンなのか,野菜が充実したビュッフェスタイルである.我々はワインをボトルで購入したのは言うまでもない(笑).食事後は部屋に戻ってシャワーを浴び,明日以降の活動に備えてさっさと眠りについたのだった.

P9150205 P9150204 (左写真13) ホテルのレストラン,(右同14) ワインを頂く

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