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2016年8月15日 (月)

終戦の日に思う

 今日8月15日は終戦の日である.当ブログは基本的に政治的な話題を取り扱わないのであるが,この8月15日だけは時々そうでないこともある(笑).というわけで今日は政治の話題.

 今日このようなニュースが出ていた.

 学生団体「SEALDs」きょう解散

 昨年夏,ちょうど安保法制に関する法案の国会審議がなされていた頃に,同法案に反対することを主張する学生たち(たぶん)によって結成された団体である.同年秋の法案成立後も現政権に対する対決姿勢を継続し,改憲阻止のためとして野党共闘を主張していた.それが今日解散するということである.

 彼らの活動が成功だったのか失敗だったのかといえば,安保法制が成立し参議院選挙も与党側の勝利に終わった結果から見れば失敗だったと言わざるを得ないだろう.野党共闘に一定の成果をあげたという声もあるようだが,彼らがいたから野党共闘が成立したと言えるのかは疑問である.

 では彼らの失敗の原因はなんだったのだろうか.まず思いつくのは彼らの発言に品がないことである.正直言って彼らの言葉遣いは汚い.政権が嫌いなのはいいのだが,仲間内の飲み会ならいざ知らず,公衆の面前で汚い言葉で相手を罵る様子は,共感を呼ぶどころか,逆に違和感と嫌悪感しか感じなかった.彼ら自身は「自分たちの主張が正しければ言い方は問題ではない」,「むしろ自分たち自身の言葉をストレートにぶつけた」という認識なのかもしれないが,やっぱり言葉遣いが悪い人の話をまともに聴こうという気分にはならない.

 第2は彼らの主張に論理性が感じられなかったことである.安全保障という極めて重要な重要なテーマにも関わらず,安保法=戦争法と単純化し,法案が成立すれば戦争になる,徴兵制になるといった主張は論理というよりもただ思いついたことを発言してるようにしか聞こえなかった.

 ただ自分がそう感じるのは自分自身がオッサンだからかとも思っていたのだが,先日の参議院選挙における10代の有権者の投票行動(他の世代に比べても与党の支持が高く,野党への支持が低い)を見る限り若い人たちの多くも自分と同じように感じていたようだ.一部マスコミでは彼らを若者の代表であるかのように持ち上げていたところもあったが,選挙結果等からはどうもそうではない実態が見て取れる.

 そんな彼ら,今日解散に当たって「市民が立ち上げる政治は、ようやく始まったばかり。この動きを末永くねばり強く続けていく必要がある」などとするコメントを発表したらしい.市民が立ち上げる政治というものがどういうものなのかは不明だが,彼らの行動で分かったことは,「感情のままに発言し,一部メディアがそれを持ち上げても,大衆の支持は得られない」ということであろう.

 それは今に始まったことではなく,そういう世間の反応は1960年~70年代のいわゆる学生運動の時代から変わってはいない.当時の彼らも自分たちの主張が正しければ,やり方が強引でも正当化されるという感じだったが,結果世間から遊離しどんどんマイナー化していった.東西冷戦というまだ国際情勢が単純だった時代ですらそうなのだから,冷戦が終わって世界全体が内向きになる中,国家の利害対立が表面化しやすく,さらには国家を超えた組織によるテロなど新しい種類の脅威にさらされている情勢を考えれば,「安保法ができれば戦争になる」といった根拠の乏しい主張をただ垂れ流している彼らが世間の賛同を得られなかったことは必然だったのだろう.

 そんなことを考えた2016年8月15日だった.

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