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2016年8月31日 (水)

腐蝕の構造

 空き時間のDVD鑑賞,最近は1977年から1978年にかけてTBS系列で放送された森村誠一シリーズを観ています.

Morimura  そのシリーズ第1作が表題の腐蝕の構造,原子力開発における画期的な理論をめぐる政財界の腐敗と陰謀,それらに翻弄される人々という,いかにも森村誠一なテーマの作品です.

 同時期に放送されていた横溝正史シリーズが1作品あたり3~5回シリーズだったのと違って,こちらはそれぞれが長めだったのも特徴です.本作品も7回シリーズでした(比較的シンプルな探偵モノだった横溝作品と違い森村作品は登場人物や背景も複雑で,その描写が大変だからか).

 以下ネタバレ注意

Fushoku  冒頭,若き科学者雨村征男と彼の高校時代の同級生で,土器屋産業の御曹司土器屋貞彦が北アルプス登山に出掛け,そこで土器屋が些細な悪戯をしたことから大きく物語が展開していきます.

 この段階では雨村を演じる篠田三郎(ウルトラマンタロウだ!)がメイン人物なのかと思っていたら第2回にあっさりと行方不明に… その後は雨村の妻久美子(演じるのは島田陽子,ライダーガールというか,犬神家の一族の珠世さんのイメージしかなかった)を中心に展開していきますが,土器屋が殺され,さらに久美子の周辺にも怪しい影が忍び寄ることで緊張が高まります.そうこうしているうちに雨村には裏の顔があることが分かり,後半は松田優作扮する大町信一が登場,彼と久美子が事件の謎に迫るという感じで進んでいきます.

 とにかく目まぐるしく展開していく作品で,劇中旅客機と自衛隊機が空中衝突という,1971年に現実世界で起こったことを念頭にしたと思われる事件も発生するんですが,たまたまその旅客機に雨村が乗ってたかもという,すごい偶然に頼った展開はちょっと強引すぎるような….

Fushoku2 (写真) 事件の真相に迫るべく北アルプスに入る久美子と大町

 そして主要人物の大半が死ぬか不幸になる一方で,バックにいた政財界の大物たちは何らダメージを負うことなくほくそ笑んで事件は一応の解決を見るというのがいかにも森村的です.この時不幸になるのは主人公側の人間だけではなく,殺人事件の大半に関わっていた松尾(財界の大物の用心棒)も,結局最後はトカゲの尻尾切りよろしく切り捨てられるのも哀れでした(国の原子力政策に関わるというスケールの大きな事件だったにもかかわらず,公式には男女関係のもつれということで幕引きが図られた).

 とにかく救いがない作品で,物語の最後,雨村の遺体が発見されたことを電話で聞いた久美子が「そちらで処理してください」ガチャン!と電話を切るのが印象的でした.

 最近は政治家や官僚もちょっと何かあると一斉に叩かれて失脚というのが普通になっているので,今の若い人が見たら当時の政財界はよっぽどワルだったんだなと感じるかもしれません(笑).

 そんなツッコミどころも多い腐蝕の構造でした.

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2016年8月29日 (月)

しながわ宿場まつりの通知

 実は昨日から今日の午前中にかけて盛岡に帰ってました.合唱団の強化練習やら実家に帰っての用足しやらがあったんですが,今日の夕方久しぶりに家のポストを覗いたら一通の封書が… 見たら

 しながわ宿場まつりの通知でした \(^o^)/

Img_2675  今年は紆余曲折の末(笑),八丁堀の同心になりました.実は以前にもやったことがあるキャラなんですが,公務員系が似合うと言われているのでまた挑戦する次第です.ご参加の皆様よろしくお願いいたします.

 で,今日職場でこんなものを頂きました.

Img_2674  この週末行われていた総火演(陸上自衛隊富士総合火力演習)のお土産です(職場の仲間が行ってきた).

 自分も行きたかったなぁ~ と思うことしきりのイベントでした(チケットを取るのが至難なイベントでもありますが).

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2016年8月27日 (土)

風魔まつり

 小田原というところは非常にお祭りが多いところです(笑).ぱっと思い出しただけでも,2月の梅まつり,3月下旬の桜まつり,GWの北條五代まつり,6月のあじさい花菖蒲まつり,7月のちょうちん祭りが浮かびます.その他にも一夜城まつりとか,小田原おでん祭り,かまぼこ祭りなんていうのもあって,それこそ当地ゆかりのものなら何でもお祭りにしているような感じです(梅干し祭りや干物祭りがあっても驚かない 笑).

 で,そんな小田原ではこの週末,またまたお祭りが開催されています.その名も「忍者の里 風魔まつり」です.

Cq1jgc0ukaaop5pjpg_large  今や日本的な風物ということで,世界中に知られている忍者ですが,実は小田原も忍者ゆかりの地です.当地の忍者は風魔忍者といって,戦国時代に北條氏に保護されて,他国への謀略等で活躍しました.

 ただ,その後の歴史が豊臣秀吉や徳川家康の世になったこともあって,国内的にも忍者というと,伊賀(三重県伊賀市)や甲賀(滋賀県甲賀市)のイメージが強いのが実情です.風魔忍者というとどっちかというと悪党軍団的に描かれていることが多く,同じ忍者でもマイナーな存在です.

 ただ,ゆかりのものなら何でも売り込んでいく小田原市ですから(笑),これからはこの風魔忍者を大々的に取り上げていくんだと思います.

11947513_848042191959814_6620282673  小田原駅にも風魔関連のアイテムが!

 ちなみに自分的には風魔忍者というと,子供のころ読んでいた光瀬龍氏のジュブナイルSF「夕映え作戦」を思い出します.

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変わった形の雲

 昨日は一日中良いお天気だったんですが,一転して今日は朝から雨模様,厳しい残暑も一段落という感じで,比較的過ごしやすい気温の一日です(湿度は高いですが 笑).

 昨日の午後ふと空を見上げたら変わった形の雲が出ていました.

14054179_1057474247683273_775025867  なんか,ハスの葉の上に観音様が立ってるように見えます(もしくはロボット刑事に出てくるマザーか?).

 偶然なんでしょうが,ちょっと縁起がいいような気分になりました(笑).

 で,雲の形といえば,以前雨のち晴れという天気を経験したことがあります.朝からしとしとと雨が降っていたんですが,お昼頃突然晴れたのです.その時外を見たら,完全に空の半分が晴れ,もう半分が雲という光景が広がっていて感動したのを覚えています.

Sakaime Hare Kumori (写真上)右半分が晴れで左半分が曇り,(同下左) 晴れ側,(同下右) 曇り側 

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2016年8月26日 (金)

ライオンズクラブとロータリークラブ

 昨夜は当地のライオンズクラブの例会で講演をさせていただく機会がありました.

 ウチの副院長経由での話だったんですが,今回は旅行と医学の話題にしました。本来はこの辺お話をし始めると1時間でも2時間でも話せてしまうんですが,今回は30分程度ということで,飛行機の中の環境や乗り物酔い,高山病や時差ぼけといった乗り物に限局した内容とです.

 で,その後の懇親会にも参加させていただいたんですが,勧められるままに痛飲してしまい(笑),今日は朝から具合が悪かったです.

 ライオンズクラブといえば奉仕を目的とした団体です.そのキーワードは”We Serve”(私たちは奉仕する)です.これはクラブが共同で奉仕していくというイメージです.で,似たような団体としてロータリークラブがあります.こちらのキーワードは”I Serve”,個人が奉仕するイメージです.そういった違いも興味深いなと思ったのでした.

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2016年8月20日 (土)

長崎旅行⑥

 長崎旅行の最終日です.この日は佐世保周辺を観光して,その後帰宅の流れになります.

 ホテルで朝食(この日はビュッフェ)を摂った後にチェックアウト,レンタカーに乗り込んでまずは西に向かいます.目的地は佐世保市小佐々町の神崎鼻,ここは離島を除く九州でもっとも西に位置する場所です.すなわち本土最西端とされる地で,当然のようにその到達証明書が存在します.端っこ系に目がない私の琴線を大いに刺激してくれる場所ということで(笑),ぜひとも訪れたかった場所です(ちなみに他の3つは稚内の宗谷岬,根室の納沙布岬,南大隅町の佐多岬ですべて訪問済み).

P7191046 (写真1) 本土最西端神崎鼻

 県道139号から18号に入って15分ほどで神崎鼻公園に到着です.きれいな公園として整備されていました(公園としてもかなり新しい感じ).駐車場からまずは最西端のモニュメントへ.目の前に真っ青な海が広がるポイントにそれはあります.見た感じは水族館のイルカショーみたいな感じでした(鼻のてっぺんにボールを乗っけているイメージ).ここからはさらに海に降りることもできます.ごつごつした岩場が広がっており,カニの姿もありました.

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(左写真2) 岩場が広がる,(右同3) カニの姿も

 モニュメントから少し高台に上がると休憩所や展望デッキのほか,四極交流広場というのもありました.ここには巨大な球面の日本地図があり,各四極を持つ自治体の説明書きなどが描かれていました.この日は3連休明けの平日ということもあるのか,晴天にも関わらず我々以外には誰もいない貸し切り状態でした.

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(左写真4) 四極交流広場,(右同5) こちらにも碑が

 神崎鼻公園を散策した後,到達証明書をもらうために佐世保市役所小佐々支所へ.簡単なアンケートを書いてから証明書をいただいたんですが,証明書の裏側がちょっと気になります.なんか一枚の大きな紙を4分割した感じ.支所の人に聞くと,なんでも四端の証明書をすべて集めて並べると1枚の巨大な証明書になるとのこと.

 ええっ! 過去に行った他の3か所にはそんなものなかったぞ!

 聞くと今年の4月に始まった企画だそうです(こりゃ,他の3か所に再訪しろということか (゜o゜)).

13782012_1031638366933528_351048219 13718808_1031638363600195_765598395 (左写真6) 証明書,(右同7) 同裏

 何はともあれ証明書をゲットしたあと,今度は市中心部の南西にある俵ヶ浦半島にある石岳展望台を目指します.ここは佐世保市街や九十九島が一望できるスポットで,映画「ラストサムライ」にも登場した場所だそうです.狭い道をどんどん登って行った先に駐車場が現れ,そこに車を停めて展望台に向かって遊歩道を登ります.真夏の晴天ですが木々が茂っているのでそれほど暑さは感じません.数分歩くと展望台に到着,壮大な景色が広がります(思わず「ワーッ」と歓声をあげたくなるくらい).佐世保市から平戸市に至る海域は西海国立公園に指定されているリアス式海岸の島々で,宮城の松島を彷彿させます.青い海と緑の島々,さらにはその間を縫うように走っているクルーズ船のコントラストが素晴らしかったです.

P7190480 P7191085 P7191094 (上写真8) 石岳展望台からのパノラマ写真,(下左同9) 島々がきれいです,(下右同10) クルーズ船が

 しばらく展望台からの景色を堪能した後下山,せっかくだからさっきのクルーズ船に乗ってみようということになり船着き場へ,実は昨晩泊まったホテルで船の割引券をもらっていたのでした.

P7191107 (写真11) クルーズ船に乗り込む

 時間になったので乗船,我々が乗るのはパールクィーン号という白い船でした.平日ということで乗客はそんなに多くなく,ゆったりと乗れました.母親はエアコンが効いた船室にいましたが,自分は半分くらいは甲板に出て写真を撮っていました.約1時間程度でクルーズは終了,そろそろ昼食にしようと近くのレストランへ.ここでウチのKが前から興味があったレモンステーキが食べたいというので,みんなでそれをいただくことにします.

P7191145 P7191171 (左写真12) 島の間を通る,(右同13) 違う船とすれ違う

 レモンステーキは佐世保の名物料理で,ステーキとはいっても一般的なそれとは異なり,薄切りの牛肉を鉄板でレア焼きしたものに特製ソースをかけてレモンを添えたものです.あっさり風味で美味しかったです.

P7191182 (写真14) 佐世保名物レモンステーキ

 昼食後今度は市内に入って海上自衛隊の佐世保史料館(セイルタワー)へ.ここは幕末期の幕府海軍から始まり,旧海軍,そして海上自衛隊に関する資料が多数展示されているところです.7階建てで,まずエレベーターで7階に上がりそこから見学しながら降りてくる流れになります(ウィーンのモーツァルトハウスみたいな流れだ 笑).この日は退役した元隊員のおじさんが解説してくれました(熱心に解説してくれたんですが,「加賀は最後核実験の標的艦にされて…」と言ってて,「それは長門では」と心の中で突っ込んでいたのはナイショです 笑).見学の最後には1階のお土産コーナーで海軍カレーのルーや手ぬぐい等を購入してセイルタワーを後にしたのでした.

P7190486 (写真15) 五島うどんの地獄炊き

 この後は高速に乗って空港に向かいます.特に渋滞もなく順調に走り,空港近くの店舗で車を返却して空港へ.ここで最後のミッション(?)としてターミナル内の五島うどんのお店に入ります.五島うどんはその名のとおり五島列島名産のうどん,製法は手延べなのでやや細く,地元産のつばき油を練りこんでいるため,そうめんに近い食感です.日本三大うどんに数えられることもあります(日本三大うどんといった場合,讃岐うどんと稲庭うどんは鉄板ですが最後のひとつが群馬の水沢うどん,五島うどん,名古屋のきしめんと諸説ある).この日は五島うどんの代表的な食べ方である地獄炊きでいただきました(鍋で煮たうどんを飛魚出汁や卵でいただくスタイル).うどんと一緒にビールもいただき,いい気持になって飛行機に乗り込んだのでした.

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2016年8月19日 (金)

長崎旅行⑤

 2016年7月18日,長崎旅行の4日目です.この日は雲仙&島原方面を観光してその後,今回の旅行の最終目的地である佐世保に向かう流れになります.

 朝起きて軽く温泉に入ってから朝食会場に向かいます.この日の朝食はビュッフェスタイルではなく,しっかりした和定食でした(立って歩くのが嫌いなウチの母親はビュッフェよりもこっちのスタイルを好む).

P7180396 (写真1) 雲仙地獄の案内図

 朝食後少し休んでチェックアウトに向かいます.まずはこの雲仙温泉街にある観光地雲仙地獄の見学です.徒歩圏内なのでホテルの駐車場にそのまま車を置かせていただき出発します.雲仙地獄は地表から蒸気や白濁した温泉がゴボゴボと湧き出ている光景が地獄を思わせることからそう呼ばれています.東日本だと下北半島の恐山や秋田の玉川温泉,川原毛地獄などが類似場所です(同じ地獄でも別府の地獄は何となくテーマパークのアトラクションっぽい).

 ホテルでもらった地図に従って歩いていきます.ホテル付近の神社から地獄に入っていきます.まずは八万地獄,ホテル富貴屋さんの裏手にあたります.名前の由来は人間が持つ八万四千の煩悩によってなされる悪行の果てに落ちる地獄という意味だそうです.

P7180401 P7180403 (左写真2) 八万地獄,(右同3) 蒸気が噴出している

 そこから遊歩道を歩いてしばらく行くと見えてくるのがお糸地獄,これは裕福な家庭を持ちながら不倫に走ったお糸さんという女性が,最後処刑された時間に噴出した地獄のためにこう呼ばれています.ここでは写真屋さんの記念撮影があったので記念にいただきました.

Img126 (写真4) お糸地獄で記念撮影

 次に出てくるのが大叫喚地獄,名前からして凄いですが,雲仙地獄の中でも最も活発に噴出しているところです.吹き出すときの激しい音が,地獄に落ちていく罪人の叫び声を思わせることからその名があるそうです(ただこの日は全体的に噴出量は少な目だった).

P7180423 P7180429 (左写真5) 大叫喚地獄,(右同6) 邪見地獄,たしかに飲めそうにありません

 そこからしばらく歩くと見えてくるのが邪見地獄,邪見とは嫉妬心のことで,この温泉の湯を飲むことで邪見が消えるというのですが,現実にはこのお湯は酸性がきつくて飲むのは困難,邪見を捨てるのは難しいということかもしれません.

P7180434 P7180438 (左写真7) 泥火山,なんか違うものを想像してしまう(笑),(右同8) 旧八万地獄,今は噴出していない

 邪見地獄を見た後は一旦メイン道路に出ます.ここからはホテルに戻りながら雀地獄・清七地獄・旧八万地獄(今は活動していない地獄)を見学,途中

P7180444 「地獄内は危険です 環境省」

と言う看板を発見,地獄が環境省の管轄であることが判明しました \(^o^)/(そうすると閻魔大王も実は環境省の役人ということになります.課長級なのか局長級なのかは解りませんが 笑).

 ホテルに戻った後ロビーで少し休憩して,今度は島原方面を目指します.国道57号線から途中一方通行の仁田峠方面への道路に入って山を登っていきます(狭い道ですが,一方通行なので対向車が来る心配がないため精神的には楽).

P7180449 (写真9) 展望台から

 途中の展望台で小休止,ここからは1991年の噴火で多くの犠牲者を出した普賢岳と,その際に発生した溶岩ドームが成長して形成された平成新山が良く見えました.ただ反対側の山々は曇ってて見えなかったんですが,晴れ男の自分が来たんだからこれから晴れるに決まっていると決めつけて,「これからすぐ晴れるさ」とつぶやいたら,近くにいた他の観光客に「えっ,そうなんですか!」と言われてちょっと恥ずかしかったです(笑).

P7180457_2 P7181010_2 (左写真10) 雲仙ロープウェイ,(右同11) 手前の緑が普賢岳、奥の茶色が平成新山

 その後はそして仁田峠から雲仙ロープウェイに乗って山頂へ.ここからは普賢岳や平成新山が間近に見え,さらには天草湾まで見渡すことができます(空気が山にぶつかって上昇気流が起こり雲ができる様子も見えた).

P7181006_2 P7181027_2 (左写真12) 雲仙温泉街を望む,(右同13) 天草湾方面

P7181022_2 P7181031_2 (左写真14) 上昇気流で雲が発生,(右同15) 記念撮影

 山頂の景色を堪能したあとは山を下りて島原市内へ.昼食(この日は島原名産のそうめん)を摂って島原城を見学しました(日本100名城がらみで2010年5月に訪問して以来).そしてその後はこの日の宿泊先である佐世保へ一気に走ったのでした.

P7180469 (写真16) 島原城から眉山を望む

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2016年8月18日 (木)

長崎旅行④

 長崎旅行3日目のレポです.この日は昨日回らなかった市内の見どころを巡った後,車で雲仙に移動する日程です.

 朝起きてホテルで朝食をいただき,大きな荷物はフロントに預けてからチェックアウトしました.この日まず行くのは市内東部の高台に広がる風頭公園エリアです.この辺りは坂本龍馬関係の施設が数多くある地帯,幕末マニアの自分にははずせないスポットということで楽しみにしていました.

 当初はバスで行くつもりでバス停に向かったんですが… 

 「行ったばかり,しかも次は1時間後 (*ノωノ))」

ということでやむなくタクシーを拾っていくことになりました(まあ,4人だから大して金額が変わらないというウワサも).市内からどこをどう走ってるのかわからない道をどんどん登っていきます.10分くらい走ったところで到着です.運転手さんが「この公園を抜けたらずっと下ってくださいね.そうしないと電車道に帰れませんよ」とおっしゃってました(笑).

P7170339 (写真1) 風頭公園からの眺め

 風頭公園はその名のとおり風がさわやかで市内の展望が素晴らしいスポットです.長崎港を挟んで対岸の稲佐山の頂上までよく見えました.近くには坂本龍馬の銅像があります.さすがに高知桂浜の龍馬像に比べれば小型ですが,海に活路を求めて活動していた龍馬だけに,じっと海のかなたを見つめる像はカッコいいです.

P7170336_2 (写真2) 風頭公園の龍馬像

 ここからは少しずつ下って行きながら龍馬関連のスポットを巡ります.非常に狭くて急な道なんですが,この道は龍馬通りと名付けられています.道を下って最初のポイントが亀山社中記念館,坂本龍馬が作った日本最初の商社と言われる亀山社中があった場所に立つ記念館です.当時の様式を再現して造った建物で中には龍馬の愛用品や手紙のレプリカなど,関連した資料が多数展示されていました(もちろん記念写真スポットも 笑).

P7170347 P7170354 (左写真3) 龍馬通り,(右同4) 亀山社中の跡に立つ記念館

 記念館のすぐ近くには龍馬のぶーつ像があります.今に残されている坂本龍馬の写真といえば袴姿にブーツという独特のいでたちですが,そんな龍馬のブーツの像(笑)と船の舵輪が置かれたポイントです.海を目指した龍馬の気分を… という趣旨なのでしょう.

P7170360 (写真5) ぶーつ像

 ぶーつ像から今度は少し龍馬通りから外れて歩いていきます.途中には長崎名物(?)の猫の姿もありました.次の目的地は亀山社中資料展示場です.さっきの亀山社中記念館とどう違うのか気になりますが,記念館は長崎市によるいわば公的な施設であるのに対して,資料展示場は「亀山社中ば活かす会」という民間団体によって維持されている施設です.なのでこちらは普通の民家っぽく,展示の仕方も素朴な感じでした.

P7170367 P7170371 (左写真6) 猫です,(右同7) こちらは資料展示場

 資料展示場見学の後はひたすら下界に下っていきます.10分くらいで電車通りへ,最寄りだった新大工町電停から今度は海沿いの出島に移動しました.

P7170378 (写真8) 出島の街並み

 江戸時代,幕府は西洋との交易をオランダのみに制限し,その関係者が滞在する場所として造られたのが出島です(建設当初は対ポルトガル人用で鎖国後オランダ人用となる.いわば西洋人を隔離しておきたかった).その名のとおり当時は海に突き出した構造だったのですが,明治以降長崎湾の埋め立てが進んだ結果,島とは名ばかりの内陸地になってしまっています.開国によって出島はその存在理由が無くなったこともあり,以来荒れるがままになっていましたが,平成に入ってから当時の区域が明らかになり,各種建物が復元されるなど史跡・観光地としての整備が進んでいます.

 入場料を払って内部に入ります.現在復元されているのはオランダ商館長が住んでいたカピタン部屋,商船の船長や船員が暮らしていた一番船船頭部屋,蔵などです.建物は当時の工法で造られており,装飾も当時の絵などから忠実に再現されているとのことでした.内部は出島の歴史の紹介のほか,当時の遊具などもあって興味深かったです.

 この辺りでちょうどお昼時間になったため,出島内のレストランに行ってみたんですが満席とのことで断念(泣),次の目的地に向かうことにしました.

P7170380 (写真9) トルコライス

 長崎といえばなんといっても1945年(昭和20年)8月9日の原爆投下を忘れることはできません.その爆心地にほど近い高台に平和公園があり,そこが次の目的地です.1系統の松山町電停で降りるんですが,まずは腹ごしらえと近くの喫茶店に入りました.自分はオムライスを注文したんですが,妹と母親はトルコライスを頼んでいました.長崎名物のイメージがあるトルコライスですが,実は厳密な定義はないようです.一般にはカツとパスタとピラフが一つの皿に盛られたものというイメージですが,このお店のものはピラフではなくカレーライスになっていました.

P7170381 P7170382 (左写真10) 平和公園にはエスカレータがあります,(右同11) 噴水前

P7170388 (写真12) 土台部分は工事中でした

 昼食後は平和公園へ.高台にあるため上まで登るのが大変なんですが,なんと立派なエスカレーターが設置されています(数年前に来たことがある妹によると,当時はそんなものはなかったそうですからここ最近整備されたもののようです.広々とした公園には国籍も様々な人々が思い思いに歩いていました.長崎の平和公園というと有名なのが平和記念像ですが,この日は土台部分の工事が行われていました(後日8月9日の式典の映像を見たら工事は終わっていた模様).

 平和公園を後にして再び長崎駅方面に戻ります.途中のレンタカー屋さんで車を借り,そのままホテルに行って荷物を受け取ります.そしてそのままこの日の宿泊場所である雲仙温泉に直行しました.チェックイン後はさっそく温泉へ.雲仙温泉は白濁したいわゆる硫黄泉です.東北ではよくあるタイプですが,こちらではなかなかないタイプ,やっぱりこの白濁したお湯に浸かると「温泉に入ったぁ~」という気分になるのでした.

1512_kyusyu_01_yumotohotel (写真13) 白濁した温泉 !(^^)!

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2016年8月17日 (水)

長崎旅行③

 長崎旅行の2日目後半です.このシリーズを終えないと他の旅行関係の記事が書けないというわけで,ピッチを上げていきます(笑).

 軍艦島ツアーから桟橋に戻ると,今度は長崎市屈指の観光地,グラバー園に向かいます.大波止電停から南行きの電車に乗り,2つ目の築町電停で5系統に乗り換えて終点の石橋電停で下車します.グラバー園への王道は大浦天主堂下電停で下車し,旧香港上海銀行長崎支店記念館やANAホテルのあるあたりから,土産物屋通りの坂を登っていくコースです.ただこのコースは結構な坂を登らなくてはならないので,年配者にはキツイものがあります.今回は後期高齢者(笑)の親が一緒ということで,この王道は取らず,かわってグラバー園の裏側に設置されているグラバースカイロードを利用するコースを選択しました.

P7160162 P7160170 (左写真1) 背後からグラバー園を見上げる,(右同2) グラバースカイロード

 グラバースカイロードは一見エレベーターに見えますが,実は斜めに斜面を昇降する装置で,登っていくとグラバー園の裏側の第2ゲートに出る形になります.通常の見学ルートとは逆にんるんですが,スタートからひたすら下りという高齢者にも楽に歩けるコースになっています.

P7160171 P7160184 (左写真3) スカイロードの終点から市内の展望,(右同4) ドッグハウスのテラスからの展望

 ゲートで料金を払っていよいよ観光の開始です.まずは旧三菱第2ドッグハウス,ここは船が修理に入っている間に船員たちが宿泊する施設で,元々は三菱重工長崎造船所第2ドッグそばにあったレトロな洋館です.ここのベランダからは市内が一望できるほか,目の前の池にはたくさんの鯉が泳いでいてなごむことができます.

P7160211 P7160198 (左写真5) 旧スチイル記念学校,(右同6) 旧リンガー住宅内部

 その後は旧スチイル記念学校,旧オルト住宅,旧リンガー住宅,旧グラバー住宅といった具合に見学していきます.

P7160216 (写真7) フリーメイソンの石門

 グラバーは幕末期に活躍したイギリス人の商人で,特に薩長など倒幕派を支援していたことで知られています.亀山社中を作った坂本龍馬とも深い関係にあり,グラバー屋敷には彼らが非常の際に隠れることのできる小部屋も作られていました.長崎はまたイタリアの作曲家プッチーニの歌劇「蝶々夫人」の舞台でもあり,それにちなんでプッチーニの像もあるほか,フリーメイソンの石門などもあり,当時日本には行ってきた西洋文化の一端がうかがえました.

P7160191 P7160219 (左写真8) プッチーニの像,(右同9) 旧グラバー住宅

 出口のところにはショップの外に,長崎伝統芸能館があったんですが,ここに展示されている船が,ノルウェーのオスロにあるコンチキ号博物館に展示されているラー号に似ているなと思いました.

P7160234 P7160239 (左写真10) なんとなくラー2世号に似ている,(右同11) 土産物通り

 グラバー園を出て土産物通りを下っていきます.時間的にそろそろ昼食にしようということになりました.せっかく長崎に来たのだからちゃんぽんにしようと,近くにある四海楼に行ってみたんですが,店の前に30分待ちの表示が… ( ゚Д゚).そこまで待つガッツはないため,ANAホテルの地下にあるレストランでいただくことに(美味しかったです !(^^)!).

P7160242 (写真12) 長崎チャンポン

 昼食後は長崎孔子廟を見学,長崎は古来中国との関係が深いこともあってこういう施設があります.内部には大成殿や賢人の石像といった中国的なモニュメントの外に博物館も充実していました(博物館内部は冷房がガンガン効いて涼しかった 笑).賢人の石像はいろんな表情の人物がいるんですが,これだけあると一体くらい自分に似たのがあるかもと思いました.

P7160251 P7160244 (左写真13) 長崎孔子廟,(右同14) 賢人の像です

  その後は近くにあるオランダ坂へ.坂の街長崎を代表する坂ですが,じつはここ日本の道100選でもあるのです.散策と共に顕彰碑探しにも精を出しました (日本の道100選では顕彰碑探しが見学の柱になる).それにしてもこの坂周囲に結構学校があるんですが,ここの生徒たちは毎日この坂を登って登校しているのかと感心します.

P7160269 (写真15) 日本の道100選オランダ坂

 オランダ坂から海岸沿いに出てそこから再び電車に乗り込み,次に向かうのは日本三名橋として名高い眼鏡橋,賑橋電停で下車,徒歩数分の距離です.眼鏡橋は日本最古の石造りのアーチ橋として知られ,江戸時代初期の寛永十一年(1634年)に興福寺の2代目住職の黙子如定が造ったといわれています.川面に映った時の姿が双円形で眼鏡を彷彿させることからその名があるとされています.眼鏡橋がある中島川には江戸時代以来の古い橋が数多くあったのですが,昭和57年の水害によって多くが流されてしまいました(眼鏡橋も一部が損壊したものの,修復がなされました).さすがに名所だけあってこの日も大勢の観光客で賑わっていました.

0megane Megane2 (左写真16) 眼鏡橋,(右同17) 記念撮影です

 眼鏡橋観光の後は徒歩で思案橋方面に向かいます.長崎といえば内山田洋とクールファイブの歌によく登場する街ですが,そんな彼らの歌に関連した地を訪問しようという企画です.今は電停がある思案橋に現在は橋はありませんが,かつてはこの辺に川が流れていて同名の橋が架かっていたそうです.思案橋の南側に遊郭として知られた丸山があり,ここにやって来た男たちが「(丸山に)行くべきか,やめとくか」思案する橋だったことからその名があります.現在橋はありませんが,交差点には橋の欄干を模したモニュメントがあります.

P7160312 (写真18) 思案橋の欄干

 思案橋から思案橋通りに入って数分,柳小路通りとの交差点には思い切り橋の碑があります.内山田洋とクールファイブの同名の曲で知られる変わった名前の橋ですが,ここも現在は川&橋ともに存在しません.思案橋を越えてやって来た男たちが,最終的に決意して(思い切って)丸山に入ることからその名があります.一方で丸山で一夜を明かした男が後ろ髪をひかれるようにここで振り返った場所でもあることから見返り橋という異名もあるようです(碑のそばには見返り柳というのもある).思い切り橋の碑の近くには丸山公園があり,そこには龍馬像が鎮座していました(龍馬も丸山で遊んだんだろうな 笑).

P7160315 P7160322 (左写真19) 思い切り橋の碑,(右同20) 丸山公園の龍馬像

 丸山公園でこの日の観光は終了,一旦ホテルに戻ってその後夕食に繰り出したのでした(ふと稲佐山方面を見上げたら山頂は完璧に雲に隠れていた.この日は夜景は見られなかったようです(昨夜行っておいてよかったと実感した瞬間).

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2016年8月16日 (火)

シン・ゴジラを鑑賞してきました

Img123  実は一昨日の話になるんですが,今世間で話題の映画「シン・ゴジラ」を観てきました.

 東宝のゴジラは1954年に最初の作品が公開されて大人気となり,以来数多くの作品が作られたシリーズです.今回は,2004年以来12年ぶりの制作(海外作品は除く),監督・脚本に新世紀エヴァンゲリオンで知られる庵野秀明氏が起用されることもあって話題になっていました.

 で,感想ですが.純粋に面白かったです.

 まだ公開中なのでネタバレ的なことはあまり書きませんが,同じゴジラ映画といってもやっぱり時代の色がしっかり出るんだなと思いました.ゴジラを恐怖の存在として描く点は1954年の最初のゴジラと変わりませんが,当時の人間側の主役クラスがもっぱら科学者だったのに対して(平田明彦の芹沢博士が懐かしい),今回のシン・ゴジラのメイン人物はほぼ政治家(特に若手の)です.考えてみればゴジラ襲来などの非常事態に際して国民を守るために決断を下すのは政治家なので,政治家が中心人物というのは全くおかしくないんですが,昭和時代は政治家というと国会中継等で偉そうにしている恰幅の良いお爺さんというイメージしかなかったため,この手の映画でかっこよく描くのが難しかったのでしょう.もちろん当時にだって若手政治家はいたはずですが,新聞やテレビしか媒体のない時代ですから,彼らの活動が一般国民に見えることはほとんどありませんでした.しかし現在なら,情報通信の革命的な発達によって若手政治家の方々がブログやTwitterなどで積極的に情報を発信している時代なので,かつてに比べると目に見えるずっと身近な存在になったというのがあったのでしょう.

 あと個人的に感じたのは軍事に関するリアリティでしょうか.本作では自衛隊や米軍の発射する砲弾やミサイルはほぼ確実にゴジラに命中します.これは考えてみれば当たり前で,現代兵器を装備した訓練されたユニットが行う射撃,しかも相手は3次元的な動きをするわけでもない巨大なゴジラですから中らない方がおかしいわけです.昭和時代の作品だと発射したミサイルの半分くらいは怪獣には中らず,しかも一部はあさっての方向に飛んでいって市街地に命中なんてひどいことになっていて,怪獣VOWあたりに「これなら出動しないで,ただ怪獣に暴れさせておいた方がマシでは」などと揶揄されていたのとは大違いです.

 そんな時代背景の変化を考えながら見るのも面白いかもしれませんね.

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2016年8月15日 (月)

終戦の日に思う

 今日8月15日は終戦の日である.当ブログは基本的に政治的な話題を取り扱わないのであるが,この8月15日だけは時々そうでないこともある(笑).というわけで今日は政治の話題.

 今日このようなニュースが出ていた.

 学生団体「SEALDs」きょう解散

 昨年夏,ちょうど安保法制に関する法案の国会審議がなされていた頃に,同法案に反対することを主張する学生たち(たぶん)によって結成された団体である.同年秋の法案成立後も現政権に対する対決姿勢を継続し,改憲阻止のためとして野党共闘を主張していた.それが今日解散するということである.

 彼らの活動が成功だったのか失敗だったのかといえば,安保法制が成立し参議院選挙も与党側の勝利に終わった結果から見れば失敗だったと言わざるを得ないだろう.野党共闘に一定の成果をあげたという声もあるようだが,彼らがいたから野党共闘が成立したと言えるのかは疑問である.

 では彼らの失敗の原因はなんだったのだろうか.まず思いつくのは彼らの発言に品がないことである.正直言って彼らの言葉遣いは汚い.政権が嫌いなのはいいのだが,仲間内の飲み会ならいざ知らず,公衆の面前で汚い言葉で相手を罵る様子は,共感を呼ぶどころか,逆に違和感と嫌悪感しか感じなかった.彼ら自身は「自分たちの主張が正しければ言い方は問題ではない」,「むしろ自分たち自身の言葉をストレートにぶつけた」という認識なのかもしれないが,やっぱり言葉遣いが悪い人の話をまともに聴こうという気分にはならない.

 第2は彼らの主張に論理性が感じられなかったことである.安全保障という極めて重要な重要なテーマにも関わらず,安保法=戦争法と単純化し,法案が成立すれば戦争になる,徴兵制になるといった主張は論理というよりもただ思いついたことを発言してるようにしか聞こえなかった.

 ただ自分がそう感じるのは自分自身がオッサンだからかとも思っていたのだが,先日の参議院選挙における10代の有権者の投票行動(他の世代に比べても与党の支持が高く,野党への支持が低い)を見る限り若い人たちの多くも自分と同じように感じていたようだ.一部マスコミでは彼らを若者の代表であるかのように持ち上げていたところもあったが,選挙結果等からはどうもそうではない実態が見て取れる.

 そんな彼ら,今日解散に当たって「市民が立ち上げる政治は、ようやく始まったばかり。この動きを末永くねばり強く続けていく必要がある」などとするコメントを発表したらしい.市民が立ち上げる政治というものがどういうものなのかは不明だが,彼らの行動で分かったことは,「感情のままに発言し,一部メディアがそれを持ち上げても,大衆の支持は得られない」ということであろう.

 それは今に始まったことではなく,そういう世間の反応は1960年~70年代のいわゆる学生運動の時代から変わってはいない.当時の彼らも自分たちの主張が正しければ,やり方が強引でも正当化されるという感じだったが,結果世間から遊離しどんどんマイナー化していった.東西冷戦というまだ国際情勢が単純だった時代ですらそうなのだから,冷戦が終わって世界全体が内向きになる中,国家の利害対立が表面化しやすく,さらには国家を超えた組織によるテロなど新しい種類の脅威にさらされている情勢を考えれば,「安保法ができれば戦争になる」といった根拠の乏しい主張をただ垂れ流している彼らが世間の賛同を得られなかったことは必然だったのだろう.

 そんなことを考えた2016年8月15日だった.

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2016年8月 9日 (火)

長崎旅行②

 ちょっと間隔があいてしまいましたが長崎旅行の2日目です.

 この日の予定は午前中は,昨年「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として世界遺産になった端島(通称軍艦島)を訪れるツアーに参加,午後からは長崎市内の観光です.ホテルで朝食を摂った後,歩いて桟橋に向かいました.

 端島は長崎港の沖合にある小さな島で,明治以降良質な石炭が取れるということで開発が進んだところです.埋め立てによって陸地面積が拡張される一方,居住施設や学校,娯楽施設,寺院なども建設され,火葬場と墓地以外の都市施設はすべてあるといわれるほど活況を呈しました.最盛期には島の人口は5000人を超えていたそうですが,石炭から石油へのエネルギー転換が進んだ結果,国内の他の炭鉱同様不振に陥り,1974年に閉山に追い込まれました.その後は荒廃が進むままに任されていましたが,2000年頃からのいわゆる廃墟ブームによって一部のマニアには知られた存在だったようです.ただしこの頃は安全の問題から一般人の島への上陸は認められていませんでした.

 こうした状況が変化したのは2009年で,この年に制定された長崎市の条例によって一般人の上陸が認められるようになったのです(上陸はツアーのみ,個人での上陸は不可).以後数社によるツアーが開催されており,特に世界遺産登録によって世間からの注目が増し,休日ともなるとどの会社も大賑わいになっているようです.ただこの端島,沖合にあるために海上の気象条件によって簡単に波が高くなるため上陸できないケースも多々あるのが悩みの種です.とはいえ,「ビザンチン皇帝がわざわざ来たのに上陸できないなんてありえない!」と強く念じて出かけたことは言うまでもありません(今回はやまさ海運さんのツアーに参加).

P7160017 (写真1) 受付は長蛇の列

 フェリーターミナルに着くと受付はまだ始まっていませんでしたがすでに何人かが並んでおり,自分もそこに並びます(後から人がぞろぞろとやってきて,気が付いたら長蛇の列,のんびりトイレなんか行ってなくてよかったと思いました 笑).しばらくして受付が始まり,自分の番が来ました.受付番号(あらかじめネットで予約しておいた)を告げて全員分の宣誓書(ツアー中は係員の指示に従いますという感じ)を提出,代金を払ってチケットを受け取りました.この日は曇り空で小雨が降るかもみたいな天気だったので,売店で簡易雨合羽を購入(軍艦島ツアーでは傘の使用禁止なので),その後船に向かいます.

P7160025 P7160021 (左写真2) これが参加者証,(右同3) 船に乗り込みます

 船は1階船室と2階オープンデッキがあります.もちろん眺めがよさそうなオープンデッキにあがりましたが,進行方向右手前列はすでに埋まっていま した(実は航路の関係上,進行方向右手の方が島が良く見える).今更下に戻りたくないのでやむなく左手前列に座りました.9時になりいよいよ出港です.

P7160029 P7160042 (左写真4) 世界遺産のジャイアント・カンチレバークレーン,(右同5) スフィンクスみたいな形をした岩

 船はゆっくりと南西に向かいます.まずは長崎港内の各施設を遠望,港内では三菱重工業長崎造船所の諸施設が世界遺産になってますがそのうちのひとつ,ジャイアント・カンチレバークレーンがよく見えます.三菱の長崎造船所は民間船のみならず旧海軍の軍艦や海自の護衛艦も多数建造した実績のあるところですが(特に戦艦武蔵を建造したことで有名),中を伺い見ることはできないものの,大型ドッグの雰囲気を感じることはできました.

P7160085 (写真6) 軍艦島が見えてきました

 船は長崎港口にかかる女神大橋をくぐって外海に出ます.ひどい時だとこの段階から揺れてくるという話だったんですが,この日はそんなこともなく順調な航行 でした.やがて右手にかつて炭鉱で栄えた高島(ここは今でも有人島),中ノ島を望み,いよいよ端島(軍艦島)がその雄姿を現します.小さな島に所狭しとビ ルなどの人口建築物が立ち並ぶその様は,たしかに軍艦を彷彿させます(軍艦島の名称は,大正年間に長崎造船所で建造中だった戦艦土佐に似ていたからとされ る).船は徐々に島の南東にある桟橋に近づいていきます.乗客一同上陸に備え準備を始めます.「もうここまで来たんだから上陸できるんだろう」と思って 待っていたら…

P7160062 P7160064 (左写真7) いよいよ上陸です,(右同8) みんな一斉にシャッターを切る

 

 「現在波の高さが長崎市の基準を上回っているため上陸は断念いたします」

という放送が流れました.

 が~ん ( ゚Д゚)

 そ,そんな… ここまで来たのにと大ショックでしたが,これはまたそのうち来いという天の啓示なんだろうと自らを納得させるしかありませんでした(後で調べたら7月というのは1年でもっとも上陸率が悪いらしい).

P7160100 P7160096 (左写真9) 西側から見た軍艦島,(右同10) 日本最古の鉄筋アパートである30号棟が見えます

 上陸不可ということで,仕方なく船は軍艦島周囲を周遊,船上から島の構造物を見学した後,長崎港に戻ったのでした(ツアー代金から上陸料等一部が返金された).

 長くなったので続きます.

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2016年8月 8日 (月)

青春18きっぷ

 昨日,8月7日の日曜日は特に予定がなかったということで,夏の青春18きっぷ乗りつぶし企画に出かけました.行先は…

 新潟

 相州から越後へ.北条が上杉領に攻め込む印象ですが,新幹線が整備されている現在なら,東京駅での接続がいいと3時間かからないで着いてしまいます.これが在来線の普通列車ならどうなるのか? 小田原から東海道線,その後湘南新宿ラインでも上野東京ラインどちらでもいいので,高崎線に直通して高崎に向かいます(運がいいと乗り換えなしで高崎に行ける).ここまでで3時間から3時間半です.そして高崎からは上越線普通電車に.群馬県北部の水上までは1時間に1本ありますが,そこから県境を越えて越後湯沢方面へは2時間に1本くらいしかありません.所要時間は高崎から水上が1時間,水上から越後湯沢を経て長岡まで2時間程度です.そして最後に長岡から新潟まで1時間かかるため,結局高崎から新潟まで4時間になります(つまり小田原からだと7時間半~8時間).

P8080498 (写真1) 青春18きっぷ

 この日は朝家を出て電車を乗り継ぎ,新潟に着いたのは午後3時少し前でした。この日の新潟は快晴の良いお天気,気温も非常に高く暑かったです(後で知ったのだが,この日は37℃越えだった模様).駅周辺には浴衣を着た若い女性がたくさん歩いてたんですが,どうやらこの日の夜に花火大会があるらしかったです.

Img_2490 (写真2) 快晴で猛暑日の新潟駅前

 花火大会といえば夏の風物詩で,毎年この時期には各地で花火大会が開催されていますが,自分にはなぜか縁がありません(笑).8月5日は熱海で花火があったんですが,この晩は沼津に出張,翌8月6日は小田原で酒匂川の花火があったのに東京へ(この日は花火デーらしく東京でもあちこちで花火大会があったもようだが,どこも見られず).で,7日は新潟に来たのに花火が始まる前に帰路につかなくてはならないわけです.

Img_2492 (写真3) この日購入したもの.ビールはサッポロの新潟限定品です

 結局駅で日本酒🍶とビール🍺を購入してそのまま家路についたのでした(往路8時間,復路8時間,滞在30分でした 笑).小田原-新潟を普通に切符を買って往復すると1万3千円以上,青春18きっぷはその5分の1以下で済むから素晴らしいです.

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2016年8月 5日 (金)

タクシーの日

P8050496 (写真1) アサガオも暑そう

 今日も朝から暑い一日でした.どんな音から夏を感じるかは人それぞれだと思うんですが,自分の場合はなんといっても蝉の声(蝉しぐれ)でしょう.いろんな種類の蝉が競うように鳴いている様はまさに夏を感じます.

 今日のお昼に職場の庭を散策しましたが,木という木からどれだけいるんだという感じで蝉しぐれが凄かったです.

P8050497(写真2) 木漏れ日と蝉しぐれ(音は聞こえませんが)

 そんな8月5日はタクシーの日なんだそうです.なんでも1912年(大正元年)のこの日,日本で初めてのタクシー会社(東京の有楽町に本社を置くタクシー自働車株式会社)が営業を始めた日だからということです.当時の料金は最初の1マイルが60銭,以後1マイルごとに10銭だったそうですが(当時の自動車は輸入されたアメリカのフォードだったため、距離メーターもアメリカ式にマイルだった),やがて大正末期に1円均一で市内を走る円タクが登場という歴史になるようです.

 タクシーの初乗り料金は地域で異なりますが,自分が物心ついた頃は150円でした.その後180円になり210円になりと上がっていった記憶があります.小田原市内は2016年現在,小型車710円,中型車730円です.そんなことを考えた8月5日でした.

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2016年8月 4日 (木)

中央寮歌祭2016

 今日は新宿の京王プラザホテルで開催された中央寮歌祭2016に参加してきました.普段クラシック音楽を愛好している自分ですが,深層心理には寮歌が潜んでいて,時々歌いたくなるのです(笑).

Dsc_0995  かつて全国にたくさんの寮歌祭があったんですが,旧制高校を現役で過ごした方々の高齢化等もあり,各地の寮歌祭が終了または規模縮小という流れになっています.東京で開催されるものとして,かつて日本寮歌祭という大規模な寮歌祭あったんですが,これも2010年の第50回をもって終了となっています.ただこれだけ大規模な寮歌祭をこのまま終わらせてしまうのは残念であるという意見も多く,なんとかその後を模索する動きがありました.ただ,これには2つの流れがあって,主として旧制高校のOBたちが,あくまでも旧制高校の寮歌にこだわって運営している全国旧制高校寮歌祭と,主として新制大学時代の人々もかかわって, 新制以降の寮歌などにも間口を広げている中央寮歌祭があります.今回参加したのは後者で,2011年以降今年が6回目となります.

 昨年までは土日の開催ということで参加のハードルは低かったんですが,今年はなんと!平日木曜日白昼の開催です.会場の都合ということなんですが,寮歌祭関係者の多くはリタイヤした人なので問題は少ないのかもしれませんが,現役世代にとっては厳しい話です.自分も当初参加できるのか不安でしたが,なんとか年休を取得して参加することができました.

Dsc_0996  朝家を出て小田急のロマンスカーで新宿へ.この日は久しぶりに龍馬紋の着物でした(ウチのKも着物).新宿駅は暑かったですが,この日は雲も多かったこともありうだるようなという感じではなし.着物だったのでタクシーでホテルまで移動しました.

 会場はすでに大勢の参加者で賑わっています.各校ごとにテーブルに分かれるんですが,自分の入る弘前高等学校が名簿の参加者数と椅子の数が合わない(2人分)… 仕方ないので一応幹事役の私とウチのKが別なテーブルに移りました.

Dsc_0994  そして11時に寮歌祭の開幕です.開会の辞,続いてこの1年間に鬼籍に入られた諸先輩方への黙祷,主催者の挨拶,檄文朗読と続き,いよいよ寮歌高唱の始まりです.歌うのは北から南,外地という順番ですが,公平を期すために毎年少しずつずらしていきます.昨年は高知高校から始まって松山高校で終わる順番でしたが,今年は東亜同文書院など外地の学校から始まりました(そして震災からの復興を応援するために熊本の第五高等学校をラストに).

Dsc_1000

 各校の持ち時間は4分,かつては最初に長挨拶をする人なんかもいて時間が押してしまうケースがあったんですが,近年はその辺も徹底されたのか,挨拶無しで歌い始めるというパターンが定着したようです(4分経過すると鐘が鳴らされる).

 で,この寮歌祭の特徴が料理の少なさ(笑).実はこの寮歌祭の参加費は各地の寮歌祭と大差ありません.でもって会場が京王プラザですから,予算がひっ迫しているらしく,あまりたいした料理が出てこないのでした(プリッツやポテチに始まり,数品出てきて,デザートはスイカ&バナナ 笑).その一方お酒はビールや焼酎があって結構飲めます(食べ物が少なくてひたすら飲むため,後で具合が悪くなることも 笑).

 この寮歌祭で自分は医務部という役職(?)になっています.要は具合が悪くなった人への対応ということですが,昨年はそういう事件はなかったんですが,今年は具合が悪くなった人がいました.幸い大事には至りませんでしたが,なかなか大変です(能代の大先輩にお世話になりました.この場で御礼を申し上げます <(_ _)>).

 さらにこの日は毎年ひのパレで写真をいただいている武州レディースのラブさんにもお会いしました.旧制高校に造詣の深いラブさん,文章も書かれているようです.す,すごい!

Img_2489  会は3時半ごろに終了,そのまま帰宅となりました.前述のように食べ物が少なくてひたすら飲んでいたため,帰宅後具合が悪くなりましたとさ.

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2016年8月 1日 (月)

8月になりました

 今日から8月,先週後半に梅雨明けしてから一気に暑くなり,夏本番といった趣です.

 で,今日の夕方にちょっとした誤報騒動があったもようです.

気象庁“震度7”誤配信 鉄道に影響も

 気象庁から鉄道会社等に向けて,首都圏で大きな地震が予想されるという緊急地震速報が出され,それによって電車が一時ストップしたというものです.

 実はちょうどその時間,私も所要があって小田原に向かう箱根登山電車に乗っていたんですが,いきなり電車がストップ,車掌から「ただいまこの地域を走行中の電車に対して停車するよう指令が出ました.現在確認中です」という放送があり,しばらくして「安全確認ができましたので発車します」との放送があり,結局10分遅れで小田原駅に到着しました.この時はその停車指示の中身が何なのかの説明はなかったんですが,帰宅後ネットのニュースで原因を知ったというわけです.

 今回の誤報は落雷が原因ともいわれていますが,地震のような自然現象に関しては感度・特異度ともに満点を期するのは不可能です.この場合の感度とは現実に地震が発生した場合に速報が流される割合,特異度は地震が起こっていない時に警報が流されない割合です.

 もちろん感度・特異度ともに高いに越したことはないのですが,現実に地震が起こった場合を想定するなら,特に感度の方が重要だと思います.今回のように誤報で電車が止まるよりも本当に大地震が来た際に警報が出されない方が怖いからです.

 今回の誤報に関しては批判もあるでしょうが,自分としてはたとえ誤報であっても速やかに停車措置をとった鉄道会社のシステムに敬意を表したいと思います.

 そんなことを考えた8月初めでした.

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