« 2016年2月 | トップページ | 2016年4月 »

2016年3月23日 (水)

ハガキが…

 昨日久しぶりに家に帰ったら,一通のはがきが届いていました.今年の年賀状の余りを使ったこのハガキ,第19回ひの新選組まつり参加申し込みの際に同封したものです.

 今月4日が締め切りだったわけですが,それから2週間ちょっとで返事が来たわけです.

 今年は久しぶりに出会った人々枠での参加となりました(2013年の第16回以来).役柄はというと,新選組の前身,浪士組の生みの親ともいうべき,庄内藩士清河八郎です.一般には策士のイメージが強い清河ですが,剣術の方は北辰一刀流免許皆伝,学問の方は幕府の学問所である昌平黌で学ぶなど文武両道の傑物でした.彼の生涯を扱った小説としては藤沢周平の回天の門が有名です.

Kaiten_3  なお,彼の故郷である現・山形県東田川郡庄内町には清河八郎記念館があります(自分も2008年3月に訪問したことがあります 参考記事).

 この機会に再び清河八郎について勉強してみたいなと思ったのでした. 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年3月13日 (日)

楽劇 サロメ

Img109  演奏会ウィークが終わり,通常の日常が戻ってきた.

 それが理由でもないんのだが,3月12日に新国立劇場にて公演中のリヒャルト・ シュトラウスの楽劇「サロメ」を観劇してきた.

 R. シュトラウスといえば,自分の学生時代の友人が彼をさして

シュトラウスといってもヨハン・シュトラウスのような華麗さはなく,リヒャルトといってもリヒャルト・ワーグナーには到底及ばない二流の天才」

 と評していたのだが,まあそんな面もあるかと感心した記憶がある(ちなみにリヒャルト・シュトラウスとヨハン・シュトラウスには血縁関係はないらしい).

 R. シュトラウスの歌劇作品としてはなんといっても1911年初演の「ばらの騎士」が有名だが,彼の出世作となったのが表題の「サロメ」である.一般に楽劇(ドイツ語でMusik Drama)と冠されることが多いことからもわかるように,ワーグナーの影響が色濃く出ている.オスカー・ワイルドの戯曲に作曲されたオペラで,1幕モノ,全体で2時間に満たない長さでありながら,そうとは思えないほどに音楽は濃密で鑑賞後の疲労度が高い作品だ(笑).少なくとも時代的には変わらないはずのプッチーニの諸作品よりよっぽど疲れる.まあ,プッチーニのような美しい映画音楽みたいな世界とは縁遠い不協和音バシバシのなんだこりゃ音楽だから当然か(後のばらの騎士ではだいぶマシになりますが 笑).

 聖書の時代,捕らわれていた預言者ヨハナーン(聖書では洗礼者ヨハネの名で登場)に性的な魅力を感じたサロメが彼を誘惑するも,全く靡かないためにヘロデ王の前で七つのベールの踊りを舞い,その報酬としてヨハナーンの首を所望する… 世紀の変わり目の退廃的な空気を色濃く映している.新国立劇場としては2000年の新制作以来今回が6度目のプロダクションとのことであるが,自分は2011年に続く2度目の鑑賞だった.歌手陣はサロメにカミッラ・ニールント,ヨハナーンにグリア・グリムスレイ,ヘロディアスにハンナ・シュヴァルツ,そしてヘロデ王にクリスティアン・フランツという完全にワーグナー歌いの面々(当初ヘロディアスはプローライトの予定だったが変更になった),ワーグナーの影響を強烈に残すこの作品にはうってつけのメンバーで堪能した次第である(疲れたけど).それにしてもサロメ役って,これだけ強烈な歌を歌ってかつダンスもこなさなくてはならないから大変だろうなぁと思ったのだった.

 実は最近横溝正史作品にハマっていて,今見ているのがTBSの横溝正史シリーズⅡの第2作品真珠郎,この作品の冒頭メイン人物が空に浮かぶ雲を見て「サロメのヨハナーンの首のようだ」というシーンがあって,今回の鑑賞との偶然の一致に戦慄を覚えたのだった(笑).

Jochanan 写真 真珠郎冒頭のヨハナーンの首に見える雲

 ちなみに真珠郎のオリジナルは戦前の作品で,謎解きをする探偵は警視庁OBの由利麟太郎であるが,TBS版では当時存命だった作者の承諾を得て,有名な金田一耕助に置き換えている.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年3月10日 (木)

ドイツレクイエム演奏会

Img108  3月最初の週は演奏会の週でした.3月4日~9日にかけて,岡山シンフォニーホールの企画制作による東日本大震災心の復興祈念コンサートとしてブラームスのドイツレクイエム演奏会が岡山・盛岡・仙台・山形の4都市で行われ,そのうちの6日の盛岡と8日の仙台公演に参加する機会を得ました.

 1869年に初演されたドイツレクイエムはブラームスの出世作ともいえる作品です.レクイエムというのは本来カトリック教会において死者の安息を神に祈る典礼音楽で,モーツァルトやフォーレなどの作品がとりわけ有名です.しかしながらブラームスのドイツレクイエムはレクイエムと言う名称が付いているものの,カトリックのミサ固有文とは関係なく,ブラームス自身がドイツ語訳の聖書から歌詞を選んで作曲した作品となっています(恩師であるシューマンや自身の母親の死を契機に作曲したと言われる).

 素晴らしい作品ではあるんですが,その規模の大きさからなかなか演奏する(というか自分が演奏する側)機会がありませんでした(過去に1992年と2013年にピアノ版ではありますが演奏会に参加できる機会があったんですが所用のため参加できず).そんな名曲のしかもオケ版のコンサートに参加できるという,今後二度とないだろう機会に遭遇し,絶対に参加するという決意で取り組んでいた演奏会でした.

 合唱団の主体は東北ですが自分は神奈川在住ということで,練習面で不利ですが,そこはいろいろ工夫をして(時には夜行バスを駆使して)盛岡や仙台の練習に参加し,先日等々本番を迎えることになったのです.

Dsc_0840 Dsc_0852 左 盛岡公演のオケ合わせ(中央が指揮者のシェレンベルガー氏),右 仙台公演のリハーサル

 いやぁ,本当に涙が出てきました.一般にキリスト教の音楽とされるドイツレクイエムですが,その精神は一宗教の枠組みを超えた普遍的・人類的なものだと改めて感じました.

Dsc_0853  日程的には3月5日のお昼に盛岡入りして午後から練習,翌6日の本番を終えて新幹線でいったん小田原に戻り,7日は普通に仕事をして8日の朝に仙台へ,そのままリハーサル&本番を経て終演後速攻で小田原に戻るというかなりの強行日程だったんですが,それだけに充実度の高い数日間でした(自分的に今年の10大ニュースの上位に来ることは間違いない).

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年3月 6日 (日)

ニコラウス・アーノンクール死去

 昨日,盛岡での演奏会から帰宅する途中の新幹線内で,世界的なチェロ奏者であり指揮者でもあったニコラウス・アーノンクール氏死去のニュースを知りました.

 アーノンクール氏は1980年代以降一般的になったオリジナル楽器によるバッハやヘンデルの演奏形式の老舗のような人です.彼の手兵となるウィーン・コンツェントゥス・ムジクスが結成されたのは実に1953年のことです.当時はフルトベングラーやトスカニーニといった大指揮者による大規模オーケストラの全盛期で,バッハのマタイ受難曲ですらこうしたオケで演奏されていた時代です.古楽器による演奏なんて,地味すぎてだれも見向きもしなかった時代です.そんな頃からこうした演奏スタイルを貫いていたんでからすごいです(皮肉なことに,アーノンクール氏はこうしたスタイルの演奏がメジャーになったころからは逆にモダン楽器による演奏もするようになった).

Kyoto3 (写真) 2006年秋のアーノンクール氏来日コンサートにて

 自分が学生合唱団だった1985年の定期演奏会でバッハのカンタータ4番を取り上げたんですが,当時アーノンクール指揮(オケは先述のウィーン・コンツェントゥス・ムジクス,合唱はウィーン少年合唱団&ウィーン合唱隊)のCDを聴きながら仲間内でああでもないこうでもないと議論していたのを思い出します.

 アーノンクール氏は時差が嫌いなのか,1980年に初来日して以来,日本に来ることがありませんでした.しかし2005年に京都賞を受賞したことから2006年に26年ぶりの来日、その後2010年にも再々来日を行っています.自分は2006年に京都コンサートホールで開催された氏のヘンデルのメサイア公演に遠く岩手の県北から駆け付けたのが思い出です.

 アーノンクール氏の冥福を心からお祈りいたします.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年3月 4日 (金)

名探偵

 以前空き時間に昔の特撮番組を鑑賞していたんですが,最近は趣向が変わり黒澤明の映画や金田一耕助シリーズの映画などを見る機会が増えています.

 金田一耕助といえば,作家横溝正史氏が生み出した名探偵です.江戸川乱歩の明智小五郎や高木彬光の神津恭介とともに,日本の3大名探偵などとも呼ばれています.飄々とした風貌ともじゃもじゃの頭,よれよれの着物を着て難事件を解決する姿は登場以来非常に人気が高く,これまで数多くの映画やテレビドラマで取り上げられてきました.金田一耕助を演じた役者も市川崑監督作品に登場する石坂浩二やTBSの横溝正史シリーズの古谷一行がとりわけ有名ですが,1977年の八つ墓村での渥美清や1979年の悪魔が来りて笛を吹くでの西田敏行も味がありました(ちなみに石坂以前の映画などの金田一は原作にあるような服装ではなくスーツ姿が一般的だったそう).

 そんな金田一耕助,難事件を次々に解決するんだから名探偵なんだろうとは思うんですが,一方で違和感もあります.優れた探偵ならば,事件を解決して犯人をあげることはもちろんですが,事件を未然に防ぐことも大切ではと.まあ,警察なら事件が起こらなければ動かないのは仕方がないんですが,探偵ならば事件が起こる前(なんらかの予兆がある段階で)に依頼を受けるケースもあるわけで,こうした点で金田一耕助はどうなのかというわけです.

Gokumonto  たとえば金田一耕助の復員直後(彼は第二次大戦中ニューギニアに派遣されていた)のエピソードである獄門島の事件を例に挙げます(以下作品に関してのネタバレが含まれる可能性あり).この事件の依頼人は彼の戦友の鬼頭千万太でした.日本への引き上げ船の中で重病に侵されていた千万太は,自分が死ねば3人の妹に危険が迫ること,自分はもう助からないから自分の代わりに出身地の獄門島に行って妹たちを守ってくれと金田一に依頼したのです.

 こういういきさつですから金田一耕助の役割は千万太の妹たちのい周囲に起こるであろう陰謀を突き止め,その実行を未然に防ぐことなはずです.しかし結果はどうだったでしょう.事件は次々に発生し,千万太の妹たちは3人とも殺されてしまいました.最終的に犯人やトリックなどが判明し事件は解決すますが,鬼頭千万太の臨終の願いは結局かなえられませんでした.金田一は依頼を達成することはできなかったわけです.

 そのほか犬神家の一族や八つ墓村では,事件の阻止という依頼こそ受けてはいないものの,ほぼ事件の始まりからかかわっていながら,犯人の計画が行き着くところまで行きついてようやく解決が図られています.1976年映画版の犬神家の一族で最後の方に金田一が,「僕がもう少し早く糸口を捜しだしていれば,5人もの被害者をださなくてすんだのではないか…」と語る場面を見ると,彼自身もそういったことを自覚しているのではと思います.

 まあ,本当に事件が未然に阻止されてしまうようだと,探偵小説として成り立つのかという議論になるので已む得ないとはいえますが(そういえば,ドラゴンクエストやFFなどのRPGも主人公は任務に何度も失敗しながら進んでいく点で似ている).そんなことを考えた3月4日でした.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年3月 3日 (木)

気が付けば3月

 気が付いたら3月になっていました.昨日今日は天気も良く,うちの近所はすっかり春めいています(とはいえ,先月行った陸別町では今日も朝はマイナス20℃越えだったようですが ( ゚Д゚)).お昼に敷地内を散歩していたら,カラスが地上に降りて何かを貪り食っていました(カラスが地上にいる状態を見ることが少ない気がする).

Img_2135 (写真1) 地上に降りたカラス

 今月は自分にとって非常にイベントの多い月です.今週末からはいよいよ盛岡,仙台でドイツレクイエムの演奏会,その後11日には仙台で祈りのコンサート(モーツァルトのレクイエム)に参加します.そしてその翌週末の3連休には沖縄の八重山諸島に行ってくる予定です.そして,その1週間後には… 自分の年齢もついに大台に乗ります(知命ともいう).そんなことを考えた平成28年の桃の節句でした.

Img_2139  そういえば,岩手県久慈市のラーメンの名店,らーめん千草の御当店ラーメンが明星から発売されました.さっそく買ってみたのはいうまでもありません.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年2月 | トップページ | 2016年4月 »