少し間隔が空いてしまいましたが,しばれフェスティバル参加レポ完結編です.
(写真1) 午前0時半ついに大台に
イベントセンターを出ると,外は一段と冷えています.ステージの温度計を見ると,なんと!マイナス20℃,ついに大台に乗りました.周辺を見渡すと何となく大気に靄がかかったように見えます.この後は寒さと戦って朝までいかにして過ごすかという時間になります.我々はバルーンマンション広場でコンロを焚くことにしました.日中に帯広のホームセンターで購入した着火剤と炭をセットしてチャッカマンで着火,と意気込んだんですが…
チャッカマンが云とも寸ともいわない (;゚Д゚)
(写真2) 寒そうです
凍り付いたのか火花すら出ません! これではどうにもならないので隣の団体さんから火種を拝借し何とか着火にこぎつけたのでした(感謝).
で,食材等を保冷バッグから出すんですが
もちろん凍っていました.
(左写真3) ペットボトルも凍結,(右同4) 肉も凍結
肉類は当然としてミネラルウォーターのペットボトルもカッチンカッチンです(さすがにワインや焼酎は大丈夫でしたが).まずは豚鍋をセット,ミネラルウォーターは凍り付いて使い物にならないため,朝ホテルを出る際に沸かしたお湯を入れておいた象印の魔法瓶のお湯を使います.こんな寒環境に放置していたにも関わらず,中のお湯は熱いままでした(70℃はあった.さすがは象印! (^。^)).
(写真5) 温かい夜食を頂きます(右端に偉大な象印の魔法瓶が)
鍋が煮えるまでただ待ってるのも寂しいので,魔法瓶のお湯を使って焼酎のお湯割りをやることに.お湯は熱いんですが焼酎が冷え切っているため,割った段階で既にお風呂のお湯くらいの感じ,しかも外気のために一口飲むごとにどんどん冷たくなり,数分後には水割りになってしまいました(さらに20分くらい放置すればオンザロックになりそう).そんな環境でも炭火の火力はすごく,豚鍋さらにはガーリックステーキとスタミナの着きそうな夜食を頂きました(ステーキは網で直接焼くと後の掃除が大変なので豚鍋の使用後のアルミ鍋を流用).
ちなみにウチのKはしばれフェスティバルでお茶やアイスクリーム造りに挑戦したいと張り切っていたんですが,お茶立ての方はあまりの寒さに茶巾は凍るわ,お茶はシャーベットになりそうだわで散々な結果でした(笑).一方でアイスクリームの方は原材料をコンロで溶かして,出来上がったものをタッパーにいれてその辺に放置していたら勝手にアイスクリームに変化していました(笑).
(左写真6) アイス作り,(右同7) 勝手に出来上がります(笑)
その後も焼酎のお湯割りをチビチビやって時間をつぶします(お湯が不足してきたため会場内の水場で調達した水をコンロで沸かした.ちなみに炭が余ってもしょうがないので全部くべたため火力はかなりあった).そうこうしているうちにも気温はどんどん下がり周辺では,「今マイナス23℃になった」,「ついに24℃だ」と盛り上がっています.時計を見ると3時半過ぎ,この頃になるとコンロの炭も勢いがなくなってきます.
火の気がなくなって寒くなってきたので命の火にあたりに行くことにします.各種イベントをやっていた時間帯にはヴァルハラ城の炎上状態だった命の火もこの時間帯にはだいぶこじんまりとしています(行ったことはないんですが,中央アジア・トルクメニスタンの地獄の門みたいな光景).しかしそれでも火の力は偉大で,この温もりにほっとしました(防寒対策をしてきたこともあり寒さでガクガクふるえることはなかったんですが,足先が冷えたのがきつかった.一応足用ホッカイロは使ったのだが).人類の文明の起源をどこに置くかという議論で,火の使用をその起源とする説がありますが,いやホント,火の使用は動物としてのヒトが人間に進化する画期的な出来事だったんだろうと身をもって実感したのでした.
(写真8,9) 赤々と燃える命の火
ちなみに散々飲んできた身としてトイレにも行きたくなります.お祭りでは外に仮設トイレも用意されていましたが,午前0時の段階で洗浄水が凍結してしまい使い物にならなくなってしまったため,イベントセンター内のトイレを使用することになります.イベントセンターはどうしても寒さに耐えきれなくなったチャレンジャーが死ぬ前に駆け込む場所(しばれフェスティバルの駆け込み寺か)になっているんですが,トイレを使うために入ったら,すでに何人かの参加者が力尽き果てた感じでうずくまっていました(実行委員会側としても本当に死人が出るとお祭りの存続自体が不可能になるので,ちゃんとセーフティーネットは用意しています).
(写真10) ついにマイナス25℃
そんな状況の中で午前4時前,ついにマイナス25℃になりました! さすがにここまでくるとしばれ度はマックスで,命の火から離れるのが辛くなってきます.3時頃には少し火にあたって寝ようかと思ってたんですが,このまま寝ると本当に死んでしまうんじゃないかと不安になったのと,どうせ4時まで起きていたのだから,あと3時間頑張ればいいという思いからこのまま貫徹を決意したのでした(寒さのためか全然眠くなかった).やっぱり寒くなると火が恋しいというのは共通のようで,4時半ごろから徐々に命の火に人が集まり始めました.そうこうしているうちに周囲は白み始めます.ついに夜明けです(陸別町は日本標準時よりもかなり東にあるため冬でも夜明けは意外に早い).この頃ステージの温度計はこの日マックスのマイナス26℃を表示していました.
(写真11) 明け方人々が火に集まってきます
ここからの2時間くらいは寒さのあまり記憶があやふやなんですが,結局今にも燃え尽きそうな命の火の近くで過ごしていました.朝6時半に実行委員会の方がやってきて,「会場近くの河畔の温度計はマイナス29℃になってたから見て来たら」というので何人かで身に行ったりして最後の時間を過ごしました.そしてとうとう朝7時,人間耐寒テスト終了の時間となるのです.
イベントの最後となるラジオ体操,マイナス26℃という過酷な環境で音楽再生装置も不具合が発生,音楽が途切れがちになる中,生き残った参加者一同ラジオ体操を実施,こうして長~い夜が終わったのでした.
(左写真12) この日の最低気温表示,(右同13) ラジオ体操
終了後は認定証の交付です.これにはシリアルナンバーが振られているんですが,自分のは5715番でした.
その後は朝食の時間,昨日の申し込み順にバスで朝食会場(町役場)に移動します.極寒の環境から暖かい朝食会場に移動して緊張が緩んだのか,急に眠気と疲労に襲われます.朝食はビュッフェスタイルでいろいろと美味しそうなものが並んでいたんですが,サラダとカレーをちょっとしか食べられませんでした.
(左写真14) 認定証の授与,(右同15) 私の認定書
朝食後会場に戻り,昨夜のコンロなどの撤収,そして車に戻って力尽きたかのように休んだのでした.
こうして第35回しばれフェスティバル人間耐寒テストは無事終了しました.北海道生まれの北東北育ちの自分は寒い環境には慣れていると思ってたんですが,マイナス20℃越え一晩はさすがにきつかったです.真冬にフィンランドやアラスカ,カナダにオーロラ観察に行くような環境なんですが,オーロラ観察は別に一晩そこで過ごすわけではないので,あきらかにこちらの方が過酷でしょう.逆に言えば,これを耐えられた自分はオーロラ観察は楽勝だなと妙な自身も湧いてきます.そんな感想を抱いたイベントでした(終わった直後はもういいかなと思ったんですが,あれから1週間たってまた参加したいなと心境が変化しているのでした 笑).
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