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2016年2月29日 (月)

ロッシーニの56回目の誕生日

 今日はほぼ4年に一度の2月29日である.ほぼというのは,うるう年は西暦で4で割り切れる年に設定されるのが原則だが,一方で100で割り切れる年には設定しないことになっているためである(ただし400で割り切れる年には設定される.これがため西暦2000年はうるう年だった).

 4年に1回しかないとはいえ,この日に生まれる人もいるわけで当然誕生日が2月29日という人が存在する.子供の頃は2月29日生まれの人は4年に1回しか年を取らないのかなどと思っていたのだが,法的には3月1日として処理するらしい.

 さて,そんな2月29日生まれの有名人として作曲家のG. ロッシーニがいる(1792年2月29日生まれ).歌劇「セビリアの理髪師」,「チェネレントラ(シンデレラ)」,「ウイリアム・テル」などの作曲家として有名だ.彼はイタリア出身であるがヨーロッパ各地で活躍し,その作品は当時ヨーロッパ各国で大人気を博していた.それがために同時代の作曲家の妬みも買ったようで,あのベートーベンも友人にそのような愚痴をこぼしている.

 ロッシーニは76年の生涯の中で,作曲として活躍していたのは前半生のみで,37才のときに「ウイリアム・テル」を作曲すると,以後はオペラ作曲の筆を折り,残りの40年は食っちゃ寝の生活をしていたという羨ましい人生を送っている.尤もまったく作曲をしなかったわけではなく,私的にはいくつかの作品は遺している(私も好きな小ミサ・ソレムニス)は彼の晩年の作品である).

Rossini2 Rossini1 (左) 若き頃のロッシーニ,(右) 晩年のロッシーニ

 一方で彼は作曲が早かったことでも知られている.オペラの作曲というと時間がかかって大変そうというイメージは,後のヴェルディやワーグナー以降の話で,ロッシーニの時代にはウケるオペラをいかに早く書くかが大事だったのである(今でいえば流行作家か).あの名作「セビリアの理髪師」ですらロッシーニはわずか3週間で書き上げている.ただ,上には上がいるもので,ある人がそのことを同時代の作曲家ドニゼッティ(「ランンメルモールのルチア」や「愛の妙薬」で有名な作曲家)に言ったところ,「そりゃそうさ,それだけ彼は怠け者だってことだ」と答えたという(ドニゼッティもまた,筆が早い作曲家だった.そのためオーケストレーションが結構陳腐で,後にワーグナーに大きなギターと揶揄されている).

 結局1868年に滞在中のパリで亡くなったのだが,死因は大腸がんといわれている.今残されている彼の肖像画を見ると,恰幅がよく今風に言えばメタ ボリックシンドロームのようだ(高血圧や高脂血症もありそう).食生活と大腸がんは関連があるといわれており,彼の場合もそうだった可能性はある.ちなみに後半生のロッシーニはグルメに生きたのであるが,彼の名を冠した料理として「○○のロッシーニ風」というのがある.これはメイン素材にフォアグラとトリュフを付け合わせたもので,牛フィレ肉のロッシーニ風がとくに有名だが,それ以外の素材も存在する.

Img_6 Mukaka (左) 牛フィレのロッシーニ風,(右) イチジクのロッシーニ風

 そんな音楽と料理を思い出した2月29日だった.

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2016年2月21日 (日)

ウルトラマンスタンプその後

 さて,最近しばれフェスティバルの話題ばっかりになっていた当ブログですが,もちろんとっくに普通の日常に戻っています.日常といえば,JR東日本の陰謀企画(笑),帰って来たぞ!我らのウルトラマンスタンプラリーが1月12日から始まっていました.ウルトラマン好き,しかもこうした集める系に目のない私は,まんまとJRの陰謀に載せられ,今年もスタンプを集めるべく電車に乗り走り回っていました.

 で,先日とうとう全65駅を制覇しました \(^o^)/.

Img_2128 (写真1) めでたく全ページが埋まりました

 全駅制覇後はそのまま上野駅の入谷改札外の通路へ向かいます.そこにある特設会場で制覇証が手渡されることになっているからです(昨年は東京駅がゴールだったがなぜ変わったのかは不明).行ってみると結構行列ができています.顔ぶれはというと,小さい子供から自分よりも年上じゃないかというおっさん,さらには若い女性の姿もありウルトラマン人気の凄さを感じました.

Dsc_0824 (写真2) ゴールへの案内

 そこで係員にスタンプ帳を提示,確認を受けたのち最後のページに制覇スタンプが押されて完了です.制覇証は昨年と同様クレジットカードサイズのものでした(何となく金色っぽくて,昨年のよりも高級感が増した感じ 笑).

Dsc_0826 Dsc_0828 (左写真3) 行列ができています,(右同4) 記念写真

 昨年はウルトラQから新マンまでの4作品でしたが,今年はQが抜けてウルトラマンからタロウまでの5作品でした.ということはもし来年同様の企画が行われるとしたらいよいよレオの登場か! などと早くも来年への期待を抱かせてくれるのでした.

Dsc_0829(写真5) 制覇スタンプと今年の制覇証

Img_2131_2 (写真6) 去年の制覇証と並べてみます

 ちなみに期間中,10駅制覇した人に先着順でピンバッジをプレゼントという企画もあったんですが,一番最初の科学特捜隊以外はほぼ即日終了という大人気ぶりで,結局自分は科特隊以外は入手できませんでした(これも別に科特隊が人気がないということではなく,最初に10駅集めるというハードルがあったために捌けるのにちょっと時間がかかっただけである).

P1150291 (写真7) 唯一手に入れた科特隊のピンバッジ

 それはそうと,あれだけひとり一冊ですと言っているのに,今年も一人で何冊も抱えてスタンプ台を独占している悪いヤツが結構いたな.

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2016年2月17日 (水)

これから先は

 しばれフェスティバルネタも完結し,すでに日常に戻っています.とはいえ,これから先もイベントが目白押しの自分です.特に合唱関係では来月3つのステージがあります.まず3月6日と8日にはそれぞれ盛岡と仙台でブラームスのドイツレクイエムの全曲演奏会(ハンスイェルク・シェレンベルガー指揮,岡山フィル)が,続いて3月11日には仙台で第3回祈りのコンサート(モーツァルトのレクイエム)があります.なのでこの週は東北と小田原を何往復するのやら…

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 特にドイツレクイエムは演奏時間も長く難易度も高い作品,可能な限り暗譜で臨みたいんですが,記憶力が低下する年代に入っていることもあって苦戦中であります.その他,よそで取り組んでいる作品もあります.

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2016年2月15日 (月)

第35回しばれフェスティバルに参加しました④

 少し間隔が空いてしまいましたが,しばれフェスティバル参加レポ完結編です.

Dsc_0813 (写真1) 午前0時半ついに大台に

 イベントセンターを出ると,外は一段と冷えています.ステージの温度計を見ると,なんと!マイナス20℃,ついに大台に乗りました.周辺を見渡すと何となく大気に靄がかかったように見えます.この後は寒さと戦って朝までいかにして過ごすかという時間になります.我々はバルーンマンション広場でコンロを焚くことにしました.日中に帯広のホームセンターで購入した着火剤と炭をセットしてチャッカマンで着火,と意気込んだんですが…

 チャッカマンが云とも寸ともいわない (;゚Д゚)

P2070151 (写真2) 寒そうです

 凍り付いたのか火花すら出ません! これではどうにもならないので隣の団体さんから火種を拝借し何とか着火にこぎつけたのでした(感謝).

 で,食材等を保冷バッグから出すんですが

 もちろん凍っていました.

P2070147 P2070162 (左写真3) ペットボトルも凍結,(右同4) 肉も凍結

 肉類は当然としてミネラルウォーターのペットボトルもカッチンカッチンです(さすがにワインや焼酎は大丈夫でしたが).まずは豚鍋をセット,ミネラルウォーターは凍り付いて使い物にならないため,朝ホテルを出る際に沸かしたお湯を入れておいた象印の魔法瓶のお湯を使います.こんな寒環境に放置していたにも関わらず,中のお湯は熱いままでした(70℃はあった.さすがは象印! (^。^)).

P2070164 (写真5) 温かい夜食を頂きます(右端に偉大な象印の魔法瓶が)

 鍋が煮えるまでただ待ってるのも寂しいので,魔法瓶のお湯を使って焼酎のお湯割りをやることに.お湯は熱いんですが焼酎が冷え切っているため,割った段階で既にお風呂のお湯くらいの感じ,しかも外気のために一口飲むごとにどんどん冷たくなり,数分後には水割りになってしまいました(さらに20分くらい放置すればオンザロックになりそう).そんな環境でも炭火の火力はすごく,豚鍋さらにはガーリックステーキとスタミナの着きそうな夜食を頂きました(ステーキは網で直接焼くと後の掃除が大変なので豚鍋の使用後のアルミ鍋を流用).

 ちなみにウチのKはしばれフェスティバルでお茶やアイスクリーム造りに挑戦したいと張り切っていたんですが,お茶立ての方はあまりの寒さに茶巾は凍るわ,お茶はシャーベットになりそうだわで散々な結果でした(笑).一方でアイスクリームの方は原材料をコンロで溶かして,出来上がったものをタッパーにいれてその辺に放置していたら勝手にアイスクリームに変化していました(笑).

P2070150 P2130006 (左写真6) アイス作り,(右同7) 勝手に出来上がります(笑)

 その後も焼酎のお湯割りをチビチビやって時間をつぶします(お湯が不足してきたため会場内の水場で調達した水をコンロで沸かした.ちなみに炭が余ってもしょうがないので全部くべたため火力はかなりあった).そうこうしているうちにも気温はどんどん下がり周辺では,「今マイナス23℃になった」「ついに24℃だ」と盛り上がっています.時計を見ると3時半過ぎ,この頃になるとコンロの炭も勢いがなくなってきます.

 火の気がなくなって寒くなってきたので命の火にあたりに行くことにします.各種イベントをやっていた時間帯にはヴァルハラ城の炎上状態だった命の火もこの時間帯にはだいぶこじんまりとしています(行ったことはないんですが,中央アジア・トルクメニスタンの地獄の門みたいな光景).しかしそれでも火の力は偉大で,この温もりにほっとしました(防寒対策をしてきたこともあり寒さでガクガクふるえることはなかったんですが,足先が冷えたのがきつかった.一応足用ホッカイロは使ったのだが).人類の文明の起源をどこに置くかという議論で,火の使用をその起源とする説がありますが,いやホント,火の使用は動物としてのヒトが人間に進化する画期的な出来事だったんだろうと身をもって実感したのでした.

Dsc_0815 Dsc_0820 (写真8,9) 赤々と燃える命の火

 ちなみに散々飲んできた身としてトイレにも行きたくなります.お祭りでは外に仮設トイレも用意されていましたが,午前0時の段階で洗浄水が凍結してしまい使い物にならなくなってしまったため,イベントセンター内のトイレを使用することになります.イベントセンターはどうしても寒さに耐えきれなくなったチャレンジャーが死ぬ前に駆け込む場所(しばれフェスティバルの駆け込み寺か)になっているんですが,トイレを使うために入ったら,すでに何人かの参加者が力尽き果てた感じでうずくまっていました(実行委員会側としても本当に死人が出るとお祭りの存続自体が不可能になるので,ちゃんとセーフティーネットは用意しています).

P2070169_2 (写真10) ついにマイナス25℃

 そんな状況の中で午前4時前,ついにマイナス25℃になりました! さすがにここまでくるとしばれ度はマックスで,命の火から離れるのが辛くなってきます.3時頃には少し火にあたって寝ようかと思ってたんですが,このまま寝ると本当に死んでしまうんじゃないかと不安になったのと,どうせ4時まで起きていたのだから,あと3時間頑張ればいいという思いからこのまま貫徹を決意したのでした(寒さのためか全然眠くなかった).やっぱり寒くなると火が恋しいというのは共通のようで,4時半ごろから徐々に命の火に人が集まり始めました.そうこうしているうちに周囲は白み始めます.ついに夜明けです(陸別町は日本標準時よりもかなり東にあるため冬でも夜明けは意外に早い).この頃ステージの温度計はこの日マックスのマイナス26℃を表示していました.

P2070176 (写真11) 明け方人々が火に集まってきます

 ここからの2時間くらいは寒さのあまり記憶があやふやなんですが,結局今にも燃え尽きそうな命の火の近くで過ごしていました.朝6時半に実行委員会の方がやってきて,「会場近くの河畔の温度計はマイナス29℃になってたから見て来たら」というので何人かで身に行ったりして最後の時間を過ごしました.そしてとうとう朝7時,人間耐寒テスト終了の時間となるのです.

 イベントの最後となるラジオ体操,マイナス26℃という過酷な環境で音楽再生装置も不具合が発生,音楽が途切れがちになる中,生き残った参加者一同ラジオ体操を実施,こうして長~い夜が終わったのでした.

P2070187 P2070196 (左写真12) この日の最低気温表示,(右同13) ラジオ体操

 終了後は認定証の交付です.これにはシリアルナンバーが振られているんですが,自分のは5715番でした.

 その後は朝食の時間,昨日の申し込み順にバスで朝食会場(町役場)に移動します.極寒の環境から暖かい朝食会場に移動して緊張が緩んだのか,急に眠気と疲労に襲われます.朝食はビュッフェスタイルでいろいろと美味しそうなものが並んでいたんですが,サラダとカレーをちょっとしか食べられませんでした.

P2070197 P2100202 (左写真14) 認定証の授与,(右同15) 私の認定書

 朝食後会場に戻り,昨夜のコンロなどの撤収,そして車に戻って力尽きたかのように休んだのでした.

 こうして第35回しばれフェスティバル人間耐寒テストは無事終了しました.北海道生まれの北東北育ちの自分は寒い環境には慣れていると思ってたんですが,マイナス20℃越え一晩はさすがにきつかったです.真冬にフィンランドやアラスカ,カナダにオーロラ観察に行くような環境なんですが,オーロラ観察は別に一晩そこで過ごすわけではないので,あきらかにこちらの方が過酷でしょう.逆に言えば,これを耐えられた自分はオーロラ観察は楽勝だなと妙な自身も湧いてきます.そんな感想を抱いたイベントでした(終わった直後はもういいかなと思ったんですが,あれから1週間たってまた参加したいなと心境が変化しているのでした 笑).

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2016年2月10日 (水)

第35回しばれフェスティバルに参加しました③

 フルーティーのライブが終わると,続いてはよしもとお笑いショーの時間となります.この日は特に裸芸で有名なとにかく明るい安村さんがやって来るとのことで,この頃から会場の人出が一気に増えた感じです.ステージ前はもちろん,例のしばれスタンドもびっしりで,途中飲み食いで抜け出していた自分たちは結局命の火のそばから見ることになりました.

P2060084 (写真1) 燃え上がる命の火(落城みたいです)

 この時間帯の命の火は石垣のように積み上げられた薪全体が燃え上がっていて,ワーグナーの神々の黄昏の終幕,燃え上がるヴァルハラ城という感じでした(大阪城落城でも吉原炎上でもいいんですが 笑)

 ゴールデンルーズさん,シューリンガンさんのコントが終わって,いよいよ安村さんの登場,ステージの温度計は氷点下13℃,さあ!

P2060087 (写真2) とにかく明るい安村さんのネタ(マイナス14℃!!)

ホントに裸で出てきた… プ,プロだ ( ゚Д゚)

 いつものパン一スタイルで登場(もっとも足はスノーブーツを履いていた.そりゃそうだ,こんな環境で裸足で10分も歩き回ったら凍傷率100%だ),さすがに寒いのか最初ろれつが回っていない感じでした.けれどもさすがプロ,それでも何事もないかのようにいつもの芸を披露して会場は大いに盛り上がったのでした(いろんな意味で).ちなみに彼,この前後に札幌と旭川でも出演があったらしいんですが,この日の陸別が最寒だったろうことは疑いありません.

 お笑いショーの終了後,20時30分からクライマックスの花火大会,通称しばれ花火となります.冬の陸別は晴天が多く,空気も澄んでいてきれいです(なのでここには天文台があるし,放射冷却が起こってムチャクチャ寒くなる).そんな澄んだ夜空に上がる2000発もの花火,一般には夏の風物詩といわれる花火ですが,やっぱりここでは冬が似合うと感じました.

P2060125 Dsc_0805 (写真3, 4) しばれ花火,大輪の花

 しばれ花火をもってこの日の一般者向けのイベントは終了,多くの人たちは続々と帰宅し始めます.ただ,元々道路事情が良い地域ではないこともあって,この時町外に向かって10キロもの渋滞が発生していたそうです(この日は雪もなく,しかもこの辺りは信号もあまりないのにそんな渋滞が発生するとは… と驚きました).

Dsc_0811 (写真5) いよいよ人間耐寒テストの開始

 一般の来場者が帰っていくのと同時に,ここからはしばれフェスティバルの神髄ともいうべき人間耐寒テストの開幕となります.21時にチャレンジャー一同ステージ前に集合,ここでこれからの注意事項の伝達があります.それによると22時にイベントセンター(夕方に受付をした建物)で確認シールをもらうことが強調されていました.これは過去に夕方受付だけ済ませて町に行って温かいところで一晩過ごし,翌朝会場に顔を出してちゃっかり認定証だけ貰おうという不届きモノ(笑)がいたことへの対策なんだそうです.ずるいヤツはどこにでもいるんだなと思いました.さらには23時からチャレンジャー専用企画としてタオル早回し選手権(濡れタオルを振り回していかに早く凍らせるか競うイベント)とカラオケ大会があること,明日の朝7時にここでラジオ体操をしてその後認定証の授与があること,ラジオ体操については,こんな極寒の地でこれだけの人数でラジオ体操をするのは世界記録だと某書籍に認定してもらう企画も兼ねているのでぜひ参加してくださいとのことでした.

 注意事項の伝達が終わるととりあえずは解散です.バルーンマンション広場に戻ってそろそろコンロを使おうかとも思ってたんですが,22時にイベントセンターに行かなければならないので断念です(まさか火を燃やした状態で放置するわけにもいかない).仕方がないので22時までやっている露店を巡って飲み食いしようとそちらに向かいます.が,閉店前ということで食べ物は軒並み終了(泣),仕方ないので熱燗を買ってチビチビやっていました.

 そんなこんなで22時になり,イベントセンターに向かいます.受付で確認シールをもらうと係員が「これからここでカラオケ大会があるのでどうですか?」と誘ってきます.自分的にはタオル早回しの方に惹かれていたんですが,Kがカラオケ大会に出たいというのでそのまま自分もそちらに登録してしまいました(笑).

 カラオケ大会はイベントセンター内の大広間(?)で開催されます.ここは屋内ということで,当然あったかい !(^^)! 外の寒さとは別世界です.こんなところでぬくぬくしていていいんだろうかと罪悪感を感じるんですが,これもしばれフェスティバルの公式イベントなのだから問題なかろうとゆっくり寛ぐことに.そのうちに参加者が三々五々集まってきていよいよカラオケ大会の開幕です.

P2060146 (写真6) カラオケ大会

 大会のルールは参加者が4チームに分かれて各チーム3人ずつ歌い,カラオケ機の採点による合計点が高いチームが優勝というものです.ですから参加しても全員が歌う必要はないということで,Kが歌って自分は応援する側に回ることにしました.

 いよいよ歌の始まり,参加者は若い人が多かったんですが,なぜかみんな結構古い歌を歌っています.ちなみにカラオケ機の採点で司会者が決めた基準点以下の人は辛し入りシュークリームを食べるという罰ゲームも用意されていました.

Img_2121 (写真7) カラオケ大会でもらったお酒

 で,カラオケ大会の結果なんですが,我々のチームが優勝! しかもウチのKが最高得点というおまけ付きでした.優勝チームの商品はしばれフェスティバルの一般には配らないバッジ,最高得点の商品は日本酒一升(とその辺からかき集めてきたようなおつまみ 笑)という酒好きにはたまらないものでした (^^)v.時計を見るとすでに午前0時を過ぎています.実は2時間もこんなぬくぬくしたところにいた計算になります.はたして再び極寒の世界に戻れるのか?と不安になりながらイベントセンターを後にしたのでした.

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2016年2月 9日 (火)

第35回しばれフェスティバルに参加しました②

 装備を完了するといよいよしばれフェスティバルの会場に移動します.会場はすでにたくさんの人や車で賑わっていました.まずは耐寒テスト参加者荷物下ろし用臨時駐車場へ.耐寒テスト参加者(以下チャレンジャー)はマットやシュラフなどの装備品を持参するなど荷物が多い(ハズ)ので,まずはここで荷物を降ろしてから専用駐車場に移動という趣向です.自分も各種アイテムを降ろしてからまずは会場にある唯一の建物であるイベントセンター内の受付へ.ここで名前を告げてゼッケン等を受け取るとともに認定バッジにプリントするための写真撮影を行います.ちなみに私は40番,Kが41番でした.その後専用駐車場に車を移動させました(会場からちょっと登ったところになって,移動は結構疲れます).

P2060026P2060035 (左写真1) バルーンマンション群,(右同2) 完全防備(どこかの原理主義者ではありません)

 車の移動後今度は自分の荷物をバルーンマンションに移動させます.このバルーンマンションがしばれフェスティバルの名物物件で,お祭りの1か月前から実行委員会の方々が苦心して建てた傑作です.これは当地の寒さがあればこそ成立するもので,極寒の夜に巨大な風船を空気で膨らませ,それにひたすら水をかける.すると風船に着いた水が次々に凍って氷のドームが出来上がる.最後に最初の風船を抜いて完成というものです.この日までに100基のバルーンマンションが建てられていました.ここが参加者の宿泊所となるわけです.

 我々に当てられたバルーンマンションは32番,大人がようやく入れるくらいの入り口から入ると内部には段ボールが敷かれていました(これだけだと地面からの冷えが厳しいのでウレタンマットを敷く.ちなみに広さは大人4人がギリギリ寝られる程度).各種アイテムをバルーンマンション内に収納していよいよ活動開始です.

Shibaremap (写真3) 会場マップ

 まずは会場を一回り(会場図参照),中央には城郭の石垣のように積み上げた薪の山が設置されています.これが命の火と呼ばれる巨大ファイヤーストームで,このお祭りのシンボルであるとともに,真夜中にチャレンジャーの体を温めてくれる暖炉となります.その北側にはお祭り中各種イベントが行われる特設ステージが設けられていました.ステージ脇にはデジタル式に時刻と温度を表示する電光板設置されています.

P2060029 P2060028 (左写真4) 点火前の命の火,(右同5) しめ縄と命の火の文字が

Dsc_0759 (写真6) 午後4時32分のステージ

 ちなみに4時35分段階での気温はマイナス5℃,関東であれば非常に寒い部類ですが,防寒装備バッチリの陸別ではたいしたことはありません(実際にそう感じた).命の火とステージの間には雪を固めて造った階段状の特設スタンド(しばれスタンド)があります.ちょっと登ってみましたが,一番上に立つとステージがよく見えます(劇場の2階席最前列といった感じ).その周辺には各種食べ物や飲み物を売っている露店やジャンボ滑り台,ジャンボパチンコといった遊び場,雪像,そして極寒の中露天ぶろを楽しもうというしばれ湯もあります.

Dsc_0762 P2060037 (左写真7) しばれ湯,(右同8) しばれ君とつららちゃんの雪像

 会場の散策を終えて一旦バルーンマンションの方に戻ります.バルーンマンションは100%氷のドームなので,内部での火の使用は厳禁です.ただマンション群の中央に広場があり,そこでバーベキューなどを楽しむことはできます.もうすでに大勢の人が持ち込んだ機材で宴会を始めていました(笑).我々もとりあえず場所だけを確保して小型のバーベキューコンロと簡易椅子,炭箱に食材の入った保冷バッグを置いておきました(実際に火を使うのはもっと後の時間).ちなみにこうして早々と宴会を始めているのは地元参加の常連さんが多いようです.

P2060078 P2060052 (左写真9) バルーンマンション内部,(右同10) 早くも宴会が(笑)

 そうこうしているうちにお祭り開始時刻である午後6時が近づいてきました.我々はさっきチェックしたしばれスタンドの最上段に登って開始を待ちます.まずは5時55分ごろにプレイベントとして,スポンサーにもなっているパナソニックの寒冷地エアコン物語を上映,これはマイナス25℃の陸別でもエアコンのみで暖が取れる強力なエアコンを作ろうというプロジェクトが完成するまでの軌跡を描いたものでした.そしていよいよ6時,第35回しばれフェスティバルの開幕です.ステージ上で司会の女性が高らかに開会を宣言,続いて実行委員長さんを始め町長やら国会議員やら道議会議員やら10人以上の来賓の登場です.みなさん登場と同時にステージ上に用意された臼で3回餅をついて並ぶという趣向でした(ここでパフォーマンスをする人も).そして来賓のあいさつ,実行委員長や町長はともかくその後も順々に挨拶が続きます.

「ま,まさか全員が挨拶するんじゃ ( ゚Д゚)」

と不安が頭をよぎったんですが(笑),さすがに全員ではありませんでした(このセレモニー時の気温がマイナス10~11℃).

P2060063 P2060064 (左写真11) 来賓による餅つき,(右同12) オープニングセレモニー

 そんなあいさつの後,引き続き命の火の点火式になります.後方から陸別町のマスコットしばれ君が松明をもって登場,その火を受け取った来賓の方々がに点火,すると一気に巨大な炎が上がります.いよいよ祭が始まったなと気持ちが大いに昂る瞬間でした.

0shibare (写真13) 命の火が燃え上がる

 点火式の後は地元の小学生による太鼓やよさこい,札幌を拠点に活動しているローカルアイドル”フルーティー”のライブと続いていきます.フルーティーの人たち,さすがに上半身はダウンジャケットでしたが,下半身はほぼ生足の子も… 大丈夫か!と余計な心配をしてしまいました(ステージ前中央にはファンと思しき一団が盛り上がっていた).

P2060080_2 (写真14) フルーティーのライブ

 一方で自分はというと,提供企業による久保田のお酒が無料で振る舞われるブースに行ったり,露店で豚汁や熱燗を買って飲み食いしてました(キンキンに冷えた久保田の萬壽が美味しかった).

P2060042 P2060047 (左写真15) 久保田の振る舞い酒(キンキンに冷えていた 笑),(右同16) 露店

 お祭りはこの後さらに盛り上がっていきます.

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2016年2月 8日 (月)

第35回しばれフェスティバルに参加しました①

 かねて予告していた通り,この週末北海道の陸別町にウチのKともども行ってきました.目的はもちろん,第35回しばれフェスティバルのメインイベント,人間耐寒テストに参加するためです.自分にとって2016年最初のビッグイベントということになります.テスト参加者(チャレンジャー)の受付は2月6日の15時から17時ということで,当時朝に北海道入りしても十分間に合う日程でした.しかし,長くて厳しい夜を乗り切るためには事前の休息が重要だろうということで,前日の夜北海道入りして英気を養うことにしました.

Dsc_0749_2 (写真1) 海外に行く感じです

 2月4日は2時過ぎに仕事を切り上げてそのまま羽田に向かいます.到着後事前に発送しておいたスーツケースを受け取り,そのままチェックインカウンターに向かいます.スーツケースは海外旅行に使うサイズのもの,なんでそんなに物々しいのかという声が聞こえてきそうですが(笑),今回は防寒装備が必須のため,冬用のシュラフにウレタンマット,夜に時間つぶしをするためのバーベキューコンロなどを持っていくためなのです(特にウレタンマットが嵩張る).

Dsc_0747 (写真2) 岩国のシロヘビ

 チェックインカウンターに行こうとしたら,山口県岩国市の特設ブースが開設されています.どうやら今回羽田-岩国の便が増発されるということでの観光PRのようで,名物(?)のシロヘビも来ていました.これから日本最寒の地に行こうという矢先に温かい岩国の話題,ちょっと不思議な気分でした.

 その後チェックインを済ませてセキュリティの中へ,この日の利用は帯広空港便です.陸別に行く際は女満別空港からの方がアクセスは短いんですが,実は旅行代金が帯広空港版の方が安かったという単純な理由からです.17時ちょうどに出発,飛行機はエアドゥとANAの共同運航便でした(機体はエアドゥ).途中ちょっと揺れながらも順調に飛んで予定よりも5分ほど早く帯広空港に到着,飛行機から外に出た瞬間ヒンヤリとした空気がやってきます.関東とは明らかに違う空気ですが,予想していたほどの寒さではありませんでした(マイナス3℃だった模様).ターミナルに入って預け荷物を受け取って外に出ます.市内へはバスで移動となるためバス停へ.市内へのバスは帯広駅直行便と市内の主要ホテルを回る便があるんですが,今回自分たちが宿泊するホテルにもバスが停まるということで後者に乗りました.

P2050003 (写真3) 真冬の帯広市内

 空港を出ると一面の銀世界,広大な十勝平野とところどころに木々が一列に並んで立っているいかにもな光景が広がっていました.畑部分は雪ですが路面は乾燥していたためバス走りは順調でほぼ予定通りに市内に入っていきました.ホテルにチェックインした後部屋に荷物を置いて夕食に繰り出します.この日は近くにあった十勝ダイニング ふる屋さんに入りました.ちょっとおしゃれな感じの居酒屋さんです.寒い夜は熱燗に限るというわけで,一杯目からさっそく熱燗,料理は魚,肉,野菜とバリエーション豊富でした(特に十勝ビーフの箱舟蒸しが美味でした).

P2050002Dsc_0755(左写真4) ふる屋のカウンター,(右同5) 十勝ビーフの箱舟蒸し

 で,翌日の2月6日朝はゆっくり活動開始,ホテルで朝食摂ってチェックアウトギリギリの10時にホテルを出ました.そのまま駅前のニッポンレンタカーで車を借りて出発です(今回は雪でも大丈夫なように4WDを調達).まずは郊外のホームセンターへ.目的は炭や着火剤,チャッカマンの調達,これらは航空機に持ち込み&預けができないため現地で調達するしか方法がありません.炭は余ってもしょうがない(家に持ち帰る手段がない)ので3キロ入りを1箱購入しました.その次はスーパーに行って肉や鍋セット(土鍋を準備しているわけではないのでアルミ製の出来合い品),焼酎やワインなどの食料品を購入です.これらは準備していた保冷バッグに入れておきます.

Img_2118 (写真6) しほろ牛のステーキ

 買い物が終わるといよいよ陸別に向かいます.往路は帯広から北上して音更町,士幌町を経て上士幌町から東進,足寄町から再度北上する241号&242号線ルートです.途中士幌町で昼食,これから始まる長くて厳しい夜を耐え抜くために,地元のしほろ牛のステーキを食べて気合を入れました.

 この日の十勝地方は朝から快晴,周辺にはたくさんの雪があるものの道路は乾燥していて非常に走り易かったです.途中川が凍結しているところもあったりと,本州以南とは全く違う北海道の冬景色が広がっていました.

P2060017 (写真7) 凍てつく川

 そんなこんなで順調に陸別に到着,まずは道の駅の駐車場でこれからのための装備一式を着こみます(自分の場合,化繊,ウール,ヒートテックの下着からセーター,フリースジャケット,インナーダウン,ヤッケ,一番外側にボロのカシミヤコートまで計10枚の重ね着となりました(笑 ボトムスも5枚重ね着プラスレッグウォーマー).事前に実行委員会の方からも徹底的な防寒対策をと言われていたからです(おかげでメーカーはモンベル,ナンガ,ミズノからユニクロまで脈絡がありませんでしたが).その後いよいよ会場に移動となるのです.

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2016年2月 5日 (金)

立春が過ぎて

 昨日は立春でした.暦の上では春ということですが,もちろん四季はデジタルに進むものではありませんから,この日から急に春になるわけではありません.簡単に言えば,日々気温が下がっていく傾向から,今度は日々気温が上昇していく傾向に切り替わる日(数学の世界でいえば変曲点?)ということになります.すなわち,この辺を底に気温が徐々に上がり始める日ということですから,実をいうとこの立春の頃が一年で最も寒い時期ということもいえます.

 そんな立春の翌日は当地は朝から快晴のポカポカ陽気です(気温はわかりませんが自分にはそう感じる).道端には花が咲き始めるなど,まさに春を予感させるのでした.

Dsc_0746_2  で,今日はこれから春まだ遠い北海道の十勝地方に繰り出すのでした(別世界なんだろうな 笑).

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2016年2月 3日 (水)

第19回ひの新選組まつり

 今日は節分です.かつては節分=豆まきの印象しかなかったんですが,近年は上方起源の恵方巻の習慣なんかも広まっていていろいろ賑やかな一日となっています(自分自身は太巻きがあんまり好きじゃないのでやりません.納豆巻やお新香巻なら大歓迎ですが 笑).

 さて,数日前日野市観光協会公式ツイッターがつぶやいていたんですが,第19回ひの新選組まつりパレードの隊士募集が始まったようです.

 「第19回ひの新選組まつり」新選組隊士パレード参加者募集

 これによると今年の日程は5月7~8日の2日間で,パレードが2日目の8日に隊士コンテストが初日の7日に行われるようです.実は今年の日程は5月14~15日だとばっかり思っていて,今年は5月14日に行われる高校の同窓会の幹事もやっているので正直参加は厳しいのかなと思っていました(その日は夜遅くまで宴会だろうし,翌日はヘロヘロになっていることが確実).

 が,日程が予想よりも1週間早いということで,もしかしたら参加できるんじゃないか!とかすかな希望が湧いてきたわけです.とはいえゴールデンウィーク直後ということもあり,業務との兼ね合い(翌週の土日を完全フリーにしておかなければならないため,この週末は当直が入る恐れがある)もあってどうなるかまだ断定できませんが,なんとかパレードだけでも参加したいなと思っています.

 それにしても自分が初参加したのが2006年の第9回,あれからもう10年になるのかと思うと感慨深いものがあります(当時一緒に参加していた知人の多くが去ってしまったため余計にそう感じます.その辺は函館時代の土方歳三がこんな心境だったのだろうかなどと勝手に思ったのでした).

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2016年2月 1日 (月)

2月になりました

 今日から2月,この前新年を迎えたと思ったらもう1ヶ月経ってしまいました.時間の流れは早いです.3日後の2月4日はもう立春で,暦の上では春になるわけですが,現実にはこれから10日くらいが1年で一番寒い季節となります(先日から話題に出している陸別町のしばれフェスティバルもこの時期だし).

 そんな2月初日に先立つ1月最後の日(1月31日)は所属する合唱団の強化練のために盛岡に行ってきました.途中の東京駅が暖かい陽気だったのでどうなんだろうと思っていたら,途中の宇都宮から福島周辺までは一面銀世界でした.ただその後仙台あたりから雪が消え,盛岡も街中にはあまり雪がありませんでした.気温も予想していたよりかは温く感じました(まあ,来週しばれフェスティバルに参加しようとしている人間が,この程度で寒いなどと言っててはお話にならないわけですが 笑).

 で,練習が終わって駅ビルを散策していたらこんなものを見つけました.

Img_2115  岩手県久慈市のラーメンの名店,らーめん千草です.

自分の前任地が久慈市だったこともあって,よく食べに行ったのを思い出します.ここのラーメンは鶏スープなので,スープが見た目よりか濃厚なのが特徴です.新横浜のラーメン博物館にも出店していた時代もあって,そこにも行ったことがあります.

Img_2113  そんな千草のお土産バージョンということで,懐かしさのあまり購入しました.そして朝から曇り空で寒~い今日のお昼にさっそくいただいたのでした.鶏の濃厚スープは健在でした(この日は鶏ついでに唐揚げをトッピング 笑).

Chigusa2 Chigusa1 (左) 岩手県久慈市のらーめん千草,(右) ここで自分が一番好きだったねぎきのこラーメン

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