フランス革命記念日
今日7月14日はフランスの革命記念日です.1789年のこの日,当時政治犯が収容されていたとされているバスチーユ監獄を市民が襲撃,これがきっかけとなって,全国に暴動が波及し,フランス革命が起こったのです.
ただ当初はルイ16世をはじめとする王侯貴族も,革命を起こした市民側もまだそれほどの大事件とは認識していなかったようです.革命のきっかけも,国家財政が厳しいにも関わらず,特権から納税を免れていた第一身分(僧侶)や第二身分(貴族)にも課税したい王室と,既得権益を守りたい彼らとの対立に,物価上昇に苦しむ第三身分(平民)の不満が絡んだものでした.
革命の前夜祭的イベントとなった三部会の召集も,特権階級に課税したいルイ16世に対して,課税の問題は三部会で話し 合うべきだという第一第二身分側の要求で始まっています.しかし三部会は議決方法をどうするかで揉め(第三身分は全体での多数決を,第一第二身分は身分別の議決を要求した),結果第三身分が中心になって国民議会が結成されることになります(この時有名なテニスコートの誓いが発せられた).
したがってこの段階では誰も王制の廃止までは考えていなかったはずで,せいぜい特権階級への課税によって庶民の負担を軽減させ,議会と憲法を作って国王の権力を制限するあたりに落とし処を持っていこうという感じだったと思われます.平民代表といってもその中心はある程度の教育を受け,財産もあるブルジョワジーでした.
しかし,1790年6月のヴァレンヌ事件(国王一家が外国に逃亡しようとして失敗した事件)や諸外国からの干渉戦争(当時多くの貴族が国外に亡命しており,外国の武力を利用して革命をひっくり返そうと画策していた)が起こると革命は過激化していきます.議会にとってヴァ レンヌ事件は国王の裏切り行為と映り,一方で外国との戦争の最前線に立って活躍した貧しい一般市民の発言力が急激に増していったからです.
1782年8月10日に国王一家は捕えられてタンブル塔に幽閉され,王権は停止されます.このころから議会ではジャコバン派といわれる急進派が主導権を握るようになり,1793年1月ついに議会(国民公会)は国王ルイ16世の処刑を議決するに至ります.その後フランスはジャコバン派ロベスピエールの独裁による恐怖政治,その反動(テルミドールの反動)による彼らの失脚,ナポレオンの台頭から帝政へと激動の時代を歩んでいくのです.
フランス革命の歴史的評価は様々で,ソ連のスターリンやカンボジアのポルポト派の独裁・圧政のひな型になったのがフランス革命であることからネガティブなイメージもありますが,文化的には現在も使われているメートル法の採用などプラスの評価もあっていまだ議論が続いています.
ちなみにこのフランス革命記念日,日本ではある一定世代以上の人間には巴里祭の名でも知られていますが,これはルネ・クレール監督の映画「Quatorze Juillet」の邦題からくるものです(原題を直訳するとそのままズバリ7月14日となります).ですからこの時期に現地に行ってフランス人に ”fete de la france” とか言っても全く通用しませんので念のため(笑).
写真は恐怖政治時代にギロチン台が置かれていたコンコルド広場(当時は革命広場)です.左が1991年,右が2008年訪問時です(後方の建物がホテル・クリヨン)
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