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2015年7月31日 (金)

立山・黒部旅行1

 例年7月の三連休は自分の父親の命日と重なることもあって,お墓参りもかねて帰省しています.でもって,その流れで母親や妹を連れてどこかに出かけるのが定番になっています.以前は近場の温泉というのがパターンだったんですが,向こうがそれでは物足りないと思い始めたのか(笑),昨年は4泊5日の北海道旅行になりました.札幌から自分の出生地である道北の名寄市,さらには日本最北の稚内まで繰り出しました.

 で,今年なんですが,妹の方からリクエストのあった立山・黒部に行くことにしました.全国主だった観光地はかなりの割合で行ったことのある私ですが,実はその地域はまだ未訪だったりします(北アルプスでは,上高地や乗鞍,白馬には行ったことはありますが).

 昨年は三連休を丸々使ったんですが,今年は初日の7月18日が当直になっているため,帰省は7月19日の日曜日になりました.しかもこの日は偶然,盛岡の合唱団の強化練習! 一石二鳥というわけです.休みは消化の予定がない夏季休暇を使用することに.例年夏は長めの海外旅行が定番ですが,今年は9月に医師会合唱団のオーストラリア公演があるために個人的な海外旅行は予定なしだからです.

Dsc_0008 (写真1) 一風亭の担々麺

 8時半に申し送りを済ませてそのまま最寄駅から電車に乗ります.小田原からは東海道新幹線,東京からは東北新幹線のはやぶさ号に乗り換えて,盛岡到着は11時40分過ぎでした.迎えに来ていた母親の車に乗って市内へ.まずは定番の一風亭の担々麺から(笑).

 その後お墓参りを済ませ,自宅で少し休んでから練習会場に向かいました.現在合唱団では来年3月のコンサートに向けて,ブラームスのドイツレクイエムに取り組んでいるんですが,この日も濃厚な練習となりました.

Dsc_0297 (写真2) 山田町のゆるキャラ「やまだちゃん」

 練習後はそのまま盛岡駅に向かいます.駅ではちょうど沿岸の山田町のフェアをやっていて,当地のゆるキャラ「やまだちゃん」が来ていました.駅で母親や妹と合流し,18時15分発のはやぶさで一路南へ.大宮で北陸新幹線かがやき号に乗り換えて,富山に入ったのでした.

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2015年7月26日 (日)

幽霊の日

 今日7月26日は幽霊の日なんだそうです.これはゴロ合わせの類ではなく,文政八年(1825年)のこの日に江戸の中村座で「東海道四谷怪談」が初演されたことにちなむとか.日本の古典的怪談の代名詞的存在である同作品であれば納得できる話です.

9784591071458  日本の古典的な怪談としてはこの東海道四谷怪談の他に,番町皿屋敷,牡丹灯籠,置いてけ堀などが知られています.かつては夏になるとテレビで怪奇特集みたいな特番が組まれていました(丹波哲郎さんの大霊界や,日テレ系のあなたの知らない世界).学校の夏休み期間と重なることもあって,小学校高学年の頃などこの手の番組を楽しみにしていたものです(半分恐れながら 笑).

 怖いイベントと言えば,何人かで夜中に集まって100本のろうそくを立て,一人ずつ怖い話をしていき,話が終わるたびに1本ずつろうそくの灯を消していくという百物語にあこがれていました.最後のろうそくが消えたときに何かが起こる… という怖さ満点のイベントですが,やってもいいという人が集まらなかったため実現できないまま今に至っています.

Osorezan3 (写真) 昼間の恐山境内(1986年ごろ)

 一方で怖いイベントの定番である肝試し.こちらは学生時代に仲間と青森県下北半島の恐山に繰り出し,夜の境内を散策するという企画をやったことがあります.なにか出て来たら本物というわけで,準備不要の肝試しです(笑).

 そんな7月26日は7月で唯一何の予定もない日曜日でした.天気がいいのでどこかに行こうかとも思ったんですが,各地で猛暑日というウワサを聞いて家でおとなしくしてようと思ったのでした.

 ただ夕方には気温も下がってきたため,夏バテ防止に栄養をつけようということで,箱根湯本の焼肉屋さんに繰り出しました.

Dsc_0357_480x270_2 Dsc_0358_480x270_2  たまの焼肉もいいものです \(^o^)/.

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2015年7月25日 (土)

暑い日が…

 一週間ぶりの更新になりました.今週初めに関東地方も梅雨が明けて,連日暑い日が続いています.昔は暑い日というと真夏日(最高気温が30℃以上)だったんですが,近年は都市かと温暖化の影響なのか,真夏日になる日自体が増える傾向にあり,2007年からはさらに上位ランク(?)として猛暑日(最高気温が35℃以上)が設定されています.ここ数日は各地で猛暑日になっており,熱中症で搬送される人もいるようです.

 さて,先週木曜日にオペラ鑑賞に繰り出した後2日連続で泊り業務をこなし,その後7月19日から22日までは家を留守にしていました.所属する合唱団の強化練習と毎年7月恒例の家族旅行のためです.昨年は北海道だったんですが,今年は北アルプスの立山・黒部方面に出かけました.山岳観光は天気が重要となりますが,「晴れ男の自分が出かけるのに雨が降るはずがない!」と強く念じたせいか,期間中良いお天気でした.この記録は後日アップいたします.

 で,7月23日から仕事に戻っているんですが,昨日の夕方医局に郵便物が届いていました.何だろうと思ってみたら,6月に受験して合格していた日本旅行医学会の認定証でした.

Dsc_0353_600x450  旅行医学とは人の移動に関連する医学のことで,具体的には乗り物に関連する疾患,高山病や潜水病など環境に関連する疾患,地域の感染症などが含まれます.

 旅行好きな自分にとって,まさに自分のためにあるような学会ですが,これまでは本来の専門の勉強をメインにしなければならない立場だったんですが,近年ようやくそれ以外にも力を入れられる環境になったというわけで今年受験した次第です.

 せっかく勉強し始めた分野なので,地域の人達に啓蒙できるようになっていきたいものです.

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2015年7月17日 (金)

宮本亜門の魔笛

Img055  台風11号が接近していた昨日の7月16日,上野の東京文化会館で初日を迎えた東京二期会のオペラ公演に行ってきました.演目はW. A. モーツァルトの魔笛,定番すぎるくらい定番の作品です.我が家でも大好きな演目なので,これまで内外併せていったい何回の公演を見たか数えるのも困難なほどです.

 で,そんな魔笛ですが,今回注目していたのは,これが2013年にオーストリアのリンツ州立劇場で発表され好評を博したという,宮本亜門さん演出による魔笛の日本初舞台だったからです.

 魔笛は元々異国情緒のあふれた作品で,世界のどこが舞台なのかもはっきりしていません(少なくとも西欧キリスト教世界ではなさそう).それゆえ,演出家の考えによって,どうにでも料理ができそうな素材です(まあ,どうにでもできるとからといって,すべてがうまくいくわけではないという難しさでもありますが).

 今回の舞台は21世紀らしく,バーチャルリアリティーをふんだんに取り入れた造りになっていました.場面の展開もゲームのように進んでいき,聴衆も今見ている舞台装置が実体を持った大道具なのかバーチャルなのか分からなくなることが多々あって面白かったです.衣装も一般に取り上げられる森の中チックな衣装ではなく,バーチャルリアリティーの背景にマッチさせたやや都会的(?)なものでした.一方で,このオペラはアリアや重唱,合唱以外は音程のないセリフが入りますが,今回は一般に省略されることの多いセリフも出てきました.セリフの省略はドラマが間延びすることなどが理由になるんですが,今回はバーチャルの演出が次々と展開することもあって,観客に飽きさせることがないということでできたのかもしれません(夜の女王の結構重要なセリフがあったりします).全体的になかなか見ごたえのある舞台でした.今回の公演は昨夜が初日で,さらに18日から20日までの3連休,東京文化会館で,さらには7月29日には鳥取県倉吉市で上演されます.

Nikikai02 (写真) 実相寺昭雄氏演出の魔笛

 こうした変わり種演出としては2000年に発表された,故・実相寺昭雄さん演出の魔笛を思い出します.ウルトラマンの監督として知られる実相寺氏の演出では,ヒーロー風のタミーノ,動物代わりに登場するウルトラ怪獣など,昭和特撮テイストな楽しい魔笛でした(自分は2010年の再々演時に観劇).

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2015年7月14日 (火)

フランス革命記念日

 今日7月14日はフランスの革命記念日です.1789年のこの日,当時政治犯が収容されていたとされているバスチーユ監獄を市民が襲撃,これがきっかけとなって,全国に暴動が波及し,フランス革命が起こったのです.

 ただ当初はルイ16世をはじめとする王侯貴族も,革命を起こした市民側もまだそれほどの大事件とは認識していなかったようです.革命のきっかけも,国家財政が厳しいにも関わらず,特権から納税を免れていた第一身分(僧侶)第二身分(貴族)にも課税したい王室と,既得権益を守りたい彼らとの対立に,物価上昇に苦しむ第三身分(平民)の不満が絡んだものでした.

 革命の前夜祭的イベントとなった三部会の召集も,特権階級に課税したいルイ16世に対して,課税の問題は三部会で話し 合うべきだという第一第二身分側の要求で始まっています.しかし三部会は議決方法をどうするかで揉め(第三身分は全体での多数決を,第一第二身分は身分別の議決を要求した),結果第三身分が中心になって国民議会が結成されることになります(この時有名なテニスコートの誓いが発せられた).

 したがってこの段階では誰も王制の廃止までは考えていなかったはずで,せいぜい特権階級への課税によって庶民の負担を軽減させ,議会と憲法を作って国王の権力を制限するあたりに落とし処を持っていこうという感じだったと思われます.平民代表といってもその中心はある程度の教育を受け,財産もあるブルジョワジーでした.

 しかし,1790年6月のヴァレンヌ事件(国王一家が外国に逃亡しようとして失敗した事件)や諸外国からの干渉戦争(当時多くの貴族が国外に亡命しており,外国の武力を利用して革命をひっくり返そうと画策していた)が起こると革命は過激化していきます.議会にとってヴァ レンヌ事件は国王の裏切り行為と映り,一方で外国との戦争の最前線に立って活躍した貧しい一般市民の発言力が急激に増していったからです.

 1782年8月10日に国王一家は捕えられてタンブル塔に幽閉され,王権は停止されます.このころから議会ではジャコバン派といわれる急進派が主導権を握るようになり,1793年1月ついに議会(国民公会)は国王ルイ16世の処刑を議決するに至ります.その後フランスはジャコバン派ロベスピエールの独裁による恐怖政治,その反動(テルミドールの反動)による彼らの失脚,ナポレオンの台頭から帝政へと激動の時代を歩んでいくのです.

 フランス革命の歴史的評価は様々で,ソ連のスターリンやカンボジアのポルポト派の独裁・圧政のひな型になったのがフランス革命であることからネガティブなイメージもありますが,文化的には現在も使われているメートル法の採用などプラスの評価もあっていまだ議論が続いています.

 ちなみにこのフランス革命記念日,日本ではある一定世代以上の人間には巴里祭の名でも知られていますが,これはルネ・クレール監督の映画「Quatorze Juillet」の邦題からくるものです(原題を直訳するとそのままズバリ7月14日となります).ですからこの時期に現地に行ってフランス人に ”fete de la france” とか言っても全く通用しませんので念のため(笑).

Paris1_600x450 Paris2_600x450 写真は恐怖政治時代にギロチン台が置かれていたコンコルド広場(当時は革命広場)です.左が1991年,右が2008年訪問時です(後方の建物がホテル・クリヨン)

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2015年7月13日 (月)

鋼鉄参謀

 子供の頃特撮好きだった自分,最近でもレンタルで様々な昔の作品を鑑賞している.今見ているのは1975年(昭和50年)に放送された仮面ライダーストロンガーである.全39話なのだが,前半から中盤のブラックサタン編はあえて無視して,今回は第27話からのデルザー軍団編のみを鑑賞している.

Del2 (写真1) デルザー軍団結成

 昭和の仮面ライダーシリーズでは,世界征服をたくらむ悪の軍団は定番で,最初の仮面ライダーにおけるショッカーやゲルショッカー,仮面ライダーV3のデストロンなど有名な組織も多い.そんな中にあって,ストロンガーのデルザー軍団は異色の存在であった.ショッカーに代表される一般的な悪の組織では首領を頂点として,大幹部-怪人-戦闘員と厳しいヒエラルキーが確立しているのだが,デルザー軍団にはそのようなものはない.軍団を統括する大幹部は存在せず(最後の最後に大首領が出てきたが),参加してる各々の怪人は基本的にすべて対等なのである.成立の成り行きでジェネラル・シャドウがリーダーっぽいふるまいをしているが,彼に他の怪人への指揮権があるわけではなく,イメージは小学校の学級委員に近い.戦闘員にしてもデルザー軍団の戦闘員ではなく,あくまでも各々の怪人に付属した存在なので所属する怪人の利益のためなら,他の怪人の戦闘員と戦う場合もあったりする(このあたりを踏まえると戦国時代の国人連合政権のイメージか).

Del3 (写真2) 左からドクターケイト,荒ワシ師団長,ジェネラル・シャドウ

 そんなデルザー軍団であるから,組織としての結束力はまったくない.各々が我こそは一番と思っており,ストロンガーとの戦いでも協力して当たるという考えはなく,むしろ互いに足を引っ張り合うありさまである.デルザー魔人はそれぞれがショッカーなどの歴代幹部並みの実力があるという触れ込みであり,たしかに個々の戦闘ではストロンガーは押され気味だった.ここでデルザー魔人たちが協力して戦えばストロンガーはあっさりと葬り去られていたに違いない.が,現実にはデルザー軍団内部の内輪もめのおかげでストロンガーは何度も危機を脱する.そうこうしているうちに超電子ダイナモ(なんだそれ (^.^))を体に埋め込まれてパワーアップ,逆にデルザー軍団は粉砕されてしまったのだった.

Del5 (写真3) デルザー魔人鋼鉄参謀

 そんなデルザー軍団の最初の刺客としてストロンガーに挑んだのが,魔人鋼鉄参謀である.シャドウをはじめ他の魔人たちが様々な策謀でストロンガーを陥れようとするのに対し,鋼鉄参謀は基本的に真正面からの力勝負一本でストロンガーに立ち向かった.彼は第27話~29話と3話に渡って登場,ストロンガーとは合計5回戦って3勝1敗1分けという成績である.1度目の対戦は鋼鉄参謀のパワーに圧倒されてストロンガーはなすすべもなく逃走,2度目もほぼ同様の展開で気絶させられてしまう.そしてとどめ!というところで,鋼鉄参謀の功を妬んだ荒ワシ師団長によって拉致され九死に一生を得る(その後荒ワシのミスに付け込んでストロンガーは脱出できたため皮肉にもそうなった).3度目の対戦も一時は鋼鉄参謀の重さを利用して崖から突き落とすという作戦を仕掛けるものの,やっぱりパワーで圧倒され,最後は退却しようとしたところを網にかけられてあっさりと捕えられたのだった.ただ,またしても荒ワシ師団長の横やりでとどめを刺すことには失敗してしまう(この時はさすがの鋼鉄参謀も怒ってシャドウに詰め寄っていた.もっとも,ずるいシャドウは「私には指揮権がない」みたいなことをさらりと言ってのけたが).

Del6 (写真4) ストロンガーを圧倒する鋼鉄参謀

 その後荒ワシ師団長はストロンガーに撃破され,代わってドクターケイトが登場する.ケイトはその策謀によって子供を人質にするのだが,何を思ったか鋼鉄参謀はその人質を横取りしてストロンガーを誘い出す(荒ワシ師団長に感化されたか?).しかしこれがケイトの逆鱗に触れてしまう.ストロンガーとの4度目の戦いの最中にケイトは自身の毒ガスを鋼鉄参謀に浴びせる.全身鋼鉄の彼の弱点は腐食性のガスだったのだ.ひるんだ鋼鉄参謀,かくして4度目の戦いは引き分けで終わる.そして最終決戦,最後の5度目の対戦で,またしてもケイトの毒ガスを浴び,今度は本当に腕が溶けてしまい内部が露出したポイントに電キックを受け,かくして鋼鉄参謀は爆死したのだった.

 こうして超電子ダイナモを埋め込まれる前のストロンガー相手とはいえ,常に優勢でありながら,とことん味方(といえるのかは不明だが)に足を引っ張られて敗れた鋼鉄参謀は,やっぱりデルザー軍団最強の魔人だったのではと思ったのだった(味方に邪魔されなかった唯一の戦いとなった第1回戦で仕留めきれなかったことが彼にとって痛恨だったのではないか).

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2015年7月11日 (土)

久しぶりの晴天

 あっというまに7月に入ったと思ったらもうすでに10日が経過してしまいました.久しぶりの更新(ていうか,今月初)です.

 最近は梅雨らしく,雨&曇りの日ばっかりだった当地ですが,昨日今日は久しぶりの青空が広がりました(7月に入って初めての晴天かも).気温も一気に上がって夏が来たという感じがします.

Dsc_0286_480x270  7月初旬は個人的に所要で九州に出かけていたり,久しぶりに床屋に行ったりしていました.来週は16日(木)に東京で二期会の魔笛(宮本亜門演出)を鑑賞,再来週は母親や妹を連れて恒例の家族旅行(今年は黒部に行く予定)となります.

 本業系の方は大きなイベントがないため,しばらくはのんびりできそうです.

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