コンスタンティノープル開都の日
今日5月11日は当ブログの名称に深いかかわりのある,ビザンチン帝国の都コンスタンティノープルが前身であるローマ帝国の都になった記念の日です(330年).
コンスタンティノープルの街としての歴史は非常に古く,紀元前7世紀にさかのぼります.古代ギリシャの都市国家のひとつであるメガラの植民者たちが,バルカン半島の最東端,ボスポラス海峡に面した土地に住み着いたのが始まりとされています.植民者たちのリーダーだったメガラ王ニソスの子ビザスの名にちなみ,ビザンチオンと呼ばれたこの街は平凡な地方都市として歴史を歩んでいきます.他の地中海沿岸都市がそうだったように,この街も古代ローマの地中海制覇の波に飲み込まれ,紀元後は古代ローマの地方都市となりました(この頃から名称もラテン語風にビザンティウムとなる).
(写真2) 街の突端,今のトプカプ宮殿の隣にはビザンティム時代に立てられた塔があります
この街の歴史が大きく変わるのは4世紀のことです.3世紀以降内憂外患で弱体化したローマ帝国の立て直しを目指していた皇帝がコンスタンティヌス1世でした.彼が歴史に残した業績のひとつが当時厳しい迫害にさらされていたキリスト教の公認ですが,もうひとつが首都の移転でした.4世紀当時,ローマ帝国の中心部ともいえるイタリア半島は経済的に没落していました.さらに当時は帝国の東にササン朝ペルシャという強力な国が存在し,ローマは国境を挟んで常に緊張状態にありました.ローマ帝国の最大の仕事は異国から国を守ること,このためペルシャとの戦争を指揮しなければならない皇帝にとってローマは戦場から遠すぎ,コンスタンティヌスは国の東方に首都を移転することを考えていたのです.この東方新首都として白羽の矢が立ったのがビザンティウムでした.
(写真3) イスタンブール中心部(アヤソフィアの近く)に今も残るビザンティム時代の城壁(当時はこのあたりが町はずれ,本当に小さかったんですね).
ビザンティウムは3方を海に囲まれた要害であり,さらには金角湾という良港にも恵まれて物資の集積にも便利と,こうしたペルシャとの戦争を指揮する場所として最適だったのです.こうしてコンスタンティヌスは平凡な地方都市だったこの街を新しい都にすべく工事を開始,西暦330年5月11日に開都式が行われ正式にローマ帝国の都となりました(遷都とともに町の名前も皇帝の名を取りコンスタンティノープルとなる).
時代は移り,帝国の西半分はゲルマン人の大移動に飲み込まれて滅びたものの,新首都を含む帝国の東側はその後も15世紀まで存続し続けました.5月11日はそんな記念日なのであります.
追記: 旧暦と新暦の違いはありますが,当ブログのもう一つの重要キャラ新選組の土方歳三が函館で戦死したのが同じく5月11日です(明治2年).
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