« 2015年4月 | トップページ | 2015年6月 »

2015年5月29日 (金)

学会 vs. 嵐

 ニュース記事によると,9月23日から宮城県仙台市で開催される予定だった,日本遺伝学会第87回大会が延期になるんだそうです.

 日本遺伝学会、突発的な”嵐”で日程変更

 日本遺伝学会は1915年創立ですから,今年で100年を迎える老舗の学会です.学会のホームページによると会員数は900人強とのことです.ほぼ毎年大会を開催しており,今年は9月23日からの日程を予定して準備されていたようです.

 が,なんと9月19日~23日に人気アイドルグループ,のコンサートが企画されることが決定,ファンが仙台市内のホテルを一気に抑えてしまったことから,学会関係者がホテルをとることが困難になってしまったのだそうです.

 件の学会のホームページでは,重要なお知らせとして

日本遺伝学会会員各位

 

すでにご存知の方も多いと思いますが、人気グループ「嵐」のコンサートが
9月19日-23日にかけて仙台においておこなわれることが発表されました。
このため、この時期に仙台及び周辺地域のホテルを予約することが実質的に
不可能となっており、当初の予定通り9月23日に遺伝学会大会を始めることが
極めて困難な状況であります。
大会準備委員会と学会執行部で鋭意検討しました結果、第87回大会の日程は、
1日後ろにずらして、9月24日-26日とすることにいたしました。
止むを得ない突発的事情でございますので、皆様のご理解をお願い申し上げます。
皆様の第87回大会への参加をお待ちしております。


第87回日本遺伝学会大会
大会委員長・西尾 剛
日本遺伝学会
会長・遠藤 隆

 と,嵐のコンサートと被らないように,日程を1日後ろにずらすことが急きょ決定されたと発表されていました.

 当初この話を聞いたとき,いくら嵐が人気グループとはいえ,百万都市仙台のホテルがまったく無くなるなんてことがあるのかと半信半疑でした.で,自分で確認しようと楽天トラベルでチェックしてみたんですが…

 9月19日から21日までは本当に空室がありません ( ゚Д゚).22日と23日はわずかにカプセルホテルが2,3件あるのみでした(24日からは通常通り普通にある).

 デマじゃなかったんですね.恐ろしい話です.会場となるのは仙台市の郊外にあるサッカー場なんだそうですが,5日間で20万がやってくるらしいです.一方の遺伝学会は900人… こりゃ,吹き飛ばされるのが当たり前か,と却って納得してしまいました.

 ちなみに先日私が参加してきた日本神経学会は,件の遺伝学会よりは一桁規模の大きい学会で,会期中6000人くらいが参加します.なので,混乱が起こらないように,会期中の主だったホテルをあらかじめ学会の方で押さえておく処置が行われるので,今回の様な事態にはなりにくいのですが,日本遺伝学会は比較的小規模な学会のためこうした処置は行われていなかった模様です.

 なんにせよ,老舗学会の大会を吹き飛ばしてしまうとは… 「嵐,恐るべし!」と思ったのでした.

 追記: もしやと思って,仙台市の隣の山形市の同期間のホテル情報を調べてみたんですが,これもまた蔵王地区をのぞく市内部ではホテルが全く取れない状況に変わりがないのでした(山形-仙台は高速バスで1時間弱なので,仙台でホテルが取れなかった嵐のファンが山形をも抑えたことが想像できます).

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年5月23日 (土)

第18回ひの新選組まつりレポが完成!

 先日(5月10日)に行われた,第18回ひの新選組まつり隊士パレードのレポがホームページの方に完成しました.

 第18回ひの新選組まつり

Img027_640x463  今年はウチのKが5年ぶりにやってきたため,過去数回に比べると写真が充実しています(笑).これで未完レポは第13回と第15回となりました.13回は内容が濃すぎて3部構成になり,現在第2部の半ばまで完成しています.一方の第15回は震災を挟んでいるので,なかなか筆が進んでいません.いつか完成させますので,その節はよろしくお願いいたします.

 それと,仮に来年第19回が開催された場合,コンテストには出られないことがすでに確定しています.なので再来年の第20回(記念大会だ 笑)に有終の美を飾るべく,妖術ネタを完成させてコンテストに参加することを宣言いたします(鬼が笑うな (^。^)).

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年5月21日 (木)

新潟に行ってきました

Dsc_0220 (写真1) 新潟駅万代口

 もう昨日になりますが,5月20日に新潟県新潟市に行ってきました.

 とはいっても,平日に優雅に観光旅行というわけではありません(笑).私がメインにしている学会,日本神経学会の学術大会が開催されているためです.会期は5月20~23日の4日間なんですが,勤務の都合等もあって,私が参加できるのは20日のみ,早い話が日帰りでの参加でした(泣).

 前日の19日の夜,新国立劇場にてヴェルディの歌劇「椿姫」を観劇してそのまま都内に宿泊,翌朝7時の新幹線に乗りました.前夜遅かったこともあって車内ではほぼ爆睡状態でした(笑).

Dsc_0231_800x450 (写真2) 駅には歓迎の看板が

 9時頃に新潟駅に到着,もしかしたらここに来たのは震災直後に実家に帰る途中以来かもしれません(あの時東北新幹線が止まっていたため,東京から上越新幹線で新潟に出て,そこから羽越本線の特急(いなほ)で秋田へ,そこから秋田新幹線で盛岡に出た).新潟駅で盛岡時代にお世話になったドクターに偶然会い,一緒に会場に行きました.

Dsc_0230_800x450_2 Dsc_0223_800x450 (左写真3) 朱鷺メッセ,(右同4) 会場内の様子

 会場は朱鷺メッセというイベント会場,行ってみるとすでに大勢の関係者で賑わっていました.受付を済ませて中に入ります,…と思ったら前方に見たことのある人が… ウチの院長でした(笑).その後午前中は生涯教育セミナーを受講,これは専門医の更新に必要な単位がもらえるイベントです.この日はてんかんとiPS細胞の話題でした.

Dsc_0221_800x450 (写真5) ランチョンセミナーのお弁当

 2時間のセミナーが終わるとちょうどお昼時,今度はランチョンセミナーに参加です.大きな学会だけあってたくさんのセッションがあるんですが,この日はパーキンソン病のところへ.早期診断がテーマでした(弁当が美味しかった !(^^)!).

 終了後,今度は教育講演へ.この日のテーマは行動神経学でした.これは以前は神経心理学と呼ばれていた部門で,主に脳機能の局在を研究する分野です.自分はあんまり特異な分野じゃないんですが,久しぶりにこの辺の話題を聴いて新鮮でした.

Dsc_0226_800x450 Dsc_0225_800x450 (左写真6) ポスター展示,(右同7) 物産コーナー

 その後は一般演題のポスターを見て,ついでに会場内に設置してある地元の物産コーナーを覗きました.新潟といえば日本酒だろう(笑)というわけで,お酒のコーナーもありました.そろそろ帰る時間帯だったので,試飲して4合瓶を各種5本購入してしまいました(さすがに持ち帰るのは困難なので宅配,後日利き酒をやろう 笑).

Dsc_0233_800x450 (写真8) へぎ蕎麦です(天ぷら付き 笑)

 そうこうしているうちにいい時間となり,タクシーで駅へ.構内のお店でへぎ蕎麦と日本酒をいただいた後,新幹線に乗り込み戻ったのでした(せっかくだから2~3泊したかったな).

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年5月17日 (日)

初日の取組

 今大相撲五月場所が開催されている.ちょうど震災の少し前に明るみに出た,いわゆる八百長騒動によってその土台が大きく揺らいだ大相撲であるが,最近は徐々に盛り返してきており,2015年に入ってからは連日満員御礼の盛況となっている.

 私の職場の隣の席にいる女医さんがライトな相撲好きで,場所が始まると「誰が勝った」,「今場所は誰が注目だ」と盛り上がるのだが,今日「そういえば初日に白鵬が逸ノ城に負けましたけど,横綱と小結の取組って初日にしては早くないですか?」と聞いてきた.

Sumo  う~ん,どうなんだろう.確かに横綱は場所の後半に同じ横綱や大関といった上位陣と対戦し,逆に序盤は平幕の上位あたりと対戦しているイメージがある.小結とはいえ初日から役力士と当たるものなんだろうかと考えたのであった。で、「初日だから観客動員のために注目される取組にしたんでないですか」と答えたのだが,後で調べたら,この初日「横綱 vs. 小結」という取組は少なくとも10年以上前の貴乃花,武蔵丸時代から続いているようである.すなわち毎場所初日の取組は東の横綱は西の小結と,西の横綱は東の小結と対戦するのが慣例のようなのだ.もちろん同部屋などの理由で,その法則が当たらないケースもあるわけだが,そのような障害がない場合は原則この組み合わせになっているのである.

 横綱は2日目以降は平幕上位力士との対戦に入り,中日を過ぎたころから関脇・大関など上位陣との対戦が組まれはじめる.したがって,時に横綱が初日に敗れて,スポーツニュースなどで,「横綱が初日から土!」,「○△場所は初日から大波乱」なんて騒がれるが,小結とはいえ相手は役力士,負けるのがそんなに大波乱なのかと思うのだった(むしろ,平幕と当たる2日目以降に敗れた方が大波乱な気がする).

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年5月14日 (木)

ネクタイのストライプ

 仕事柄ネクタイを着用する機会が多い私,いろんなところで買ったりもらったりしている一方で,なかなか捨てることもできないため,現在家にはざっと70本程度のネクタイがある(蝶ネクタイ含む).以前ここでも,毎日違うネクタイを締めていったら,持っているすべてのネクタイを使い切るまでどれくらいかかるか? なんて企画をやった.その時の結果は約3か月だったと記憶している(休みの日はネクタイを使わないため).

 そんなネクタイ,先日眺めていて,気が付いたことがある.

 ストライプのネクタイはみんなラインが右上から左下になっている.

 ということだ.

P5140706  たしかに家にあるストライプネクタイ,みんな右上から左下にラインが入っている.

 これは偶然なのだろうか?それとも何か理由があるのだろうか?

 そう思って調べてみたら,右上から左下でなければならない理由はない模様で,世の中には左上から右下というのもあるそうだ.

 ストライプのネクタイ、なぜ右上がりばかりなのか

 これによると,右上がりのネクタイは元々イギリス由来で,それがアメリカに渡ってそこで逆向きのものも登場したらしい(アメリカでは右上がり,左上がりが半々らしい).日本は明治以来イギリスを手本に国づくりをしていった経緯があるため,イギリス風の右上がりがメインになったそうだ.

 そう思って感心していたところ,ウチにも左上がりのネクタイがあることが判明,

P5140712
 博多織の一品なのだが,よく見たら左上がりになっている.博多織のアメリカ風,なんか楽しいなと感じたのだった.

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2015年5月11日 (月)

コンスタンティノープル開都の日

Istanbul647 (写真1) 新市街のガラタ島から見た旧市街

 今日5月11日は当ブログの名称に深いかかわりのある,ビザンチン帝国の都コンスタンティノープルが前身であるローマ帝国の都になった記念の日です(330年).

 コンスタンティノープルの街としての歴史は非常に古く,紀元前7世紀にさかのぼります.古代ギリシャの都市国家のひとつであるメガラの植民者たちが,バルカン半島の最東端,ボスポラス海峡に面した土地に住み着いたのが始まりとされています.植民者たちのリーダーだったメガラ王ニソスの子ビザスの名にちなみ,ビザンチオンと呼ばれたこの街は平凡な地方都市として歴史を歩んでいきます.他の地中海沿岸都市がそうだったように,この街も古代ローマの地中海制覇の波に飲み込まれ,紀元後は古代ローマの地方都市となりました(この頃から名称もラテン語風にビザンティウムとなる).

Istanbul685 (写真2) 街の突端,今のトプカプ宮殿の隣にはビザンティム時代に立てられた塔があります

 この街の歴史が大きく変わるのは4世紀のことです.3世紀以降内憂外患で弱体化したローマ帝国の立て直しを目指していた皇帝がコンスタンティヌス1世でした.彼が歴史に残した業績のひとつが当時厳しい迫害にさらされていたキリスト教の公認ですが,もうひとつが首都の移転でした.4世紀当時,ローマ帝国の中心部ともいえるイタリア半島は経済的に没落していました.さらに当時は帝国の東にササン朝ペルシャという強力な国が存在し,ローマは国境を挟んで常に緊張状態にありました.ローマ帝国の最大の仕事は異国から国を守ること,このためペルシャとの戦争を指揮しなければならない皇帝にとってローマは戦場から遠すぎ,コンスタンティヌスは国の東方に首都を移転することを考えていたのです.この東方新首都として白羽の矢が立ったのがビザンティウムでした.

Isutanbul2_125 (写真3) イスタンブール中心部(アヤソフィアの近く)に今も残るビザンティム時代の城壁(当時はこのあたりが町はずれ,本当に小さかったんですね).

 ビザンティウムは3方を海に囲まれた要害であり,さらには金角湾という良港にも恵まれて物資の集積にも便利と,こうしたペルシャとの戦争を指揮する場所として最適だったのです.こうしてコンスタンティヌスは平凡な地方都市だったこの街を新しい都にすべく工事を開始,西暦330年5月11日に開都式が行われ正式にローマ帝国の都となりました(遷都とともに町の名前も皇帝の名を取りコンスタンティノープルとなる).

 時代は移り,帝国の西半分はゲルマン人の大移動に飲み込まれて滅びたものの,新首都を含む帝国の東側はその後も15世紀まで存続し続けました.5月11日はそんな記念日なのであります.

 追記: 旧暦と新暦の違いはありますが,当ブログのもう一つの重要キャラ新選組の土方歳三が函館で戦死したのが同じく5月11日です(明治2年).

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年5月10日 (日)

第18回ひの新選組まつりに参加してきました

P5100009_1_400x308  春の恒例イベントになっているひの新選組まつり,その隊士パレードが本日行われ,私も参加してきました.今年は7番隊所属だったんですが,素晴らしき仲間たちとともに楽しい一日を過ごしてきました.

 内容については,近日中にホームページ本編にアップしたいと思います(第13回,第15回がまだじゃないかというのは置いといて… 笑).

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015年5月 8日 (金)

富士サファリパークのリカオン

 真ん中に仕事が入ってしまい,前後に分断されてしまった今年のGW,その後半唯一の休みである5月6日,静岡県裾野市にある富士サファリパークに行ってきました.

 動物好きな我が家,動物園にはよく行くんですが,サファリ式のところは2000年に行った和歌山のアドベンチャーワールド以来です.富士サファリは実は自宅から1時間程度の場所なんですが,今まで行ったことがなかったのは,「近くにいるとかえって行かない」の法則に見事にハマったからです(笑).

Dsc_0128 (写真1) 富士サファリパーク

 前日は沼津市の病院に泊りだったので,仕事明けに三島駅でウチのKと合流,車で会場に向かいました(普段出張は電車利用なんですが,この日はこのパターンのために車で行った).結局10時ごろに到着し,最初のゲートで入場料を払って中に入ります.本来は大人一人2700円なんですが,事前に会費無料のメンバーズカードを入手しておいたため,一人2000円となります.中に入ると,入り口そばの第1駐車場はすでに満車,少し離れた第2駐車場に誘導されました.

P5051414 (写真2) ジャングルバスです

 その後は人気のジャングルバス(金網越しに動物にエサ遣りができるバス)のチケットを購入しに受付へ.まだ10時台だというのに,購入可能なバスは14時以降! さすがGWだと感心(笑)しながら,結局14時半のバスを購入しました.

P5051416 P5051418 (左写真3) ウォーキングサファリ受付,(右同4) こんな道を歩きます

 最初は車でサファリゾーンに入ろうかとも思ったんですが,まずは歩いてみようということで,ウォーキングサファリに挑戦です.園内の遊歩道を歩きながら,ところどころにある動物観察スポットに立ち寄るスタイルです.熊やライオン,トラ,サイなどおなじみの動物がたくさんいました.途中キリンのエリアでは,ちょうどエサ遣りタイムに当たったので,エサ遣りも.餌と言っても葉っぱ付きの枝をあげるだけなんですが,長~い舌を伸ばして上手にエサを奪っていきました(ウチのKはキリンになめられたといっていた 笑).

P5051428 P5051451 (左写真5) 熊が歩いています,(右同6) キリンの長い舌

 ゆっくり歩いたので,コース全体を2時間ほどかかりました.ちなみにコース途中にクイズポイントがあって,あらかじめ渡されていた解答用紙にスタンプを押す形で進めていくんですが,動物に詳しいウチのKは全問正解,自分は1問外しだったんですが,結局景品はどちらもトラのシールでした(笑).

P5051460 P5051434 (左写真7) チーター(車に乗っているわけではありません 笑),(右同8) 富士山を背景に手前にライオン

 次に中央広場付近にあるふれあいコーナーへ.ここでは動物園ではよくある各種小動物に触れることができるコーナーです.この日は定番のウサギやモルモットに加えて,アルマジロやリクガメも登場していました.

P5051497_2 (写真9) アルマジロ

 この段階で午後1時,園内にはいくつかレストランがあるんですが,この日はサファリレストランというカフェテリア形式のレストランへ(ウチのKが大学の学食に雰囲気が似てるといっていた).自分はカツカレー,Kはイタリアンハンバーグになりました(結構重たいです 笑).

 昼食後はジャングルバスの時間までまだあったため,ふれあいゾーン(一般の動物園っぽいゾーン)の動物を観察します.ワオキツネザルやカバなどに交じって,

なんと!リカオンがいるじゃないですか!!

 リカオンはアフリカのサバンナに生息する犬の仲間で,集団で狩りをすることで知られています.アフリカのサファリでは非常に人気の高い動物ですが,いろんな絵具を塗ったくったような外観から英語では Painted wild dog などと言われています(私は個人的に(見た目が)汚い犬と呼んでいます 笑).4年前にボツワナのオカバンゴデルタに行ったとき,逢えたらいいなと願いつつ,とうとう会えなかったリカオンに,こんなところであっさり会えたのに衝撃を受けました(後で確認したら日本ではこの富士サファリパークにしかいないそうです).この衝撃はかつてマダガスカルに行ったときにもほとんど会えなかった原猿のアイアイを,帰国後上野動物園で見つけた時と同じものでした(笑).

Lycaon3 Lycaon4 (写真10,11) リカオンです

 もともと朝夕に活動するリカオンなので,日中のこの時間はグダッと寝ているだけ.はたから見ると死んでるのではと心配になりますが,ちょうど係員によるエサ遣りが始まると,さっきまでのがウソのように活発に動き出したのが笑えました.

P5061539 (写真12) ジャングルバスに乗り込みます

 リカオン見物をしているうちに,ジャングルバスの出発時間となり,乗り込みます.そのままサファリゾーンへ.ここにはライオン,アムールトラ,チーターの肉食獣を始め,ゾウやキリンなどの草食獣までたくさんの動物が放されています.そんな中を金網に覆われたバスで移動する我々,なんだか動物輸送車に載せられて動物たちの好奇の目にさらされる気分です(そういえば猿の惑星にこんな場面なかったか?).

P5061567 P5061590 (左写真13) アムールトラ,(右同14) こちらはサイです

 ジャングルバスの後はまたしばらく散策して,今度はウサギの館へ.ここでは時間制で指名したウサギをだっこしたりできるんですが,これってアムステルダムやハンブルクの飾り窓と原理的には変わらないよなと思ったのでした.

Dsc_0173 (写真15) ウサギの館にて

 この段階で夕方,そろそろサファリゾーンが空いてきただろうということで,車でサファリゾーンに入ります.5月とはいえ標高の高いこの地域ですから気温も下がり,昼間に比べて動物も活発になっているようでした(道も空いていたので結構ゆっくりと動物を観察できた).

P5061622 P5061643 (左写真16) サファリゾーンのゲート,(右同17) ライオンです

 こうして6時近くまで富士サファリパークの休日を堪能し帰宅したのでした.

Dsc_0191 (写真18) お昼がこってりだったので,夕食はシンプルに(笑)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015年5月 5日 (火)

GWディープ千葉の旅

 GW真っ盛りですが,みなさんいかがお過ごしでしょうか.自分はというと,ちょうど真ん中の5月4日,5日に仕事が入ってしまっているため,必然的に遠出は困難となります(まあGWはどこへ行っても混んでいるのと宿泊費が高くなるので,あまりGWには遠出しない人間なんですが).とはいえ,どこも行かないのも寂しいので,日帰り圏内でかつ,普段あんまり行かないところへ行ってみようということで,5月3日に千葉県南部に行ってきました.

 日本の都道府県の中で千葉県は独特の雰囲気を持っています.一般に山が多いといわれる日本の中で,千葉県には標高の高い山はなく,県全体が平野となだらかな丘になっています.さらに東と南を太平洋,西を東京湾に面していて,北も利根川と江戸川という大きな河川が県境になっています.すなわち隣接する都県に行くには水を越えていく必要があるわけで,これがため,「日本の都道府県の中で周囲をすべて水に囲まれているのは?」というクイズへの回答が,「北海道,沖縄,千葉」というのは一部では知られた話です.

 そんな千葉県ですが,船橋市から千葉市にかけての地域は首都圏の一部で都会的ですが,そこを離れた房総半島方面の深部はかなりローカルな雰囲気を漂わせています.私はこの房総深部地域をディープ千葉と呼んでいるのでした.

P5021336 (写真1) 特急さざなみ号

 5月3日朝一の特急さざなみ号で房総半島最南部の館山に入りました.お天気は晴れ,駅周辺は南国ムードいっぱいでした.駅前のトヨタレンタリースでレンタカーを借りて出発です(さすがGWらしく,レンタカー屋さんも大繁盛でした).

P5021339 P5021340 (左写真2) 南国ムードです,(右同3) JR館山駅

P5021344 (写真4) 沖ノ島

 まずは,市街北西にある沖ノ島へ(沖ノ鳥島ではない 笑).ここは東京湾に下垂体のように突出している島です.元々は島だったのですが,地震による隆起や砂の堆積などによって昭和時代に今のような陸続きになったそうです.この島は歩いても30分程度で一周できる程度のサイズなんですが,海辺では潮干狩りをする家族連れでにぎわっていました.一方で島内には第2次大戦時に海軍によって掘られた洞窟なども残っていました.

P5021345 P5021362 (左写真5) 磯遊びをする人々,(右同6) 大戦中の洞窟

Dsc_0118_2 (写真7) 洲埼灯台

 沖ノ島から続いて海沿いを西へ,この辺は快適なドライブが楽しめます.次に向かったのは房総半島最西端に位置する洲埼灯台です.ここは灯台の上に上ることはできませんが,遠くは富士山や伊豆半島方面まで展望できる場所でした(この日は富士山が見えた).

P5021373 P5021375 (左写真8) 高台にあります,(右同9) 富士山が見えます

 洲埼灯台から再び海沿いを南下すると,この辺から日本の道100選にも選ばれている房総フラワーラインに入ります.ここは季節ごとにいろんな花が見られ,特に春先の菜の花で有名な道路なんですが,今の時期は端境期なのか,あまり花は見られませんでした.日本の道100選散策でいつも問題になるのは,顕彰碑を見つけ出すことなんですが,この道については道の駅にありました.

P5021384 P5021389 (左写真10) 房総フラワーライン,(右同11) 顕彰碑

 この辺に来た段階で12時近く,そろそろ昼食にしようということで,近くにある海鮮ラーメンのお店に向かったんですが,混んでいて駐車場もないため断念.で,房総といえば外房の勝浦市の勝浦タンタンメンがあるじゃないか,ということで繰り出すことにしました.

P5031394 (写真12) 勝浦タンタンメン

 この日は行ったのは勝浦駅にもほど近いてっぱつ屋さん,注文したのはもちろん勝浦タンタンメンです.わざわざカタカナでタンタンメンとなっているのは,一般の担々麺では必須の胡麻が使われていないからのようです.特徴は大量のタマネギとひき肉をラー油や唐辛子で炒めていることで,このため見た目は真っ赤で,食べる前から口の中が痛くなりそうでした(実際に辛いんですが 笑).

P5031399 (写真13) 月の砂漠の像

 その後は近くにある月の砂漠海岸(?)を訪問しました.ここは童謡「月の砂漠」のイメージとなった白砂の海岸です(ラクダの銅像もある).そうこうしているうちにディープ千葉の旅も夕方になりました.館山に戻ってレンタカーを返却,その後は駅から徒歩圏内にある白浜屋本店という地元の老舗のお寿司屋さんに行きました.

P5031407 (写真14) 白浜屋本店

 ここのお寿司はシャリがいなり寿司大というボリュームのあるものです.ちょうど隣のカウンターで食べていた人のを見て,最近の胃袋が縮小している自分には厳しいなと思ったため,シャリを小振りにしてもらいました(それでも十分大きいんですが).ネタは地元の魚のみで美味しかったです.

P5031410 (写真15) 地物のにぎり,8貫ですがボリューム十分です

 帰りは館山駅前から出ている高速バスで東京駅に戻って,そこから新幹線で小田原に戻りました(在来線でもよかったんですが明日朝から仕事なので 汗).そんな5月3日でした.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2015年4月 | トップページ | 2015年6月 »