B級ヒーロー列伝第6回 サンダーマスク
昭和47年秋から放送されたB級ヒーローの大御所 サンダーマスクの記事がHPの方に完成しました.
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この週初め,所要で熊本に行ってきました.羽田から飛行機での往復だったんですが,事件はその帰路に起こりました.
自分は普段財布を二つ持ち歩いています.一つは長財布でこちらにはお札とメイン以外のクレジットカードなどが入っています.もう一つが小銭入れで,こちらには小銭のほかメイン使いのクレジットカード,電車の回数券などを入れています.小銭入れは基本的にスラックスのポケットですが,長財布の方は上着を着用するシーズンは上着のポケットに,着用しない夏場には皮のウエストポーチに入れて持ち歩いています.
で,この日(8月26日)羽田で飛行機を降りそのまま到着ロビーに向かって歩いていました.途中用を足したくなってトイレへ.個室を使用した後に再び歩いて荷物受取場を横目で見ながら外に出ました.そこから電車のホームに行こうとしてたんですが,なんかお腹周りが涼しい…
も,もしや…
ウエストポーチがないことに気付いた瞬間です.さっきのトイレにおいてきたことは確実,慌てて取りに戻ろうとしたんですが,トイレのある場所はセキュリティエリア内で一度外に出たら引き返すことのできない場所です.仕方ないので空港の案内所へ向かいます(第2ターミナル2階の出発ロビーの案内所に行った).状況を話すとすぐに係員に連絡して件のトイレを探してくれたんですが,ないとのこと.念のためその周辺の別のトイレ内も探してもらったんですがモノは無し.
「拾った方が案内所に届けるために移動中かもしれないので,もう少したってからまた来てみてほしい」ということで,空港内で時間をつぶして再び案内所へ.空港内のカウンターに確認してもらったんですが,それらしいものは届けられていないとの答えでした.仕方ないのでもう少し様子を見ようと時間をつぶして三度カウンターへ,それでもやっぱりないとのこと.この段階で盗まれた可能性が高いと判断し,交番に届けるとともにクレジットカード等の停止手続きを行いました(電話はポーチに入れていなかったので助かった).
この段階で所持金は小銭入れ内の700円程度,寂しすぎる額です.ただモバイルSUICAに残金が1万円以上あったため,なんとか家に帰ることはできました.
一夜明けてお昼時間に空港に電話して昨日の件に変化がないか問い合わせました.しかしながら「なにも動きはない」という返事のみでした.改めて寂しさが湧き上がってきたんですが,もしかして警察の方に届いている可能性もあるんじゃないかと思い,昨夜届けた際に受け取った紙に書かれていた警察の担当部署に電話してみました.こちらの方も何も動きはないとの返事だったんですが,担当の人が「本当に無くしたのはそこですか,もしかして飛行機の中といった可能性はないですか」といいます.そういわれると100%ないとは断言できません.「なら,念のため航空会社にも確認してみた方がいいですよ」というわけで,今度はANAの遺失物窓口に電話します.
「昨日のANA●△□を利用したものなんですが,これこれこういうウエストポーチを紛失したんですが」,すると
「はい,それらしいものを羽田空港で預かっています」との返事!
「じゃあ飛行機の中にあったんですか?」と聞くと,到着後のトイレとのこと.やっぱり自分の予想通りだった.どうして空港のカウンターではなく航空会社の方に行ったんだろうと疑問に思ったんですが,何はともあれ見つかったのはたしかなようです.この日終業後羽田空港に向かいました.途中横浜で京急線に乗り変えようとしたら停電で空港線不通なんていうお約束のような試練(笑)もありましたが,指定されたANAの窓口に出向き,無事にウエストポーチが戻ってきたのでした(免許証も財布に入っていたため,本人確認用にパスポートを持って行った 笑).窓口の人によれば財布の中にANAのマイレージカードが入っていたため,拾った人がANAに届ければ確実に届くだろうと気を利かせてくれた結果のようでした.ちなみに財布の中身はそのままでした.ほかの国なら財布だけゴミ箱であとは全部盗まれるなんてケースが普通だと思いますが,あらためて日本の治安の良さに感動した次第でした.
ちなみにこの日ポーチを受け取ったANAの窓口は,昨夜何度かやり取りした空港の案内所カウンターの向かい側でした.自分が困り果てていたカウンターの真後ろに同じ頃,自分のポーチが届けられていたという皮肉に笑うしかないなと思いました.
そんなすれ違いを体験した8月末でしたとさ.
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みなさんこんにちは.当ブログには日本100名城スタンプラリー関連の記事がたくさんあります.実はこれ,本来は自分のホームページに記事を書くべきところ,当時は時間が取れなかったこともあって,備忘録的にブログ内に記事を書いていたのが,いつのまにか常態化したというのが実際でした.そのためホームページの100名城ページからブログにリンクを張る形での運用を行ってきました.
しかし今回夏前あたりから少しずつホームページへの引っ越し作業を開始し,このたびすべての作業が完了しました.
もちろんブログの方の記事も削除はせずこのまま残していきます.今後は滝100選,道100選の方も引っ越し作業を開始する予定です.
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先月の北海道旅行記の最終回です.
明けて7月22日,旅行の最終日になりました.この日は昼過ぎの飛行機で帰るだけなので,近場の観光がメインです.ホテルでの朝食を済ませ,まずはJR稚内駅に向かいます.日本最北の街稚内にある稚内駅はもちろん日本最北の駅になります.かつては貨物線やら複雑に線路が分岐している広い構内を持つ駅だったんですが,車両基地が一駅南の南稚内駅の方に移ってしまったため,現在は線路が1本,ホームが1面あるだけのシンプルな駅になっています.
ここでは線路の写真を撮ったりして過ごしたんですが,同じことを考えている観光客がたくさんいるらしく,私たちの滞在時間帯には列車の発着はなかったんですが,構内は結構賑わっていました(宗谷本線の名寄以北は特急を合わせても2時間に1本くらいしかない).
その後は稚内市街地の最北端にあたるノシャップ岬へ.本土最東端である根室の納沙布岬と名前が似ていますが,もちろん別物です(漢字で書くとの野寒布).最北端の宗谷岬とは対岸の位置にあり,緯度も南にあるんですが,稚内市街地から近い(車で10分くらい)こともあり,観光客の数は多いです(岬は風が強く結構寒かった).また近くにはノシャップ寒流水族館という主に寒い地方の魚を中心に展示している水族館もあり,こちらにも多くの人が来ていました.
(左写真5) ノシャップ寒流水族館,(右同6) 角質を食べてくれる魚です
水族館を見学しているうちにそろそろ空港へ向かう時間となりました.市内を抜けてガソリンを給油,空港側のレンタカー屋さんに車を置いて空港に入ります.ちょうどいい時間かなと思ってたんですが,なんと!到着便の遅れのため出発が遅れるとのこと.仕方がないので空港内のレストランで食事をすることに.この日はもう運転をする予定がないので,たまたま目についたロシア産ビールをいただきました(日本のビールに比べてワイルドな味わい).
そうこうしているうちに搭乗時間となり機内へ.結局予定より1時間近く遅れて出発となりました.約2時間のフライトで羽田空港に到着です.外に出た第一声は,「あ,暑い!」,我々が旅行に行っている間関東は雨模様だったそうですが,それでも道北とは比較にならないほど暑いなと実感したのでした.
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北海道旅行の第3弾です.
7月21日も朝から快晴でした.この日はレンタカーで稚内を目指します.名寄から稚内へは国道40号線をひた走れば170キロの距離ですがそれでは面白くないので,途中の美深町から東に折れてオホーツク海沿岸の枝幸町に抜けるルートにしました.途中は山林と牧草地ばかりの北海道的な(?)光景が広がります(10キロ以上全く人家がない感じ).途中最近タイ人に人気の観光地らしい歌登を通ってついにオホーツク海に出ました.
枝幸町は毛ガニの漁獲量日本一を誇る町で,毎年枝幸かにまつりが開催されているほどです(毎年7月の最初の週末に開催される模様).かつての国鉄時代は北オホーツクの浜頓別から海沿いに南下する興浜北線の終着駅があったんですが,1985年に廃止されてしまい,当時駅があった場所は公園になっていました.
旧駅前には一級食堂という毛がにラーメンを供するお店があるらしいということで見てきたんですが,残念ながらまだ開店前のようでした(地元の人によるとお昼くらいには開くらしい).
仕方ないのでそのままオホーツク海沿いに北上してウスタイベ千畳岩というスポットへ.ここは表面が平らになった岩が畳のように敷き詰められたようになっている海岸です.青森県の日本海岸にある千畳敷を思い出させるスポットでした.
千畳岩を後にしてさらにオホーツク沿岸を北上,やがて(この辺りでは)比較的大きな町である浜頓別に到着です.まずは冬には大陸から白鳥がやってくるクッチャロ湖(屈斜路湖ではない)へ.もちろんこの時期は白鳥の姿はなく,夏の湖畔の雰囲気でした.そろそろお昼時ということで,クッチャロ湖畔に立つホテルのレストランで昼食にします.私はオホーツク海の海鮮ラーメンにしました.
昼食後は浜頓別町の見どころであるベニヤ原生花園へ.原生花園とは北海道の沿岸地域によく見られる自然のお花畑のことである.網走郊外の小清水原生花園や幌延付近のサロベツ原生花園などが有名だが,ここ浜頓別のベニヤ原生花園もよく知られている.
ここは春から秋にかけてたくさんの花が咲くのだが,ちょうど訪問した時はノハナショウブが盛りを迎えていた(ハマナスはお終いの時期だった).自分で花を探しても見落とす可能性が高いので,この日は地元のフラワーガイドの方に案内していただきました.
(左写真8) ノハナショウブの群生,(右同9) ノハナショウブ
原生花園の花々を堪能した後,再びオホーツク海岸を北上します.昔の映画,「人間の条件」のロケ地にもなった猿払村を通って,いよいよ稚内に入ります.市街地まであと30キロというところで,宗谷岬に到着です.ここは現在一般人が行ける日本の最北端として知られる地です(本当の最北端は北方領土択捉島のカモイワッカ岬).ここには過去何度か来ているんですが,来るたびに観光客の数が増えている気がします.
宗谷岬は最北端であると同時に集落も存在するため,付近には「日本最北のガソリンスタンド」,「日本最北の土産物屋」,「日本最北のトイレ」など最北ものがたくさんあって楽しいのでした.また最北端の碑近くにはスイッチを押すと宗谷岬の曲が流れるモニュメントもありました(昔はここに来るとこの曲が流れっぱなしでやや風情を落としていたので,スイッチ式になったのかもしれない)
(左写真12) 昔の海軍の監視台,(右同13) 周辺ではキタキツネが戯れていました
最北端を見学したあとは稚内市内へ.ホテルにチェックインして,夕食は稚内名物のたこしゃぶをいただいたのでした.
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ちょっと間隔があいてしまいましたが,先月出かけてきた北海道旅行の続きです.
7月20日日曜日はちょっと早めに行動開始,ホテルで軽く朝食を済ませて(時間が少ないのでパンとコーヒー程度)札幌駅に向かいます.この日の予定は道北の名寄周辺の観光になります.名寄市は実は私,ビザンチン皇帝の出生地であります(もっとも自分自身は物心ついたころには岩手に引っ越していたためここでの記憶はないんですが).今回は母親が云十年ぶりに名寄に行ってみたいということで足を延ばすことにしました.
7時48分発の特急スーパー宗谷1号に乗って一路北を目指します.名寄は北海道第二の都市である旭川からさらに100キロほど北に入った盆地にある街です(途中に三浦綾子の小説で有名な塩狩峠がある).夏冬の温度差が激しいことで知られており,夏は30℃を超える一方,冬はマイナス30℃の日もあったりします.人口3万に満たない都市ですが,大学がありさらには自衛隊の大きな部隊(第3普通科連隊 私の父親も当時ここに勤務していた)も駐屯しているため,過疎地域の割には若年人口が多い街でもあります.かつては札幌から急行列車で3時間以上かかってたんですが,宗谷本線の高速化が図られて特急が運行されるようになり,今では札幌からの所要時間は2時間半程度に短縮されています.
札幌を出発したスーパー宗谷は快調に北上します.途中士別駅で上りの特急列車との行き違いのために10分停車しましたが(母親は「ここ来たことがある♪」と嬉しそうにホームに降りていた),結局10時19分に名寄に到着しました.
名寄駅は国鉄時代はオホーツク海の紋別方面に向かう名寄本線,西に向かってその後南下し深川に至る深名線が分岐する鉄道の要衝だったんですが,JR化後相次いで廃止されてしまい,今では宗谷本線のみの駅になっています.駅前には広々としたロータリーがありましたが,母親によるとだいぶ雰囲気が変わったとのことでした(まあ半世紀前だしな).
ここからはレンタカーを借りて行動します.まずは市内中心部にある名寄市立総合病院へ.実はここが私が生まれた病院なのだそうです.建物は近年全面改装されているため当時の面影はあるはずもないですが,場所は以前と変わっていないそうです.なんとなく感慨深いものがありました.
(写真6) 当時の住所をもとにだいたいこのあたりに住んでいたようです
続いては当時母親らが住んでいた場所の散策です.当時の住所から探すんですが,今とは違って何丁目何番地何号と個別の家が特定できた時代ではないため,はっきりとはわかりませんでしたが(母親自身の記憶も相当あやふやだし 笑),このあたりだろうという見当はつけられました.
この段階でお昼時になりました.この日は近隣の(とはいっても50キロくらい離れてますが 笑)音威子府(おといねっぷ)まで蕎麦を食べに行きました.日本各地に蕎麦処がありますが,ここ音威子府はおそらく全国最北の蕎麦処になると思います.ここの蕎麦は殻付きのまま製粉するため色が黒いのが特徴です.何か所かお店があるんですが,この日はJR音威子府駅構内のお蕎麦屋さんにしました.
このお店,駅そばとしても結構有名でテレビなどで取り上げられたこともあるようです(私は通算3回くらい来たことがあります).注文したのは天ぷらそば,スーパーなんかで売っている95%以上が衣じゃないかという天ぷらです(笑).もっと立派なかき揚げを使えばいいのにという声も聞こえてきそうなんですが,この衣が溶けて出汁と絡み合った味が最高なので自分的はこれで十分なのでした.
昼食後は今度は名寄の西,幌加内町にある朱鞠内湖に繰り出します.ここは冬特に寒いことで有名で,付近の母子里地区では1978年に戦後の日本では最低記録となるマイナス41.2℃を記録しています.朱鞠内湖は実は人造湖(すなわちダム)なんですが,島があったり周辺が森だったりして自然の湖だといっても違和感のない景観です.前述のとおり冬は極寒ですが(とはいえワカサギ釣り客は来るらしい),夏は絶好の行楽地であり,この日もボートやキャンプ,釣りを楽しむ人たちが来ていました(私たちは湖の遊覧船に乗りました).
しばし湖を堪能した後,名寄に戻りこの日宿泊のホテルにチェックインです.一日歩き回ったためこの日はホテルのレストランで夕食,名寄名物の煮込みジンギスカンをいただきました.
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