北海道旅行2
ちょっと間隔があいてしまいましたが,先月出かけてきた北海道旅行の続きです.
7月20日日曜日はちょっと早めに行動開始,ホテルで軽く朝食を済ませて(時間が少ないのでパンとコーヒー程度)札幌駅に向かいます.この日の予定は道北の名寄周辺の観光になります.名寄市は実は私,ビザンチン皇帝の出生地であります(もっとも自分自身は物心ついたころには岩手に引っ越していたためここでの記憶はないんですが).今回は母親が云十年ぶりに名寄に行ってみたいということで足を延ばすことにしました.
7時48分発の特急スーパー宗谷1号に乗って一路北を目指します.名寄は北海道第二の都市である旭川からさらに100キロほど北に入った盆地にある街です(途中に三浦綾子の小説で有名な塩狩峠がある).夏冬の温度差が激しいことで知られており,夏は30℃を超える一方,冬はマイナス30℃の日もあったりします.人口3万に満たない都市ですが,大学がありさらには自衛隊の大きな部隊(第3普通科連隊 私の父親も当時ここに勤務していた)も駐屯しているため,過疎地域の割には若年人口が多い街でもあります.かつては札幌から急行列車で3時間以上かかってたんですが,宗谷本線の高速化が図られて特急が運行されるようになり,今では札幌からの所要時間は2時間半程度に短縮されています.
札幌を出発したスーパー宗谷は快調に北上します.途中士別駅で上りの特急列車との行き違いのために10分停車しましたが(母親は「ここ来たことがある♪」と嬉しそうにホームに降りていた),結局10時19分に名寄に到着しました.
名寄駅は国鉄時代はオホーツク海の紋別方面に向かう名寄本線,西に向かってその後南下し深川に至る深名線が分岐する鉄道の要衝だったんですが,JR化後相次いで廃止されてしまい,今では宗谷本線のみの駅になっています.駅前には広々としたロータリーがありましたが,母親によるとだいぶ雰囲気が変わったとのことでした(まあ半世紀前だしな).
ここからはレンタカーを借りて行動します.まずは市内中心部にある名寄市立総合病院へ.実はここが私が生まれた病院なのだそうです.建物は近年全面改装されているため当時の面影はあるはずもないですが,場所は以前と変わっていないそうです.なんとなく感慨深いものがありました.
(写真6) 当時の住所をもとにだいたいこのあたりに住んでいたようです
続いては当時母親らが住んでいた場所の散策です.当時の住所から探すんですが,今とは違って何丁目何番地何号と個別の家が特定できた時代ではないため,はっきりとはわかりませんでしたが(母親自身の記憶も相当あやふやだし 笑),このあたりだろうという見当はつけられました.
この段階でお昼時になりました.この日は近隣の(とはいっても50キロくらい離れてますが 笑)音威子府(おといねっぷ)まで蕎麦を食べに行きました.日本各地に蕎麦処がありますが,ここ音威子府はおそらく全国最北の蕎麦処になると思います.ここの蕎麦は殻付きのまま製粉するため色が黒いのが特徴です.何か所かお店があるんですが,この日はJR音威子府駅構内のお蕎麦屋さんにしました.
このお店,駅そばとしても結構有名でテレビなどで取り上げられたこともあるようです(私は通算3回くらい来たことがあります).注文したのは天ぷらそば,スーパーなんかで売っている95%以上が衣じゃないかという天ぷらです(笑).もっと立派なかき揚げを使えばいいのにという声も聞こえてきそうなんですが,この衣が溶けて出汁と絡み合った味が最高なので自分的はこれで十分なのでした.
昼食後は今度は名寄の西,幌加内町にある朱鞠内湖に繰り出します.ここは冬特に寒いことで有名で,付近の母子里地区では1978年に戦後の日本では最低記録となるマイナス41.2℃を記録しています.朱鞠内湖は実は人造湖(すなわちダム)なんですが,島があったり周辺が森だったりして自然の湖だといっても違和感のない景観です.前述のとおり冬は極寒ですが(とはいえワカサギ釣り客は来るらしい),夏は絶好の行楽地であり,この日もボートやキャンプ,釣りを楽しむ人たちが来ていました(私たちは湖の遊覧船に乗りました).
しばし湖を堪能した後,名寄に戻りこの日宿泊のホテルにチェックインです.一日歩き回ったためこの日はホテルのレストランで夕食,名寄名物の煮込みジンギスカンをいただきました.
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