第17回ひのパレレポ
約3週間前に行われた,第17回ひの新選組まつりレポがホームページの方に完成しました.
まあブログの記事を再編集しただけなんですが,それでも向こうにアップすると一区切りついたなという気分になります.
さあ,これでのこるひのパレレポは2012年の第15回と,2010年の第13回の2つだけになった \(^o^)/.
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約3週間前に行われた,第17回ひの新選組まつりレポがホームページの方に完成しました.
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第17回ひの新選組まつり完結編です.
さて各隊が続々と第一小学校に集結して,いよいよ午後のパレードの開始となります.まずは注意事項の説明,今年の午後のパレードは昨年と同様に甲州街道を完全に車両通行止めにして,同じコースを2周する流れです.それに加えて今年の趣向は,パレード終了後本隊のうち六番隊から十番隊まではそのまま日野地区に残って閉会式を行う,一方の一番隊から五番隊はパレード後バスで土方歳三資料館へ移動,そこで勝ち鬨(?)をあげて高幡不動尊に戻りそこで帰陣式を行うという流れです.
例年閉会式や帰陣式は全体で行っていましたがこれを2つに分割するというわけです(なぜなのかは不明,時短のためか?).分割といえば第9回の時は午後に六番隊のみ別行動で井上源三郎資料館に行ったことがありますし,私が参加する以前の第7回では本体を4つに分割して行進したこともあったようです(古参の人たちの間では伝説の回のようです).
注意事項の説明では,昨年複数の方が熱中症で具合が悪くなってしまったこと,今年はそのようなことのないように,各自水分をまめに摂取するなど心がけてほしい旨が訴えられていました.その後,ミスター土方の音頭で勝ち鬨をあげ,午後のパレードの開始です.隊列は太鼓に保育園児隊を先頭に垂れ幕,高張提灯,その後ろに市村鉄之助,騎乗の土方歳三,近藤勇,佐藤彦五郎と続きます.昨年は佐藤彦五郎が騎乗,しかも近藤勇よりも前にいて,「すわ,佐藤彦五郎コンテストか!」と思ったものの,実は日野市長さんが扮していたことが判明したのですが,今年も佐藤彦五郎は日野市長だったようです(昨年とは違って徒歩,しかも近藤局長の後方とスポンサーっぽい位置になってました.新選組本隊はその後に続きます.小学校を出て川崎街道を北に向かい,突き当りが甲州街道,この日は自動車の通行を完全に止めてのパレードになります.沿道には大勢の観光客や地元の人たちが詰めかけていました.今回はここを2回通るんですが,1回目は大きなパフォーマンスもなく普通の行進,各隊定められた勝ち鬨ポイント(笑)で勝ち鬨をあげます.一番隊は沖田総司の号令で勝ち鬨をあげたほか,お昼休みにみんなで折った折り紙を沿道の子供たちに配ったりして交流を図ったのでした.途中で「ドクター!」と呼ぶ声が,私をこう呼ぶのは世界に一人しかいません(笑).毎年沿道で声援をくださるラブさんでした(去年の写真をいただいた.ありがとうございます \(^o^)/).
甲州街道を進んでいくと前方に中央本線の線路が見えてくるんですが,駅の方まではいかず一同途中の八坂神社に入ります.ここでしばしの休憩,ここに来たのは何年ぶりだろうなんて思ってたんですが,これを書くために去年の記事を見たところ,昨年も休憩場所になっていることに気付いた.人間の記憶力のあやふやさに驚いたのでした.ここには給水スポットもあって各自缶入りのお茶をいただきます.が,その後方に袋を抱えた係員が待機しており,あたかもここで飲めと言っているような雰囲気… 慌てて飲み始めた隊士もいたんですが,その様子をみて係員,「ここじゃなくて向こうにも回収所がありますから大丈夫です!」とフォローしていました(笑).
八坂神社から反対側に抜けて今度は川沿いの狭い道を歩いていきます.次の待機場所への移動だと思ってたんですが,軍中法度によると,これが佐藤彦五郎通りパレードとのこと! そ,そうだったのか,と思っていたらたしかに佐藤彦五郎資料館が見えてきました.納得はしたのですが観客は皆無,寂しいパレードでした(((+_+))).
佐藤彦五郎資料館を過ぎると右手にお昼の第一小学校が見えてきました.裏口から小学校に入りしばしの休憩です.見るとグランドにはテントが出ていて,ミネラルウォーターやカロリーメイトが並んでいます.昨年熱中症になってしまった隊士がいたことへの対策の一環のようです.このころには太陽も高くなりだいぶ汗もかいています.みんな我先にと手を伸ばしていました.
休息の後,2回目のパレードの始まりです.この2回目はパフォーマンス回ということで,各パフォーマンス隊はパフォーマンスを披露するのですが,我々一番隊はというと,途中で新政府軍の銃撃を受け,それに対して何らかのリアクションをせよという指令でした(笑).これについてはみんなで相談した結果,銃撃を受けて隊士はひるむものの,沖田総司が「そんなもので俺たちは倒せねえ,行くぞ!」みたいなことを言って敵をにらみつけて去るというものになりました.で,いったいどこでその襲撃があるのかと聞いたら,ガソリンスタンドのところとのこと,そんなのあったかなぁと思った皇帝でした.
1回目と同じく川崎街道を北上し左折して甲州街道に入ります.見渡すとさっきよりだいぶお客さんが減っています.聞いたら,1回目のパレードでおしまいだと思って帰った人が多かったとか.ちょっと残念でした((+_+)).そうこうしているうちにガソリンスタンドが見えてきました(やっぱりあったんだ).恒例の隊の紹介があったのち,新政府軍の銃撃が,すかさず件の沖田総司のキメ台詞で敵を圧倒した一番隊でした(今年の隊長は演劇系らしいので,その辺はさすがです).その後再び八坂神社に入って裏手から出て,2回目の佐藤彦五郎通りパレード,そしてまたまた第一小学校に戻ってきました(1~5番隊のみ.6番隊以降は甲州街道で閉会式).ここから今度はバスで土方歳三資料館に向かうことになります.
例によって一番隊からバスに乗り込んで移動です.多摩モノレール万願寺駅付近にバスは停車し,隊士は急いで土方資料館へ,そこで勝ち鬨ならぬちょっとしたパフォーマンスを行いました(もちろん石田散薬ネタ,当初は各隊ごとにやる予定でしたが,時間の都合で代表して沖田総司が音頭).
(写真) 今年の一番隊の集合写真
その後再びバスに乗って高幡不動尊へ,入り口でお昼に撮った各隊の集合写真を購入して土方歳三の銅像前に向かいます.しばらくは他の隊が来るまで写真を撮ったりして過ごしました.そして1~5番隊がそろったところで帰陣式です.ミスター土方や近藤局長も駆けつけて,最後の勝ち鬨をあげて解散となりました.
その後順徳小学校に戻って着替え,その後は有志の打ち上げに参加しました(幹事の神楽教授&エルサブお疲れ様でした).そして会を途中ぬけして電車を乗り継いで新横浜駅へ,そこから最終ののぞみに乗って京都で飛んでいったのでした.明日から始まる学会にむけて…
そんな感じで今年のひのパレは終了しました.一緒に参加した人たち,実行委員会の方々そして見に来てくださった方々ありがとうございました(今年はウチのKが来られなかったためにほとんど写真がないのでした ((+_+))).
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報道によると寝台特急「トワイライトエクスプレス」が来年春で運行を終了する模様です.
大阪-札幌間の寝台特急「トワイライトエクスプレス」、来春運行終了へ
トワイライトエクスプレスは大阪と札幌を結ぶ寝台特急です.B寝台車の他に展望付きの2人用個室(スイート)やサロンカー,食堂車などを併結していて,1989年の運行開始以来人気の列車となっていました.
そんなトワイライトエクスプレスが運行終了,理由は車両の老朽化だそうです.
寝ている間に目的地に到着する寝台列車は,その何とも言えない旅情で大好きな存在でした.かつては東京-西鹿児島(現 鹿児島中央)の「はやぶさ」をはじめ,東京・大阪と九州・東北を結ぶ路線を中心にたくさんの列車が走っていました.しかしながら,国鉄からJRへの移行の中で寝台列車の車両更新はほとんど行われませんでした.その間に新幹線網の発達と高速化,格安航空券の出現によってビジネス客の多くがそちらに流れ,一方で安い高速バスの登場によって若者を中心とした旅行客も離れていきました.
結果2000年代に入って多くの寝台列車は乗客が激減して次々に運行を終了,現在残っているのは東京-出雲・高松のサンライズと,上野-札幌の北斗星,カシオペア,そして大阪-札幌のトワイライトエクスプレスです(その他最近話題のJR九州の七つ星がありますが).
このトワイライトエクスプレス,旅行好きの私も一度は乗ってみたいと思いつつ,乗れないまま今に至っています(関西在住経験があるわけでもないので,旅程に組み込みにくいんですよね 笑).今回廃止が発表されたことで,どうにかして乗りたいなと思いました.
寝台車といえば設備が古いとか,コストパフォーマンスが悪いとかいわれます.まあその通りなんですが,自分的には夜行バスだとイマイチ眠れなくて,やっぱり完全に横になれる寝台車の方が魅力的なのです(東京-大阪の寝台急行「銀河」が廃止された時はショックだったなぁ).
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現在17回の様子をこのブログにアップしている最中なんですが,一足先に昨年の第16回ひのパレレポがホームページの方に完成しました.
こちらに新作レポが載るのは実に5年ぶりです(笑).従来はコンテスト編,パレード編の2部構成だったんですが,第16回はコンテスト時は京都で別用だったこともあり,全1部となっています.まだ1年前のことなのにかなり忘れています.その前のレポが書けるのかと不安になっているのでした (^。^).
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さて新選組本隊一同土方歳三の銅像前に集合,ここで恒例の法楽が行われます.まずは高幡不動尊の貫主様による読経,その後ミスター土方による勝ち鬨と進み,いよいよパレードの開始です(昨年から高幡パフォーマンスという名称に変更).提灯や幟,騎乗のミスター土方,近藤局長らが続き新選組本隊は一番隊から建制順に行進という流れになります.私の属する一番隊は沖田総司を先頭に旗持ちさん,そのあとに初参加の人達,その後ろにベテラン(笑)という配列になりました.私はというと,快男児!!さんと一緒に殿にいました(古参の悪たれ隊士という感じ 爆).ちなみにひのパレでは実在の隊士名が記された袖章をつけて行進します.今年は小学校の校庭で配られたんですが,私の袖章の主は小堀誠一郎,慶応三年頃の入隊で会津の母成峠の戦いで戦死したとされる隊士でした.
隊列は不動尊を出て目の前の横断歩道を渡り(途中で赤になりそうになり焦って横断),そのまま右に折れます.そこからしばらく行った曲がり角を左に入ります.住宅地のような道をしばらく進み郵便局の角をさらに曲がると高幡不動の駅の方に向かう形になります.ここで隊列は一時停止,ひのパレ恒例の待機時間です(順番にパフォーマンスのため).時刻はまだ10時半過ぎですが晴天のの太陽の照り付けは結構強く,このころから汗ばむ陽気になってきました.私はというと,朝に用意しそびれたミネラルウォーターを調達しに近くの薬局に駆け込んでいました.しばらくの待機の後,ようやく隊列が動き始めます.ここで各隊のパフォーマンスということで,一番隊は沖田総司のもと最初の勝鬨を上げての行進となりました.
これで午前中の高幡パフォーマンスは終了です(確かにパレードと呼ぶには苦しい距離と時間だ 笑).隊列は順次高幡不動尊の境内に戻っていきます.我々一番隊はそのまま五重塔前に移動して隊ごとの記念撮影に臨みます(この写真は夕方に受け取る予定).その後は朝に集合した大日堂へ.例年だとここで長~い昼休みになるんですが,今年は新選組本隊の一部は午後のパレードの出発地点である第一小学校に移動しての昼食というスケジュールになっているためここでお弁当をお茶を調達してそのままバスで移動の流れになります.これは例年不動尊から第一小学校への移動が律速段階になって進行が滞るため,あらかじめ隊の一部を動かしておいて時間短縮を図ろうという意図があると思われました.とはいえ移動までは少し時間があったためみんなで記念写真を撮ったりして過ごしました.
移動の時間になったため一同不動尊の外に出てバスに向かいます.一番隊は最初ということで比較的スムーズに移動できました.そしてバスに揺られること十数分第一小学校に到着です.で,当初の予定ではここの体育館で昼食という話だったんですが,この陽気で体育館内がサウナ状態(笑)ということで急きょ外で昼食ということになりました.ここでガイドの方から午後のパレードに向けて,沖田総司が子供好きだったというエピソードから,隊士みんなで折り紙を作って沿道の子供に配りませんかとの提案がありました.みんな異論のあろうはずはなく,昼食の合間に悪戦苦闘しながら折っていました.
そうこうしているうちに徐々にほかの隊も集まりだし,いよいよ午後のパレードの時間となりました(また続きます).
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ほぼ二週間たってしまいましたが,春の恒例イベント,ひの新選組まつりに参加してきました.今年の日程は5月10~11日の2日間でしたが,他の用事もあったため11日のパレードのみの参加となりました.10日に行われたコンテストは約30人のエントリーで,今年は初参加の方々を中心に選出された模様です(その辺の話を聞いたのは当日の朝).今年は2010年以来の隊士としての参加だったため,自前衣装をどうしようかと思案していましたが,結局事前に10日夜に宿泊予定のホテルに配送しておく形になりました(今年は立川のホテル).
そしていよいよ5月11日の朝です.実はこの日の天気予報,一週間前には雨マークが出ていました.ひのパレの雨というと午前のパレードが中止になってしまった第11回を思い出すんですが,それ以外私が参加したパレードは雨なしという晴れ男なので(第9回は曇りでしたが),
ビザンチン皇帝が参加するというのに雨が降るなんてありえない!!
と強く念じていたら,予報は雨から曇り,曇り時々晴れと来て,この日ついに晴れになりました(笑).朝7時過ぎにホテルを出てモノレールに乗って高幡不動駅へ,駅のロッカーに関係ない荷物を入れてそのまま着替え場所である潤徳小学校に向かいます.
受付で名前を告げると今年の所属隊を告げられます.今年はなんと一番隊!沖田総司の隊です.実は2009年のパレードも一番隊だったので,自分にとっては2度目の一番隊となります.「しまった!深町新作の袖章を持ってくるんだった」と後悔することしきりの皇帝でした(深町新作というのは司馬遼太郎の新選組血風録に登場する架空の隊士です 関連記事 ).
受付が住むと次は着替えです.今年は男性一般隊士は一番奥の部屋だったので移動だけで結構歩かされました(笑).部屋に入るとすでに大勢の人でごった返しています.ここで常連のOZEさんや函館から来ている快男児!!さんと再会し,昨日のコンテストの模様などを伺いました.その後朝食用のおにぎりをほおばり,着替えを済ませました.今年の着物はしばしば普段着で使っている白系のもの,袴は黒,羽織は2010年暮れに新調したものです(今年も地元の方が着付けのお手伝いに来て下さっていました).
着替えが終わると一同皇帝,じゃなかった校庭に集合します.快晴の青空のもと浅黄色のダンダラが並ぶ光景は壮観です.ここでは朝稽古と称して,基本的な太刀さばきの講習が行われました.近年はパレード中の抜刀がかなり規制される方向に来ているため,普段こうしたものに縁がない人にとっては貴重な機会です.
朝稽古が終わるとこんどは出陣式の会場となる高幡不動尊に移動となります.必然的に駅構内を通ることになるため,エスカレーターに浅黄色がずらっと並ぶいつもの光景が見られました(笑).
不動尊にはいつもの屋台が立ち並んで華やかな雰囲気を醸し出しています.そんな中出陣式が行われる大日堂前に集合します.ここで本日の一番隊の面々と顔合わせ,基本的に衣装貸出しの方々がメインでしたが,持参組として顔なじみのOZEさん,快男児!!さん,天牙さんがいました(5年前に一番隊だった時は持参組は私しかおらず,完全にショッカーの赤戦闘員状態だった…).
そうこうしているうちに沖田総司役の方が登場,きびきびした健康的な感じの方でした(演劇関係らしいです).さらに隊のサポートをしてくださる係りの方もやってきました(今年は女性の方でした).
時間になり出陣式の始まりです.ガイドの会のSさんによる注意事項の説明,関係者のあいさつに引き続き全体の記念撮影となりました.その後勝どきを上げてそのまま一番隊から土方歳三の銅像前に移動となりました.
以下 その2に続きます.
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日本の道100選 鎌倉市若宮大路(33番)
~鎌倉幕府の遺跡~
久しぶりに日本の道100選の話題です.今回のテーマは神奈川県鎌倉市の若宮大路です.
日本史上最初に武家として政権を握ったのは平清盛の平家ですが,それを打ち破り京都以外の場所を拠点として本格的な政権を打ち立てたのは源頼朝の鎌倉幕府ということになります.
頼朝が鎌倉に幕府を置いた大きな理由はそこが父義朝の基盤だったこともありますが,なんといってもそこが要害の地だったからです.鎌倉は南は海に面しているほか,東西北には山が連なり,街に入るためには山を切り開いた切通しと呼ばれる狭い通路を通るほかはなく防御に適した地形だったからです.
そんな鎌倉のメインストリートだったのが若宮大路です.由比ヶ浜の海岸から北上し,北の鶴岡八幡宮に至る1800メートルの参道で,頼朝が都市としての鎌倉建設の第一歩として自ら陣頭指揮にあたって造営したといわれています.途中に3か所の鳥居があり,由比ヶ浜方向からそれぞれ一の鳥居,二の鳥居,三の鳥居と呼ばれます.
そんな若宮大路の道路としての特徴が段葛(だんかずら)と呼ばれる構造で,これは道路の中心を一段高くしてその両側に堤を築いて石を置いた道のことです.元々は一の鳥居から三の鳥居までずっと,この段葛になっていたようですが,後世の地震や津波等で破壊され,現在残るのは二の鳥居から三の鳥居までの部分です.
(左写真5) 段葛の中央部分,(右同6) 段葛はこのように石段で区切られています
現在の若宮大路は鎌倉の目抜き通りとして鶴岡八幡宮参拝の観光客でにぎわっています.特に二の鳥居から三の鳥居間は沿道に土産物屋や飲食店などが立ち並ぶ一方,道路の中央部段葛部分は花が飾られた遊歩道となり,人々を楽しませています.
一方で二の鳥居から一の鳥居の部分は古くは琵琶小路と呼ばれた部分で,街路樹が植えられ比較的落ち着いた通りとなっています.ちなみに琵琶小路の名前は,道筋に弁財天を祀る祠があり,それを避けるように通っていた道の曲りが琵琶の曲線に似ていたからとも言われており,途中には琵琶橋という名の橋が架かっています(かつては川に架かっていましたが現在は欄干のみ).
顕彰碑の場所 JR鎌倉駅にほど近い場所にあります.
散策のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 平地でよく整備された散歩コースです.
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今日5月23日は世界亀の日なんだそうです.3月3日はミミ(耳)の日など日本独自の記念日はゴロ合わせからきてるケースが多いですが,この亀の日は「亀について知り、亀に敬意を払い、亀の生存と繁栄のための人間の手助けをする日」ということで,アメリカの非営利団体American Tortoise Rescue が2000年に制定したもののようです.
日本では亀というと鶴とともに長寿のめでたい動物というイメージですが,世界的には乱獲で絶滅の危機に瀕している品種も多いなど,保護の対象となっているイメージがあります.
そんな亀について考えようという日のようです.
これは2007年にマダガスカルを訪問した際に見かけたホウシャガメ(マダガスカルホシガメ)です.体長は50~60センチほどで,ドーム状に盛り上がった甲羅と星のような模様が特徴です.
一方こちらは2004年にインド洋のセイシェル諸島にあるバード島に行った際に見たアルダブラゾウガメです.島のロッジに住み着いている個体で雄なんですが,なぜか名前はエスメラルダという女性名です.推定年齢200歳といわれますから,日本でいえば江戸時代後期文化文政期の生まれということになります(高野長英と同じくらい?).こちらは体長が軽く1メートルを超えています.
日本ではかつて縁日などで金魚すくいならぬ,亀すくいなんてのもありました.ポイで金魚ではなく,ミドリガメ(アカミミガメの幼体)をすくうパターンだったんですが,動物に関する法律が変わったせいか最近では見かけなくなっています.
久しぶりに亀のことを考えているうちに,江戸の蘭学者にまで思いがいったのでした.
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人のうわさも七十五日という言葉がありますが,どんなに騒がれていることでも時間がたつと人々の関心が薄れてくるものです.そんな世間を映しだす鏡のような存在がいわゆるテレビのワイドショーということになります.試みに今朝の新聞のテレビ欄から午前中の民放各局ワイドショー番組を見ると,ほぼ某芸能人の薬物事件の話題一色でした(そのほか,PC遠隔操作事件の話題もあるようですが).
思い起こせば,今回の薬物事件の前には隣国の船舶転覆事件が,その前にはSTAP細胞騒動,さらにその前にはマレーシア航空機失踪事件が話題だったはずです.これらの事件の中には未だ未解決の事件も多く,報道が無くなったからといって解決したわけではありません.特にマレーシア航空機事件はいまだ機体も発見されていない状態です.しかし報道量が少ないと世間的には忘れられてしまいがちになります.もちろん次々に起こる新事件の量を考えるといつまでも一つの事件にかまっていられないという報道側の言い分もあるんでしょうが,この手の報道は旬の話題というと,そこまでやるかというほど大々的に取り上げるのに(STAP騒動の前半,まだ論文の矛盾が指摘されていない頃なんて,リケ女とか科学とは無関係な話題まで盛んに出ていたのは笑ってしまった),旬が過ぎたと判断されるや,まるでなかったかのように無関心になるマスコミの姿勢はどうなのかといつも思ってしまいます.
ちなみに,大きな事件・事故が起こるとその直前に話題だったスキャンダルが消し飛んで,結果的にはその当事者たちの危機が回避されることがあります.2011年3月11日の東日本大震災の直前には大相撲の八百長騒動があって,一時は大相撲存続の危機といわれていたんですが,震災で消し飛んでしまい,その後うやむやのうちに今に至っています(阪神淡路大震災の直前には埼玉の愛犬家殺人事件があって世間の注目を集めていたんですが,震災とその後の地下鉄サリン事件によって世間の関心が消し飛んでしまいました).
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この週末に出た話題でしたが,かつてアメリカ大リーグのクリーブランド・インディアンズやテキサス・レンジャーズなどで活躍し,日本でも1995年と1998年に千葉ロッテ・マリーンズに在籍,2008年に現役引退していたフリオ・フランコ氏がこのほどアメリカの独立リーグで現役復帰するというニュースが出ていました.
彼の生年については諸説があってはっきりしないらしいのですが,今言われている1958年説でいくと,今年で56歳になります.コーチ兼任ということのようですが,若手の指導をしているうちに自分自身も再びプレーしたいという気持ちが湧いてきたのでしょうね.
ちなみに日本のプロ野球の現役最高齢選手は中日ドラゴンズの山本昌投手で,1965年生まれですから今年で49歳になります.なんと!私よりも年上です(笑).中日の応援歌に「燃えよドラゴンズ!」という曲があって,その時代その時代に活躍,期待されている選手名が歌い込まれています.山本昌選手の初出は1988年ヴァージョンで,「山本メジャーのスピリット♪」と歌われていました(これは彼が1988年シーズンの前半,当時中日が業務提携していたロスアンゼルス・ドジャース傘下の1A球団に野球留学し,そこで学んだことを生かしてシーズン終盤復帰後活躍したことをイメージしている).以来燃えよドラゴンズはいくつものニューバージョンが生まれていますが,山本昌投手は常に登場し続けているのでした(今年で26年!!).
燃えよドラゴンズ! 1988ヴァージョン
今年はまだ一軍登板がないのが残念ですが,前述のフランコ選手共々われら中年の星として頑張ってほしいものです.
尚,漫画の世界では63歳まで現役だったあぶさんこと景浦安武,いつ引退したのかも不明な岩田鉄五郎などがいます(ともに水島新司作品).
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久しぶりの更新になってしまいました.
先日の日曜日,今年も恒例のひの新選組まつりに参加してきました.過去2年は出会った人々枠での参加,パレードの一番最後にくっついていたんですが,今年は久々の隊士としての参加でした.所属は2009年以来の1番隊,沖田総司の隊です.
今年は例年にない趣向で,前半の隊と後半の隊で午後の行動パターンが異なるという新機軸が打ち出されていました(その辺に関しては後日アップします).
パレード後は有志の打ち上げに参加して,その後新横浜から最終ののぞみで一路京都へ… とはいっても将軍警護ではなくて学会に参加するためです(笑).
例年こじんまりとした学会なんですが,今年は国際学会とのタイアップというわけで,国際会館が会場になりました.
で,定番イベントの懇親会では京都ということと外国からの参加者もたくさんいることから,会に華を添えるべく芸妓さん&舞妓さんも登場しました.
やっぱりこういう人たちが出てくると会が一気に華やかになります(顔が赤いのはお酒のせいというよりも,ひのパレで日焼けしたためです).
学会そのものは興味深いシンポジウムや特別講演もたくさんあって勉強になりました.
そういえば京都の国際会館って,かつてウルトラセブンとキングジョーが戦った場所ですね(笑).
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今日は5月7日,昨日までの連休(いわゆるGW)が終わってまたいつもの日常が再開されました.世間では8連休以上という人もいたようですが,私の職場は暦通り,しかも途中に当直等が入ってくるため,それほどの連休にはなりません.しかもGW期間中はどこに行っても混雑かつ値段が高くなるので,私的にはあまり出かけようという気分にもなりません.そんなわけでGWは逆に他のドクターに恩を売る絶好の機会とばかり(笑),積極的に仕事を入れているほどです.なのでこの連休,本当に1日フリーだったのは最終日の6日のみでした.
そんな6日は久しぶりに野球観戦に出かけてきました.行先は埼玉県所沢の西武ドームです.すぐ近くに多摩湖があり,狭山茶の里,というと私の世代では,8時だよ全員集合に出てきた志村けんの歌う,東村山町内音頭を思い出します.そんなのんびり風情のある土地柄で,日本のプロ野球12球団の本拠地でもっともローカルといわれる所以です.
この日は楽天との試合,野球観戦の場合大抵ホームチーム側に座るんですが(その方が何かと盛り上がるので),この日は手違いでビジター側でした.この日はほどよくヒットも出て,盛り上がった試合でした.
ちなみにこの日はLIONS HAPPY MOTHER'S DAY ということで,ピンクを基調としたアイテムが登場していましたが,1~3塁ベースもピンクになっていて面白かったです.
野球観戦というと,昔は結構ガラが悪くて,酔っ払いの野次が飛び交う雰囲気でした.特に1970~80年代のパ・リーグがマイナーだった時代は客席もガラガラで,野次が球場にこだまする感じだったんですが,最近は女性客も多くなっているせいかこの手の野次は減ってきています.また鳴り物の応援が盛んなため,仮に野次があってもかき消されて聞き取りずらいという面もあります(個人的にはあの野次がけっこう好きだったりするので,ちょっと残念です 笑).
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