日本の道100選6
日本の道100選 鎌倉市若宮大路(33番)
~鎌倉幕府の遺跡~
久しぶりに日本の道100選の話題です.今回のテーマは神奈川県鎌倉市の若宮大路です.
日本史上最初に武家として政権を握ったのは平清盛の平家ですが,それを打ち破り京都以外の場所を拠点として本格的な政権を打ち立てたのは源頼朝の鎌倉幕府ということになります.
頼朝が鎌倉に幕府を置いた大きな理由はそこが父義朝の基盤だったこともありますが,なんといってもそこが要害の地だったからです.鎌倉は南は海に面しているほか,東西北には山が連なり,街に入るためには山を切り開いた切通しと呼ばれる狭い通路を通るほかはなく防御に適した地形だったからです.
そんな鎌倉のメインストリートだったのが若宮大路です.由比ヶ浜の海岸から北上し,北の鶴岡八幡宮に至る1800メートルの参道で,頼朝が都市としての鎌倉建設の第一歩として自ら陣頭指揮にあたって造営したといわれています.途中に3か所の鳥居があり,由比ヶ浜方向からそれぞれ一の鳥居,二の鳥居,三の鳥居と呼ばれます.
そんな若宮大路の道路としての特徴が段葛(だんかずら)と呼ばれる構造で,これは道路の中心を一段高くしてその両側に堤を築いて石を置いた道のことです.元々は一の鳥居から三の鳥居までずっと,この段葛になっていたようですが,後世の地震や津波等で破壊され,現在残るのは二の鳥居から三の鳥居までの部分です.
(左写真5) 段葛の中央部分,(右同6) 段葛はこのように石段で区切られています
現在の若宮大路は鎌倉の目抜き通りとして鶴岡八幡宮参拝の観光客でにぎわっています.特に二の鳥居から三の鳥居間は沿道に土産物屋や飲食店などが立ち並ぶ一方,道路の中央部段葛部分は花が飾られた遊歩道となり,人々を楽しませています.
一方で二の鳥居から一の鳥居の部分は古くは琵琶小路と呼ばれた部分で,街路樹が植えられ比較的落ち着いた通りとなっています.ちなみに琵琶小路の名前は,道筋に弁財天を祀る祠があり,それを避けるように通っていた道の曲りが琵琶の曲線に似ていたからとも言われており,途中には琵琶橋という名の橋が架かっています(かつては川に架かっていましたが現在は欄干のみ).
顕彰碑の場所 JR鎌倉駅にほど近い場所にあります.
散策のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 平地でよく整備された散歩コースです.
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