日本の道100選5
日本の道100選 盛岡市寺町通り(8番)
~現代と調和する歴史的道~
(写真1) 盛岡寺町通り
江戸時代,今の北東北の半分以上の地域に広がっていた南部藩20万石の城下町が盛岡です.北上川,中津川,雫石川と3つの川の合流点に城が築かれ,その周辺に城下町が広がっているため,今でも市街地にたくさんの橋があることで知られます(ほとんど戦災を受けなかったこともあり,今でも狭い道路が多く,橋のところで慢性的な渋滞が発生することが問題になっています).
そんな城下町盛岡には寺院も多いんですが,藩政時代大きな寺院が市街地の北部に集められてできたのが北山地区です.そしてそこを貫くように通っているのが寺町通りになります.現在は20を超える寺院が集中する寺町で,県庁や市役所の北側,住所でいうと名須川町というところになります.
(写真3) 赤喜商店というお蕎麦屋さんです
片側一車線の道路で両側に歩道も整備され,周囲にはお寺の土塀や老舗のお店が並ぶ落ち着いたずまいとなっています.通りとしては400メートルほどと短い区間ですが,周辺には国の天然記念物に指定されている龍谷寺のしだれ桜や,岩手という名前の由来となった鬼の手形がある三ツ石神社などの名所があります.
(左写真4) 岩手の名の由来となった岩,(右同5) モリオカシダレ
三ツ石神社にある大岩に関しては,”昔羅刹というなの鬼がこの地にいて悪行を重ねていた.人々が三ツ石の神に祈ったところ,鬼は捕えられ大きな岩に縛り付けられた.たまりかねた鬼がもう悪さはしない,ここには来ないと約束して逃がされた.この時に約束の証として鬼の手形が押された岩がこの神社にあり,それが岩手という名前の由来とされる” という伝承があります.
この寺町通り,現在は国道455号線の一部となっていますが,この道は盛岡を北西に進んで早坂峠を越えて,岩泉町から太平洋に至る道で.江戸時代には沿岸部から塩を運ぶ大事なルート(野田街道)として活用されていました.
顕彰碑
顕彰碑の場所 東顕寺の前にあります.
散策のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 平地でよく整備された散歩コースです.
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