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2014年3月31日 (月)

消費税増税前に

 今日は3月31日,いわゆる年度末です.職場でも本日付けで退職や転勤になる職員のあいさつ回りなどが行われていました.明日からはメンバーも入れ替わり心機一転ということになります.

 一方で明日4月1日からは消費税が8%に増税となります.少子高齢化が続く国の現状を鑑みるにやむを得ない話ではありますが,一方で少しでも安いうちに買っておこうという庶民感情もあり普段利用する切符等を買いに駅に行ってきました.

140331_191344  小田原駅の小田急の切符売り場です.定期券を買い求める人で長蛇の列になっていました(まるで人気歌手のコンサートばりに駅員がプラカードを持って行列をさばいていた).私は職場と宿舎が近くなので定期券には用がないのですが,ちょくちょく利用する新幹線の回数券などを買ってきました.

P3310007_2  新幹線の回数券,明日からは1枚当たり80円の値上がりになります.

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2014年3月29日 (土)

B級ヒーロー列伝第3回

 約1か月半ぶりにホームページ本編に新記事が完成しました.

 B級ヒーロー列伝第3回 ジャンボーグA

 昭和48年に放送されたジャンボーグAの話題です.最近レンタルDVDで全話を鑑賞したのでアップしてみました.

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2014年3月28日 (金)

皇帝誕生日

 あと10分足らずになってしまいましたが今日3月28日は私,ビザンチン皇帝コンスタンチヌス21世の誕生日でした.何歳になったかはまあいいとして(笑),例年慌ただしい年度末に誕生日というのも不思議なものです(幼稚園や小学校時代には年度末の休みのため,クラスでお誕生会をやってもらえなかった 笑).私と同じ3月28日生まれの著名人を探してみたんですが,

 神田うの,レディ・ガガ,元横綱北の富士…

みな強烈なキャラの持ち主ばかりです.やっぱり年度末の慌ただしさがこうしたキャラを育てるのかとも思いました.ちなみにこれだけ年度末に近い生まれだと幼稚園から小学校低学年時代はケンカには勝てないわ,運動会の徒競走ではビリだわで悲しい気持ちになることもあるんですが(まあ,1年違うんだから当たり前と悟るのはある程度大人になってから),高校くらいになると,逆に人より1年早く学校に入っているという気持ちの余裕が生まれるのでまあプラスマイナスだとむしろプラスかなと感じています(自分が大学に受かった時,まだ17歳で酒・たばこはおろか特殊な映画も見られない身分だった).

 そんなわけで,今年も無事に誕生日を迎えられたことに感謝なのでした.

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2014年3月24日 (月)

日本の滝100選14

日本の滝100選 仙娥滝(34番)

P6180122 (写真1) 仙娥滝

 久しぶりの滝100選シリーズです.滝は山深い場所にあるケースも多いため,どうしても冬はシーズンオフといった印象になります.ここを訪問したのは実は昨年の6月のことです.

 仙娥滝は山梨県甲府市郊外にある著名な観光地昇仙峡の最深部にあり,富士川の支流である笛吹川のさらに支流の荒川にかかる滝です.落差は30メートルほどで,地殻変動によって川に断層が生じてできた滝だといわれています.ちなみに滝の名前である仙娥とは中国の神話に登場する嫦娥という名の月に上った仙女にちなむのだそうです.

P6180111 P6180113 (左写真2) 荒川,(右同3) 仙娥滝入り口

 有名な観光地にあるために交通の便も良好です.今回は仕事で甲府に行ったついでに足を延ばしました.甲府駅から昇仙峡行きのバスに揺られること1時間,滝上バス停で下車します(気合があるなら下界の昇仙峡口で降りて歩いて登るのも可).荒川に架かる橋を渡ると,お土産物屋さん地帯を通過,仙娥滝入り口の看板をくぐって進みます.遊歩道のようなところを数分歩くともう滝が見えてきました.

P6180149 (写真4) 昇仙峡を代表する景観,覚円峰

 たしかに地殻変動か何かで川が崩落したかのような地形になっています.滝はその段差を水しぶきを上げながら落ち込んでいました.

 仙娥滝からさらに遊歩道を進んでいくと,昇仙峡を代表する景観である覚円峰や石門を楽しむことができます.この日は途中のグリーンラインのバス停まで30分ほど散策をしました.

P6180150 P6180146(左写真5) 石門,(右同6) 水墨画のような景観です

 (訪問日 2013年6月18日)

P6180119_2 (写真7) 昇仙峡案内板

P6180121 (写真8) 仙娥滝全景

アクセス JR中央本線甲府駅から山梨交通バス,昇仙峡滝上行きで60分,終点下車徒歩5分程度です.

観瀑のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 観光地化されており,バス停からほど近くにあります.

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2014年3月21日 (金)

日本城郭検定

Mejogado 以前日本100名城スタンプラリーにハマっていて,機会を見つけては全国を飛び回り,結局2008年5月から2011年1月にかけてすべての城郭の登城を完了しました(日本100名城スタンプラリー).その後は日本の滝100選,さらには日本の道100選の方に興味が移ったこともあり,お城の方はご無沙汰なんですが,アクセス解析によると今でも当ブログを訪問する方のキーワードでは100名城関連が多くみられます.そんな関連で検索していたら非常に興味深い話題にたどり着きました.

 日本城郭検定

 これは日本100名城を選定した日本城郭協会が主催している検定です.境港妖怪検定の存在を知った時もビビビッとなった私,当然のように今回も琴線が大いに触れました(笑).

 サイトによると現在,日本100名城をテーマにした城郭検定が行われていること,次回は6月1日日曜日に第4回が各地で行われること,受験種目は簡単なものから4級(入門・シロップ級),3級(初級),2級(中級),準1級(武者返し級)の4段階で,併願もできるとのことでした(併願割引もあり).6月1日といえば,自分がらみの主要な学会が一段落した時期です.参加するための障害は軽度,こりゃぜひ挑戦したいものだと思いました.受験に際しては各種併願割引もあるようで,せっかくだから下から順に受けてみようかなと思ったのでした.で日程を見ると4級,3級,2級を併願することが可能です(さすがに準1級を入れるガッツはまだない).3つの級占めて受験料は11,100円,うーん,払えない金額ではないのだが…

 と悩んでいるのでした(悩む暇があるのならさっさと申し込めというウワサはあるのだが…).早めに申し込むと割引特典もあるそうです.また各級ごとに公認テキストも用意されているらしく,そちらを眺めるのも楽しそうだなと思いました.

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2014年3月19日 (水)

タイミング

 今日のお昼所要があってちょっと出かけてきました.そこに行くには電車とバスの2通りの方法があります.本数はバスの方が多く,値段は電車の方が安いです.ちなみに所要時間はどちらも大差ありません(電車がローカルなので速度が出ないからというウワサ).

 で,時計を見たら電車の時間まで13分あります.ならばバスにしようとバス停に行きました(駅とバス停は徒歩1分30秒ほど).時刻表を見たら,あと2~3分でバスが来る予定です(しかも複数のバス会社が).

 「こりゃラッキー☆」と思って待ってたんですが…,なかなか来ません.時計を見たらそろそろ電車の方が来てもいい時間です.駅の戻ろうかとも思ったんですが,歩き始めた瞬間にバスが来たらショックなので,バスを待つことに…

 でも来ません ((+_+)).そのうちに彼方から踏切の警報が聞こえてきました.

 「あゝ,電車が来てしまった」 この段階ではすでに駅に行っても間に合いません.泣く泣くバスを待ちました(結局その数分後にようやく来た).

 用足しを済ませて,さあ帰ろうと思って駅にいくと,電車まであと5分でした.行きのこともあるし,帰りは電車にしようと改札を過ぎて,跨線橋を登りながらふと道路を見ると,1台のバスがブーンっと…

 なんてタイミングが悪いんだ! と感じた昼下がりでした (ToT)/~~~.

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ミャンマー旅行記6

 ミャンマー旅行記の完結編です.

 2月11日,とうとう旅行最終日になってしまいました.この日は終日ヤンゴン市内を観光して夜のフライトで帰国という流れになります.この日のモーニングコールは6時半,実は今回の旅行では結構ゆっくりな部類です.支度をして7時に朝食,最初の日は早朝出発のためお弁当だったので,ここの朝食は初めてということになります.内容は一般的なビュッフェスタイルで卵料理もあったんですが,2日目のバガンのホテルと違って出来合いのものが置いてあるだけなのが残念でした.その後部屋でくつろぎ,8時半に出発となります(ちなみにチェックアウトはまだ).

P2111033 (写真1) シュエダゴンパゴダ,遠景からでもこの大きさです

 まず最初に向かうのはシュエダゴンパゴダ,ヤンゴンを代表するパゴダです.高さは99.4メートルということで,昨日見たバガンのシュエモードーパゴダよりも小さいんですが,元々シングッダヤという小高い丘の上に立っているために,市街地からの高さはこちらの方がありそうです.このパゴダは東西南北に入り口がありますが,この日は南の入り口から入りました.

P2110395 (写真2) 黄金のパゴダが眩しいです

 いつものようにサンダルを脱いで受付を済ませてから向かう先は… なんとエレベーター!,このシュエダゴンパゴダは丘の上にあるため,誰でも簡単に行けるようにとエレベーターが設置されているのでした(大阪城状態 (^。^),もちろん歩いて丘を登ることも可能です).エレベーターを降りて長い渡り廊下を歩き外に出ると,目の前に巨大がパゴダが金色に輝いています.我々は時計回りにパゴダを一周してみました.

P2110338 (写真3) これは土曜日の祠です

 ミャンマーには八曜日と呼ばれる独特の風習があります.現地の人たちはでは自分が生まれた日が何曜日かという点に関心が深く,曜日によって性格や相性も決まると考えられているようです(日本でいえば星座や血液型みたいなものでしょうか).八曜日といっても別に8日サイクルの暦を使っているわけではなく,普通の一週間のうち水曜日を午前と午後に分けて八曜日としています.各曜日にはそれぞれ方角や守護する動物も指定されていて,人々は自分の曜日の方角や動物を大事にしているそうです.ガイド氏に調べてもらったところ私のは月曜日,Kは火曜日でした.ここシュエダゴンパゴダにはそれぞれの方角に各曜日の祠があってお参りをする人々が絶えませんでした(自分の曜日と占いはこのサイトで確認できます 八曜日占い).

P2110364 P2110382 (左写真4) お祈りをする人々,(右同5) 鐘を撞くK

 当地は上座部仏教を信仰する人が非常に多いんですが,人々は功徳を積むために様々なことを行います.特にパゴダに金箔を貼ることは一般によく行われています.ここでは我々も金箔貼りをしてきました.前々日のチャイティーヨ・パゴダでは女人禁制だったため私だけがやって,風が強くて大苦戦だったんですが,ここは屋内だったため非常に貼りやすかったです.1時間半ほど見学してパゴダを後にしました.

 その後は巨大寝仏があることで知られるチャウッタージーパゴダへ,ここの寝仏は昨日見たバゴーのシュエターリャウン寝仏よりも大きくて,体長70メートルもあります(ウルトラマンでさえ40メートルなのに…).また,バゴーのは宝箱を枕に寝ているイメージだったんですが,ここのはいわゆる手枕スタイルで,世間一般の寝仏のイメージに一番近いものかと思います.足の裏に文様が描かれているのはバゴーと一緒ですが,こちらのは仏教宇宙観図なのだそうです.

P2111124 P2111134 (左写真6) 巨大な寝仏,(右同7) 足の裏は仏教宇宙観図

 寝仏見学の次はヤンゴン中央駅近くにあるボージョーアウンサン・マーケットへ,ここは宝飾品を中心にいろんなお土産物がそろった巨大市場です.通路に面してたくさんのショップが並ぶさまは,イスタンブールのグランドバザールをほうふつさせます.ここでは我々も各種お土産物を購入しました(昨日のショーにも出てきたミャンマー風の傘も買いました).

P2111163 (写真8) ボージョーアウンサン・マーケット

 マーケットを出たあたりから気温がだいぶ上がってきて汗ばんできます(この時日本は大雪で大変なことになっていたんですが,知ったのは帰国後のこと).ここで一旦ホテルに戻ってお土産をスーツケースに詰める作業などを行い,チェックアウトを済ませました.

P2111180 (写真9) 昼食のレストラン

 チェックアウト後は市内のレストランでミャンマー料理をいただきます.内容は豆のスープに牛肉,魚料理です.野菜も出てきたんですが,焼きナス料理にKの苦手食材パクチーが入っていて断念していました(笑).このレストランでは隣のテーブルにフランス人の団体さんが入ってたんですが,ミャンマー料理でもしっかりとワインを注文してたのはさすがフランス人です.

P2111175 P2111176 (左写真10) 牛肉料理,(右同11) こちらはお魚です

 ランチ後は中央駅の南,海に近い方面の散策です.ヤンゴンはイギリス植民地時代から1980年代まではラングーンという名前で呼ばれていましたが,当時の街の中心だったのがこの地域です.特にスーレーパゴダを中心とした界隈は道路が碁盤目状に区画され,植民地時代の建物が立ち並ぶ歴史的な地域となっています.

P2111213 (写真12) 独立記念塔

 スーレーパゴダに隣接するマハバンドゥーラ公園は当時は ヴィクトリア広場と呼ばれていたそうですが,今では巨大な独立記念塔が立つきれいな公園になっていて,市民の憩いの場になっています.若いカップルが非常 に多くて,昼間だというのに芝生の上でいちゃついている人もたくさんいます(日本の公園だとこういうのは夜なんだが 笑).公園の北,スーレーパゴダの隣 にあるどっしりした建物がヤンゴン市庁舎そして公園の東にある見るからに英国風な建物が旧ヤンゴン最高裁判所です.

P2111206 P2111217 (左写真13) ヤンゴン市庁舎,(右同14) 旧最高裁判所

 公園を一周したのち,スーレーパゴダを見にくことにしました.で,道路を横断しようとするんですが… 交差点の歩行者信号が青にもかかわらず,右左折車がどんどんやってきます.日本だとこういう場合歩行者優先なんですが,こちらでは基本的に車優先のようで,結局渡れずに赤になってしまう… なんていうケースも多々ありそうでした.そのためか,こちらの人は車がビュンビュン走っている幹線道路でも,絶妙な間合いを取ってひょいひょいと横断しているのが凄いなと感心したのでした.

P2111239 (写真15) スーレーパゴダ

 スーレーパゴダは午前中に見たシュエダゴンパゴダに比べると小ぶりでしたが,八曜日の祠も設置されているなど設備は充実していました.ただ,この時間帯になってくると朝から照り付けている太陽の熱で床がかなり熱くなっていました(裸足なので結構暑さを感じる).近くを見たらスマホをいじっている僧侶がいて,なんか組み合わせが面白いなと思ったのでした.

P2111252 (写真16) スマホをいじる僧侶(時代の流れを感じます)

 その後はトイレに行きたくなったために先ほどの公園内にある有料トイレへ,有料だけあってきれいな環境でした.途中で公園の北側が閉鎖されていて大勢の警備員が配置されています.なんだろうと思っていたら,どうやら政治家(もしかして海外の要人かも)が来ていた模様でした.

P2111280 P2111285 (左写真17) 露店がたくさん立ち並びます,(右同18) 生ビールで乾杯!

P2111287 P2111298 (左写真19) 焼き鳥に似ています,(右同20) ミャンマー風たこ焼きでしょうか?

 公園を後にして今度は中心部にあるチャイナタウンの散策です.ものすごい数の出店と買い物客ですごい熱気です(アジア的な熱気というべきか).ここでは地元のカフェに入ってミャンマービールの生ジョッキをいただきました(美味しかったです).

P2111354 (写真21) ライトアップされたシュエダゴンパゴダ(なんとなくエッフェル塔を思い出します)

 そうこうしているうちに日が暮れてきました.その後はライトアップされたシュエダゴンパゴダを見学して空港に向かいます.チェックインはあっという間に完了して出発ロビーへ,しばらくカフェでワインを飲んで時間をつぶしました.そして搭乗の時間となり機内に入ります.往路は8時間近くかかったヤンゴン-成田ですが,気流の影響なのか復路は6時間ちょっとです.安定飛行になったのち機内食が配られたんですが,けっこう飲んでいい気持になっていたために断って爆睡モードに入っていました.そして,次に気が付いたのが着陸ちょっと前です.こういして東南アジアの熱気の世界から真冬の日本に帰って来たのでした.

 詳細な旅行記はいつの日か(笑)HP本編にアップする予定です.

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2014年3月15日 (土)

宇津井健さん死去

 俳優の宇津井健さんが昨日(3月14日)の午後に亡くなったというニュースが流れていました(俳優の宇津井健さん死去 ).

 宇津井健さんといえば,なんといっても赤いシリーズです.山口百恵と三浦友和が結ばれるきっかけになったことでも有名なシリーズなんですが,なんといっても宇津井さんの圧倒的な存在感がなければこのシリーズは成功していなかったろうと思います.

 このシリーズ,放映当時私の母親が熱中してみていたため,自分もつられて見始め,ハマったというのが正解です.最初の赤い迷路はほとんど記憶がないんですが,次の赤い疑惑では大学病院の放射線科教授を演じられていたのが宇津井さんでした.このドラマは白血病や再生不良性貧血といった病気の話題が出てきて,当時(小学校中学年)保健室にあった医学系の本を見に行って勉強した思い出があります(自分が医学に触れた最初のテレビドラマかも).その次の赤い運命では検事役として殺人事件容疑者役の故・三國連太郎さんとの対峙が強烈な印象でした.この作品では伊勢湾台風に際してのお互いの娘に関する証拠品の入れ違いや,戦前戦中の満州での体験など背景が深くて,当時小学生の自分には難しすぎる話でした(なのでこの作品の面白さがわかったのは再放送時).第4作の赤い衝撃では宇津井さんはほぼお休みで,その次の赤い激流で再び主演に戻ります.音楽大学一族に属するピアノ科教授という役柄で,水谷豊との体を張った演技が熱くて,自分的には一番好きな作品でした.

 その後,大河ドラマの武田信玄での直江影綱役など時代劇作品にも登場したのは世よく覚えています.もっとも自分自身が特に就職後,ドラマを見る頻度が激減してしまったため,その後の活躍については残念ながら知らないのでした.

 とはいえ,このたびの訃報に接し,彼の出演作品にまた触れてみたいなと思ったのでした.宇津井健さんのご冥福を心からお祈りいたします.

 宇津井健さんといえば,この作品も有名です(さすがにリアルタイムではしりませんが).

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2014年3月11日 (火)

快晴

P3111518 今日は朝から快晴,3年前のあの日も 今日と同じように朝から晴れていたのを覚えています.院長も副院長も出張で不在というなんとなく,酸素が増えたような開放感に浸っていました.ちょうどあの時刻までは…

 これからも決して忘れることのないであろう日です.

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2014年3月 9日 (日)

日本の道100選1

日本の道100選 千代田区内堀通り(28番)

 ~城郭と高層ビルの道~

 というわけで,先日日本の道100選を歩くと宣言した当日,偶然にも(笑)都内に用事があり,ついでに最初の道を歩いてきました.記念すべき第1号は東京都千代田区にある内堀通り,お堀に沿って皇居を一周している道路です.

P3081458 (写真1) 内堀通り(皇居の東側)

 正式な路線名は都道401号麹町竹平線といいます.首都東京の中心にある皇居周辺の道路ということで,この企画の最初を飾るにふさわしい道と言えます.この日はJR東京駅から西へ進み,いわゆる皇居前広場から反時計回りに歩きました.

P3081447 P3081456 (左写真2) ランナーが多いです,(右同3) 皇居の巽櫓

P3081496_2 (写真4) 半蔵濠の様子

 土曜日の晴天ということもあるんでしょうが,市民ランナーと外国人観光客がかなり多かったです(一方で場所柄生活感を感じさせる歩行者はほとんどいませんでした 笑).沿道には国会議事堂や最高裁判所など国の最高機関や国立公文書館,国立劇場,武道館などの著名な施設が数多くあります.

P3081472 P3081502 (左写真5) 江戸城を最初に築いた太田道灌の碑,(右同6) 皇居の西側,国会議事堂が見えます

P3081509 (写真7) 高層ビルと桜田門の対比がいいです

 日本の道100選のガイド本によると,この道のテーマは「城郭と高層ビルの道」です.日本最大の近世城郭である江戸城の歴史的建物と,現代都市の象徴ともいうべき高層ビルが同居する光景は,なるほど他では見られないものだなと感じました.

 内堀通りの一周は約8キロ,この日は約2時間で歩きました.

P3081469

P3081464 P3081466(写真8) 日本の道100選顕彰碑


より大きな地図で

顕彰碑の場所 気象庁の対面,和気清麻呂像の背中側の道路に面したところにあります

散策のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 平地なので気軽な散歩コースです.

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ミャンマー旅行記5

 もう1ヶ月経ってしまいましたが,ミャンマー旅行記4日目,この日はチャイティーヨから下山,途中の古都バゴーを観光してヤンゴンに戻る日程です.

P2100761 (写真1) ホテルからパゴダが見えます(かなり望遠ですが)

 この朝のモーニングコールは6時半の予定だったんですが,前夜が早かったこともあって勝手に目が覚めました.身支度をして朝食のためにレストランへ(昨夜と同じところ),朝食はトーストにバナナ,玉子料理,スイカジュースのセットでした.その後しばらく部屋でくつろいで,8時5分にホテルをチェックアウト,出発となります.

P2100769 (写真2) 我々が宿泊したホテル

 昨日同様結構な急斜面を下山,数分でバスターミナルに到着です.すでにほぼ満員状態のトラックが待機していました.しかしガイド氏は,このトラックは昨日のと違って手すりもなく狭いこと,次のトラックなら交渉して前の座席に座れるかもしれないということで,このトラックはパスすることになりました(結局交渉の結果,次トラックの前の座席に乗れることになった).

P2100779 (写真3) 我々が乗るトラックは右の白いのです

 先発のトラックが出発したのち,我々のトラックとなるのですが,運転手がどこかに行ってしまったために乗り込めません… 仕方ないのでその辺の痩せこけた犬を眺めていました(昔行ったイスタンブールはネコが多かったが,ここは犬が多い印象).その後運転手が現れ乗り込みます.このトラックは元々日本の長距離トラックだったもので,前列に運転手を含めて3人座ることができ,さらにその後部(運転交代要員が仮眠をとるスペース)にも客を3人乗せるのがスタンダードらしいんですが,この日は我々だけの独占となりました(私とK,それに運転手が前席,ガイド氏が仮眠スペース).

P2100792 (写真4) 狭い道で対向車とすれ違います

 やがてトラックが満員となり出発です.しかし… 行き違いのためすぐに停車,しばらく道のわきで待機です.やがて対向車が5~6台やってきてようやく出発かと思ったんですが,なぜか後続のトラックに先に行かれてしまいました(なぜだ! 別にお坊さん専用トラックとかでもなかったのに).まさに「後か~ら~,来た~の~に,追~い越~さ~れ」状態でした(笑).それでもようやく出発したトラック,急こう配&急カーブの下り坂をほぼロー&セカンドで下って行きました(荷台と違って前席は快適でした).

P2100800 (写真5) 願いがかなうパゴダ

 9時半ごろに麓の街キンブンに到着,トイレを済ませたのちバゴーに向けて出発です.このルートは昨日来たルートを戻るだけなので,景色は変わらないのですが,途中に願いがかなうパゴダというのがありました.

P2100852 (写真6) シュエモードーパゴダの入り口

 11時ごろにバゴーの町に到着です.ここはかつてペグーと呼ばれていた古い町で13~16世紀にモン族の都として大いに栄えたところです.一昨日観光したバガンやミャンマー中部の都市マンダレーと同様多くの仏教遺跡があることで知られています.まずはこの街のランドマーク,シュエモードーパゴダに向かいます.このパゴダは1200年以上の歴史を誇るといわれており,過去何度も地震の被害にあったものの再建が行われ,現在高さ114メートルとミャンマー最大を誇っています(ヤンゴンのシュエダゴンパゴダよりも高い).実際にここには過去の地震で倒壊したパゴダの先頭部分が保存展示されています.

P2100878 P2100884 (左写真7) 右にかつての仏塔があります,(右同8) 記念撮影

 シュエモードーパゴダは巨大な黄金の仏塔を中心にその周囲に何十もの小さな仏塔(こちらも金ぴか)が取り囲む形になっています.さらには東西南北各方位には祈祷の施設やいろいろな展示物を並べるスペースもありました.またここには,日本人が寄進したという鎌倉の大仏のレプリカ(?)も飾られています.

P2100896 (写真9) 鎌倉の大仏のレプリカです

 続いてはバゴーの王宮博物館の見学に向かいます.前述のとおり,この街は13~16世紀に王都として栄えた歴史があります.残念ながら当時の建物はすべて失われてしまいましたが,近年王宮を構成していた柱や柱穴が発見され,往時の姿を復元したものが造られ博物館となっています.

P2100909 (写真10) 王宮博物館にある当時の柱

 その後は町郊外のシュエターリャウン寝仏に向かいます.ここは10世紀にモン族のミガディパ王が造ったといわれる体長55メートルの巨大寝仏です.モン族の王朝が衰退したのちジャングルの中に埋もれていましたが19世紀末のイギリス植民地時代に発見され,再び日の目を見ることになったものです.シュエモードーパゴダにあった鎌倉大仏との違いを見れば明らかなんですが,日本の仏像は渋いイメージなのに対して,ミャンマーの仏像は明るくて,お茶目な感じがします.全身像なので足の裏も見られるんですが,細かい文様が描かれているのが凄いです.

P2100957 P2100960 (左写真11) シュエターリャウン寝仏,(右同12) 足の裏には細かい文様が

P2100966 P2100968 (左写真13) 枕が財宝箱に見えます。(右同14) 正面像

 ここを出ようとしたらお土産物売りの子供が多数寄ってきました.あんまり熱心なので(笑),古いコインや竹の扇などの小物をいくつか買ってあげました.

 この後は昼食になるんですが,実はこの寝仏の近くに寄りたい碑があるため,ガイド氏にお願いして行ってみることにしました.ミャンマーは第2次大戦で日本軍とイギリスを中心とする連合軍との間で激しい戦闘が行われた場所です.双方に多くの死傷者が出たのですが,初戦から昭和19年の秋までこの地の第一線で戦っていた第55師団の慰霊碑が寝仏近くの僧院(チェーニガン僧院)にあります.僧院では古い建物の中で子供たちへの初等教育を行われていましたが,そんな建物の間にその慰霊碑が立っていました.

P2100972 P2100973 (左写真15) 僧院の入り口,(右同16) サッカーに興じる子供たち

P2100976_2 P2100977 (左写真17) 第55師団の慰霊碑,(右同18) 文章です

 僧院を後にして昼食となります.昨日入ったお店がおいしかったので,今日もそこにしようということになりました.この日は焼きエビとチキンヌードル,チャーハン(とビール)を注文しました.やっぱりおいしかったです.

P2100986 P2100987 (左写真19) 焼きエビ,(右同20) チキンヌードル

 昼食後はヤンゴンに向かってひたすら走ります.途中,ガイド氏と運転手が家に持って行くスイカを買うということで屋台に立ち寄りました.日本ではスイカというと丸いイメージなんですが,ミャンマーのスイカはみな細長い形をしています.所変われば… といいますが,なんだか面白いなと感じたのでした(普通の果肉が赤いスイカの他に,いわゆるクリームスイカもあった).

P2100989_2 (写真21) ミャンマーの細長いスイカ

 16時過ぎにヤンゴン市内に入り,初日にも泊まったパノラマホテルにチェックイン,今日は結構砂ぼこりの中を歩いたので,まずはシャワーを浴び夕方までくつろぎます.そして18時過ぎに夕食に向かいました.この日は市内のカンドーヂ湖に浮かぶレストランでのショー付きのビュッフェです.このレストラン,ガイド氏は屋形船と呼んでいて,たしかに船の形をしているんですが,動くことはないようです.食事はビュッフェなので東西のいろんな料理が並んでいましたが,Kによるとナマズのミャンマー料理が美味かったとのことでした.一方で日本風の蕎麦もあったんですが,乾麺を1時間茹でたらこうなるんだろうな(笑)というようなものでした.

P2100998 P2101018 (左写真22) 夕暮れのカンドーヂ湖,(右同23) レストラン

 食事後はホテルに戻ります.明日はいよいよ最終日なのでした.

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2014年3月 8日 (土)

日本の道100選プロローグ

 自分はあちこちで歩くのが好きなんですが,なにかテーマを決めて出歩くのも好きだったりします.以前は日本100名城スタンプラリーにはまっていたんですが,2011年1月に100城すべて回ってしまった後は,日本の滝100選に選定されている滝を歩くのが基本パターンになっています.

 とはいえ,滝は山深い場所にあるケースが多く,冬などはなかなか訪問自体が困難になってきます(冗談でなく遭難の危険がある滝も).

 というわけで,シーズン関係なく訪問でき,交通の便もよさそうな企画はないだろうかということで見つけたのがこちらです.

Img071

 日本の道100選です.

 これは昭和61年に「道の日」が制定されたのを記念し,当時の建設省が全国の道路の中からその歴史や景観,さらには各都道府県の推薦などを考慮して選定したものです(選定にあたったのは「日本の道100選」選定委員会).もちろん北は北海道から南は沖縄まで全国から選ばれています.

 こちらは道路ですから,もちろん季節に関係なく普通に行けるわけで,これからしばらくは滝と道の二本立てで全国を歩いてみたいなと思ったのでした.

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2014年3月 3日 (月)

東京駅の歴史的場所

 今日3月3日は桃の節句です.ひな祭りなど華やかなイメージがある日ですが,一方で幕末期にはこの日に結構大きな事件が起こっています.

 まず安政元年(1854年)の3月3日には日本の開国の嚆矢ともいうべき日米和親条約の締結が行われました.また安政七年(1860年)の3月3日には江戸で時の大老井伊直弼が水戸浪士らの襲撃を受けて暗殺されるという大事件が起こっています(桜田門外の変).さらに慶応四年(1868年)のこの日には幕末の草莽隊のひとつである赤報隊一番隊の相楽総三以下が処刑される事件(いわゆる赤報隊ニセ官軍事件)も起こっています.特に桜田門外の変は時の最高権力者が白昼堂々と浪人に襲撃されるという,幕府としては前例のない不祥事であり,幕府の威信が著しく低下していることを世間に印象付けました.

 政府首脳の暗殺事件というと,世間に与える不安は非常に大きいものがあります.ちなみに日本の近現代史において,現職の総理大臣が暗殺事件に巻き込まれた例として,大正10年の原敬,昭和5年の濱口雄幸,昭和6年の犬養毅(いわゆる5・15事件)が知られています.このうち原敬と犬養毅は即日死亡,濱口雄幸は事件で重傷を負い後に死亡しています.

Pc110051(写真1) 東京駅丸の内口

 この3件のうち犬飼は首相官邸で遭難しましたが,のこりの2件の舞台はいずれも今のJR東京駅で起こっており,駅にはそのことを示す碑があります.先日用があったついで見学してきました.

 平民宰相と呼ばれた原敬が暗殺されたのは大正10年11月4日の夜でした.この日彼は立憲政友会の京都支部大会に向かうため東京駅を訪れそこで難にあったものです.犯人は当時大塚駅の職員でした.事件の起こった場所は,東京駅の丸の内南口にあります.

P3011382P3011383(左写真2) 原敬殉難の場所,(右同3) 事件に触れたプレート

 一方で濱口雄幸首相が襲撃を受けたのが昭和5年11月14日朝,同日から岡山県で行われる陸軍の特別大演習視察に向かう途中でした.犯人は右翼活動家の青年で,事件直後に逮捕されています.濱口の受難場所は今の新幹線中央乗換口付近になります.

P3011375P3011376(左写真4) 濱口雄幸受難の場所,(右同5) 事件のプレート

 大勢の人々が行きかう場所ですが,あまり知られていないのかプレートに注目している人はほとんどいませんでした.

P3011378(写真6) 事件の場所を示す印

 床には事件の起こった場所を示す印も埋め込まれています.

 そんな日本の近代史に思いを馳せた桃の節句でした.

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2014年3月 2日 (日)

ミャンマー旅行記4

 ミャンマー旅行3日目です.

 この日はミャンマーにおける仏教信仰のメッカ(変な表現 笑)であるチャイティーヨ・パゴダを見学する日です.5時にモーニングコールで起こされ,身支度をして朝食会場へ.まだ朝早いせいか一番乗りでした(笑).この日の朝食はビュッフェスタイルで卵料理付きという,いわゆるアメリカンスタイルでした.

P2090485 (写真1) 空に浮かぶ熱気球

 7時にガイド氏と車がやって来て空港にむけて出発です.途中,空にはたくさんの熱気球の姿が見えます.これはバガンの遺跡群を空から見学するという企画なのでした.ガイド氏の話では350米ドルくらいするとのこと,たしかに高いけど,いつか体験してみたいなと思いました.

 7時半に空港に到着,ここからヤンゴン空港に飛ぶ予定なんですが,なんと! この日も飛行機の遅れが… 今日の飛行機はミャンマー中部の都市マンダレーからここを経由してヤンゴンに向かう便なんですが,まだマンダレーを飛び立てないでいるとのこと(たぶん霧),ガイド氏も2日連続は経験がないと言ってました(笑).

 仕方がないので,空港内のカフェで時間をつぶすことにします.私はカプチーノ,kは紅茶を頼んでいました.ふと窓の外を見ると,田野畑と書かれたバスを発見,も,もしかして田野畑村のことか! と急いで外に出てみます(田野畑村とは岩手県沿岸北部,久慈市と宮古市の中間付近にある人口3500人余りの村).よく見たらやっぱり田野畑村のバスでした(笑).

P2090517(写真2) 田野畑バスに乗り込む欧米系観光客

 ミャンマーでは日本の中古バスがそのまま走っているケースが多いんですが,その中でも状態のいい車両は外国人団体観光客のツアーバスに使われます.この田野畑村バスには欧米系の団体ツー客が乗り込んでいました.田野畑村と欧米系ツアー客の組み合わせがシュールだと感じたのでした(昨年の朝ドラ「あまちゃん」人気で欧米人も殺到というシチュエーションか! 笑).

 約1時間遅れで飛行機が到着,9時25分に離陸しました.安定飛行後軽食が出たのは昨日と同じです(内容は違いましたが).我々が座っていたのは最前列のシートだったんですが,見るとコックピットへのドアが開けっ放しになっています.保安上大丈夫なのかと心配してしまいました.

 約1時間半のフライトでヤンゴン空港に到着,ここからは車でチャイティーヨを目指します.外に出るとバガンとは違って熱気に包まれます.飛行機が遅れたのでなるべく急ごうということで,さっそく出発します.

P2090547(写真3) 昼食のチョーソワ・レストラン

 例によって渋滞しているヤンゴン市内を抜け国道1号線を走ります.途中第2次大戦時の英軍戦死者の碑を見て北東に進みます.約1時間半ほどでバゴーの街に着きました.ここはミャンマーでも歴史の古い町で見どころも多いんですが,ここの見学は明日に回してまずはランチです.

P2090549P2090550(左写真4) ビーフンです,(右同5) こちらは豚肉の炒め物

 ここではなにか適当に好きなのを注文してよいということで,シーフード入りビーフンと豚肉の炒め物をにしました(あともちろんビールも 笑).ビーフンはけっこうあっさり味で日本人好みでした.昼食後再び車で走ります.バゴーの北の小さな町で道路は2つに分かれ,我々は東に向かう国道8号線に入ります.しばらく走ると巨大な川を渡る大きな橋があります.この川がミャンマー4大河川のひとつ,シッタン川です(本当にでかい!).この辺りから道路はだんだんローカルな感じになってきました.途中ではこの地域の名物らしい魚の干物を売っている屋台があってそこを見学しました.

P2090574(写真6) いたるところ干物の山です

 午後2時40分ごろにチャイトーの町に入ります.ここからは左折して山の方に向かうことになり,周囲は一気に山岳地帯の様相を呈してきます.そのまま走って3時過ぎにキンブンという集落に到着しました.

P2090622(写真7) このトラックで山頂を目指します

 チャイティーヨ・パゴダは山の上に立つパゴダですが,そこに至るルートは狭い山道が1本だけということで,一般の車やバスは乗り入れることができず,ここからは政府が管理しているトラックバスに乗っていくことになります.バスターミナルにはすでに大勢の人を乗せたバスが待機していました(満車になり次第出発らしい).我々もそのトラックの隙間に乗り込み(これでちょうど満員,1列に6人全9列合計54人乗り!!)いよいよ出発です.

P2090645P2090637(左写真8) トラックはこんな混雑!,(右同9) 山頂への道

 キンブンから先の道は狭くてしかもすさまじい急こう配(ローギアでないと登れないだろう),なんとなく昔の上高地の釜トンネルを思い出します.道の途中には売店付きのバス停があって,しばしばここで対向車と行き違いをします.その後も急こう配・急カーブの道が続き,4時半ごろにようやく山頂のターミナルに到着しました.

P2090668(写真10) チャイティーヨ・パゴダの入り口

 チャイティーヨ・パゴダはガイドブックの写真なんかで見ると山頂にぽつんと立っている秘境系のイメージですが,実際には多くの宿泊所や売店などが立ち並んでいて,かなり開けています(高野山みたいな感じか).その先に目指すパゴダが見えてきました.

P2090675(写真11) チャイティーヨ・パゴダ遠景

 見ると,ウワサ通りに崖の端っこにちょこんと乗っかったようになっています.全体に張り付けられた金箔が太陽光に輝いています(その様子からゴールデンロック・パゴダの異名もあります).見るからに不安定そうで,関取衆が何人かで押したら簡単に崖下に落ちそうです.

P2090683 P2090714(左写真12) 今にも落ちそうに見えます,(右同13) 夕日を浴びるパゴダ

 言い伝えによると,このパゴダの下には仏陀の頭髪が祀られており,その力で落ちないのだそうです.現実的にミャンマーには地震もあるはずで,ここも過去に何度も地震に見舞われているハズです.それでも落ちていないということは,本当にパワーがあるのかもしれません.日本では「落ちない」というキーワードのアイテムが受験生に人気です.思うにここのお守りを作って日本の受験生に売れば,そうとうの売り上げになるのではと思ってしまいました.

P2090228(写真14) 金箔や鐘を捧げることが功徳になるそうです

 ちなみにこのパゴダは女人禁制のため女性は触れたり,金箔を貼ったりすることはできません.なのでKは入れるギリギリところで留守番で,私とガイド氏が金箔と鐘を捧げてきました. その後土産物屋を眺めたりしながらサンセットタイムに,夕陽をバックにしたパゴダはとても風情がありました.

P2090740(写真15) こういう遊びはお約束です

 その後はこの日宿泊のホテルに向かいます.実は当初の予定では山頂のホテルに宿泊だったんですが,旅行社の最終日程では少し山麓のホテルに変わっていました.というわけで,日没状態の中を30分ほど徒歩で下山したのでした(ホテルの名前はゴールデンロックホテルなんですが).

P2090750(写真16) ホテルのフロント

 夕食はカレー中心のミャンマー料理,かなり脂っこいことを覚悟していたんですがそうでもなかったです(ガイド氏の話だと,最近は外国人観光客も増えたためホテル側も彼らの趣向に合うように変えてきているらしい).

 その後は明日に備えてさっさと寝たのでした.

 

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