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2014年3月 9日 (日)

ミャンマー旅行記5

 もう1ヶ月経ってしまいましたが,ミャンマー旅行記4日目,この日はチャイティーヨから下山,途中の古都バゴーを観光してヤンゴンに戻る日程です.

P2100761 (写真1) ホテルからパゴダが見えます(かなり望遠ですが)

 この朝のモーニングコールは6時半の予定だったんですが,前夜が早かったこともあって勝手に目が覚めました.身支度をして朝食のためにレストランへ(昨夜と同じところ),朝食はトーストにバナナ,玉子料理,スイカジュースのセットでした.その後しばらく部屋でくつろいで,8時5分にホテルをチェックアウト,出発となります.

P2100769 (写真2) 我々が宿泊したホテル

 昨日同様結構な急斜面を下山,数分でバスターミナルに到着です.すでにほぼ満員状態のトラックが待機していました.しかしガイド氏は,このトラックは昨日のと違って手すりもなく狭いこと,次のトラックなら交渉して前の座席に座れるかもしれないということで,このトラックはパスすることになりました(結局交渉の結果,次トラックの前の座席に乗れることになった).

P2100779 (写真3) 我々が乗るトラックは右の白いのです

 先発のトラックが出発したのち,我々のトラックとなるのですが,運転手がどこかに行ってしまったために乗り込めません… 仕方ないのでその辺の痩せこけた犬を眺めていました(昔行ったイスタンブールはネコが多かったが,ここは犬が多い印象).その後運転手が現れ乗り込みます.このトラックは元々日本の長距離トラックだったもので,前列に運転手を含めて3人座ることができ,さらにその後部(運転交代要員が仮眠をとるスペース)にも客を3人乗せるのがスタンダードらしいんですが,この日は我々だけの独占となりました(私とK,それに運転手が前席,ガイド氏が仮眠スペース).

P2100792 (写真4) 狭い道で対向車とすれ違います

 やがてトラックが満員となり出発です.しかし… 行き違いのためすぐに停車,しばらく道のわきで待機です.やがて対向車が5~6台やってきてようやく出発かと思ったんですが,なぜか後続のトラックに先に行かれてしまいました(なぜだ! 別にお坊さん専用トラックとかでもなかったのに).まさに「後か~ら~,来た~の~に,追~い越~さ~れ」状態でした(笑).それでもようやく出発したトラック,急こう配&急カーブの下り坂をほぼロー&セカンドで下って行きました(荷台と違って前席は快適でした).

P2100800 (写真5) 願いがかなうパゴダ

 9時半ごろに麓の街キンブンに到着,トイレを済ませたのちバゴーに向けて出発です.このルートは昨日来たルートを戻るだけなので,景色は変わらないのですが,途中に願いがかなうパゴダというのがありました.

P2100852 (写真6) シュエモードーパゴダの入り口

 11時ごろにバゴーの町に到着です.ここはかつてペグーと呼ばれていた古い町で13~16世紀にモン族の都として大いに栄えたところです.一昨日観光したバガンやミャンマー中部の都市マンダレーと同様多くの仏教遺跡があることで知られています.まずはこの街のランドマーク,シュエモードーパゴダに向かいます.このパゴダは1200年以上の歴史を誇るといわれており,過去何度も地震の被害にあったものの再建が行われ,現在高さ114メートルとミャンマー最大を誇っています(ヤンゴンのシュエダゴンパゴダよりも高い).実際にここには過去の地震で倒壊したパゴダの先頭部分が保存展示されています.

P2100878 P2100884 (左写真7) 右にかつての仏塔があります,(右同8) 記念撮影

 シュエモードーパゴダは巨大な黄金の仏塔を中心にその周囲に何十もの小さな仏塔(こちらも金ぴか)が取り囲む形になっています.さらには東西南北各方位には祈祷の施設やいろいろな展示物を並べるスペースもありました.またここには,日本人が寄進したという鎌倉の大仏のレプリカ(?)も飾られています.

P2100896 (写真9) 鎌倉の大仏のレプリカです

 続いてはバゴーの王宮博物館の見学に向かいます.前述のとおり,この街は13~16世紀に王都として栄えた歴史があります.残念ながら当時の建物はすべて失われてしまいましたが,近年王宮を構成していた柱や柱穴が発見され,往時の姿を復元したものが造られ博物館となっています.

P2100909 (写真10) 王宮博物館にある当時の柱

 その後は町郊外のシュエターリャウン寝仏に向かいます.ここは10世紀にモン族のミガディパ王が造ったといわれる体長55メートルの巨大寝仏です.モン族の王朝が衰退したのちジャングルの中に埋もれていましたが19世紀末のイギリス植民地時代に発見され,再び日の目を見ることになったものです.シュエモードーパゴダにあった鎌倉大仏との違いを見れば明らかなんですが,日本の仏像は渋いイメージなのに対して,ミャンマーの仏像は明るくて,お茶目な感じがします.全身像なので足の裏も見られるんですが,細かい文様が描かれているのが凄いです.

P2100957 P2100960 (左写真11) シュエターリャウン寝仏,(右同12) 足の裏には細かい文様が

P2100966 P2100968 (左写真13) 枕が財宝箱に見えます。(右同14) 正面像

 ここを出ようとしたらお土産物売りの子供が多数寄ってきました.あんまり熱心なので(笑),古いコインや竹の扇などの小物をいくつか買ってあげました.

 この後は昼食になるんですが,実はこの寝仏の近くに寄りたい碑があるため,ガイド氏にお願いして行ってみることにしました.ミャンマーは第2次大戦で日本軍とイギリスを中心とする連合軍との間で激しい戦闘が行われた場所です.双方に多くの死傷者が出たのですが,初戦から昭和19年の秋までこの地の第一線で戦っていた第55師団の慰霊碑が寝仏近くの僧院(チェーニガン僧院)にあります.僧院では古い建物の中で子供たちへの初等教育を行われていましたが,そんな建物の間にその慰霊碑が立っていました.

P2100972 P2100973 (左写真15) 僧院の入り口,(右同16) サッカーに興じる子供たち

P2100976_2 P2100977 (左写真17) 第55師団の慰霊碑,(右同18) 文章です

 僧院を後にして昼食となります.昨日入ったお店がおいしかったので,今日もそこにしようということになりました.この日は焼きエビとチキンヌードル,チャーハン(とビール)を注文しました.やっぱりおいしかったです.

P2100986 P2100987 (左写真19) 焼きエビ,(右同20) チキンヌードル

 昼食後はヤンゴンに向かってひたすら走ります.途中,ガイド氏と運転手が家に持って行くスイカを買うということで屋台に立ち寄りました.日本ではスイカというと丸いイメージなんですが,ミャンマーのスイカはみな細長い形をしています.所変われば… といいますが,なんだか面白いなと感じたのでした(普通の果肉が赤いスイカの他に,いわゆるクリームスイカもあった).

P2100989_2 (写真21) ミャンマーの細長いスイカ

 16時過ぎにヤンゴン市内に入り,初日にも泊まったパノラマホテルにチェックイン,今日は結構砂ぼこりの中を歩いたので,まずはシャワーを浴び夕方までくつろぎます.そして18時過ぎに夕食に向かいました.この日は市内のカンドーヂ湖に浮かぶレストランでのショー付きのビュッフェです.このレストラン,ガイド氏は屋形船と呼んでいて,たしかに船の形をしているんですが,動くことはないようです.食事はビュッフェなので東西のいろんな料理が並んでいましたが,Kによるとナマズのミャンマー料理が美味かったとのことでした.一方で日本風の蕎麦もあったんですが,乾麺を1時間茹でたらこうなるんだろうな(笑)というようなものでした.

P2100998 P2101018 (左写真22) 夕暮れのカンドーヂ湖,(右同23) レストラン

 食事後はホテルに戻ります.明日はいよいよ最終日なのでした.

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