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2013年9月30日 (月)

しながわ宿場まつりに参加しました

 台風20号の影響から先週前半はイマイチなお天気だった関東地方,この週末はそんな気分を一掃するかのように良いお天気でした.

 で,昨日9月29日には秋の恒例イベントとなっているしながわ宿場まつりに参加してきました.このお祭りは毎年9月の最終土日に開催されていて,特に日曜日に行われる江戸風俗行列はお祭りの華ともいえるイベントです.私は2007年から参加しているんですが,昨年はちょうどペルー旅行と時期がかぶってしまったため不参加だったので,2年ぶりの参加ということになりました.

 これまでは特定の名前のあるキャラに扮させていただいたんですが,今回は純粋に同心(八丁堀の同心)としての参加です(ちなみにウチのKはお姫様で参加 (^。^)).例年着替え場所は北品川商店街の尾張屋さんだったんですが,手狭になってきたためか今年は北品川二丁目町会会館に変更となりました.着替え場所には8時10分くらいに着いたんですが,比較的スムーズに流れていきました.毎年常連さんが多いお祭りなんですが,着替えが終わって外に出ると,今年もそうした方々の姿が見られてほっとしました.

P9290747(写真1) 八丁堀の同心とお姫様

 パレードは12時からなので,それまでは商店街の散策です(このイベントの趣旨はパレードはもちろんのこと,江戸時代の扮装をした人たちが商店街のあちこちに出没することで,当時の宿場の雰囲気を醸し出すことにある).さっそくあちこちで写真を撮ったりして過ごしました(まだパレード前なのでアルコールは自粛 笑).

P9290198(写真2) 常連のフミヲさんと

 11時半過ぎごろから三々五々,パレードの開始地点(京急線北品川駅付近の八ツ山)に集合します.例年通りパレードの先頭は交通安全パレード,今年の一日署長はお天気キャスターの長野美郷さんでした(らしい,私のいた場所とは離れすぎていたので姿を見ることはありませんでした 爆).

P9290799(写真3) 異彩を放つ天草四郎

 その後にマーチングバンド等が入って,その後ろが江戸風俗行列になります.見渡しても,風鈴売りや魚売り,飛脚等いろんな役柄が並んでいます(今年は殿様や奉行といった偉いどころが少なかった印象).なかでも異彩を放っていたのが天草四郎時貞(江戸時代ではあるが,江戸にいたのかというツッコミはなしで 笑),沿道からの人気はすごかったです.

P9290828(写真4) 捕り物写真はお約束です

 あいさつの後,12時ちょっと過ぎからパレード開始,沿道にはたくさんのお客さんが来ていました(この商店街って江戸時代の街道の広さしかないので,本当にパレードとお客さんの距離がなくて楽しいんですよね).この日のお天気は晴れですが,気温はそれほどでもなく,日が差すと汗が出ますが,日が陰ると風は結構冷たい感じでした(そりゃ9月末だしなぁ).

P9290821(写真5) 八百屋お七を捕まえる?

 パレードは八ツ山から品川寺(ホンセンジ)までの約2キロ,普通にあるけば20分くらいの距離ですがゆったりとした風俗行列なので,ゴールしたのは1時半ごろになっていました(品川寺では恒例の火渡り荒行が行われていた).

 お寺でしばし休息したのちは,夕方までのなが~いフリータイムです.今年もホテル村でお酒を飲んだりあちこち散策して過ごしました.

 

 

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2013年9月27日 (金)

文月ラーメン

 台風20号の影響でここ数日天気の悪かった当地ですが,今日は朝から快晴の素晴らしいお天気でした.

P9270729(写真1) 天高く馬肥ゆる秋

 そんな今日は夕方から静岡県に出張の泊りに出ています.電車を降りたのはJR三島駅,なぜか急にラーメンが食べたくなり,駅前のお店に入ることにしました(以前は三島駅周辺のラーメン屋さんは全然知らなかったんですが,ここでお世話になっているみゆみゆさん情報に従いました).

 今回入ったのは,ラーメン文月というお店です.今は長月じゃないかというツッコミはなしでお願いします(というか,旧暦だから今はまだ葉月か (^o^)/).

P9270730(写真2) ラーメン文月です

 注文したのはお店の名前がそのままついた文月ラーメンです.一般に店名や社名を冠した商品は,その店がもっとも自信をもって出している商品が多いイメージです.このお店ではこの文月ラーメンのほかは,しょうゆラーメン,みそラーメンといった一般名ばかりでした.

Ramen(写真3) これが文月ラーメンです

 出てきた文月ラーメンは背脂がのったしょうゆベースのラーメンでした.具はネギ,チャーシュー,ゆで卵です.お味の方はというと,見た目ほどはこってりではないんですが,スープはけっこう濃厚な印象,麺は太麺でした.美味しかったです !(^^)!.

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2013年9月25日 (水)

MHKエンタープライズ

 先日秩父に行った際に見つけたものです.

P9230713 最初は何気なく通り過ぎてしまいました.

 しかし,「ん? なんだ今のは」と思い直し,思い切って戻って見てみました(細い一本道だったので,Uターンできる場所を探すのが大変でした 笑).

P9230716 「なんでこんなにきくのか くまざさ茶「竹の子狩り」「山あそび」「くりひろい」だそうですが,それを主催している(と思われる?)のが…

 MHKエンタープライズ(有限会社)!!

P9230717 思わず吹き出しそうになりました \(^o^)/

 きっと秩父地方のイベント会社なのでしょう.それにしてもMHKはなんの略なんだろうか… (^o^).

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2013年9月24日 (火)

秩父に行ってきました

 今月は3連休が2回もある月だったわけですが,その後半の連休が終わりました.今回の3連休は仕事関連の用事はなかったんですが,歯医者に行ったり東京の合唱団の練習に行ったりして過ごしました.そして昨日の23日はまる一日用事のない日ということで,埼玉県の秩父地方に行ってきました.

 秩父は埼玉県の西部にあるため,当地から見るとほぼ真北,直線距離はざっと80キロ程度です.いわば東京に出る程度の距離なんですが,現実には深い山やら谷やらが間に横たわっており,この2点を南北に貫くような鉄道はもちろん,道路すらもないのでした.なので当地→秩父に行くには,いったん東京に出て,そこから改めて秩父に向かうというかなり面倒なことが必要なのでした.

 この日は池袋から西武池袋線の特急で向かいました.この特急レッドアローは途中の飯能駅で進行方向が変わります.地域によっては,そこで電車の座席を回転させる作業を乗客同士がやるんですが,この辺の人たちにはそういう習慣がないのか,みんな進行方向と逆向きに座ってました.池袋から約80分で西武秩父駅に到着です.

P9230665(写真1) 西武秩父駅にて

 東京・埼玉・神奈川の3都県って,東側に都市部が集まっている一方で,西側に行くにつれて住宅地から自然いっぱいの山岳地帯になっていく傾向があります.この秩父周辺も自然豊かなところで,秩父多摩甲斐国立公園になっているほどです.

P9230670(写真2) 丸神の滝の入り口

 今回秩父にやってきた最大の理由が,日本の滝100選に埼玉県で唯一選ばれている丸神の滝を訪問することでした.この滝には公共交通機関を利用して行くことも可能なんですが,バスの本数と接続が厳しいということで,今回は駅前でレンタカーを借りて行くことにしました.途中コンビニに寄ったりしながら約1時間で滝の入り口に到着です.

P9230677(写真3) こんな感じの山道です

 入口の橋を渡って滝にアプローチです.最初からやや登りでしたが,途中の木橋を過ぎたあたりから一気に勾配のきつい山道,日頃運動不足でなまった体には非常に堪えます(笑).喘ぎながら登ること20分ちょっと,ようやく滝を見上げるスポットに到着です.

P9230686(写真4) これは3段目の滝になります

 丸神の滝は3段にわたって落ちる,落差76メートルの滝ですが,このスポットからは3段目しか見ることが出来ませんでした.実はここからさらに10分ほど登ったところにも展望スポットがあり,そこからは3段に見えるのでした(その代り滝自体は小さくしか見えないので迫力はない,こちらの写真は後日日本の滝100選の記事で).

 しばらく滝を堪能したのちに帰路へ.今度は来た時とは違ったルートで戻りました.

P9230725(写真5) せいろ蕎麦と冷酒

 さて,秩父と言えば蕎麦が知られています.というわけで,この日はレンタカーを返した後蕎麦をいただいたのでした(お酒と一緒だったのはいうまでもありません).

 

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2013年9月19日 (木)

十五夜

 今日は旧暦の八月十五日,この日の夜に見られる月がいわゆる中秋の名月です.今年はさらに満月とも重なっているため,晴れならばきれいな真ん円のお月様が拝めるわけです.

 先週末は台風で大荒れだった当地ですが,週明けから台風一過の晴天が続いていて,今日も朝から抜けるような青空でした.というわけで,さっそく月を眺めに外に繰り出した次第です.

P9190015 写真は自分のデジカメで撮ったものです.ISO400,シャッタースピード100分の1に設定しました.一眼レフとかではないシンプルなデジカメなんですが,思ったよりもきれいに撮れたと感心しています (^。^).

 お月見というと団子も必須ですが,十五夜に気付いたのが夜になってからだったので用意していません(笑).

 今年の夏は非常に暑かったんですが,ここ数日はすっかり冷えて完全に秋の様相になっています.

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2013年9月18日 (水)

日本の滝100選9

日本の滝100選 関之尾滝(94番)

 久しぶりの日本の滝100選の話題です.今回のテーマは宮崎県都城市にある関之尾滝(せきのおのたき)です.

P4061595(写真1) 関之尾滝の案内図

 この滝は宮崎県を代表する河川である大淀川の支流,庄内川にかかる滝です.周辺は母智丘・関之尾県立自然公園に含まれている自然豊かな場所です.滝周辺には駐車場やお土産物屋もあるほか,遊歩道や橋なども完備されており,観光に苦労することはありません.

P4061612(写真2) 大滝

 関之尾滝自身は,もっとも大きな大滝,それよりも小ぶりな男滝,女滝の3つから構成されています.メインとなる大滝は幅40メートル,落差18メートルの比較的大きな滝です.一方で男滝は大滝より少し下流に気に隠れるようにある小ぶりな滝です.また女滝は遊歩道途中にある川上神社の下にある小さな滝です.

P4061604P4061617(左写真3) 男滝,(右同4) 女滝

 この関之尾滝で有名なものに,世界でも有数の規模といわれる甌穴群があります.これは河底や河岸の岩石上に形成された円形の穴のことです.急流によって水中の砂が渦を巻き,長い年月をかけて河床の岩を削ることによって,大きな穴ができあがるものです.この関之尾滝の甌穴群は80メートル,長さ600メートルもの規模を誇る,貴重なもののようです.

P4061621(写真5) 甌穴群ですが,増水しているためかわかりにくいです 

 またこの滝には,当地の領主北郷資忠にお酌をした美女お雪(おしず)があやまって酒をこぼしてしまい,これを恥じたお雪が杯を持って滝つぼに身を投げ,その後名月の夜になると,ここに朱塗りの杯が浮かんでくる… という伝説が残されているそうです.

P4061603(写真6) 関之尾滝全景

P4061597

アクセス JR日豊本線都城駅から霧島神宮行きのバスで30分,関之尾の滝下車(時刻表).ただし本数が少ないのでレンタカーが便利かも.

観瀑のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 遊歩道が整備されており気軽に散策できます.

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2013年9月17日 (火)

医師会合唱団の合宿

 私の趣味のひとつである合唱,現在いくつかの合唱団に所属しているんですが,その中のひとつである,小田原医師会合唱団の合宿練習がこの連休の後半,9月15~16日に行われました.会場は箱根湯本の某ホテルでした.

Img_1803024_68585374_0(写真1) 練習会場

 この医師会合唱団が創設されたのは2008年春(奇しくも私が小田原に移った年)でした.主な活動は年1回の定期演奏会に加えて,地元の市や県の合唱祭への参加,医師会や地域のイベントでの余興など意外に数が多いです.他での私の合唱活動は,ヨーロッパの宗教音楽やルネサンス期の音楽が主体なため,この医師会合唱団の活動は他所では味わえないものがあるのが魅力です.

P9170654(写真2) 今回の定演のポスター

 今回の合宿は主に11月に迫った定期演奏会の練習が主眼でした.今回の定演は3ステージ構成で,最初のステージは「祈り」として,J.S. バッハの教会作品を中心に取り上げます.2番目のステージは今年生誕100年となる日本を代表する作曲家のひとりである,髙田三郎さんの混声合唱組曲「水のいのち」を,最後のステージではゲストに精神科医であり,数多くのヒット曲の作詞も手掛けていたきたやまおさむさんをお迎えしてのステージとなります.

 ところで,一般合唱団の合宿というと,練習もさることながら夜の宴会も楽しみのひとつです.この夜はフレンチのコース料理でした (^o^)/

Img_1803024_68585374_1Img_1803024_68585374_2Img_1803024_68585374_3Img_1803024_68585374_4Img_1803024_68585374_5(写真3~7) ズワイガニとサーモンのサラダ仕立て,クラムチャウダー,真鯛のポワレ ブールブランソース,牛フィレ肉ソテー トリュフ香るマデラ酒ソース,洋梨ムース バニラアイス添え

P9150638 お酒もたくさんいただいたのは言うまでもありません(笑).

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2013年9月13日 (金)

思いがけないところに

 9月も中旬に入り,朝夕を中心にすっかり涼しくなった感じがします.外で聞こえる虫の声もすっかり秋模様,着実に季節の変化を感じます.

 そんな今日,なにげに職場の売店をのぞいていたら,こんな雑誌を見つけました.

Sf これは早川書房から出ているS-Fマガジンという雑誌です.日本におけるSF雑誌の先駆けともいうべき雑誌で,創刊には日本SFの先駆者ともいうべき故・福島正実さんがかかわっていました.その後紆余曲折を経た後の21世紀になっても続いています.

 小学校高学年頃からSF大好き人間となった私にとっても思い入れのある雑誌です.ここ20年くらいは買うこともなくなっていましたが,今回思いがけない場所で見つけて感動した次第です(なにせ病院の売店だ).なぜにこんな場所で!,もしかして定期購読している患者さんがいるんだろうかと思い,売店の人に聞いてみたんですが,特にそういうわけでもないようです(売店の人もどうしてこの雑誌を置いているのかよくわからないらしいです 笑).

 というわけで久しぶりに購入してみました.読書の秋,先日買った新諸国物語と並行して読んでいきたいと思います.

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2013年9月12日 (木)

今話題のショッピングモール

 ここ数日ネット上で話題になっているショッピングモールがあります.それが,滋賀県守山市にあるピエリ守山,なにが有名なのかというと,近代的なモールであるにも関わらずテナントに入っている店舗が極めて少なく,その閑散とした雰囲気からです.なかには廃墟モールなどと揶揄する声もありますが,別に閉店した跡地というわけではなく,今でも立派に営業しているわけですから、この表現はどうかとは思います.

 このモールができたのは2008年9月,当初は200店舗ものテナントが入っており,開業当初は大勢の買い物客でにぎわっていたそうです(当初はシネコンの併設など増床も計画されたらしい).しかし,開業わずか2か月後には近隣に競合する大型店が次々に完成,しかもこれらのSCはより人口集積地域に近い立地で利便性がよく,結果ピエリ守山は客を奪われる形になりました.結果として収益の減少からテナントが次々に撤退し,当初は200あった店舗も2012年1月には80店,2013年3月には60店,そして2013年9月現在では約10店と,当初の20分の1になってしまったのだそうです.

 最近このモールがネット上で話題となり,人々の興味をかきたてたらしくYouTubeなどの動画サイトには,このピエリ守山の閑散とした雰囲気を映した動画がアップされています.

 この動画を見る限り,このモールとても明るくてきれい,今でも営業されていることがはっきりとわかります.そのゆえに何もないガランとしたスペースと人のいない寂しさがより強調され,不思議な空気を醸し出しているのだろうと思います.

 以前バブル時代の北海道帯広市にグリュック王国という,中世ドイツの城と街並みを再現したテーマパークがありました.しかしバブル崩壊後急激に観光客が減少し,私が訪問した20世紀末にはまるでペストの大流行で住民がいなくなってしまった中世の都市といった雰囲気になっていました(ガラスが割れていたり,物が散乱していれば戦乱の後というムードなんですが,建物は普通なのに人影が全くないという様子が疫病後という感じでした.実際夏休み期間だというのに客よりも従業員の方がずっと多い状態でしたから,今回のショッピングモールの話を聞いて,このテーマパークも思い出してしまいました.

 さて,話題のピエリ守山,ネット上での評判を受けて訪れる人が逆に増えているという噂もありますが,はたしてどうなっていくのか興味深いです(自分も行ってみたいかも (^。^)).

追記: 滋賀県内にあるリンガーハット2店舗のうちの1つがこのピエリ守山にあり今ではこのリンガーハットがもっとも集客力のある店舗(核店舗?)になっているんだそうです.

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2013年9月10日 (火)

ドイツ演奏旅行3

 演奏旅行からすでに一か月たってしまいましたが,忘れないうちに記事をアップしておきます.今回はライプツィヒ編です.

P8060251(写真1) ホテルから見たライプツィヒの街

 私たちがライプツィヒに入ったのは8月5日の夕方,翌6日の午前中に簡単な市内観光に出かけました.ライプツィヒはドイツ東部(旧東ドイツ)のザクセン州にある街です.中世から商業の町として発展してきましたが,特に1813年にこの地で起こった皇帝ナポレオンを擁するフランスと連合国との間でのライプツィヒの戦いは有名です.一方で音楽の街としても知られていて,18世紀のJ.S.バッハや19世紀のメンデルスゾーンは主にこの町を活動の拠点としていました.

P8060259(写真2) ニコライ教会外観

 まずは市内中心部にあるニコライ教会へ.ここはライプツィヒでもっとも古い教会である一方,1989年にはベルリンの壁崩壊に至る一連の東ドイツ平和革命の中心地となった場所でもあります.1980年代からこの教会で静かに始まった「平和の祈り」が徐々に大きくなり,1989年からは定期的なデモが開催されるようになり,この動きが東ドイツ全土に広がって,当時の指導者ホーネッカーの失脚,そして壁の崩壊へとつながりました.

P8060265(写真3) 教会の内部

 外観はどこにでもありそうなヨーロッパの教会ですが,内部は大きなパイプオルガンを備え,白を基調としたとても美しい教会です.特にその柱の上部に付いているシュロの木の装飾はここの特徴で,教会外の広場にはこれをモチーフにした記念柱が立っています(シュロの木ですが,その色彩から最初私はネギかと思いました 笑).

P8060267(写真4) ニコライ記念柱

 続いては世界最古の民間オーケストラとの呼び声もあるゲヴァントハウス・コンサートホールへ,ここでは館内のショップで掘り出し物のCDやDVDなどを探しました.

 その後はゲーテ像の立つライプツィヒ旧庁舎,メドラー・バサージュとういアーケード街にあるゲーテのファウストの像などを見学し,その後いよいよバッハゆかりのトーマス教会に向かいました.

P8060298P8060303(左写真5) 旧庁舎とゲーテ像,(右同6) ファウストとメフィストフェレス像

 尚,音楽ついでに,この街最初の日本人留学生としてここに滞在したのが滝廉太郎なんですが,彼の滞在地にはそのことを記念した碑が立っていました.

P8060364(写真7) 滝廉太郎記念碑

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2013年9月 8日 (日)

2020年東京オリンピック開催決定!

 今朝からニュースになっていますが,現在アルゼンチンのブエノスアイレスで行われているIOCの総会で,2020年の夏のオリンピックが東京で開催になることが決まりました.東京での開催は1964年以来56年ぶり,日本での開催は1998年長野以来22年ぶり4回目です.前回の東京オリンピックのとき,私はまだこの世に生を受けておらず(笑),1972年の札幌はまだ幼くて,うっすらと記憶にあるだけでした(1998年の長野はさすがによく覚えています 笑).

 東京は前回2016年の開催都市にも立候補していて,この時は2回目の投票で落選してしまいました.今回はその反省をいかして開催を勝ち取ったのだと思います.7年後といえば自分も50代になっているわけですが,ぜひ観に行きたいなと思いました.

 で,オリンピックといえば今でも覚えている出来事があります.とはいっても競技そのものではありません.それは1981年9月のIOC総会でした.ここで1988年の夏季オリンピック開催地が決まることになっていたのです.この時の立候補地は日本の名古屋市,韓国のソウル市,ギリシャのアテネ市etc(以下は忘れた)でした.このうちギリシャは当時オリンピックのアテネでの恒久開催を訴えていたため,有力とされていた候補地は名古屋とソウルでした.

 下馬評は断然名古屋で,「ソウルは1996年開催が本命で,今回は顔見せだ」などという噂もあって,当時世間では何となく,このまま名古屋オリンピックが実現するという空気だったように思います.そして1981年9月1日の日本時間の夕方,テレビで特番が組まれました.題し

 「今決まる!名古屋オリンピック」(たしかこんなタイトルだった)

 スタジオにはアナウンサーと数人のコメンテーターが並んでいました.アナウンサーが「さあ,いよいよですね」みたいなことを言い,居並ぶコメンテーターも口々に「そうですね」,「もう間違いないでしょう」などど自信満々でした.ただ一人だけ,「いやぁー,最後までわかりませんよ」と言っていた人もいました.みんなあまりに自信満々なので,私は内心「これで決らなかったらすごいことになるな」などと考えていました.

 そして画面が切り替わって,IOCが映ります.壇上でIOCのサマランチ会長(だったと思う)が何やら読み上げます.何と言っているのか聞き取れませんでしたが,少なくとも”NAGOYA"という言葉は聞こえませんでした.そして,アナウンサーの

 「えっ! ソ,ソウルですよ!」とひきつった声…

 スタジオは一瞬でお通夜と化しました ((+_+)).

 しばしの沈黙の後,先ほどただ一人最後までわからないと言っていた人が,「ソウルは最終段階でかなり各国にアピールしてましたからね」と解説,その後番組は早々に終了しました.これが幻の名古屋オリンピックの顛末です.後から聞いた話では,ソウル市が当初はこの時のオリンピック誘致を,後の足がかりにしようとしていたのはたしかなようです.しかしこの時名古屋市側の足並みが乱れているのを見て(当時地元ではオリンピック誘致反対運動などもあり,いまいち動きが鈍かったらしい),一気に攻勢をかけたというのが真相とのことでした.後に名古屋の友人に聞いた話では,名古屋では1988年のオリンピックは無かったことになっていたそうです.

 翻って今回の誘致活動では少なくとも最終盤まで関係者が危機感を持って活動していましたからこの時の教訓も生かされたといえるのでしょう.今後は7年後の大会に向けてしっかりと準備をして日本の運営レベルの高さを示してほしいものです.

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2013年9月 7日 (土)

産業医研修会

 今日は更新が迫っている産業医の単位を集めるためにその研修会をハシゴしてきました.

 午前中は相模大野の小田急センチュリーホテルにて,最近話題になっている感染症予防がテーマでした.各1時間の講習が3つ,最初はまもなくシーズンを迎えるインフルエンザ,話題の鳥インフルエンザを中心に行政の視点から見た内容でした.

P9070612(写真1) 午前中の研修資料

 2つ目が今密かに流行している風疹について.風疹は重篤になることがまれな病気のため軽視されがちですが妊娠初期の女性が罹患すると胎児に障害をもたらす先天性風疹症候群(CRS)の原因疾患として重要です.実際に今回の流行によって,昨年以来全国で10人以上のCRSの赤ちゃんが生まれています.発症予防にはワクチン接種が重要ですが,100%の感染回避を保証するものではないため国民全体の接種率の向上による流行そのものの撲滅が重要であると強調されていました.

P9070613(写真2) 研修会の様子

 3つめが肝炎について,感染性の肝炎といえば経口感染するA型,E型に加え主として血液感染するB型,C型が有名です.今回はこれら感染性肝炎に加えて,アルコール性肝炎など生活習慣関連のものも取り上げられていました.

 午前中の研修終了後,近くで昼食をとって今度は西新宿のハイアットリージェンシーへ,今度は現代社会で大きな存在となっているメンタルヘルスの話題,とはいえ今日は具体的な病気の話しではなくともすれば疎遠になりがちな主治医と企業の産業医の連携についてでした.

P9070614(写真3) 本日の成果,研修シールです

 メンタル系疾患はプライバシーの問題もあって,主治医と産業医の連携が疎になりやすく,ともすれば治療と職場復帰が連動されにくいというパターンがあります.今回はこの問題をいかに解決するかがテーマでした.

 というわけで,今日はまる一日研修会,途中強烈な睡魔に襲われながらも充実した一日でした(更新単位まであとひといきです (^_^)v).

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2013年9月 5日 (木)

新諸国物語

P8310606 私が子供の頃,NHKで夕方に人形劇をやっていました.このシリーズは歴史が長く,それこそ私が生まれる前から存在したようなのですが自分の記憶にある作品としては,昭和48年4月~50年3月にかけて放送された「新八犬伝」が最初です(故 坂本九さんがナレーターを務めていました).その後の「真田十勇士」(昭和50年4月~52年3月)を経て,「笛吹童子」(52年4月~53年3月),「紅孔雀」(53年4月~54年3月)と続き54年4月からの「プリンプリン物語」へと流れていきます.

 このシリーズのうち,「笛吹童子」と「紅孔雀」はこの人形劇以前にもドラマ化されたことがある作品で古くは昭和27年のラジオドラマにさかのぼります.善の白鳥党悪のしゃれこうべ党との時代を越えた戦いを描いた勧善懲悪ものの子供向け時代劇作品です.現代ならば,ガンダムを例に出してもわかるように,善と悪なんてものはあくまでも相対的なものであると認識されますが,当時は悪い奴はとにかく悪,正しいものはとことん善というスタイルがわかりやすく子供向けだったんでしょうね(こういう絶対善と絶対悪の戦いって,超人バロムワン幻魔大戦を連想させます).

 そんな「笛吹童子」,「紅孔雀」の原作が北村寿夫氏の「新諸国物語」です.上記2作品を含む合計7作品からなるシリーズなんですがそのうち6作品を収録したハードカバーの本を見つけたため,衝動買いしてしまいました(笑).全編で1000ページを超える巨編ですが,これから秋の夜長に少しずつ読んでいこうかなと思っています.

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2013年9月 3日 (火)

宇宙戦艦ヤマト2199 ~第七章~

 気がついたら9月になっていました.例年9月は私,ビザンチン皇帝の活動が活発化する月なんですが,今年は8月に演奏旅行を兼ねた夏季休暇を取ってしまったこともあり,例年に比べて地味な月になりそうです.

 さて,そんな月初め,現在劇場公開中の宇宙戦艦ヤマト2199の第七章を見に行ってきました.

Img055 1974年にテレビ放映された宇宙戦艦ヤマト第1シリーズのリメイク作品,宇宙戦艦ヤマト2199,昨年4月に劇場での公開が,さらには今年4月からはテレビ放映も始まっています.第7章はそんなリメイクヤマトの最終章にあたります.愛好家としては非常に楽しみにしていたのでした.

 以下ネタバレ注意

 (第23話) 前章の七色星団の戦いで,苦戦の末ドメル艦隊に勝利を収めたヤマトはついに,イスカンダルとガミラスのあるサレザー恒星系に突入しました.そのヤマトに迫りくるガミラスの波動砲(デスラー砲)… という場面で前章は幕を下ろしたわけです.ドキドキの場面でしたが,ここはあっさり回避されて終わりでした(笑).その後沖田艦長は一気に敵の懐に入り込むべく,ガミラス本星の巨大ビル(総統府らしい)にヤマトを突入させます.混乱に陥るガミラス人たち,とその時デスラーがいる総統府の一部が突如として上空へ飛び立ちました(森雪もこのブロックにいた).デスラーが向かった先はガミラス星付近の宇宙空間に浮かぶ第2バレラスでした.ここは来るべきガミラスとイスカンダルの大統一の暁に新首都となるべく,ひそかに建設が進められていた人工都市でした.

 第2バレラスに入ったデスラーは,なんと都市の一部を総統府にぶつけて住民もろともヤマトを粉砕する作戦に出ます(このころからデスラーは狂気の世界に入っていった印象).この暴挙にヤマト乗組員はもちろん,住民も大混乱,副総統のヒスは「これが指導者のやることか!」と吐き捨てます.ガミラスの副総統ヒスといえば,旧作でもデスラーの腰巾着の小者という印象でしたが,この場面はカッコよかったですね(あと,シュルツの娘ヒルダを助けたところもポイント高し).結局沖田の決断でヤマトは落下する都市の一部を波動砲で撃破,結果としてガミラス住民の命を救いました.作戦が失敗したデスラーは今度はデスラー砲でヤマトとガミラス首都を攻撃しようとしますが,森雪の活躍で波動エネルギーが暴走,結果第2バレラスは自壊するとともに,付近に展開していたデスラー親衛隊の艦隊も巻き込まれて全滅したのでした.

 (第24話) こうしても進路を妨害するものがなくなったヤマトはついにイスカンダルに着水します.イスカンダルは地表面の80%が海という地球型の環境の惑星でした.ここで地球を再生させるためのコスモリバースシステムを受け取ってめでたしめでたし… となるはずでしたが,なんと! スターシャがシステムの受け渡しを留保すると宣言しました.どうやら地球人が波動エネルギーを兵器に改良したことが不満なご様子でした.焦るヤマト指導部です.一方で一般の乗組員はといえば,せっかく海にいるのだからと,マリンリゾートを楽しんでいます.女性クルーはみなビキニで泳ぐというサービスシーンが展開されました(笑).

 こうしている間にもユリーシャはヤマトの波動砲はあくまでも自衛のためだけのものであると姉を説得,さらには「ヤマトの波動砲によって多くのガミラス人の命が救われた」というヒスの報告もあり,ようやくスターシャはヤマトへのシステム引き渡しに同意しました.ちなみにコスモリバースシステムとは星の物質と生命の進化の記憶を波動として利用し,星を再生させるシステム(PCのリカバリーみたいなもの?)とのことで,物質の記憶はまさにヤマトそのものであり,これがヤマトが16万8千光年の旅をしなければならなかった根拠だそうです(旧作のコスモクリーナーは放射能除去装置なので,いってみれば掃除機のイメージ).

 さて,引き渡しが決まるとスターシャは古代進をイスカンダルの墓地に連れていきます.そこにはなんと! 進の兄,守の墓がありました.守はガミラスの捕虜となって輸送される途中,イスカンダルに不時着,この地でスターシャの看護を受けつつヤマトの到着を心待ちにしていたものの,闘病むなしくついに亡くなったというのです.

 (第25話) イスカンダルを後にしたヤマトは地球への帰路につきます.途中,デスラーの側近だったセレステラを救助して中間点バラン星に到着しました.ここを中継点とするアンドロメダ側の亜空間ゲートは往路ヤマトが破壊してしまいましたが,銀河側のゲートは生きているはず,これを利用すれば地球への行程が一気に短縮できるため,ヤマトはゲートに入りました.しかし,実はこれがデスラーの罠でした.先の戦いを生き延びていたデスラーは亜空間内でヤマトに自艦を接舷させ,大量のガミロイド陸戦隊を侵入させて艦内を制圧しようとしました.奇襲を受ける形となったヤマトは苦戦します.ついにはデスラー本人までが,「艦長に会いたい」とヤマトに乗り込んできました.しかし,デスラーの生存を知ったセレステラが走り寄り,驚いたデスラーはとっさにセレステラを撃ってしまいます.この混乱のドサクサで森雪も撃たれてしまい,彼女は瀕死の重傷を負ってしまいました.

 一方侵入してきた兵が人間ではなく,ガミロイドであることを知った真田さんと新見は,密かに開発したウイルスプログラムを侵入させてガミロイドの動きを止めることに成功,形成は逆転します.作戦の失敗を知ったデスラーはやむなくヤマトから撤退,自艦に戻るとデスラー砲で一気に決着をつけようとしました.亜空間内ではビーム砲が無効なのです(波動砲はビーム砲ではないらしい).ところがヤマトはビームではなく,実弾(三式弾)を装てんして反撃,結局デスラー砲を撃つ前にデスラー艦は撃沈されてしまいました.

 (第26話) デスラーの最後の反撃を振り切ったヤマトは,一路地球を目指します.地球との交信も不完全ながら復活し,艦内にはなんとなくそわそわした空気が広がります.そんな中,航空隊長の加藤と衛生士の原田との艦内結婚式((^。^))が開催されました.しかも原田さん,妊娠してるとか…(まさか七色星団の戦いの最中にできたんじゃないだろうな 爆).

 華やいだ艦内の雰囲気とは離れて真田さんはコスモリバースシステムの仕組みについて考察していました.地球の物質の記憶がヤマトなら,生命の記憶はいったい何なのか? ちょうどこのころ,ヤマト艦内で幽霊騒動が起こっていました.幽霊というと美女というのが定番ですが,今回の幽霊は男だといいます.普段は冷静で幽霊なんて絶対信じなさそうな新見までが目撃していました.真田さんはこれらのことから,生命の記憶が古代守の魂だとの確信に至ったのでした.

 そんなころ,瀕死の境をさまよっていた森雪がとうとう帰らぬ人になってしまいました.ショックで泣き崩れる古代進,そんな彼の背後に兄の守(の霊?)が立っていました.彼が「進,オレがしてやれるのはこれだけだ」とつぶやくと,なんとコスモリバースシステムが起動しました.驚く真田と新見,しかしほどなくシステムは停止,うんともすんとも言わなくなりました.真田さんは驚いて,「どういうことなんだ!」と叫びます.と,その頃死んだはずの森雪が蘇生したのでした.一方,艦長室では病床の沖田が付き添っていた佐渡先生に,「ひとりにしてくれ」といいました.状況を察した佐渡はその場を離れます.そして名セリフ,「地球か,何もかもみな懐かしい…」,沖田が息絶えるのと同時にコスモリバースシステムが再起動,地球の生命の記憶は沖田の魂だったのです(沖田艦長はヤマトのトチローというわけか).西暦2199年12月8日 ヤマト地球に帰還…

 感想: こうして宇宙戦艦ヤマト2199全26話が完結しました.旧作もそうだったように,最後の4話はちょっと駆け足だったなという印象でした.特に前章までは反乱もうまく収束させるなど冷静だったデスラーが,急に狂気を帯びてしまったのは残念でした.また,前章でガミラスに反旗を翻したディッツやドメル妻のその後,またレプタボーダに取り残された藪機関士はどうなったのかなどの伏線も気になりました.

 で,はたしてこのヤマトの続編はあるのか?です.伏線を残しているということは,作る気があるということだと思うんですが,仮にできるとしたら,旧作のシリーズとは違った展開になるように思います.もし亜空間の戦いをデスラーが生き延びたとしても,彼はすでにガミラスを裏切った存在であり,続編でガミラスの運命を担って登場するのは無理でしょう.メリダ・ディッツとヤマトクルーとの友情や,副総統ヒスの言葉から,今後地球とガミラスが手を組む可能性はありますが,そこにはデスラーの入り込む余地はないように思います(タランといっしょに宇宙猿人ゴリ的なキャラで頑張るのか?).個人的にはガトランティスもちらっと出てきたことから,ガトランティスに亡命したデスラーが地球とヤマトを襲い,ガミラス本星は地球を支援するというようなパターンなんでしょうか.なんにせよ,想像が膨らむ宇宙戦艦ヤマト2199の結末なのでした.

 ネタバレおわり

 そんなわけで,久しぶりにヤマトの旧作の方も見てみたいなと思ったのでした.

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