さて,北三陸家族旅行の後のお話です.
8月2日から11日までの10日間,所属する合唱団の演奏旅行でドイツに行ってきました.例年夏には海外に出かけている私ですが,今年の夏休みはこのドイツ演奏旅行となったわけです.
(写真1) 成田空港にて
8月1日(木),ぎりぎりまで仕事をして夕方東京の日暮里へ,この日はここに宿泊して翌朝早く京成スカイライナーで成田空港に向かいます.ここでほかの参加者たちと合流して,10時35分発のKLMオランダ航空便でアムステルダム乗り換えでドイツのミュンヘンに入りました.ドイツは日本よりも7時間遅れているため,ミュンヘンに到着したのは現地時間の同日夜でした(日本時間に直すと翌朝未明になります 笑).ここから貸切バスで最初の訪問地ローテンブルクに入りました.
(写真2) 昔の街並みがよく残るローテンブルグ旧市街
ローテンブルクは人口1万人ちょっとと非常に小さな町ですが,中世の街並みが今でも残っているということで,日本人にも人気の観光都市です(ちょうどロマンチック街道の真ん中あたりです).到着したその日はホテルに入ってそのままバタンキューとなりました(ローテンブルクは小さな町なので大型のホテルは少なく,今回宿泊したホテルも空調なしのこじんまりとしたところでした).
(写真3) ハムとチーズのドイツの朝食,温かい料理は出ないのがポイントです
翌日(8月3日)午前中は市内をフラフラと観光します.前述のようにローテンブルクは小さな町なので,その旧市街は徒歩で回れるほどこじんまりなのでした(というか,道が狭くてバスなんか走りようがない 笑).
(写真4) 市庁舎です(改装工事中でした)
中世の面影が色濃く残るこの町でもっとも有名なスポットが旧市街の真ん中にあるブレーンラインというところです.ここは100年以上前の古い絵と現在を比較してもほとんど変わっていない,まさに時間が停まったような場所です.比較の画像を見ていただくとわかると思いますが,よくまあここまで保存したものだと感心してしまいます(現実にはドイツは第2次世界大戦で国土が戦場となり,首都ベルリンをはじめ多くの都市が破壊されてしまったのですが,ここローテンブルクは比較的被害が少なかったようでした).

(左写真5) 100年以上前,(右同6) 今 感動的なほど変化がありません.
ローテンブルグのブルグとは城とか砦というような意味ですが,この街の旧市街は城壁で囲まれていました.その大部分は今でもきちんと保存されていて,観光客はそこを歩いて往時をしのぶことが出来ます.

(左写真7) ガルゲン門,(右同8) シュピタール門
またこの街を代表する見どころの一つに中世犯罪博物館があります.犯罪は人間が社会を作った時から存在するであろう人類永遠のテーマです.この博物館には中世から近世にかけて,この町で犯罪対策として使われた様々なアイテムを展示されています.そして,その中心となるのが,被疑者に自白させるための道具,要するに拷問用のアイテムとなります.

(左写真9) 博物館の外観,(右同10) 博物館の入り口
人権の概念が発達した現代でさえ,時に問題のある取り調べ等がニュースになるくらいですから中世の取り調べがどのようなものであったのかは容易に想像がつきます.ここには,そういった道具の実物や,それらを使っている様子を示すジオラマなどが展示されています.
(写真11) 有名な鉄の処女
なかでも有名なのが鉄の処女(ドイツ語ではEiserne Jungfrau)です.これは聖母を模った像ですが,内部が中空になっていて,しかもたくさんの鉄釘が仕込まれており,中に入れられた罪人の体に突き刺さるようになっています.
(写真12) 口用の梨
一方でこちらは口用の梨といわれるものです.罪人の口に先端を挿入したのち,反対側のねじを回すことによって,先端部分が4つに開き口の中が強制的に押し広げられる構造になっています.
(写真13) 恥辱のマスク
さらにこちらは,人をだました者など罪人の顔にかぶせる恥辱のマスクと呼ばれるものです.この中世犯罪博物館,日本人観光客も多いせいか,日本語による解説もたくさんあって見ごたえ十分でした.
こうしてつかの間の市内観光が終了しました.
最近のコメント