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2013年2月28日 (木)

新しい局中法度?

 先日と某所で歌を歌ってたんですが,そこで使われていた楽譜の表紙に目が釘付けになりました.

130227_200427 局外持出シヲ禁ズ

 局外って,しかも仮名がすべてカタカナとは…

130227_200427_2 新選組の新しい法度かと思いました.違反したら切腹を申しつけられそうな勢いです(笑).

 実はこの楽譜を作っているのが80年以上の伝統を持つ倶楽部で,それだけ昔に作られた楽譜であるというのが正解なのでした.

 新選組と法度と言えば,昔ひのパレの隊士コンテストでやった法度ネタを思い出されます.

Hatto

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2013年2月26日 (火)

2・26事件

Image_2

 今日は2月26日,日本の近現代史上に残るクーデター未遂事件である「2・26事件」が起こった日です.

 1936年(昭和11年)2月26日,折からの不況や政財界の腐敗に対して強い不満を抱いていた陸軍の青年将校らが「昭和維新」のスローガンのもとにクーデターを決行,当時東京に駐屯していた歩兵第1連隊,歩兵第3連隊らの兵を率いて,彼らが君側の奸とみなしていた時の内大臣齋藤実,大蔵大臣高橋是清,教育総監渡辺錠太郎らを殺害,侍従長だった鈴木貫太郎(後に終戦時の総理大臣となる)に重傷を負わせるとともに,首相官邸や陸軍省,参謀本部,警視庁といった日本の中枢機関を占拠した事件です.この時首相官邸では総理大臣岡田啓介も襲撃を受けましたが,クーデター側が最初の襲撃で殺された彼の義弟である松尾伝蔵を岡田と誤認したために危うく難を逃れ後に救出されています.

 表面的にみれば世相に憤慨した青年将校による崛起ということで,幕末期の尊王攘夷運動を彷彿させる話ですが,実際には事件の背景として当時の陸軍内にあった派閥抗争がいわれています.すなわち彼ら青年将校の義憤を利用した陸軍中枢の権力闘争というわけです.具体的には陸軍内で皇道派と呼ばれる財界や政治家の介入を配した国家体制を実力に訴えても作ろうという派閥と,主として陸軍大学校出の中堅エリートが主体となったより合法的な手段での軍事優先国家形成を目指す統制派との対立です.青年将校たちの背後にいたのはもちろん皇道派です.

 皇道派と統制派の対立はこの前年からすでに深刻でした.皇道派のドン的な存在だった真崎甚三郎教育総監が更迭されて後任に統制派の渡辺錠太郎が就任するという皇道派を冷遇したような人事が行われ,それに反発した皇道派の相沢三郎中佐が統制派の中心人物と目されていた永田鉄山少将(当時陸軍省軍務局長という陸軍省ナンバー3ポストについていた)を白昼省内で斬殺するという事件が起こっていたからです.

 クーデターを起こした青年将校たちは,自分たちの真意が天皇の元に届きさえすれば,自分たちの主張が実現すると信じていたようです(この点が幕末期に筑波山で決起し,藩内の保守派と内部抗争を繰り広げながらも,登場将軍後見職だった徳川慶喜に真意が届けば自分たちの思いが実現すると信じていた水戸の天狗党と類似しています).しかしながら,勝手に兵を動かして政府の重臣を暗殺するという行為に天皇は激怒,直ちに鎮圧を命じます.当初陸軍首脳はなるべくコトを穏便にすませようといろいろ工作したようですが(皇道派はもちろん敵対する統制派も自らに火の粉が降りかからないように武力鎮圧には消極的でした.最初から鎮圧に積極的だったのは,どちらの派閥にも属していなかった参謀本部作戦課長の石原莞爾大佐くらいでした),天皇の怒りは強く,ついには自ら近衛師団を率いて鎮圧に向かうとまで言われたため,ようやく2月29日の早朝に至って討伐命令が下りました.そして同日朝に有名なラジオ放送が流れるに至り,反乱将校らは投降を決意,クーデターは失敗に終わったのです.

 将校たちの中には投降せず自決の道を選んだものいましたが,その多くはあくまでも軍法会議の場で自らの主張を通す道を選んだのです.しかし事件の塁が軍中枢に及ぶことを恐れたのか,審理は早いスピードで進み,結局民間人も含め19名の死刑判決が出ましたが,事件の背後にいたとされる皇道派の将官が罪に問われることはありませんでした.一方でこれがクーデターであることを知らないまま参加させられた一般の下士官兵については罪には問わないとされましたが,事件後部隊は満州に移駐となり,その後の日中戦争,太平洋戦争では激戦地に送られその多くが戦死したということです.

 この事件後陸軍内の皇道派は壊滅状態となり,以後前年に暗殺された永田鉄山の後継となっていた統制派の東條英機らが台頭,日本は暗い時代に突き進んでいったのでした.

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2013年2月23日 (土)

第16回ひの新選組まつり

 さて,私がアンコールワットに出かけたりなんだりしているうちに,日野市観光協会のHPに今年のひの新選組まつりの募集要項が発表されていたようです(2月15日付でした).

 それによると今年の開催は5月11,12日であること,そして以前ツイッター上で流れていたように,恒例の隊士コンテストはパレード前日の5月11日に開催されることが発表されていました.コンテストの日程についてはここ数年議論になっていましたが,結局2009年以前と同じように前日に戻った形になりました.前日ということは会場は日野市中央公園ということになるのでしょう.高幡不動尊での開催はあくまでも4月29日のお寺の行事とのタイアップのためだったようですし,5月11日であればお祭りはすでに始まっており,中央公園で行われているイベントを盛り上げるためにも,ここでの開催は外せないと考えられるからです.自分個人としては室内よりも,あの中央公園特設ステージの方が好きだったりします.

2jikon_thumb(写真1) 中央公園特設ステージでのコンテスト(懐かしの第10回)

 とはいえ,以前からここでも書いているように5月11日は所属している医師会関係の行事のため京都に繰り出している予定なので,残念ながら今年もコンテストは不参加となってしまいます.コンテストといえば,自分にとって痛恨の思い出となっている3年前の妖術ネタ,合格云々はともかくこれを完成させないと自分の中ではコンテストに関して常にもやもやした思いが払しょくできません.その発表の場はとりあえず来年以降にお預けになった形です.アメリカ大リーグ,ニューヨーク・ヤンキースのイチロー選手のメジャー通算3000本安打がここ数年の様子だと2014年~2015年のシーズン中に達成されそうな雰囲気です.私の妖術ネタ発表もイチローの3000本との勝負になりそうです(爆).

Dscn1209as(写真2) 3年前の妖術ネタの一コマ(笑)

 とりあえずは,今年コンテストに参加予定の方々のご健闘をお祈りいたします.パレード当日はよろしくお願いいたします.

 追記: 募集要項を詳しく見たら,コンテスト会場が高幡不動尊になっていました.中央公園の方は大丈夫なんでしょうか?

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2013年2月22日 (金)

お久しぶりです

Cambo_546(写真1) 逆さアンコールワット,夜明けのワンショットです

 皆様お久しぶりです.2月8日以来ですから2週間ぶりの更新となります.以前ここにも書いたように9~11日の三連休を利用してカンボジアのシェムリアップに行って来ました(12日火曜日と13日水曜の半日有給をとりました).アンコールワットをはじめ,王宮であるアンコール・トムや美しい彫像がたくさん残っているバンテアイ・スレイなどのクメール王朝時代の遺跡を見学してきました.

Cambo_232Cambo_894(左写真2) アンコールトムの象のテラス,(右同3) バンテアイ・スレイ

 北半球とはいえ北緯13度付近の熱帯地域は真冬の日本とは違ってとても暑かったです.今回は団体ツアーではなく,専用車と個人ガイドによる観光だったのであまり時間に追われることもないゆったりとした滞在となりました(とはいえ日程が短かったのでフリーの日がなく,ゆっくりホテルでという時間はとれませんでした).

Cambo_385(写真4) トンレサップ湖にて,蛇と遊ぶ図

 今回の旅行についてもいつかどこかにまとめたいと思います.

 

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2013年2月 8日 (金)

センター試験の国語の問題

 ニュースになっているんですが,今年の大学入試センター試験の国語の平均点が過去最低になったとのことです.

 <センター試験>国語の平均点は過去最低

 大手受験産業によると,従来は評論の問題が出題されるところで,小林秀雄の随筆的な文章が出題されたのが原因ではないかとのことです.記事によると受験生の中には「少しパニックになった」,「想定と違う文章が出て驚いた」という声もあったそうです.

 自分は共通一次世代なんですが,縁あってセンター試験も受験しています(記念すべき第1回 笑).センターの国語は第1問 評論,第2問 小説,第3問 古文,第4問 漢文 なんだそうですが,今回は第1問が純粋な評論文ではなく随筆的な文章が出たというのがポイントのようでした.センターの国語が4問でこういう問題配列だったことは完全に忘却のかなたにありました(というより,自分の場合そこまで考えて準備していなかったというのが正解か?).

 センター試験と共通一次の違いは共通一次が共通の名の通り,国公立大希望の全受験生に5教科7科目(昭和の終わりごろからは5教科5科目)受験を義務付けていた(大学側がそれをどう利用するかは別にして)のに対して,センター試験は私立も参加可能になり,一方で受験科目は志望大学で必要なもののみでOKという点が挙げられます.そこで考えたんですが,どうせ利用するか否かは大学側の判断になるのだから,体育や芸術科目もセンター試験にあったら楽しいんじゃないでしょうか.芸術については客観性を損なわないためにマークシートにするしかないでしょうが,体育については100メートルを何秒なら何点などのように数値化して評価したらいいなと思います.たとえ配点が小さくとも必修化すれば,みなそれなりに真面目に取り組むような気がします.

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2013年2月 7日 (木)

今年のひのパレのウワサ

 立春が過ぎ,気が付いたらだいぶ日が長くなってきたことを感じる今日この頃です.

 さて例年2月に入ると5月に行われるひの新選組まつりの開催要項や参加者募集が始まります.近年は5月第2日曜日にパレードという日程がパターンになっているため,今年は5月11日~12日の土日を中心に開催されるであろうと予想されています.

 で,ツイッター上で新選組のふるさと日野さんが2月6日に,今年のひの新選組まつりは5月11日(土)~12日(日)の日程であること,近年GW前半の4月29日に行われていた隊士コンテストがパレード前日の土曜日に戻る旨をツイートしていました(その他,パレードコースについても).

 パレード当日の幹部隊士を決める隊士コンテストは毎年このお祭りの華なんですが,その日程についてここ数年あちこちで議論になっていました.前日を望む意見としては「コンテストの熱気のままパレードに突入できる」,「遠隔地から参加す場合,事前のコンテストでは2度の日野入りはきつい」というものがありました.一方で事前にコンテストを行うパターンについては「コンテストから日にちがあることで役作りができる」,「実行委員会側の立場にすれば準備に余裕ができる」といったメリットがあげられていました.

P5130524(写真) 昨年の脈絡のない集合写真

 そういった議論の中で今年のコンテスト日程が決まったということなのでしょう.ただ,以前も触れたように私は今年の5月11日は所用があって,京都に行かなければならない(偶然にも新選組が活躍した土地!)ため,これで隊士コンテスト不参加が決定しました(4月29日パターンだと,とりあえず落選前提での参加は可能だったし,少なくとも応援には行けた).ちょっぴり残念なのでした.

 ただ,このコンテスト日程の話題,ツイッター上で出ているだけで,肝心の日野市観光協会のHPではまったく触れられていません.思えば,恋人コンテストや昨年の歴装隊の件など,ひのパレの要綱は二転三転することも多いため,今後しばらくは注目していく必要があるなと思ったのでした.

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2013年2月 5日 (火)

アンコールワット

 昨日2月4日は立春,すっかり春じゃないかという陽気の一日でした(これからまた気温が下がるというウワサもありますが).

 さて,今年の新年の目標で夏休み以外の時期に遺跡系への旅行をしたいというのを挙げたんですが,この週末から東南アジアのカンボジアにあるアンコールワット遺跡に行ってくることになりました.

Angkor_wat アンコールワットは9世紀から15世紀にかけて今のカンボジアを支配していた王朝であるクメール朝が12世紀前半に建設した宗教施設です(12世紀前半といえば日本では平安時代末期,ヨーロッパだと十字軍の時代).当初はヒンズー教寺院だったそうですが,後に仏教寺院に改修されています.大航海時代とともに海外にもその存在が知られるようになり,特に江戸幕府が成立から鎖国に至るまでの朱印船貿易の時期には,結構な数の日本人がここを訪問していたようです.特に1632年(寛永九年)に訪問した森本右近太夫がここの十字回廊の壁面に遺した墨書(落書き)は有名です.もっとも当時の日本人はここを仏教の聖地とでもいうべき祇園精舎と勘違いしていたそうで,実際に将軍徳川家光の命でこの地を視察訪問した島野兼了はアンコールワットの正確な図面を作成し,帰国後に祇園精舎図として提出しています(この図面の模写が水戸の彰考館に保存されています).

 カンボジアは1970年ごろから20年以上に及ぶ内戦状態になりました.現在はこのアンコールワットも比較的訪問しやすい場所になりましたが,かつては危機に瀕した世界遺産と呼ばれていたほどです(今のトンブクトゥ状態か).今回は短い時間ではありますが,古の王朝の空気を感じてきたいと思います.

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2013年2月 2日 (土)

”サンマーメン”と”さんまラーメン”

 横浜のご当地ラーメンにサンマーメンというものがあります.語感からサンマに関係したラーメンなのかと思いますが,実はサンマとは無関係,漢字で書くと生碼麺となり,「生きが良い麺」という意味になるのだそうです.

Img_1803024_65199008_0(写真1) サンマーメン

 で,現実のサンマーメンは醤油ラーメンにもやしを主体とした野菜,豚肉のあんかけを載せたラーメンです.札幌ラーメンや博多ラーメンなどの超有名ご当地ラーメンに比べるとマイナーで,横浜市民でもその存在を知らない人も多いようです.

 このマイナーぶりを打開しようと,新横浜にあるラーメン博物館にはサンマーメンを開設したコーナーがあります.そこには,わざわざサンマーメン≠さんまラーメンを解説したパネルも貼ってあったりして楽しいのでした.

P1220030(写真2) ラーメン博物館のパネル

 蕎麦にはニシンそばなんてのがありますから,どこかにサンマラーメンがあってもいいんじゃないかと思ってたんですが,なんと!ありました.しかもわが岩手県に…

 岩手県の沿岸南部の大船渡市はサンマの水揚げが全国でも上位の港,そんな町おこしにとサンマを使ったラーメンを開発し展開し始めているんだそうです(2000年に大船渡に在住していましたが,当時はなかったと記憶してますから,ここ10年以内の話なのでしょう).

 大船渡さんまラーメン

 サイトによると大船渡のサンマラーメンは決まった形式があるわけではなく,ラーメンにどのようにサンマを絡めていくかは各店舗に自由にゆだねられているとのことでした.すなわちお店によっていろんなサンマラーメンがあるわけです.

 で,そんな大船渡のさんまラーメン店のひとつである「黒船」のラーメンを再現したカップ麺が今月発売されるのだそうです.

 さんまのだしを使ったカップ麺 明星食品

 「黒船」さんのさんまラーメンは,さんまを出汁として利用したラーメンのようです.私ももちろん食べたことがないので,発売されたら是非食べようと決意しました(発売は2月11日とのことです).

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