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2012年11月29日 (木)

ペルー旅行記7 ~9月27日~

 クスコの朝が明け,9月27日になりました.今回の旅行もいよいよ後半になってきました.いつもそうなんですが,このあたりから 休みがおしまい→現実 の影がちらつき始めちょっぴり悲しくなってきます.この日はクスコからアンデスの山々をドライブしてチチカカ湖畔の町プーノを目指す行程です.まずは朝食,昨夜のディナーと同じ会場でビュッフェスタイルの朝食をいただきます.その後ちょっと時間があったためホテル内を散策しました.前日の記事でも触れていますが,このリベルタドール・パラシオ・デル・インカは16世紀にインカを征服したスペイン人フランシスコ・ピサロの邸宅だった建物を改装したものと言われています.クスコは元々インカ帝国の都だった街であり,現在でもクスコ市内中心部にはインカの石組みの上にスペイン風の建物を建てた建築物がたくさん残っています.このホテルもそんな時代の建物で非常に重厚な感じがします.特にスペイン風建築物の特徴といえる中庭(パティオ)はこのホテルにもしっかりと残っていました.

P9271135(写真1) ホテルの中庭

 一通り散策した後はロビーに集合,ここから少し歩いて一昨昨日見学したサントドミンゴ教会を挟んだ道路の向かい側からバスに乗り込みます(ホテルが市街地の狭い道路沿いのためバスが入れないため).平日の朝ということで道路にはたくさんの車が行きかっていました.

P9271140(写真2) サントドミンゴ教会前の道路

 さあ一路プーノへと思ってたんですが,さにあらず.まずは郊外に出てそこで大型のバスに乗り換えるとのことでした.実はクスコ市内は道が狭くて入り組んでいるためにいわゆる大型の(40人くらい乗れる)バスが走れないということで,市内では全長の短い(すなわち定員の少ない)バスを利用していたからです.今日はプーノまで長丁場ということで,ゆったりと大型のバスを利用するということのようでした.

P9271183 (写真3) ウルバンバ川の上流です

 バスの乗り換えも無事に終わりいよいよプーノへ出発です.クスコからプーノへは自動車,鉄道,飛行機で行くことができます.このうち道路と鉄道はほぼ並行して走っていて,途中同じような景色を楽しむことが出来ます.その距離は約380キロ,途中標高4300メートルのラ・ラヤ峠を通過します.

P9271155 (写真4) ウルコス名物の巨大なパン

 しばらくはウルバンバ川に沿って走ります.街道筋には小さな町がいくつもあるんですが,途中ウルコスという町で現地ガイドが巨大なパンを買っていました.ここはパンが有名な街なのだそうです.その後途中で休憩を入れながらバスは快調に走っていきました(高級毛織物で知られるアルパカがいるポイントもありました).

P9281195 P9281217 (左写真5) 途中の休憩所にいたアルパカ,羊みたいです.(右同6) 愛嬌のある顔です

 クスコから140キロ地点にあるシクアニという比較的大きな町を過ぎたあたりから道路は徐々に上り坂になっていきます.いよいよ峠筋に入った感じです.このまま一気に峠に登るのかと思いましたが,バスはその手前にあるアグアス・カリアンテというところで停車,一同下車します.アグアス・カリエンテとはスペイン語で熱い水,すなわちお湯のことです.実はここは温泉が湧き出ているスポットなのでした.

P9281232 P9281234 (左写真7) 駅付近の線路,日本の鉄道に比べて軌間が広いのがわかります.(右同8) 温泉の入り口

 道路を横断し,草むらを降りていくと線路があります.ここを横切っていくと,何やら建物が並んでいます.ここがペルーの温泉施設なのでした.

P9281240 (写真9) 温泉が湧き出ています

 受付を通って中に入っていくと,温水プールなどが複数あり,地元の人らしき面々が楽しそうに入っていました(もちろん水着着用です).その様子を横目で見ながら我々はさらに奥に進みます.周囲を見るとあちこちに温度の高そうな温泉がゴボゴボと湧き出ていました(恐山や地獄谷を彷彿させる景色です).そんな場所に温泉水が川のように流れている一角がありました.ここがいわゆるペルーの足湯スポット,私たちも現地の人に交じって利用しました(ムチャクチャ熱かったですが 笑).

Img_1534217_67514102_3 Img_1534217_67514102_4 (左写真10) 地元の人たちでにぎわう温泉プール,(右同11) 足湯スポットです

 温泉を堪能した後,再びバスは峠道を登っていきます.そしてついに標高4300メートル,富士山の山頂よりも600メートル近くも高い,ラ・ラヤ峠に到着しました.

P9281287 (写真12) ラ・ラヤ峠にて

 さっそくバスから降りて歩いてみます.さすが標高4000メートル越えということで,空気の薄さをひしひしと感じました.実は今回の旅行に際して,動脈血液中の酸素飽和度(SpO2)を測定する器具を持参していました.下界では呼吸機能が正常な人のSpO2は98~99%になりますが,酸素の薄い高地に行くと当然この数値は下がります.標高4000メートル越えではどうなるのかと,恐る恐る(笑)測ってみたんですが…

Img_1743637_67427926_2 (写真13) 上段がSpO2,下段が脈拍です

 な,なんと84%,下界なら結構な肺炎にでもならないと出ない数字です.肺炎でこの数字ならそうとうに苦しいはずですが,酸素分圧の低下によるものなので特に苦しいという感じはなかったです.とはいえ,高地世界の凄さをちょっぴり感じたのでした.

Img_1534217_67514102_1 (写真14) 標高4338mの標識

 ラ・ラヤ峠は標高が高い以外には特にこれといったものはないんですが,やってくる観光客のほぼ全員が立ち寄るスポットというわけで,観光地お決まりのお土産物屋台がたくさん並んでいます.ここのお土産のメインはアルパカ製品,実はクスコ~プーノ近辺はアルパカの飼育が盛んな地域なので,その関係のお土産が多いのでした.屋台では売り子の女の子が日本語で「くすこ高イ,ぷーの高イ,ココ安イ」と呼びかけてました(後から見るとたしかにその通りでした).

Img_1534217_67514102_2 P9281301 (左写真15) 峠にはお土産物屋さんが,(右同16) 冠雪したアンデスの山々

 つかの間の峠での滞在を終え再びバスに乗り込みます.ここからはひたすら下りになるわけです.バスが走り出すと,現地ガイドのアレックスがお弁当を配り始めました.これが本日の昼食のおにぎり弁当です.実は他の旅行社の同様のツアーでも,クスコからプーノへの移動日のお昼がおにぎり弁当という設定だったんです.もしかしてこの辺の日本人向けツアーでは有名なお弁当なのかと思いました.ただ,添乗員さんからまだ標高4000メートル以上なので,もう少し下ってから食べるように指示がありました(酸素の薄い場所で食べると,消化器系に血流が集まって脳に行く酸素がさらに減って具合が悪くなるためと思われます).

P9281313 P9281316 (左写真17) おにぎり弁当です.(右同18) 海苔を巻いたところ

 そうしている間にもバスはどんどん下っていきます.原野ばっかりだった景色も徐々に家など人の気配が感じられるようになり,やがて町が現れました.そろそろいいだろうということでお弁当をいただきます.中身はというと,おにぎりが3個(梅干し,鱒,炊き込みご飯),照り焼きチキン,ゆで卵,みかん(温州ミカン?)と漬物でした.おにぎりの海苔は後から巻くスタイルでパリパリでした.漬物は日本のものに比べて生姜が強いのか臭みが少なく食べ安かったです.

Pb300002 (写真19) 現地の練り歯磨き

 しばらく走っているうちに道路は平らになりました.峠後の休憩場所としてとある町の商店(コンビニ?)に寄ります.トイレ休憩に加えて買い物もできるということで,私はガイドお勧めの地元の練り歯磨きを購入しました(Chicha Moradaという紫トウモロコシフレーバーの歯磨き).

 その後バスは順調に走りましたが,次第に雨が降りだし,しかも稲光まで走り始めました.実はこの日はプーノに行く前に,近くのシルスタニ遺跡を訪ねる予定だったんですが,この天候を見て添乗員さんは「明日にするか」といい,結局この日はプーノに直行することになったのでした(シルスタニ遺跡は周囲よりも標高が高く,しかも隠れる場所もないため雷が鳴ると危険極まりないようでした).

P9281326 (写真20) 危険な香りのするフリアカの街

 バスはしばらくすると空港のある大きな町フリアカを通過し,そのままチチカカ湖畔の町プーノのはずれにあるホテル,リベルタドール・レイク・チチカカに到着しました.その名からもわかるように,昨夜泊まったクスコのホテルの系列です.チチカカ湖に突き出した岬の先端にある船を思わせる造りのホテルでした.

 シルスタニの観光が消えたためホテル到着は午後4時前と,今回の旅行ではかなり早い時間になりました.ラ・ラヤ峠からは下ったとはいえ,プーノ自体標高3800メートルもあります.この日はゆっくり休もうという趣旨なのでした.

P9281340 P9281342 (左写真21) 船のような形状のホテル・リベルタドール,(右同22) 部屋からのチチカカ湖

 部屋に入ってカーテンを開けるとチチカカ湖が目の前に広がっています.この湖は総面積が8562平方キロと,日本で一番広い琵琶湖のなんと13倍も大きな湖なんです.汽船が航行する湖としては世界で最も標高が高いのだそうです.この巨大な湖はペルーとボリビアの国境を形成しており,全体の6割がペルー,4割がボリビアになっているのでした.ボリビアの事実上の首都ラパスはチチカカ湖の近くにあり,ここプーノからは自動車で4時間程度の距離だそうです(ペルーの首都リマへ行くよりよっぽど近い).

 しばらく休んでシャワーを浴びたのち,夕食に出向きます.この日もチョイスメニュー,昨夜はワインはお休みしましたが,ここでは休息も取ったというわけでしっかりいただいたのでした.

 これ以降の記録はホームページ本編にアップしています.

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2012年11月23日 (金)

ペルー旅行記6 ~9月26日~

 さて9月25日から一夜明けた26日,マチュピチュ滞在2日目かつ最終日の朝となりました.前日は午後から休養十分だったことあり爽快な目覚めです(笑).例によってビュッフェスタイルの朝食をいただいた後,さっそく遺跡の観光に向かうことにしました.まずは昨日行けなかったインティプンク(太陽の門)へのインカ道小トレッキングです.ホテルを出ると目の前はもう遺跡の入り口,サンクチュアル・ロッジに宿泊するものの特権です(笑).天気は曇り空でしたが雨は降っていません.気温はやや肌寒い程度,トレッキングには最適な条件です.昨日と同じように受付で許可証とパスポートを提示して中に入っていきます.

P9260870 (写真1) なんとなく日本の城郭を思わせる石垣

 昨日お昼に入った時は大勢の観光客でごった返していたんですが,この日は朝早いせいか,観光客の姿もまばらでした.歩きながら周囲を見ると石垣が見えるんですが,その雰囲気が日本の近世城郭の石垣に似ているなぁと感心してしまいました(実は時期的にもそう違わないんですよね).

 そうこうしているうちに,昨日も歩いた上り坂にさしかかります.息が上がるのは昨日とおんなじなんですが,気のせいか疲労感が強いような気がします.思うに昨日は昼食前に歩いたのに対して今日は朝食後に歩いているために血液が消化器系に集まっていて,その分脳や筋肉への血流が減っているためではと考えたのでした.それでもなんとか登り切り石垣がずらっと横に伸びている場所まで到達しました.

P9260880

P9260882 (左写真2) これがインカ道です,(右同3) ホテルの中庭が見えます

 ここから右に行くと見張り小屋になりますが,今朝はここを左に曲がって行きます.見るとはるか向こうまで石畳の道が続いています.実はこれ,インカ時代の道路であるインカ道なんです.インカ帝国は15世紀に南米の広大な範囲に広がっていたわけですが,その円滑な支配の要となったのが国中に張り巡らされた道路網でした.ここマチュピチュも決して山中に孤立した都市なわけではなく,都のクスコと道路でつながっているのです(現在でも自動車道はつながっていないものの,このインカ道をたどって行けばクスコまで行ける).

P9260962 (写真4) 大岩の墓跡

 そんなインカ道を西に向かって歩いていきます.道はよく整備された石畳,右手には石垣が並びますが,左手は崖です.見下ろすと宿泊しているサンクチュアル・ロッジの中庭がみえました.歩いているうちに道は徐々に上り坂になって息が上がり,日頃の運動不足が実感されます.大体15分くらい歩いたところで,右手に巨大な岩が出現しました.これは大岩の墓跡と呼ばれるところで,ハイラム・ビンガムがこの下から遺骨を発見したことにちなんでいます.ここで少し休憩しました.

P9260891 (写真5) はるか下界にはマチュピチュ村が見えます

 その後再びなだらかな上り坂を進んでいきます.ふと見るとはるか向こうの山にまでこの道が続いているのがわかり,少し気が滅入ります.それでも何とか歩いているうちに,ちょっとした遺跡のような場所に到着しました.ここがタンボというインカ時代の宿泊所跡で,すぐ近くには儀式の石と呼ばれる大きな石がありました.ここで再度休憩をとり,水分補給,さらに進んでいきます.

P9260904 P9260900 (左写真6) タンボ,手前が儀式の石です,(右同7) くたびれている私

 道は相変わらず石畳が基本ですが,ところどころには岩を登らなければならないところもありました.そうしてタンボから20分ほどで目標だったインティプンクに到着しました.

P9260911 (写真8) ようやくインティプンクに,片道1時間の行程です

 ここに立って見ると,マチュピチュの全貌が良く見えます.見張り小屋からの景色とはまた違った趣でした.マチュピチュ遺跡の右にはワイナピチュ山も見えますが,なんだかワイナピチュの山頂よりも今自分が立ている場所の方が高いんじゃないかと感じました(後で確認したらその通りで,ワイナピチュ山頂よりもインティプンクの方が標高が高いんだそうです).

P9260943 (写真9) インティプンクからのマチュピチュ全景

 ちなみにインカ道はもちろんここが終点ではなく,ここからさらに西に延びてアンデスの山々を越えてクスコに向かっています.しかし,インティプンクを過ぎるともはやマチュピチュ遺跡の姿は見えないことから,当時の旅人にとってこの場所は,マチュピチュに向かう者にとっては街を初めて目にする感激の場所として,マチュピチュを去る者にとっては街との別れを実感する場所だったんだろうと思われました.

P9260915 P9260941 (左写真10) インティプンク,(右同11) 途中寄ってきたタンボが見えます

 しばらく景色を堪能してきた道を引き返します.行きは登りでしたから帰りは必然的にくだりになり,来る時よりは楽な行程でした.結局往復2時間半ほどでいったん遺跡を出てホテルに戻ってひと休みすることにしました.

 しばしの休憩後10時半にホテルのロビーに集合します.今度は現地ガイドの案内でもう一つのインカ道トレッキングポイントであるインカ橋まで行くことになっているからです.インカ橋はインカ道の途中にかかっている橋のことです.次に戻るのはお昼ということでここでチェックアウトを済ませ,更には大きな荷物を駅まで預ける手続きをしました.そして再び受付から遺跡に入り,今朝も歩いた貯蔵庫沿いの坂道を登ります.朝食がだいぶこなれたのか,同じ上り坂でも朝よりかは楽に感じました.分岐点を朝は左に曲がったんですが,今度は昨日と同様右に曲がって見張り小屋に行きます.そこからさらに南に向かって進んでいきました.しばらくは最初の貯蔵庫付近の登りと同じくらいの上り坂で息が上がりましたが,ちょっと歩くと何やら事務所のような小屋に到着しました.ここはインカ道に向かう観光客が名前を書くことになっているようでした(登山者名簿のようなもの.我々はガイド付きのグループなので免除でした).

P9271019 P9270986 (左写真12) 事務所のようなところ,(右同13) ここもインカ道です

 事務所からは打って変わって平坦な道になりました.ここもインンティプンクに向かうのと同じような石畳の道です.しかしここは細い道に加えて,左手は険しい垂直な山肌で右手は断崖絶壁,確かにあそこで名前を書かされる理由がわかるような気がします(ビデオカメラなんかで撮影しながら歩いてると谷底に転落しそう.過去にそんな人がいたのでは…).古の蜀の桟道というのがありましたが,まさにこんな道だったのではと思わせるような道路でした(日本なら絶対にガードロープや柵が設置されそうですが,もちろんそんなものはありません).

P9271013 (写真14) 蜀の桟道の様な道

 そんな道を15分ほどあるくと目指すインカ橋が見えてきました.まさに断崖絶壁に架かる橋です.こんなところ行けるのかと思いましたが,さすがに危険すぎるらしく橋そのものは立ち入り禁止になっていました.我々はそれぞれ記念写真を撮ったりしてこの危険な空間を堪能し引き返したのでした.

P9271004 P9271003 (左写真15) インカ橋をバックに,(右同16) インカ橋,怖いです

P9271027 (写真17) 市街地への門からはワイナピチュが見えます

 その後はそのままホテルに戻る人,添乗員さんと一緒に移籍を歩く人,自由行動の人に分かれてしばしの解散となります.我々は添乗員さんと一緒のコースに入り,昨日行かなかった遺跡を見学しました(添乗員さんによるとマチュピチュ遺跡の実態については記録が残ってない以上,正確なことは誰にもわからず,所詮言ったもの勝ちなんだそうです).結局ギリギリ近くまで遺跡を堪能しホテルに集合,既にチェックアウトは済ませているのでそのまま下界へのシャトルバスに乗り込みます.バスが出発すると一同名残惜しそうに遺跡の方を見ていました.

P9271021 (写真18) 今回の参加者一同

 下界のマチュピチュ村に到着するとまずは昼食会場である TOTO'S HAUSE というレストランに入ってビュッフェスタイルのランチをいただきました.その後列車の時間まで自由行動となり,少し村を歩いてみることにしました.マチュピチュ村は両側を山に囲まれたウルバンバ川沿いの谷間に広がる村です.メインストリートを中心に小さなホテルや商店,レストランが並ぶ風景は何となく日本の温泉街を彷彿させました(実はここ,実際に温泉が湧いています.入る機会はなかったんですが…).昨日通過しただけのバザールのようなお土産物屋街には小物からアルパカのセーターまでいろんなアイテムが所狭しと並んでいて,賑わっていました.

P9271093 P9271097 (左写真19) ランチのレストラン,(右同20) お土産市場

 しばらく散策して時間が来たため,一旦レストランに集合,そこから集団で駅に向かいました.駅は列車を待つ観光客で大賑わい(マチュピチュから他の都市に行くにはこの列車に乗るしか方法がないので当たり前なんですが…),現地ガイドから各自チケットを受け取り出発の時を待ちます.往路は聖なる谷のオリャンタイタンボからの乗車でしたが,復路はクスコ近くのポロイ駅まで乗りとおす行程です(約3時間半).

P9271115 (写真21) インカ版なまはげ

 定刻になって列車は出発,帰りは上り坂ということとディーゼル機関車牽引ということであまりスピードは出ません.列車はゆっくりとウルバンバ渓谷を走っていきます.しばらくすると軽食と飲み物のサービス開始,私はというと当然のようにワインもいただいたのでした(笑).その後は乗務員が扮するなまはげのような仮面や衣装を着けた踊りや,アルパカ製品をファッションショー感覚で紹介・販売するイベントなどが行われました.

P9271109 P9271108 (左写真22) ビスタドーム号の軽食,(右同23) 当然ワインも注文です

 外の景色は徐々に暗くなり,あたりは夜になっていきます.周りの人たちはというと,マチュピチュ観光の疲れからか寝入っている人も多かったです.結局列車は1時間近く遅れてポロイ駅に到着しました.

P9271130 (写真24) クスコの夜景

 標高2千メートル台のマチュピチュから再び3400メートルのクスコに戻ってきて,気のせいか空気の薄さを自覚します.我々は駅から迎えのバスに乗り込みホテルに向かいました.ポロイクスコの郊外ですが,実はクスコよりも標高が高い場所になります.途中クスコの夜景が見えるスポットで停車し,しばし夜景を堪能しました.

 この日の宿泊先である,リベルタドール・パラシオ・デル・インカは,その昔インカの征服者であるフランシスコ・ピサロの邸宅だった場所をホテルに改装したものと言われています.重厚な石造りのホテルは歴史を感じさせるものでした.

P9271131 P9271133 (左写真25) 前菜のスープ,(右同26) メインのマス料理

 到着後はさっそく夕食です.この日はチョイスのコースメニュー,私のメインはマス料理にしました.ワインはどうしようか悩んだんですが再び3千メートルを超えた晩だったのと,列車でも飲んでいたのでお休みにしたのでした.

 

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2012年11月11日 (日)

宇宙戦艦ヤマト2199 ~第三章~

 今年の4月から映像展開が始まった宇宙戦艦ヤマト(いわゆるテレビ版第1作)のリメイク作品,宇宙戦艦ヤマト2199の第三章が先月13日から2週間の限定劇場上映がされていました.旧作のファンで,4月に最初のリメイク版を見て「なかなか面白いじゃないか」と思ったため,今回も観に行ってきました.だいぶ時間が経ってしまいましたが,その話題です.

Img028_2 これまで第一章ではヤマトが地球を離れるまでが,第二章ではワープ航法,木星の浮遊大陸での波動法発射,ガミラスの冥王星基地との死闘が描かれました.今回の第三章ではヤマトがいよいよ太陽圏を離れて外宇宙に出ていく様子が描かれます.第一章,第二章では細かい相違はあるものの,基本的なストーリーや設定はほぼ旧作を踏襲したものでした.しかしこの第三章ではほぼオリジナルといってよい内容も盛り込まれています.

 以下ネタバレ注意

 第三章は将来のテレビ放映の際には第7話~第10話となります.まず第7話は太陽系を離れるにあたってヤマト乗組員がそれぞれ地球の家族と最後の交信をする話です.これは旧作にもあった内容ですが,新たに宇宙赤道祭と銘打った艦内パーティの設定が取り入れられ,華やかさが増しました.一方で旧作で交信すべき家族を失っている古代と沖田が二人で酒を酌み交わすシーンはなく,代わって同様の境遇にある航空隊士官との絡みが取り入れられました(沖田は徳川と酒を).

 第8話はデスラーがヤマトに対してワナを仕掛け,それを他の将軍たちとともにゲームとして楽しむというお話,これは旧作にあった内容で,小太りの将軍が「総統も相当に冗談がお好きで」と高笑いし,それに対してデスラーが「ガミラスに下品な男は必要ない」と将軍を消し去る有名なシーンはもちろん登場します(この哀れな将軍の名はドーテム・ゲルヒンというそうです).ただ旧作だと最初に宇宙機雷,次にバリアとガス生命体とミサイルとオリオン座のアルファ星という四面攻撃だったのが,今回は宇宙機雷のエピソードはなくガス生命体と赤色矮星グリーゼ581の両面作戦に変更されていました.

 第9話はほぼオリジナルのエピソードで,ガミラスのロボット(ガミロイド)を解析していたアナライザーとガミロイドとの間に芽生えた交流がファンタジックに描かれるお話でした.アナライザーの感情という意味では旧作での森雪との絡みに相当するのかもしれません.

 第10話はヤマトが次元断層に落ち込むエピソード,これは旧作だともっと後に出てくる話で,ここでヤマトとガミラスのドメル将軍が初めて対決する場面です.しかし今回は同じように次元断層に陥っていたガミラス艦と共同で危機を脱するというエピソードに変更になっていました.それと共に,ヤマトとガミラス艦との交渉を行うため1人のガミラス士官がヤマトに乗り込む場面があります.地球人がガミラス人を初めて目にするシーンということになります.旧作では戦闘時の捕虜がそうだったんですが,今回はより身分の高い軍人(ガミラス艦隊総司令官の娘)で,その分ヤマト乗組員との対峙も印象深いものに仕上がっていました.

 ネタバレ終わり

 いよいよ佳境に入ってきた宇宙戦艦ヤマト2199,今回は旧作よりも速いテンポでストーリーが進んでいるので,今後どんなエピソードが盛り込まれるのか,第四章の公開は来年1月とのことで,楽しみです(個人的には藪機関士の反乱があるのか興味があります,それとも一番最初の設定どおりだったりして…).

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2012年11月 8日 (木)

三行広告

 ネット上でもちょっと話題になっているようですが,昨日今日の毎日新聞のにひっそりと載っていた三行広告(?)に目が点になりました.

001 13年式G型トラクター商談に応ず

 おもわず笑ってしまいました.これは今日の朝刊ですが,昨日の夕刊の方はG型トラクター買いたしでした.わかる人にはわかると思いますが,これは世界的に超一流のスナイパー,ゴルゴ13と接触する手段のひとつとして知られているものです(そのほかラジオで讃美歌13番をリクエストする,ラスベガスのカジノの13番でジャックポットを連発させる,とある住所に絵葉書を送るなど).

 昨日の夕刊が,依頼人がゴルゴへの接触を希望する広告で,本日ものはそれに対するゴルゴの返答広告となります.この後,依頼人が記載された連絡先に電話,その後接触場所の指定を受ける… という流れになって行きます.

 この日の朝刊の中面には特別編書き下ろしのほか,ゴルゴが描かれた広告が複数あるなどゴルゴ色の強い紙面になっていました.ゴルゴは自分の存在を公にするような行為に対しては絶対に許さないですから,本来こんなことをしたら新聞の編集責任者は間違いなく抹殺されるはずなんですが,非常に面白い紙面だなぁと感動したのでした.

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2012年11月 5日 (月)

キリストの墓の話題

 今日ネットのニュースに出ていた話題です.

 「キリストの墓」閉鎖危機?

 記事によると,エルサレムにある聖墳墓教会(ここにイエスが埋葬されたとされる)が現地の水道会社から長年未払いだった水道料金の請求を受け,それに反発した教会を管轄するギリシャ正教側が教会の閉鎖も検討しているという内容でした.どうやら過去に市長と教会の間で水道料金免除の約束があったのにそれを無視して一方的に請求を受けたことに反発しているもようです.エルサレムはユダヤ教,キリスト教,イスラム教という3つの宗教の聖地となっており,市内もイスラム地区,ユダヤ地区,キリスト教地区などに棲み分けがされています.聖墳墓教会はエルサレムの有名な観光スポットでもあり,もし本当に閉鎖されたら世界に与えるインパクトは強烈です.いったいどうなるのか注目していきたいと思います.

 ところで,このニュースを目にした際,私はエルサレムではなく青森県の記事かと思いました.だいぶ昔ここで取り上げたんですが,実は青森県の新郷村にキリストの墓とされるものがあるんです(神秘の里Ⅰ~キリストの墓~).昭和10年に竹内文書というその筋では有名な文書に載っているとして知られるようになった場所です.聖書でゴルゴダの丘で処刑されたとされるイエスは実は替え玉であり,本人はひそかに国外脱出,日本にやって来て今の青森県新郷村に住んでいたというトンデモな話なんです.村ではこれを観光に利用,墓とされる盛り土の近くにはキリストの里伝承館があり,毎年6月にはキリスト祭まで行われています(今年で49回目ですから,ひの新選組まつりよりも3倍歴史が古いことになります 笑).

Chrihaka(写真1) 新郷村のキリストの墓

 一部の間では非常に有名な新郷村のキリストの墓ですが,ローカルすぎるせいか実際に世界中のキリスト教会から抗議が来ているという話は聞きません(笑).それどころか,墓の近くにはイスラエル政府から贈られた碑文まであります.

 件の記事,私的にはローカルすぎるキリストの墓が村の予算削減で閉鎖の憂き目にあうのかと心配してしまいました.

Pb050001(写真2) 今年のキリスト祭のポスターです

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2012年11月 3日 (土)

ペルー旅行記5 ~9月25日~

 高地でワインが一気に回ったこともあって爆睡した翌朝,この日はいよいよ今回の旅行のハイライト,マチュピチュ入りする日です.外に出てみると爽やかな晴れ空でした.

Peru1_255(写真1) さわやかな聖なる谷の朝

 例によってビュッフェ形式の朝食を済ませて出発となります.ここからマチュピチュへはバスと列車を乗り継いでいくことになり,しかも列車にはスーツケースを積みこめないため一泊分の荷物をボストンバッグなどに詰めて持っていかなければならないのでした(スーツケースは明日宿泊するクスコのホテルに別送).ペルーを代表する観光地であるマチュピチュですが,実はリマやクスコといった主要都市から車で行くことはできません.なぜなら途中の聖なる谷から麓の村までの自動車道がないからです.なのでマチュピチュに行くためには必然的に鉄道を利用する必要があるわけです(その他,インカ道を何日かかけて歩くインカ道トレッキングで行く方法もある).マチュピチュ行きの鉄道にはクスコ郊外のポロイ駅か,聖なる谷のオリャンタイタンボ駅から乗車することになりますが,今回はオリャンタイタンボ駅からの乗車でした.鉄道を運行している会社は複数あって,今回は一番老舗のペルーレイル社を利用しました.

Img_1818477_67318517_0Img_1818477_67318517_1(左写真2) ペルーレイル社の機関車,(右同3) 各自きめられた車両に乗り込みます.

 バスで聖なる谷を30分ほど走ってオリャンタイタンボ駅に到着します.マチュピチュを目指す大勢の観光客が集まる駅ということで,周辺にはお土産物屋なども並んで賑やかでした.

Img_1818477_67318517_2(写真4) ビスタドーム号の内部

 ペルーレイル社の列車には豪華食事付きのハイラム・ビンガム号,車内からの展望がよいビスタドーム号,もっともエコノミーなバックパッカー号があります.それぞれ走っている時間帯が異なるんですが,我々が乗車するのはビスタドーム号でした.ほぼ定刻に列車が入線,我々は指定された車両に乗り込みました(ビスタドーム号は全席指定).この鉄道はさすがに電化はされておらず,ディーゼル機関車けん引の客車形式でした.ここからマチュピチュ麓の村まで約1時間半の行程,車窓からの眺めを楽しむ時間となります.列車はほぼウルバンバ川に沿う形で走って行きます.外には時々民家が見え,両側には万年雪をいただいたアンデスの山々が望めました.しばらく走っていると列車は駅とも思えないところで停車しました.実はここからインカ道をトレッキングする人たちを下ろすためのようでした.

Img_1818477_67318517_3Img_1818477_67318517_4(左写真5) 列車はウルバンバ川に沿って走ります,(右同6) 雪をいただくアンデスの山

 その後も晴天の中を列車は進み,無事終点のマチュピチュ駅に到着しました.荷物をもって下車,駅を出るとイスラム圏のバザールのような商店街(土産物屋街)が広がっています.みんなそっちの方に注目してましたが,すぐにバスが出るからと添乗員さんに促されてそのままバス停に向かいました.

Img_1818477_67341571_0Img_1818477_67341571_1(左写真7) マチュピチュ駅,(右同8) マチュピチュ村の風景

 村から遺跡まではシャトルバスがピストン輸送を行っています.我々もさっそくバスに乗り込みましたが,このバスは貸し切りではなく他のお客さんも乗るのでぎっしり満員でした(さすがに立ち席はありませんでしたが).村を出たバスはつづら折れの未舗装の細い道を登って行きます.途中で対向してくる遺跡から下界へのバスと何度かすれ違いますが,さすがに慣れているのか上手にすれ違っていました(クスコにしろマチュピチュにしろ,狭い道を通る機会が多いせいか,この辺のバスは長さが短いのが特徴です).高度を上げるに従って遺跡の石垣が見えてきて車内から歓声が上がり,いよいよバスは遺跡の入り口に到着しました.

Peru1_568(写真9) サンクチュアル・ロッジ

 バスを降りた我々はまず,遺跡入り口そばに立つホテル サンクチュアル・ロッジに入ります.ここは遺跡に隣接する唯一のホテル,実は今回の私のグループの宿泊先なのでした.一般にマチュピチュで宿泊する場合は麓のホテルに泊まってバスで行き来するパターンが大半ですが,このサンクチュアル・ロッジに泊まった場合のみ,バスを気にせず観光ができるのです.そんなわけでこのホテルの人気は高く,シーズンともなれば予約がとりにくいそうですが,せっかく行くならぜひここに泊まりたいと思い,ここの宿泊が決定していたこのツアーに参加したのでした.

 ホテルではまずウェルカムドリンクをいただき,荷物を預けて,添乗員さんおよび現地ガイドから説明を受けます.その後トイレを済ませて(遺跡内にはトイレがないため,観光前には必ず済ませる必要がある)いよいよ遺跡に向かいます.

Img_1818477_67348520_1Img_1818477_67348520_0(左写真10) マチュピチュの入り口,(右同11) これが許可証です

 遺跡のゲートはホテルの目の前,係員に入場許可証とパスポートを提示して中に入ります.許可証は1日有効なので何度でも出入りができます.入ってしばらくはただの林道風の道ですが,ところどころに見られる石垣が気分を盛り上げます.しばらく歩くと上り坂が始まります.意外に急なのと酸素がうすい高地であるのとで息が上がります.少し行くと建物が見えてきました.これは貯蔵庫と呼ばれる施設です.ここで道が二つに分かれていて,我々は左に向かいます(マチュピチュ遺跡内は基本的に時計回りの一方通行になっています).

Img_1818477_67348520_10(写真12) 貯蔵庫です

 さらに登りが続いて息が苦しくなったところで,展望のよい高台に到着です.ここが見張り小屋と呼ばれるところで,その名の通り、マチュピチュ遺跡を一望できるスポットです(ガイドブックなんかに載っているマチュピチュの写真はここから撮影したものが多い).もちろんみんなここで写真タイムとなったことは言うまでもありません.

Img_1818477_67348520_9(写真13) 見張り小屋からのマチュピチュ全景,背後の山がワイナピチュです

 高台から見下ろすと向こう側にワイナピチュ,その手前にマチュピチュの都市遺跡が並ぶ壮観な眺めです.ちなみにワイナピチュとはケチュア語(インカ時代の言葉)で若い山という意味で,対してマチュピチュとは老いた山の意です.尾根の上に立ち並ぶ市街地の周辺には山の斜面に沿って階段状になった土地,段々畑が広がっていますが,当時ここでトウモロコシなどが栽培されていたと考えられています.ワイナピチュをよく見ると,結構な人が登っている様子が見えます.ここは許可を受けて遺跡から登ることができます(往復1時間半~2時間程度,途中結構きつい所があるようです).私たちのグループの中にも翌日ここにチャレンジした人もいました(若いカップルでした 笑).

Img_1818477_67348520_11(写真14) 見張り小屋

 さて,見張り小屋からの展望を堪能した後今度は左下に見える市街地に入って行きます.マチュピチュは街全体が城壁に覆われた城塞都市のため,外界から入れる場所は限られています.街への入り口は小さな門でした.とはいえ,この門からワイナピチュの姿を眺めることができるということで,格好の撮影スポットになっているのでした.

Img_1818477_67348520_4_2Img_1818477_67362449_1(左写真15) 市街地を望みます,(右同16) 市街地に入る小さな門

 門から市街地に入って行きます.ここには作業小屋や旅行者の宿泊所,水道といった現実的な施設から,王の別荘・各種神殿といった重要施設までが整然と並んでいます.で,興味深いのがそれらの施設の配置の仕方です.一般に下界では身分の高い人の家や重要施設は高い場所に,庶民の家などは低い場所に置かれます(日本の城下町を連想すると判りますね).しかし,ここマチュピチュでは逆に重要施設は低地に,身分の低い人たちが高地に位置しているのです.これは高地特有の事情があるからで,高い場所は風や落雷の被害を受けやすく,また生活に必須条件である水の確保という意味からも低地が望ましいからということのようでした.

Img_1818477_67362449_0(写真17) 遺跡の概略

 見学の途中で,ワイナピチュ登山のための入り口を見学,大半の参加者はワイナピチュに登るわけではないのですが,みんなここで写真を撮っていました(笑).

Img_1818477_67362449_5Img_1818477_67362449_6(左写真18) 太陽の神殿,(右同19) 精巧な石組です

Img_1818477_67362449_7Img_1818477_67362449_8(左写真20) 日時計(インティワタナ),(右同21) 王の別荘

Img_1818477_67362449_10Peru1_446(左写真22) 主神殿,(右同23) 遺跡のリャマ,本来はここにはいなかったようですが観光的な意味でいるらしいです

Peru1_427(写真24) ワイナピチュの入り口

 一通り市街地を見学した後はいったんホテルに戻って昼食です.ビュッフェ形式のランチですが,飲み物のコーナーに日本では見かけなくなった色のファンタオレンジがあって嬉しくて取ってしまいました(笑).

 昼食後は有志の人は遺跡内のインカ道を太陽の門(インティプンク)まで歩いていく企画があったんですが,ランチでワインを飲んでしまった私は参加せず,そのまま部屋で寝てしまいました(爆).夕方ちょっと遺跡に行こうかなとも思いましたが寝すぎて断念,結局起きたら夕食時になってしまいましたとさ.

Peru1_458Peru1_461(左写真25) 前菜のスープ,(右同26) この日のメインは羊肉にしました

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2012年11月 1日 (木)

11月になりました

 久しぶりの更新になってしまいました.ふと見たら10月15日が最後の更新でしたから,半月以上もサボっていたことになります(10月の記事も全部で5本しかないし…).

 今日から11月,気がついたら今年もあと2カ月でおしまいです.なんだか年ごとに時間がたつのが早くなっているように感じるこの頃です.というわけで,月が変わったのを機にここの更新も頑張って行きたいと思います.

 さて,まずは10月の反省から.9月末の夏季休暇のペルー旅行から帰った後は,その反動で当直やら何やらが立て込んでいて走り回っていました.趣味関係では11月に所属している合唱団の演奏会が2つ(地元医師会合唱団と東京21合唱団)あるので,そちらの練習にも顔を出していました.一方で,以前ここにも書いていた10月28日の境港妖怪検定は結局,受験できませんでした(泣).他に用事が重なっていたためですが,これで3年連続不戦敗,来年頑張ります(笑).

 そして,空き時間に鑑賞している特撮作品ですが,ウルトラマンメビウスの鑑賞がついに終わりました.最後の3部作はなかなか強力な作りでしたね.かつてウルトラマンタロウの中で,光の国に攻めよせた悪の親玉宇宙人という設定でその存在だけが語られていたエンペラ星人がついに登場,姿もカッコよかったですが,その実力も圧倒的でした.なんたって3話にわたってメビウスやその仲間との死闘が延々と描かれるんですから.敵1体にこっちは集団で立ち向かって途中なんどもはね飛ばされる様子は,ジョジョにおけるラスボスとの対決を彷彿させました.途中ボロボロになってメビウスへの変身が解けたミライが脈拍360,血圧400,熱が90℃~ というのはツボりました(笑).

 そんなわけで,今日からは更新頻度を上げられるように頑張って行きたいと思います(ペルー記事もまだ続きますが,その他の話題と並行していきたいと思います).

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