ペルー旅行記6 ~9月26日~
さて9月25日から一夜明けた26日,マチュピチュ滞在2日目かつ最終日の朝となりました.前日は午後から休養十分だったことあり爽快な目覚めです(笑).例によってビュッフェスタイルの朝食をいただいた後,さっそく遺跡の観光に向かうことにしました.まずは昨日行けなかったインティプンク(太陽の門)へのインカ道小トレッキングです.ホテルを出ると目の前はもう遺跡の入り口,サンクチュアル・ロッジに宿泊するものの特権です(笑).天気は曇り空でしたが雨は降っていません.気温はやや肌寒い程度,トレッキングには最適な条件です.昨日と同じように受付で許可証とパスポートを提示して中に入っていきます.
昨日お昼に入った時は大勢の観光客でごった返していたんですが,この日は朝早いせいか,観光客の姿もまばらでした.歩きながら周囲を見ると石垣が見えるんですが,その雰囲気が日本の近世城郭の石垣に似ているなぁと感心してしまいました(実は時期的にもそう違わないんですよね).
そうこうしているうちに,昨日も歩いた上り坂にさしかかります.息が上がるのは昨日とおんなじなんですが,気のせいか疲労感が強いような気がします.思うに昨日は昼食前に歩いたのに対して今日は朝食後に歩いているために血液が消化器系に集まっていて,その分脳や筋肉への血流が減っているためではと考えたのでした.それでもなんとか登り切り石垣がずらっと横に伸びている場所まで到達しました.
(左写真2) これがインカ道です,(右同3) ホテルの中庭が見えます
ここから右に行くと見張り小屋になりますが,今朝はここを左に曲がって行きます.見るとはるか向こうまで石畳の道が続いています.実はこれ,インカ時代の道路であるインカ道なんです.インカ帝国は15世紀に南米の広大な範囲に広がっていたわけですが,その円滑な支配の要となったのが国中に張り巡らされた道路網でした.ここマチュピチュも決して山中に孤立した都市なわけではなく,都のクスコと道路でつながっているのです(現在でも自動車道はつながっていないものの,このインカ道をたどって行けばクスコまで行ける).
そんなインカ道を西に向かって歩いていきます.道はよく整備された石畳,右手には石垣が並びますが,左手は崖です.見下ろすと宿泊しているサンクチュアル・ロッジの中庭がみえました.歩いているうちに道は徐々に上り坂になって息が上がり,日頃の運動不足が実感されます.大体15分くらい歩いたところで,右手に巨大な岩が出現しました.これは大岩の墓跡と呼ばれるところで,ハイラム・ビンガムがこの下から遺骨を発見したことにちなんでいます.ここで少し休憩しました.
その後再びなだらかな上り坂を進んでいきます.ふと見るとはるか向こうの山にまでこの道が続いているのがわかり,少し気が滅入ります.それでも何とか歩いているうちに,ちょっとした遺跡のような場所に到着しました.ここがタンボというインカ時代の宿泊所跡で,すぐ近くには儀式の石と呼ばれる大きな石がありました.ここで再度休憩をとり,水分補給,さらに進んでいきます.
(左写真6) タンボ,手前が儀式の石です,(右同7) くたびれている私
道は相変わらず石畳が基本ですが,ところどころには岩を登らなければならないところもありました.そうしてタンボから20分ほどで目標だったインティプンクに到着しました.
ここに立って見ると,マチュピチュの全貌が良く見えます.見張り小屋からの景色とはまた違った趣でした.マチュピチュ遺跡の右にはワイナピチュ山も見えますが,なんだかワイナピチュの山頂よりも今自分が立ている場所の方が高いんじゃないかと感じました(後で確認したらその通りで,ワイナピチュ山頂よりもインティプンクの方が標高が高いんだそうです).
ちなみにインカ道はもちろんここが終点ではなく,ここからさらに西に延びてアンデスの山々を越えてクスコに向かっています.しかし,インティプンクを過ぎるともはやマチュピチュ遺跡の姿は見えないことから,当時の旅人にとってこの場所は,マチュピチュに向かう者にとっては街を初めて目にする感激の場所として,マチュピチュを去る者にとっては街との別れを実感する場所だったんだろうと思われました.
(左写真10) インティプンク,(右同11) 途中寄ってきたタンボが見えます
しばらく景色を堪能してきた道を引き返します.行きは登りでしたから帰りは必然的にくだりになり,来る時よりは楽な行程でした.結局往復2時間半ほどでいったん遺跡を出てホテルに戻ってひと休みすることにしました.
しばしの休憩後10時半にホテルのロビーに集合します.今度は現地ガイドの案内でもう一つのインカ道トレッキングポイントであるインカ橋まで行くことになっているからです.インカ橋はインカ道の途中にかかっている橋のことです.次に戻るのはお昼ということでここでチェックアウトを済ませ,更には大きな荷物を駅まで預ける手続きをしました.そして再び受付から遺跡に入り,今朝も歩いた貯蔵庫沿いの坂道を登ります.朝食がだいぶこなれたのか,同じ上り坂でも朝よりかは楽に感じました.分岐点を朝は左に曲がったんですが,今度は昨日と同様右に曲がって見張り小屋に行きます.そこからさらに南に向かって進んでいきました.しばらくは最初の貯蔵庫付近の登りと同じくらいの上り坂で息が上がりましたが,ちょっと歩くと何やら事務所のような小屋に到着しました.ここはインカ道に向かう観光客が名前を書くことになっているようでした(登山者名簿のようなもの.我々はガイド付きのグループなので免除でした).
(左写真12) 事務所のようなところ,(右同13) ここもインカ道です
事務所からは打って変わって平坦な道になりました.ここもインンティプンクに向かうのと同じような石畳の道です.しかしここは細い道に加えて,左手は険しい垂直な山肌で右手は断崖絶壁,確かにあそこで名前を書かされる理由がわかるような気がします(ビデオカメラなんかで撮影しながら歩いてると谷底に転落しそう.過去にそんな人がいたのでは…).古の蜀の桟道というのがありましたが,まさにこんな道だったのではと思わせるような道路でした(日本なら絶対にガードロープや柵が設置されそうですが,もちろんそんなものはありません).
そんな道を15分ほどあるくと目指すインカ橋が見えてきました.まさに断崖絶壁に架かる橋です.こんなところ行けるのかと思いましたが,さすがに危険すぎるらしく橋そのものは立ち入り禁止になっていました.我々はそれぞれ記念写真を撮ったりしてこの危険な空間を堪能し引き返したのでした.
(左写真15) インカ橋をバックに,(右同16) インカ橋,怖いです
その後はそのままホテルに戻る人,添乗員さんと一緒に移籍を歩く人,自由行動の人に分かれてしばしの解散となります.我々は添乗員さんと一緒のコースに入り,昨日行かなかった遺跡を見学しました(添乗員さんによるとマチュピチュ遺跡の実態については記録が残ってない以上,正確なことは誰にもわからず,所詮言ったもの勝ちなんだそうです).結局ギリギリ近くまで遺跡を堪能しホテルに集合,既にチェックアウトは済ませているのでそのまま下界へのシャトルバスに乗り込みます.バスが出発すると一同名残惜しそうに遺跡の方を見ていました.
下界のマチュピチュ村に到着するとまずは昼食会場である TOTO'S HAUSE というレストランに入ってビュッフェスタイルのランチをいただきました.その後列車の時間まで自由行動となり,少し村を歩いてみることにしました.マチュピチュ村は両側を山に囲まれたウルバンバ川沿いの谷間に広がる村です.メインストリートを中心に小さなホテルや商店,レストランが並ぶ風景は何となく日本の温泉街を彷彿させました(実はここ,実際に温泉が湧いています.入る機会はなかったんですが…).昨日通過しただけのバザールのようなお土産物屋街には小物からアルパカのセーターまでいろんなアイテムが所狭しと並んでいて,賑わっていました.
(左写真19) ランチのレストラン,(右同20) お土産市場
しばらく散策して時間が来たため,一旦レストランに集合,そこから集団で駅に向かいました.駅は列車を待つ観光客で大賑わい(マチュピチュから他の都市に行くにはこの列車に乗るしか方法がないので当たり前なんですが…),現地ガイドから各自チケットを受け取り出発の時を待ちます.往路は聖なる谷のオリャンタイタンボからの乗車でしたが,復路はクスコ近くのポロイ駅まで乗りとおす行程です(約3時間半).
定刻になって列車は出発,帰りは上り坂ということとディーゼル機関車牽引ということであまりスピードは出ません.列車はゆっくりとウルバンバ渓谷を走っていきます.しばらくすると軽食と飲み物のサービス開始,私はというと当然のようにワインもいただいたのでした(笑).その後は乗務員が扮するなまはげのような仮面や衣装を着けた踊りや,アルパカ製品をファッションショー感覚で紹介・販売するイベントなどが行われました.
(左写真22) ビスタドーム号の軽食,(右同23) 当然ワインも注文です
外の景色は徐々に暗くなり,あたりは夜になっていきます.周りの人たちはというと,マチュピチュ観光の疲れからか寝入っている人も多かったです.結局列車は1時間近く遅れてポロイ駅に到着しました.
標高2千メートル台のマチュピチュから再び3400メートルのクスコに戻ってきて,気のせいか空気の薄さを自覚します.我々は駅から迎えのバスに乗り込みホテルに向かいました.ポロイクスコの郊外ですが,実はクスコよりも標高が高い場所になります.途中クスコの夜景が見えるスポットで停車し,しばし夜景を堪能しました.
この日の宿泊先である,リベルタドール・パラシオ・デル・インカは,その昔インカの征服者であるフランシスコ・ピサロの邸宅だった場所をホテルに改装したものと言われています.重厚な石造りのホテルは歴史を感じさせるものでした.
(左写真25) 前菜のスープ,(右同26) メインのマス料理
到着後はさっそく夕食です.この日はチョイスのコースメニュー,私のメインはマス料理にしました.ワインはどうしようか悩んだんですが再び3千メートルを超えた晩だったのと,列車でも飲んでいたのでお休みにしたのでした.
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