ペルー旅行記5 ~9月25日~
高地でワインが一気に回ったこともあって爆睡した翌朝,この日はいよいよ今回の旅行のハイライト,マチュピチュ入りする日です.外に出てみると爽やかな晴れ空でした.
例によってビュッフェ形式の朝食を済ませて出発となります.ここからマチュピチュへはバスと列車を乗り継いでいくことになり,しかも列車にはスーツケースを積みこめないため一泊分の荷物をボストンバッグなどに詰めて持っていかなければならないのでした(スーツケースは明日宿泊するクスコのホテルに別送).ペルーを代表する観光地であるマチュピチュですが,実はリマやクスコといった主要都市から車で行くことはできません.なぜなら途中の聖なる谷から麓の村までの自動車道がないからです.なのでマチュピチュに行くためには必然的に鉄道を利用する必要があるわけです(その他,インカ道を何日かかけて歩くインカ道トレッキングで行く方法もある).マチュピチュ行きの鉄道にはクスコ郊外のポロイ駅か,聖なる谷のオリャンタイタンボ駅から乗車することになりますが,今回はオリャンタイタンボ駅からの乗車でした.鉄道を運行している会社は複数あって,今回は一番老舗のペルーレイル社を利用しました.
(左写真2) ペルーレイル社の機関車,(右同3) 各自きめられた車両に乗り込みます.
バスで聖なる谷を30分ほど走ってオリャンタイタンボ駅に到着します.マチュピチュを目指す大勢の観光客が集まる駅ということで,周辺にはお土産物屋なども並んで賑やかでした.
ペルーレイル社の列車には豪華食事付きのハイラム・ビンガム号,車内からの展望がよいビスタドーム号,もっともエコノミーなバックパッカー号があります.それぞれ走っている時間帯が異なるんですが,我々が乗車するのはビスタドーム号でした.ほぼ定刻に列車が入線,我々は指定された車両に乗り込みました(ビスタドーム号は全席指定).この鉄道はさすがに電化はされておらず,ディーゼル機関車けん引の客車形式でした.ここからマチュピチュ麓の村まで約1時間半の行程,車窓からの眺めを楽しむ時間となります.列車はほぼウルバンバ川に沿う形で走って行きます.外には時々民家が見え,両側には万年雪をいただいたアンデスの山々が望めました.しばらく走っていると列車は駅とも思えないところで停車しました.実はここからインカ道をトレッキングする人たちを下ろすためのようでした.
(左写真5) 列車はウルバンバ川に沿って走ります,(右同6) 雪をいただくアンデスの山
その後も晴天の中を列車は進み,無事終点のマチュピチュ駅に到着しました.荷物をもって下車,駅を出るとイスラム圏のバザールのような商店街(土産物屋街)が広がっています.みんなそっちの方に注目してましたが,すぐにバスが出るからと添乗員さんに促されてそのままバス停に向かいました.
(左写真7) マチュピチュ駅,(右同8) マチュピチュ村の風景
村から遺跡まではシャトルバスがピストン輸送を行っています.我々もさっそくバスに乗り込みましたが,このバスは貸し切りではなく他のお客さんも乗るのでぎっしり満員でした(さすがに立ち席はありませんでしたが).村を出たバスはつづら折れの未舗装の細い道を登って行きます.途中で対向してくる遺跡から下界へのバスと何度かすれ違いますが,さすがに慣れているのか上手にすれ違っていました(クスコにしろマチュピチュにしろ,狭い道を通る機会が多いせいか,この辺のバスは長さが短いのが特徴です).高度を上げるに従って遺跡の石垣が見えてきて車内から歓声が上がり,いよいよバスは遺跡の入り口に到着しました.
バスを降りた我々はまず,遺跡入り口そばに立つホテル サンクチュアル・ロッジに入ります.ここは遺跡に隣接する唯一のホテル,実は今回の私のグループの宿泊先なのでした.一般にマチュピチュで宿泊する場合は麓のホテルに泊まってバスで行き来するパターンが大半ですが,このサンクチュアル・ロッジに泊まった場合のみ,バスを気にせず観光ができるのです.そんなわけでこのホテルの人気は高く,シーズンともなれば予約がとりにくいそうですが,せっかく行くならぜひここに泊まりたいと思い,ここの宿泊が決定していたこのツアーに参加したのでした.
ホテルではまずウェルカムドリンクをいただき,荷物を預けて,添乗員さんおよび現地ガイドから説明を受けます.その後トイレを済ませて(遺跡内にはトイレがないため,観光前には必ず済ませる必要がある)いよいよ遺跡に向かいます.
(左写真10) マチュピチュの入り口,(右同11) これが許可証です
遺跡のゲートはホテルの目の前,係員に入場許可証とパスポートを提示して中に入ります.許可証は1日有効なので何度でも出入りができます.入ってしばらくはただの林道風の道ですが,ところどころに見られる石垣が気分を盛り上げます.しばらく歩くと上り坂が始まります.意外に急なのと酸素がうすい高地であるのとで息が上がります.少し行くと建物が見えてきました.これは貯蔵庫と呼ばれる施設です.ここで道が二つに分かれていて,我々は左に向かいます(マチュピチュ遺跡内は基本的に時計回りの一方通行になっています).
さらに登りが続いて息が苦しくなったところで,展望のよい高台に到着です.ここが見張り小屋と呼ばれるところで,その名の通り、マチュピチュ遺跡を一望できるスポットです(ガイドブックなんかに載っているマチュピチュの写真はここから撮影したものが多い).もちろんみんなここで写真タイムとなったことは言うまでもありません.
(写真13) 見張り小屋からのマチュピチュ全景,背後の山がワイナピチュです
高台から見下ろすと向こう側にワイナピチュ,その手前にマチュピチュの都市遺跡が並ぶ壮観な眺めです.ちなみにワイナピチュとはケチュア語(インカ時代の言葉)で若い山という意味で,対してマチュピチュとは老いた山の意です.尾根の上に立ち並ぶ市街地の周辺には山の斜面に沿って階段状になった土地,段々畑が広がっていますが,当時ここでトウモロコシなどが栽培されていたと考えられています.ワイナピチュをよく見ると,結構な人が登っている様子が見えます.ここは許可を受けて遺跡から登ることができます(往復1時間半~2時間程度,途中結構きつい所があるようです).私たちのグループの中にも翌日ここにチャレンジした人もいました(若いカップルでした 笑).
さて,見張り小屋からの展望を堪能した後今度は左下に見える市街地に入って行きます.マチュピチュは街全体が城壁に覆われた城塞都市のため,外界から入れる場所は限られています.街への入り口は小さな門でした.とはいえ,この門からワイナピチュの姿を眺めることができるということで,格好の撮影スポットになっているのでした.
(左写真15) 市街地を望みます,(右同16) 市街地に入る小さな門
門から市街地に入って行きます.ここには作業小屋や旅行者の宿泊所,水道といった現実的な施設から,王の別荘・各種神殿といった重要施設までが整然と並んでいます.で,興味深いのがそれらの施設の配置の仕方です.一般に下界では身分の高い人の家や重要施設は高い場所に,庶民の家などは低い場所に置かれます(日本の城下町を連想すると判りますね).しかし,ここマチュピチュでは逆に重要施設は低地に,身分の低い人たちが高地に位置しているのです.これは高地特有の事情があるからで,高い場所は風や落雷の被害を受けやすく,また生活に必須条件である水の確保という意味からも低地が望ましいからということのようでした.
見学の途中で,ワイナピチュ登山のための入り口を見学,大半の参加者はワイナピチュに登るわけではないのですが,みんなここで写真を撮っていました(笑).
(左写真20) 日時計(インティワタナ),(右同21) 王の別荘
(左写真22) 主神殿,(右同23) 遺跡のリャマ,本来はここにはいなかったようですが観光的な意味でいるらしいです
一通り市街地を見学した後はいったんホテルに戻って昼食です.ビュッフェ形式のランチですが,飲み物のコーナーに日本では見かけなくなった色のファンタオレンジがあって嬉しくて取ってしまいました(笑).
昼食後は有志の人は遺跡内のインカ道を太陽の門(インティプンク)まで歩いていく企画があったんですが,ランチでワインを飲んでしまった私は参加せず,そのまま部屋で寝てしまいました(爆).夕方ちょっと遺跡に行こうかなとも思いましたが寝すぎて断念,結局起きたら夕食時になってしまいましたとさ.
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コメント
こんばんは、ビサ皇帝さま。
澄んだ景色と鮮やかな車両の対比がリアル?「世界の車窓から」ですね(笑)
マチュピチュってTVで見ても、よく全体像が分からないのですが、これでなんとなーく分かりました。
投稿: KAGAYAKI快男児!! | 2012年11月12日 (月) 16:52
KAGAYAKI快男児!!さん
こんばんは,コメントありがとうございます.
ブルーの車体=ブルートレインですが,このペルーレイル社はオリエント・エクスプレスと資本関係があるそうなので,その影響もあるんだと思います.
マチュピチュはパッと見,石の塊ですから,詳しく見ないと(説明されないと?)わからないですよね.
投稿: ビザ皇帝 | 2012年11月14日 (水) 16:49