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2012年10月15日 (月)

ペルー旅行記4 ~9月24日~

 9月24日月曜日,この日はいよいよペルーのアンデス高地帯(シエラ)に入ります.ビュッフェスタイルの朝食を食べてホテルをチェックアウトし,バスで空港に向かいます.

 月曜の朝ということでリマ市内は渋滞,リマは都市圏の人口が800万人を数える南米有数の大都市ですが,地下鉄はなく,電車もわずか1路線のみと公共交通機関が貧弱なため,市民の足は車になります.道路はまあまあなんですが,車の多さと運転マナーの悪さから効率的に交通をさばくことができないため,いつも慢性的に渋滞しているのでした.そんな中をバスはなんとか空港に到着しました.

Peru1_013(写真1) リマの空港

 リマのホルヘ・チャベス国際空港は3日前に到着した空港です.日本だと国際線は成田,国内線は羽田みたいに分かれているケースがありますが,ここは国内国際共用の空港となっています.まずはカウンターでチェックインを行い,身軽になってから2階に上がります.セキュリティチェックを抜けて搭乗ゲートを確認,出発時間まで間があったため,周辺のお店を冷やかしたりして時間をつぶしました.

 そうこうしているうちに搭乗時刻となり機内に乗り込みます.機体は国内短距離路線らしくボーイング737でした(座席は3-3).飛行機はほぼ定刻に離陸,一路クスコを目指します.窓からはアンデスの山々が見え,気分が盛り上がります.約1時間ちょっとのフライトで無事にクスコの空港に到着しました.

 クスコはインカ帝国の都だった古い街です.街並みが世界遺産に指定されており,今でも50万の人口を数えます.地理的にはアンデスの高地帯に位置し,その標高は3400メートルに達します.日本にはもちろんこんな標高の高い街はありません(なんたって,富士山の9合目くらいですから.日本では標高の高い街といわれる松本でも大体600メートルにすぎません).これだけ標高が高くなると空気そのものが薄くなります.海抜0メートルと比べると3600メートルのクスコでは気圧が6割しかなく,酸素もその分薄くなってしまいます.こういう場所で心配になるのが高山病というわけで,こういう高地帯に入った場合最初は無理をしないのが原則です.

Peru1_032(写真2) 空港の酸素缶売り場

 飛行機を降りて息を吸い込みます.実際はどうなのかわかりませんが,空気は乾燥していて確かに薄いような気がします.あまり大きくないターミナルに入ると大勢の乗客であふれていました.見ると地元の旅行会社のデスクに交じって,酸素缶を売っているお店がありました(ビデオを流しながら販売をしていました).

Img_1818477_67305028_0(写真3) クスコのパノラマ写真

 ここで現地ガイドのおじさん(アレックスさんといいました)と合流し,一同迎えのバスに乗り込みます.まずは街の郊外の高台にある遺跡の見学に向かいます.高山病の症状は高地に着いてすぐではなく数時間後に出てくるため,標高の高い観光をさっさと済ませてしまおうという趣旨なのかもしれません.まずは,クスコの町が一望できる高台へ.見渡すとクスコが山に囲まれた盆地状の地形になっていることが分かります.そして街全体がこの辺の土地の色と同じ茶系に統一されているのに感心しました.

Img_1818477_67305028_1 Img_1818477_67305028_2(左写真4) クスコ市街,(右同5) アルマス広場が見えます

 次に行ったのはケンコー遺跡,その名前から長寿と関係する遺跡かと思いますが,ケンコーとはケチュア語で「ジグザグ」という意味で,実はインカ時代の祭礼場です(笑).巨大な岩をくり抜いて内部を半洞窟とし,そこに祭壇が設置されています.この遺跡の上部にジグザグの溝が彫られていることからその名があるようです.表側から見るとただの岩にしか見えませんが,裏側に回ってみると,壁状に切断され,さらには通路状にくり抜かれた内部に,これまた一枚岩を加工したテーブルや棚が設置されていました(このテーブルはミイラを作る台だったとも).

Peru3_013 Peru3_042(左写真6) ケンコー遺跡,(右同7) 内部のテーブルです

 ケンコー遺跡から再びバスに乗って数分で今度はインカ時代の要塞跡といわれるサクサイワマン遺跡に到着です.ここは巨大な岩を精巧に積み上げた石垣が素晴らしい遺跡です.石垣は主に三段になっていて,全長300メートル以上にわたってジグザグ状に配列されています.インカ文明は車輪を持っていなかったことが知られていますが,にもかかわらずこれだけの巨岩をどうやって運び込み加工したのか様々な議論がされています.

Peru3_059 Peru1_133(左写真8) ジグザグ構造が分かります,(右同9) 中にはこんな巨岩も

 遺跡中央には大きな広場があるんですが,毎年冬至の時期(クスコは南半球なので冬至といえば6月)にここで開催されるのがインティライミと呼ばれる太陽への感謝をささげるお祭りです.現地ガイドさんのお話では地元の人たちのみならず大勢の観光客で当日は大賑わいになるそうです.機会があればいつか来てみたいなと思ったのでした.

Peru3_086 Peru3_096(左写真10) 広場です,(右同11) なんだか鳥居みたいです

 遺跡を後にして再びバスに乗りクスコの市街地に戻ります.時計を見ると1時半,今度は昼食となります.この日はクスコの中心広場であるアルマス広場に面したレストランでした.チョイスメニューでしたが,私は前菜がスープ,メインはペルー風チキンカレー(アヒ・デ・ガジーナ)でした.いつもだとアルコールも頼みますが,この日は高地入りしたばかりということでお休みにしました.

Peru1_155 Peru1_156(左写真12) スープです,(右同13) ペルー風チキンカレー

 昼食後はアルマス広場からクスコ市内を歩いて散策します.アルマス広場にはカテドラル(大聖堂)のほか,ラ・コンバニーア・デ・ヘスス教会が面していますが,カテドラルはインカ帝国時代はビラコチャ神殿でしたが,スペイン人の征服後その建物部分は破壊され,元の石組みの上に大聖堂が建てられたものです.

Img_1818477_67305028_3 Img_1818477_67305028_4(左写真14) カテドラル,(右同15) ラ・コンバニーア・デ・ヘスス教会

 そこから北東に狭い道を進んでいきます.ここがハトゥン・ルミヨック通りで,ここには有名な12角の石があり観光客で賑わっていました.その後あるいてサント・ドミンゴ教会へ,ここはインカ時代コリカンチャと呼ばれる黄金の神殿だったそうですが,スペイン人の征服によってほとんどの黄金が持ち去られてしまいました.ここもカテドラル同様インカ時代の石組みの上に建てられた教会ですが,16世紀末の大地震で教会の建物は崩壊したにもかかわらずインカの石組はびくともしなかったことから,インカの技術の高さがうかがえます.

Img_1818477_67305028_6 Img_1818477_67305028_7(左写真16) 有名な12角の石,(右同17) サント・ドミンゴ教会

 ここまで観光して夕方近くとなり,迎えに来ていたバスに乗り込みました.この日の宿泊はクスコではなく,少し高度を下げた聖なる谷と呼ばれる場所になっていました.もちろんこれは高地に順応しやすくするためであることは言うまでもありません(聖なる谷の標高は2800メートル).クスコからバスで揺られること2時間弱で聖なる谷の中にあるウルバンバのホテルに到着しました.このホテルはロッジタイプで,レストランなどがあるメイン棟から部屋までは結構歩かなくてはなりませんでした.

Peru1_245(写真18) ホテルのレストラン

 到着後夕食となります.ここもチョイスメニューでしたが,前菜はワンタンスープ,メインは羊肉のグリルを選びました.標高が下がったので一杯くらいいいだろうとグラスワインを飲んだんですが,回りが早くこの日はあっという間に寝てしまいました.

Peru1_249 Peru1_250(左写真19) 前菜のスープ,(右同20) メインのお肉

 明日はいよいよマチュピチュです.

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2012年10月12日 (金)

ペルー旅行記3 ~9月23日~

 さて旅行3日目,9月23日になりました.この日は今回の旅行の目玉のひとつであるナスカの地上絵を見に行く日です.

 ナスカの地上絵といえば,自分が子供のころ読んでいた世界の不思議みたいな本に必ず載っていたものです.空から見ないとその全体像がまったくつかめない巨大な地上絵,飛行機なんかなかった時代に誰が何のために描いたのか… UFOの着陸場所だったとか,宇宙人へのメッセージだとかオカルト的な説がたくさん紹介されていて,夢中になって読んでいた記憶があります.もっとも当時は実際に見に行くなんてのは夢のまた夢であり,せいぜい本を見ながら想像を膨らませるしかなかったんですが,今回ついにこの眼で見れるということでワクワクしているのでした.

Kondoru(写真1) 地上絵の中でも有名なコンドル

 前夜はナスカからさほど離れていないパラカスに宿泊したんですが,それでもこの日は朝6時(!)の出発でした.地上絵観測はセスナに乗って行うわけですが,セスナが飛ぶかどうかは現地の気象条件によって決まるため,早い段階のフライトが取れないと飛行場で延々と待たされる,なんてことがあるためのようでした.バスに乗ってホテルからナスカに向けてセスナが飛ぶピスコという街の飛行場に入ります.朝早いのが功を奏したのか,我々のグループが一番乗りでした.

Hachidori(写真2) こちらはハチドリ

 現地で簡単な説明を受けた後指定されたセスナの指定された席に着き,いよいよ離陸となります(飛行機のバランスを考慮して事前に体重測定がありました 笑).ピスコを飛び立ったセスナは一路ナスカを目指します.天気は晴れ,地上には乾いた大地が広がります.

Uchujin(写真3) ガイドブックには宇宙飛行士とありますが,セスナの人は「ウチュウジン」と呼んでます

 ナスカの地上絵はペルー太平洋岸の乾燥した台地の上に幅1メートル,深さ数~20センチに掘られた溝によって構成されています.描かれたのは西暦1~6世紀ごろといわれています.

Tetoki(写真4) 左上に木,右下に手があります

 屋根で覆われているわけでもなく野ざらしのこの地上絵が,どうして現在まで残っているのかというと,それはこの地域の気象に寄ります.ペルー太平洋岸のナスカも海岸砂漠地帯のため雨が全くと言っていいほど降りません.そして太陽に熱せられた空気が地表近くに溜まって空気の層が形成され,これによって風の影響も排除されているからなのだそうです.

KumoSaru(左写真5) クモ,(右同6) サル

 地上絵にはクジラ,サル,イヌ,コンドル,ハチドリなどの動物のほか,宇宙飛行士や手などといった変わった絵柄もあります.セスナでは操縦士の方が,「ヒダリ、ウチュウジン」などと片言の日本語でいろいろと説明してくれて楽しいのでした.地上絵上空では20分ほどの遊覧飛行を行い元の飛行場に戻ったのでした.

Img024(写真7) ナスカ観光の証明書です

 さて朝早かったせいで,このように充実した時間を過ごしたにもかかわらず,この段階でまだ9時半ごろでした.ひとまずホテルに戻ってゆっくり休むことになりました.

 せっかくのリゾートホテル内を散歩したりしながら時間をつぶし,昼食の時間となります.この日はホテルのレストランでのランチでした.前菜がアンティクーチョと呼ばれるペルー風の串焼き,メインはアロス・コン・マリスコスという魚介類をお米と一緒に煮込んだペルー風パエリアという趣の料理でした.どちらも日本人の口に合うんじゃないかと思いました.

P9240388P9240392(左写真8) アンティクーチョ,(右同9) アロス・コン・マリスコス

 昼食後はホテルを出てバスでリマに戻ります.私はというと,朝早かったのと,お昼に飲んだビールの影響で結構寝てしまいました(笑).かくして夕方再びリマのホテルに入ったのでした.ちなみにこの日の夕食にはロモ・サルタドという牛肉の炒め料理が出ました.明日はいよいよアンデスの高地帯に入ります.

P9240404P9240407(左写真10) 前菜のスープ,(右同11) ロモ・サルタド

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2012年10月 7日 (日)

ペルー旅行記2 ~9月22日~

 さて一夜明けて9月22日になりました.この日から本格的な観光の始まりですが,朝は比較的ゆっくりでした.一般にペルーの旅行商品は様々で,忙しいのになると深夜リマに到着してホテルで数時間休んだだけで,早朝ナスカに出発というパターンも多いんですが,今回は少し日程に余裕があるパターンにしたのでした.まずは朝食会場へ,ビュッフェスタイルでしたがその中で注目したのがコカ茶でした.

Peru1_046(写真1) ペルーなど南米の一部地域でしか飲めないコカ茶

 コカ茶はコカの葉っぱを煎じて飲む一種のハーブティーなんですが,一方でコカといえばコカインの原料になる植物です.日本を含む世界の大多数の国では厳しく規制されているものですが,処変われば… でここペルーでは一般的な飲み物のようでした(この国ではコーヒー,紅茶に加えてコカ茶が食後の選択肢に入ってました).

 食事がすんだらバスに乗って出発です.今回のツアーの参加者は19名と私が参加した旅行の中では,演奏旅行を除けば最大規模でした(ヨーロッパなどの都市やリゾート地に行く時は個人だし,ツアー参加はもっぱら秘境系ばかりだったので一般に参加者が少ない).さすが,ペルーはメジャーな観光地だなと感心したのでした.この日の予定はナスカの地上絵見学にほど近いパラカスという街への移動と,その途中の遺跡見学というわけでゆったりなのでした.

Peru1_060(写真2) ゴチャゴチャと家が立ち並んでいます

 ホテルを出たバスはリマ市内を走って一路南へ進路をとります.ペルーの太平洋岸は沖合を南極からやってくる強力な寒流(フンボルト海流)が流れているために緯度の割に冷涼で,降雨量が極端に少ないいわゆる海岸砂漠地帯となっています(これはナミビアなどアフリカ南部の大西洋岸と同じ気候).しかしながらアンデス山脈の雪解け水を運ぶ川がところどころに存在するため,それらの川の周辺に町が広がっています(オアシスのように).リマもまたそのような形で成り立っている街なのでした.特に近年は地方からリマへの人口の流入が急速に進んでおり,都市周辺には急造された住宅がひしめいていました.

Peru1_079(写真3) 砂の中のパチャカマク遺跡

 ホテルを出て1時間ほどで最初の観光場所,パチャカマク遺跡に到着です.一般にペルーの文明というと,インカ帝国と条件反射的に言われますが,ペルーの歴史の中でインカ文明は15~16世紀ごろの100年間程度に過ぎず,それ以前には各地に様々な文明が栄えていました.海岸部にもいろんな文明があったんですが,これらをまとめてプレインカ文明などと呼んでいます.ナスカの地上絵で知られるナスカ文明もそのひとつですが,ここの遺跡はパチャカマク文明の神殿跡なのでした.

Peru2_099Peru2_076(左写真4,右同5) 太陽の神殿 

 遺跡の規模はかなり大きく,全体がピラミッドのような形状になっており,その頂上部分に太陽の神殿がそびえたっていました.ここは地元の子供の学習場所にもなっているのか,大勢の子どもたちの姿も見えました.

Peru2_115(写真6) ハチドリ

 遺跡の見学の後は近くにある博物館と復元された月の神殿を見学,博物館には当地に栄えた文明の出土品が展示されていました(6月に見に行ったインカ帝国展で見たような気が…).また,博物館の庭ではせわしく羽ばたくことで知られるハチドリの姿も見ることができました.

Peru1_245(写真7) 昼食のレストラン

 これらの見学が終わると再びバスに乗り込んで,海岸沿いを南下していきます.リマ出発時は曇り空だったんですが,この頃から徐々に晴れ間が広がってきます.1時間ほど走ったところで昼食ポイントに到着,この日はEL PILOTOというお店,外観はこじんまりとしていますが中は意外に広いのでした.添乗員さんのお話では休日にはリマからわざわざ食べに来る人も多いほど人気のあるレストランなのだそうです.この日の前菜はチュぺ・デ・カマロネスという小エビのスープ,メインがタリアン・クリオージョというペルー風焼きそばでした.特に後者は醤油ベースの味付けで日本人の舌に合うだろうと思われました.

Peru1_247Peru1_249(左写真8) 小エビのスープ,(右同9) ペルー風焼きそば

 昼食後は再びバスに乗り込んでそのまま南下します.この頃になるとすっかり晴れになっていました.周辺は砂漠が広がり,ところどころに存在する川の周辺のみ緑となっています.バスに揺られること1時間ほどでこの日の宿泊地であるパラカスに到着しました.

Peru1_381(写真10) この日のホテル ダブルツリーパラカス

 パラカスは海岸に広がるリゾート地で,この日のホテルもリゾートムード満点でした.今日一泊しかしないというのがもったいないような感じです.ホテルには大きなプールのほか,そばにはプライベートビーチも広がっていました(フラミンゴの生息地が近くにあるそうなんですが,時間がなく訪問できず 泣).ビーチを歩いていたらなぜか,海岸には干からびたクラゲがたくさん打ち上げられていました.

Peru1_272Peru1_295(左写真11) ホテルのプール,(右同12) 海にはたくさんの鳥が

 夜になったので夕食のためにレストランへ,この日はビュッフェスタイルでした.飲み物は各自お好みですが,見渡してみてもアルコールを注文しているのは我々の他はわずかの人だけ,やっぱり自分は酒飲みなのかと思ったのでした(爆).

Peru1_304Peru1_305(左写真13) 定番のワイン,(右同14) 鮮やかなカクテル

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2012年10月 4日 (木)

ペルー旅行記1 ~9月21日~

 遅い夏季休暇の旅行から戻って2日,まだまだ時差ぼけが残るビザンチン皇帝です.本来旅行記はHP本編の方にまとめているんですが,サボっているうちに2009年以降の分が溜まっている状態で,このまままではいつ完成するのか不明なため,記憶が熱いうちに備忘録的にこちらにも簡単にまとめたいと思います.

 さて,ペルーといえば南米です.日本から見たら地球の裏側というわけで,残念ながら直行便で行くことはできません.一般にはアメリカのどこかの都市で飛行機を乗り換えていくことになります.今回は久しぶりにルックJTB地球の詩シリーズに参加したんですが,指定されたのはユナイテッド航空のヒューストン乗り継ぎ便でした.

 一般に休暇直前は当直が入る私,前例にもれず今年も前夜は当直でした.出発の日9月21日は朝から仕事,申し送りの書類等はすべて前日までに完成させているので,この日は漏れていた仕事をぽつぽつと片づける程度でした.心は半分休みモードです.そして,お昼頃いよいよ空港に向けて出発となります.最近は羽田発の国際便も増えてきましたが,まだまだメインは成田,当地からは新幹線と成田エクスプレスを乗り継いでも2時間近くかかってしまうのでした.

P9210001(写真1) これから乗り込むユナイテッド機

 空港に着いてまずはあらかじめ宅配で送っておいた大きな荷物を受け取ります.その後は旅行会社のカウンターへ,今回は添乗員付きの団体旅行ということでJTBのカウンターで手続きを行いました.それから今度は航空会社のカウンターに行ってチェックインを行い,そのままセキュリティチェックを抜けて出国手続きに向かいました.今年の1月にパラオに出発する際にはセキュリティは長蛇の列で凄いことになっていたんですが,この日は金曜日の夕方だというのに比較的スムーズでした.出国審査を抜けると,免税店が並ぶコーナーになりますが,特に用はないので素通りです(昔はここでタバコをカートン買いしていたが,2006年の禁煙成功以来不要になった).出発までもう少し時間があったのと,小腹が空いたのとで近くの軽食コーナーで天ぷらうどんをいただいたのでした.

P9210003(写真2) 日本の味もしばらく食い納めです

 その後時間となって,搭乗開始,飛行機は予定時間をやや過ぎてから無事に離陸しました.出発の後さっそく時計を現地時間に合わせます.日本とヒューストンのあるテキサス州との時差は15時間ですが,今の時期はまだサマータイム期間なので1時間早まるため14時間です.時計を14時間戻せばいいわけです.

P9220027(写真3) 有料のワイン

 安定飛行になってさっそく飲み物のサービスが始まります.私にとっては飲み物=アルコールなんですが,アメリカ系航空会社の場合アルコールが有料なのが悲しいところです.2年前のデルタ航空は現金払いも可だった記憶があるんですが,ユナイテッドはクレジットカード払いのみでした.長いフライトなのでどこかで寝ないとなと思ってましたが,結局いつの間にか寝ていたらしく,気がついたら日付変更線をとっくに過ぎていてアメリカ本土目前となっていました.

P9210018(写真4) フライトマップの画面

 ヒューストンにあるジョージ・ブッシュ空港(!)には定刻よりもやや遅れて到着しました.ここでは一度アメリカに入国してそのままセキュリティチェックを抜けます.予定乗り継ぎ時間は1時間半ほどだったんですが,乗り継ぎ便が遅れているとのことで,余裕のある乗継になりました.

P9220035(写真5) 夜のリマ空港

 ヒューストンからペルーの首都リマまでは7時間ほどのフライト,この時期両都市間には時差はありません.出発の遅れがそのまま到着の遅れとなったため,リマに到着したのは9月21日の夜11時過ぎでした.日本を出てからほぼ20時間以上経っていうんですが,時差の関係で時計の上では6時間くらいしか経っていません.こっち方面に旅行に来るといつもそうなんですが,長~い一日なのでした.到着後は入国審査を経てそのまま迎えの明日に乗り込みホテルに向かったのでした.

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2012年10月 1日 (月)

帰国しました

 みなさんこんばんは,夏季休暇の旅行から本日帰国,さきほど無事に家に戻りました.

 今年の訪問国はペルーです.ペルーと言えば,今年で学術的発見100年を数えるマチュピチュが有名です(今年インカ帝国展が開催されており,春に東京,7月から仙台,現在は山梨で開催中).しかしペルーの魅力はそれだけではなく,沿岸南部にあるナスカの地上絵,世界遺産に指定されているクスコやアレキパの街並み,チチカカ湖などたくさんあります.今回は有名なマチュピチュ遺跡を中心に,ナスカの地上絵やクスコの町,チチカカ湖を見てきました.詳細は今世紀中にアップされるだろう(爆)旅行レポになりますが(って2009年以降の旅行がまだなんですが 泣),とりあえずはこちらでも簡単に紹介したいと思います.

P9260873(写真1) 有名なマチュピチュ遺跡(竹田城ではありません 笑)

P9281290(写真2) クスコからプーノに向かう途中にあるラ・ラヤ峠,標高が4338メートルもあります

P9281428(写真3) ボリビアとの国境に広がるチチカカ湖(琵琶湖の12倍の大きさです).

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