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2012年4月26日 (木)

そういえば

 気が付けば4月も下旬,あさってからはGWが始まります.最近あわただしく走り回ってたんですが,気が付いたら日野市観光協会から封書が届いていました.もちろん,来月に迫ったひの新選組まつりの参加要項です.

Photo 今年は初の出会った人々枠での参加ということで,例年入っているコンテスト要項はなし,文面も見慣れないパターンです.

 見ると8時45分から新選組ゆかり隊説明会・記念撮影とのこと.説明会って何を説明するんだろうと興味津々です(笑).

 パレードの注意事項として,特に決められた場所以外での抜刀は厳禁とあります.これは年々厳しくなってきているルールですが,過去に不届き者がいたのも原因なので参加者は絶対守ってもらいたい決まりです.とはいえ,自分が扮する松本良順は二本差しじゃないので,抜刀したくてもできないな… と思ったのでした(外科用メスでも抜くか… って,そういえば第9回のコンテストでそのネタを使ったな 爆).

 あさって29日はもう隊士コンテスト,残念ながら自分は行けないので参加者の皆様頑張ってください.

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2012年4月20日 (金)

世界の危険な都市 2012年版

 以前ここで世界で最も治安が悪い都市ワースト10の記事(世界の治安ワースト10都市)を書いたんですが,最近それの2012年版が出ているようです.

 2012年版、世界の危険な都市トップ10

 元ソースはこちら

 前回はランクを付ける基準がイマイチファジーだったんですが,今回は人口10万人あたりの1年間の殺人件数の多い順ということで,その辺は極めて明確になっています.さてその順位はというと… (カッコ内は10万人当たりの殺人件数です).

 10位 ブラジル ベレン(78.4人)
  9位 メキシコ ドゥランゴ(79.55人)
  8位 メキシコ チワワ(82.96人)
  7位 メキシコ トレオン(87.75人)
  6位 ベネズエラ カラカス(98.71人)
  5位 ホンジュラス 首都テグシガルパを含む中心地区(99.69人)
  4位 メキシコ アカプルコ(127.92人)
  3位 ブラジル マセイオ(135.26人)
  2位 メキシコ シウダーフアレス(147.77人)
  1位 ホンジュラス サンペドロスーラ(158.87人)

 なんとワースト10すべて中南米の都市ばかりです.アフリカやアジア,中東の危険都市がひとつも入っていません(ヨハネスブルクすらも).6位のカラカスと2位のシウダーフアレスは以前の版にも入っていましたが,その他メキシコとホンジュラスの活躍がすごいです.

 ちなみに11位以下を見てもやっぱり中南米の都市が多く,それ以外では21位にアメリカのニューオルリンズ(57.88人),34位でようやく南アフリカのケープタウン(46.15人)が,44位でイラクのモスル(35.33人)が登場します.ちなみに50位が南アフリカのヨハネスブルクです(30.50人).

 少し前までは,戦争状態にない都市で最も危険なのはヨハネスブルクというイメージだったんですが,世界の情勢は変わってきているようです(南アはワールドカップを機に治安改善に取り組んだのかもしれません).中南米で殺人が多いのは麻薬関連の抗争が多いからのようですが、一方でこうして殺人件数が把握されているのはある程度警察が機能しているからともいえるわけで,警察が機能していない国では,統計の出しようがなく,結果としてランクインしていない可能性も考えられます.コンゴのキンシャサやナイジェリアのラゴスあたりが入っていないのは案外そんなところにも理由があるのかもしれません.

 なんにせよ興味深い話題でした.

 ちなみに日本の殺人件数は近年では10万人あたり1人未満ですから,50位のヨハネスブルクの30分の1以下,1位のサンペドロスーラと比べると,なんと!150分の1以下となります(日本で1年間に起こる人口当たりの殺人件数がわずか2日で起こってしまう計算です).やっぱり日本は平和ですね.

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2012年4月19日 (木)

宇宙戦艦ヤマト2199 ~第一章~

 私は宇宙戦艦ヤマトの世代です.この作品は原作・西崎義展氏,監督・松本零士氏で昭和49年に最初のテレビ放送が行われましたが,裏番組に強力な作品があったため視聴率的には低迷し,それほど注目されませんでした.しかし,その後の再放送で徐々に人気が高まり,劇場版の公開で一気に人気に火が付いたのは有名な話です.その後もテレビ版,劇場版両方で続編が作られました.途中著作権をめぐる訴訟があったりしましたが,作品そのものは継続的に販売されており,最近では2010年に実写版映画の公開があったのは記憶に新しいところです(先日テレビでもやってました).

Img006 そんな宇宙戦艦ヤマトの第1シリーズをリメイクした作品が表題の宇宙戦艦ヤマト2199です.監督は出渕裕氏,予定では旧作と同様テレビシリーズ26話で,2013年以降に放送される予定だそうです.そしてそれに先だって劇場で先行公開することになり,今回はその第1話,第2話が4月7日~20日まで期間限定で公開されています.以前から気になっていたので,昨日都内に出かけていた帰りに横浜ブルク13に寄って鑑賞してきました.

 公式サイトによると

 「宇宙戦艦ヤマト」は、1974年に読売テレビ系列で放送され、今なお絶大な人気を誇るTVアニメシリーズです。

 「宇宙戦艦ヤマト2199」は、そのTVアニメシリーズ第1作をベースに、
 新たなスタッフで制作する完全新作TVアニメーション用シリーズ作品です。

 とあります.サイトを見てみると,メカなどの基本コンセプトは一緒のようですが,キャラクターは今風(笑),期待半分不安半分といった感じでした.

 (以下ネタばれ注意)

 で,感想ですが,まずは26回シリーズのテレビ版ですから,映画版とは違ってストーリーが詳細に描かれています.今回は第1話&第2話でヤマトが発進するところまででした(旧シリーズでは第3話でヤマト発進だった記憶があります).キャラと声優の違いは最初は違和感がありましたが,10分もすれば慣れてしまいさほど気になりませんでした.ストーリーは旧作ベースではありますが,修正が施された点もありました.

 たとえば,サーシャの乗った宇宙艇が火星に不時着して古代と島がそれを発見するシーンは,旧作ではほとんど偶然の産物で,しかもこの時が地球人とイスカンダルとの初遭遇でしたが,新作ではサーシャ飛来の1年前にすでにスターシャは別のメッセージを波動エンジン設計図とともに送り込んでおり,今回の飛来はその最後の部品を届けるものと変更されていました.これは,旧作の設定だと地球人が波動エンジンの設計図を手に入れてからヤマトが完成するまでがやけに早いのではという指摘があるからと思います.そしてそれに付随して第1話冒頭で描かれる地球艦隊とガミラス艦隊との冥王星付近での戦いも,旧作では地球側が一方的に敗れるまさに絶望しかない戦いだったのに対して,新作ではサーシャの飛来からガミラスの目をそらすための陽動作戦という位置づけに変更され,その結果,戦いも戦術的には地球の敗北ではあるが,イスカンダルのメッセージを無事に受け取れたという意味で戦略的には成功したといえる救いのあるものになっています(古代守の乗艦するユキカゼが撃沈されるのは一緒ですが).

 また設定で,ガミラスの遊星爆弾で地球が放射能汚染されるという話が,放射能という言葉が削除され,風の谷のナウシカに出てくる腐海のイメージに近い概念に変更されていたのは今の世相を反映しているものと思われます.登場キャラは基本的には旧作に忠実ですが,旧作では女性乗組員が森雪くらいしかいなかったのに対して,今回はたくさんの女性乗員が登場するのも21世紀らしいといえます.また,乗組員も役職とともに階級が設定されているのも,みんな軍人なんだから当たり前といえば当たり前ですね.しかも階級が自衛隊風の一尉とか三佐とかなのが興味深かったです(ちなみに真田さんは三佐,古代進や島大介,森雪は一尉だそうです.真田さんはともかく,古代たちは進級が早すぎないか!).これも自衛隊の存在がほとんどの国民に当然のものと認識されている今の時代を映しているんでしょう.

 一方で旧作の第2話で描かれていた実際の戦艦大和の最期を描いた部分は描かれていませんでした.これも上述の設定変更に伴い,ヤマトの出撃が前作ほどの悲壮感に覆われたものではなく,宇宙戦艦ヤマトは戦艦大和の生まれ変わりではないということなのでしょう.さらに細かい点では,旧作では名物だったアナライザーの森雪へのセクハラ行為(要はスカートめくり 笑)が無くなっていました.これもそういうものは排除していくという21世紀社会の姿勢の反映でしょう(か?).

 第1話&第2話で1時間弱の上映,アニメもさすが現代作品だけあってきれいでしたし,私的には満足できる内容で,続きが楽しみだなと思いました.

 

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2012年4月15日 (日)

ザク豆腐

 巷で大評判(笑)のザク豆腐が手に入りました.

P4130012_2P4130013 袋から取り出すと,中からこんな容器が… 

 意外によくできています.

 でもって中身はこんな感じ.

P4130014

 冷奴として醤油をかけて食べました(笑).枝豆風味と銘打ってあるように,ちょっと普通の豆腐とは違う風味を感じました.

 今度はシャア専用豆腐も発売されたりして(さくらんぼ風味,それとも梅風味か 笑).

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2012年4月10日 (火)

今年のひの新選組まつり

 今年もひの新選組まつりの季節がやってきました.今年の日程は一昨年同様,隊士コンテストが連休前半の4月29日に行われ,お祭り本番が5月第二週末に来るという形です(今年は5月12~13日).ということで,隊士コンテストまであと20日を切ったということになります.

 で,私ですが今年は4月29日に別用があるため隊士コンテストには参加できません.第9回から5回連続で出場していたんですが,そんなわけで今回は不参加となってしまいます.そしてパレード本番ですが,コンテストに出られないということもあり,今年は初めて出会った人々枠での参加となりました.その役ですが…

 土方歳三の恋人 お琴 です.

 ウソです.いくらなんでもそれはありえません.自分が女装した姿なんて想像もできませんから(爆).

 実は新選組とも縁が深かった,幕府の奥医師松本良順役です(自分が医師だからそのまんまじゃないかというウワサもありますが 笑).個人的には同じ幕末期の医師,高松凌雲の方が思い入れが深いんですが,凌雲は新選組とはほとんど絡んでませんから仕方ないでしょう.ちなみに良順の就いていた奥医師というのは大奥で将軍やその家族の診療に当たる医師のことです.江戸城大奥といえば,原則として将軍以外の男性は立ち入り禁止の場所ですが,例外として入ることが出来た男性が奥医師なのでした.

 松本良順は天保三年(1832年),佐倉藩の医師佐藤泰然の次男として江戸で生まれました.佐藤泰然というのは今に続く私立医学校順天堂(現・順天堂大学)の基礎を造った人物です.嘉永年間に幕府の医師だった松本良甫の養子となり良順と名乗るようになります.安政年間に長崎に留学してオランダ軍医ポンぺの下で学び,文久元年に長崎に日本で最初の西洋式病院兼医学校である小島養生所ができると教頭となったポンぺの下で頭取となっています.

 その後文久二年に江戸にもどって幕府の奥詰医師に就き,さらに翌文久三年には奥医師に昇進するとともに,当時使用医学書頭取だった緒方洪庵の死去に伴い,その後任になっています.

 そんな松本良順と新選組のかかわりは,元治元年(1864年)近藤勇が隊士募集などで江戸に戻っていた時からです(伊東甲子太郎らが入隊した時).この時近藤は良順と面識を得ています(開国と攘夷の是非を問う近藤に良順は,日本と西洋の国力・技術の差から攘夷の無謀を説き,近藤も納得したと言われています).その後慶応元年に第十四代将軍徳川家茂の上洛に随行した良順は新選組の屯所を訪ね(屯所が西本願寺に移転して間もない頃と思われる),病気で寝込んでいる隊士が多い状態から,屯所の衛生環境整備に助言をしたと言われています(今でいう産業医業務の先駆けでしょうか).

 戊辰戦争期には旧幕府軍と行動を共にして会津戦争を戦い,最後は仙台で降伏しています.

 そんな新選組と縁の深い松本良順,ひのパレでは最後尾の集団になる(ハズ)です.いったいどんな雰囲気の世界なのか,私の知らない世界が楽しみなのでした(笑).

 

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2012年4月 9日 (月)

長興山紹太寺のしだれ桜

 今日は朝から快晴の良いお天気でした.快晴と言えば昨日もそうだったんですが,昨日は晴れてはいても気温は低めで肌寒い一日でした.しかしこの日は気温も上がり,ぽかぽか陽気で思わず春眠暁を覚えずになりそうでした(笑).

 さて,そんな今日,職場からさほど遠くない場所にある桜の名所に出かけてきました.それが本日の表題,長興山紹太寺のしだれ桜です.ここは,江戸幕府三代将軍徳川家光の乳母で春日局として知られるお福の嫁ぎ先の稲葉氏の菩提寺です.春日局の実子の稲葉正勝は寛永九年(1632年)に8万5千石を与えられて小田原に入りました.その子正則の代にたびたびの加増を受けるとともに,正則自身も順調に出世し,寛文年間には老中首座となって幕政の中心で活躍しています.ちょうどその頃に彼が一族の菩提寺となっていた長興山紹太寺に父母と祖母春日局の霊を慰めるために植えたのがこのしだれ桜といわれています.

 今年は先週あたりから咲き始めていました.職場の同僚が行って見たいというので,天気が良いこの日出かけたというわけです.

Shidare_051(写真1) この石段を登っていきます

 お寺自体は旧東海道沿いにありますが,肝心のしだれ桜はここからさらに10分以上上ったところにあります.写真の石段をひたすら登って行かなければなりません(合計300段以上あります).日ごろの運動不足から登っているうちに息が上がりますが,周囲は林に囲まれていて直射日光に当たらないので,それほど暑くは感じませんでした.

Shidare_048(写真2) 真ん中のお墓が春日局のものです

 まず登りきったところにあるのが稲葉氏一族のお墓です.春日局をはじめ,その子稲葉正勝,孫の稲葉正則やその夫人らのお墓が並んでいました.

P4090008(写真3) 樹齢340年のしだれ桜

 そこから平らな道を歩いて行って沢を渡って間もなく登場するのがしだれ桜です.この日は満開の快晴ということで大勢の観桜客でにぎわっていました.

P4090012(写真4) 品種はエドヒガンだということです

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2012年4月 8日 (日)

小田原城址公園の桜

 この週末関東地方は桜が見ごろを迎え,各地の桜の名所には大勢の見物客が集まっていたようです.小田原にもいくつか桜の名所があるんですが,そのうちの一つ小田原城址公園に今日行って見ました(実は今日,地元医師会合唱団関係のイベントがありそれに参加した空き時間に行ってきたものです).

P4080002(写真1) 桜が見ごろを迎えた小田原城

 城址公園に面したお堀端通りからすでに大勢の見物客であふれていました.人込みをかき分けながら城内に入っていきましたが,まず目に入ったのが,おでんサミットの文字,

P4080007P4080009(左写真2) おでんサミットの横断幕,(右同3) サミットの本部だそうです.

 なんだろうと思ったんですが,その名の通り全国各地のご当地おでんが集合したイベントで,その他に一般の人たちが自作のおでんを出品して味を競うおでん種コンテストも開催されていたようです.主催は小田原おでん会! そんな会が存在したんだ,と驚きました(笑).

P4080027(写真4) 売り切れたのか店じまいでした

 この日の小田原は朝から快晴の陽気だったんですが,気温は上がらずかなり肌寒い一日でした.そんな気候ですから温かいおでんの売れ行きは好調のようで,私が見に行った段階ではほとんどの店が品切れ状態になっていました.

P4080015P4080022(左写真5) 城内の様子,(右同6) 天守と桜

 この日は久しぶりに本丸の天守閣のあるところまで行ってきました.天守と桜が撮影できるスポットには大勢の人であふれていました.天守閣の入場口も長蛇の列,以前自分が100名城で来た時は貸切状態だったので,それとのギャップが素敵でした.

P4080024(写真7) 天守をバックに

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2012年4月 6日 (金)

ヤゴゲルゲの子守唄

 元来特撮・アニメ好きな私,レンタルDVDのお世話になることがほとんどですが,最近鑑賞しているのが超人バロムワンです.

 これはゴルゴ13で有名なさいとうたかお氏の原作による特撮です.正義のコプーと悪のドルゲとの宇宙規模での戦いが地球にやってきて,コプーによって力を与えられた2人の少年がバロムワンとなってドルゲが繰り出す悪のエージェントと戦うという展開です.

 怪奇性を前面に出した作品で,特に後半登場する魔人が強烈なんですが(クチビルゲやヒャクメルゲなど体の一部をデフォルメした魔人が凄い),今日取り上げるのは一部で非常に人気の高い第19話のヤゴゲルゲの回です.

 ヤゴゲルゲ,ヤゴの魔人です.ヤゴつまりはトンボの幼虫ですから,あんまり強そうではありません(笑).しかし,このヤゴゲルゲが有名なのは劇中,彼が歌う子守唄(ヤゴゲルゲの子守唄)が強烈だからです.低音で歌われるその歌はまるで地獄の底から響いてくるようで,当時これを聴いてトラウマになった子供は多いんだそうです.バロムワンのみならず,味方の戦闘員(アントマン)の脳細胞をも破壊するというヤゴゲルゲの子守唄,21世紀の現在ではYoutubeで聴くことができます.

 世の中にはたくさんの子守唄がありますが,私が勝手に三大子守唄と呼んでいるのはこのヤゴゲルゲの子守唄の他,明日のジョーのエンディングで使われたジョーの子守唄,そしてブラームスの子守唄の3つです(笑).


ジョーの子守唄,歌ってるのは故・小池朝雄さんです


ブラームスの子守唄

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2012年4月 2日 (月)

マリの政情

 旅行好きの私,行ってみたいところはそれこそ世界各地にあるんですが,その筆頭格に挙げられるのが西アフリカのマリ共和国北部,サハラ砂漠の最南部に位置する街トンブクトゥです.

 ここは中世から近世にかけてサハラ交易の拠点としておおいに栄えた街です.14世紀にこの地を治めていた王マンサ・ムーサがメッカに巡礼した際,旅の途中でたくさんの黄金を惜しげもなく喜捨したため,アラビア世界での金相場が暴落したのはよく知られた話です.同時期にこの街を訪れた旅行家のイブン・バトゥータによって広く世に知られるようになり,ヨーロッパでは黄金の都として人々の憧れの街となったのです.

Ryoko_2(写真) イブン・バトゥータの大旅行記,今では電子書籍でも読めます.

 しかし,16世紀以降サハラを介さない海路による通商が盛んになるとこの街は衰退,19世紀にヨーロッパ人がようやくこの地に入った時には往年の繁栄はもはやなく,砂と泥の街になっていたのでした.

 その後この街は世界遺産に登録され,私もいつか行ってみたい場所になっています.とはいえ,近年治安の悪化からトンブクトゥを扱う旅行会社がなくなり(大手はもちろん,道祖神のようにアフリカ専門の会社でも取り扱いが中止になっています),政情が安定することを祈ってたんですが…

 武装勢力、北部制圧へ

 なんと!マリ北部で武装勢力が決起,急速に勢力を広め,この地域で唯一政府側の拠点だったトンブクトゥが陥落したというのです.先ほど外務省の海外安全ホームページを見たら,マリ全域で危険度が引き上げられていました(外務省 海外安全情報).

 マリでは先月下旬政府に不満を持つ軍がクーデターを敢行,その混乱に乗じてマリからの独立を要求する北部のトゥアレグ族武装勢力が決起,急激に勢力を伸ばしているようです(ちなみにこのトゥアレグ族がトンブクトゥの街を築いた部族です).

 こうなってしまったら旅行なんて論外,黄金の都への渡航は夢のまた夢にになりそうです(現在マリへの観光はトンブクトゥを含まない,バマコやジェンネなど南西部を中心とした商品が出ているんですが,今回の件でそちらも中止になりそうな予感だなぁ).

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2012年4月 1日 (日)

戸定邸

 昨日3月31日は朝から雨降り,おまけに風が強く各地で電車が停まったりして混乱した一日でした.本来この日は出勤しなければならない日だったんですが,急な勤務変更があって一転してお休みになりました.

P3310003(写真1) 案内図

 というわけで,せっかくの休日だからと出かけたのが千葉県松戸市にある表題の戸定邸です.「どこそれ?」という声が聞こえてきそうですが,ここは江戸幕府十五代将軍徳川慶喜の実弟で最後の水戸藩主となった徳川昭武が後半生を過ごした屋敷なんです.

P3310005(写真2) 戸定歴史公園の入り口

 徳川昭武は慶応三年(1867年)に開催されたパリ万国博覧会に将軍慶喜の名代として派遣された人物です.万博に参加する傍ら欧州各国を歴訪し,フランスのナポレオン3世やイギリスのビクトリア女王とも会見しています.日本の歴史上,時の政権の重要人物がヨーロッパに行ったのは彼が初めてだと思います.私が好きな大河ドラマ「獅子の時代」の最初にも登場しています.

 維新後は一時軍人になりますが,明治17年(1884年)に松戸の地に戸定邸を建てて隠居,以後は写真や狩猟,自転車などの趣味に生きて明治43年(1910年)に亡くなっています(31歳で隠居なんて凄い気がしますが,江戸時代には商家でもこれくらいでの隠居はよくあったらしいです).

P3310012(写真3) こちらが戸定邸の正面です

 そんな昭武の晩年の住処である戸定邸,一度行ってみたいなと思いつつ行けないでいたので,この機会にと出かけてきました(雨降りしかも常磐線は大風のためダイヤが乱れていたんですが,構わず出かけました 笑).場所はJR松戸駅から歩いて15分ほどのところです.悪天候もあって観光客はほとんどおらず,貸し切りに近い状態で見ることができました.建物は明治期の建設ではありますが,屋敷の造りは江戸時代の大名屋敷の流れをくんでおり,渡り廊下によっていくつかの棟が連結されている構造になっています.

P3310007(写真4) こちらは併設の歴史館

 そばには昭武や慶喜関連の資料を展示している歴史館もあります.パリ万博関係の資料もあるかなと入ったんですが,その辺の資料は企画展の時にしか出さないのか(この日は常設展でした),ありませんでした(残念).今度企画展の時に再訪したいと思います.

 なお1867年のパリ万博が開幕したのが,今から145年前の今日4月1日なのでした.

 

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