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2011年12月31日 (土)

2011年十大ニュース

 みなさんこんにちは,今年も残すところ数時間,当ブログ恒例のビザンチン皇帝の十大ニュースです.社会的にはなんといっても3月11日の震災が筆頭に来るでしょう.しかしここはあくまでも例年通り自分視点で見た十大ニュースです.

第10位 モーツァルトのレクイエム演奏会

Scan10048 私の趣味のひとつである合唱,今年はメインとなるはずだったドイツ演奏旅行が無くなってしまいましたが,その一方でなぜかモーツァルトのレクイエム(以下モツレク)に縁のある1年でした.まずは1月仙台宗教音楽合唱団の演奏会でレヴィン版のモツレクを鑑賞,そして6月には私も遠隔会員として参加させていただいている盛岡バッハ・カンタータ・フェラインの演奏会でジュスマイヤー版のモツレクのステージが,そして7月には東京21合唱団の演奏会でも同じジュスマイヤー版のモツレクのステージに乗り,そして10月にはスーパーコーラストーキョーの特別演奏会でのレヴィン版モツレクを鑑賞する機会がありました(関連記事).

第9位 しながわ宿場まつりに参加

110925_113859 今年はイベントそのものが少なかったんですが,その中で例年通り行われたのがこのしながわ宿場まつりです.毎年幕末関連の人物に扮して参加しているんですが,当初今年は違う方面で行ってみようかとも思ってたんですが,結局蓋を開けたら幕末の幕臣勝海舟に落ち着いてしまいました.とはいえ,はたから見るとただのお武家さんにしか見えないので,こちらから名乗らないと誰も勝海舟とはわかってもらえないのでした(関連記事).

第8位 霧島温泉の坂本龍馬ゆかりの宿

Kirishima_006 今年は温泉気候物理医学会が鹿児島県の霧島温泉で開催され,私も演題を引っ提げて参加しました(笑).で,宿泊したのが霧島温泉郷 霧島ホテルでした.当初何も考えないで予約してたんですが,現地についてわかったことは,実はこのホテル前身を霧島館といって,慶応二年(1866年)に寺田屋で襲撃を受けて負傷した坂本龍馬がお龍を伴って滞在した宿なんだそうです.日本最初の新婚旅行といわれる龍馬の旅にゆかりのある宿に学会で泊まったというアンバランスさがいいなと思いました(関連記事).

第7位 もんじゃ焼き専科竹とんぼ閉店

Img_1236757_65456901_0 2007年のひのパレで知り合い,以来色々と交流のあった現宇都宮新選組同好会局長のコシゾウさんがやっているもんじゃ焼き専門店竹とんぼ,今回お店の場所が県の区画整理にかかってしまい,やむなく閉店となってしまいました.そこで10月にひのパレ仲間たちといっしょに訪問し名残を惜しんできました(関連記事).

第6位 ホームページの引っ越し

Top 私のホームページビザンチン皇帝の部屋は2001年に誕生し,これまでニフティの@Homepageというサービスを利用して運営していたんですが,このサービス容量が小さくて発展性がなく,ニフティの方でもとうに見切りをつけている感じでした.そこで,今年9月にPCを買い換えたのを契機にニフティの新しいホームページサービスの方に場を移すことにした次第です.トップページを変更したり,ちょっとは手を加えています(関連記事).

第5位 はやぶさのグランクラスに乗車

Gran_027 昨年12月に青森まで延伸した東北新幹線.その主力を担うE5系が3月5日にデビューしました.これにはグランクラスというグリーン車よりもゴージャスな車両が付いています.コンセプトは新幹線のファーストクラスなんだそうですが,新しもの好きの私,なんとか乗るべく必死にチケットを探し,なんとかデビュー翌日3月6日最後の東京発のグランクラスを確保,乗ってきました.偶然に大学の教授と遭遇するというハプニングもありましたが(笑),素敵な体験でした(関連記事).

第4位 ボローニャ歌劇場の清教徒観劇

Boro オペラ好きな我が家,今年も新国立劇場を中心に多くの舞台を鑑賞する機会がありました.その中でも一番注目していたのがこのイタリア・ボローニャ歌劇場の清教徒です.ベルリーニ作曲の清教徒は名曲なんですが,主役級の歌い手の難易度が極めて高いので,作品の価値の割にはあまり上演されません.今回は一級の歌い手による舞台ということで楽しみにしていた次第です.目玉だったテノール歌手のフローレスがキャンセル(公式には病気となってましたが,たぶん原発事故の影響)になったのは残念でしたが,代役のシラクーザも素晴らしく満足の公演でした(関連記事).

第3位 震災で各種イベントが中止

 やっぱり震災関係の話題を避けるわけには行きませんでした.3月11日の東日本大震災によって多くのイベントが中止になりました.まずはおそらくは今年最大のイベントになるはずだったドイツ演奏旅行が中止になりました.核となる合唱団が仙台や盛岡であり,団員の中にも被災された方がいらっしゃいましたからやむを得ないものでした.また,春の恒例イベントだったひの新選組まつりも同じく中止となりました(なので今年は新選組の羽織を着たのは1月に1回のみでした).その他,いくつかのクラシック系の来日コンサートも中止となっています.震災からの復興はまだまだこれからですが,自分なりにやれることをやっていきたいと考えています(関連記事).

第2位 日本100名城スタンプラリーついに制覇

Okayamaensei2_149 2007年から始まり,私自身は2008年5月から開始した日本100名城制覇の旅が今年の1月25日についに完結しました.1城目の小田原城から始まって,最後の100城目は岡山県にある備中松山城でした.山上にある現存天守の城郭です.近年の大きな目標だった100名城を制覇し,次は何に取り組んでいこうかと悩むのでした(関連記事).

第1位 ボツワナ・オカバンゴデルタ訪問

Okaban そして記念すべき第1位は,今年の夏に訪問したボツワナ・オカバンゴデルタへの旅です.世界最大の内陸デルタにしてアフリカ南部最大の湿原であるこの地には,たくさんの種類の動物たちが集まってきます.今回は2か所のロッジに滞在してサファリ三昧の日々を送りました.ここは本当にたくさんの動物がいて,特にアフリカゾウはあまりにたくさんいるのでありがたみがなくなるほどでした(笑).この旅の模様はいつの日にかホームページ上のレポートにまとめる予定です(関連記事).

その他選外になったイベントです.

選外1 日本トンデモ本大賞参加

 久しぶりにこのイベントに行って来ました.ゲストにUFOで有名な矢追純一氏が来ていました.

選外2 六本木ヒルズのドラクエ

Doragon 友人とともに六本木ヒルズで開催されたドラクエ展(ドラクエ発売25周年)に行って来ました.

選外3 ウルトラマンアート!展

Metron 水戸の茨城県近代美術館で開催中のウルトラマンアート!展に行って来ました.メトロン星人との夢のツーショットです.

選外4 埼玉寮歌祭参加

 今年は都合で寮歌イベントも少なめでしたが,唯一参加できたのがこの埼玉寮歌祭でした.

選外5 PCを買い換えました

 今年で6年目になる自宅のデスクトップ,かなり危険な状態になったため思いきって買い換えました. 

選外6 ブリティッシュスクール イン 東京(BST)のクリスマスコンサート

 縁あってBSTのクリスマスコンサートに参加しました.イギリスの学芸会という趣でした(笑).

選外7 大沢温泉訪問

 夏に親兄弟を引き連れて花巻市にある大沢温泉に行って来ました.

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2011年12月30日 (金)

2011年に訪問した都市

 今年も残すところ今日と明日の2日間だけとなりました.というわけで毎年恒例,今年を振り返る企画です.第1弾は年初の目標の達成状況と今年訪問した都市です.

 今年初めの記事を参照したところ,1月11日の記事に今年の抱負を載せました.そこには5つの目標が載せてあったんですが結果は以下の通りです.

① 日本100名城スタンプラリー制覇: 1月25日達成しました!!

② ドイツ演奏旅行: 震災のため中止

③ ひの新選組まつり: 震災のため中止

④ 境港妖怪検定: 日程が合わず不参加

⑤ 三大企画: 日本三大瀑布のひとつ袋田の滝訪問

 5つのうち2つが震災で中止になったのは仕方がないと思いますが,3年越しになっていた日本100名城制覇が完了したのは良かったと思います.

 さて基本的に旅行大好き人間の私,休みとなればどこかに出かけることが多いです.ただ今年は3月11日の大震災の影響が大きかったことから例年に比べるとかなり頻度が低下しました.そんな旅行先の発表です(宿泊・日帰り問わず).

1月23日 大分県大分市&竹田市(岡城,大分府内城訪問)

1月24日~25日 岡山県方面(日本100名城完結)

2月19日~20日 栃木県宇都宮市(竹とんぼ訪問)

3月6日 宮城県仙台市(はやぶさグランクラス乗車)

4月22日~24日 北海道函館市(ウチのKの実家)

5月4日 静岡県伊東市(温泉)

5月8日 青森県弘前市(2回目のグランクラス乗車,桜見物)

5月13日~15日 鹿児島県霧島市(霧島温泉 学会のついで)

5月17日 愛知県名古屋市

6月4日~5日 岩手県八幡平市(合唱団の合宿)

7月2日~3日 京都府京都市

8月4日~13日 ボツワナ・オカバンゴデルタ

9月4日 茨城県大子町(袋田の滝)

10月8日 栃木県宇都宮市(竹とんぼ訪問)

11月3日 福島県喜多方市(喜多方ラーメン)

11月19日~20日 佐賀県佐賀市,福岡県福岡市

12月4日 茨城県水戸市

 こうして見渡すと,今年は四国と山陰には行きませんでした.それと九州に2回行っているのが特記事項でしょうか(どちらも学会がらみではあるんですが).

 さて明日はいよいよ10大ニュースの発表です.

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2011年12月29日 (木)

カップヌードル天そばが復活

 カップ入り即席めんの老舗といえばなんといっても日清のカップヌードルです.発売されたのが1971年ということですから,私が幼稚園の時です.以来キング・オブ・カップ麺として今に至っているわけですが,これまでにもさまざまなバリエーションの商品が発売されています.

 古くからあるものでは,カレーヌードルが有名ですが,私が高校生時分に登場したチリトマトヌードルやその後のシーフードヌードルなども人気があります.

85037l(写真) カップヌードル天そば

 そんなカップヌードルの中で私が小さかったころに存在したものに天そばがあります.カップヌードルシリーズと天そばなんて妙な組み合わせに感じますが,実際そのころのバリエーションはノーマルなカップヌードル・カレーヌードル・天そばの3種類でした.しかしその後いつの間にか天そばは姿を消してしまい幻の存在となってしまったのです(私自身も数回しか食べた記憶がない).

 しか~し,今回なんとこの天そばが復刻するんだそうです.

 カップヌードル伝説の和風味「カップヌードル 天そば」が復刻

 年明けの1月16日から数量限定で発売するとのこと.速攻で買わなくてはと思ったのでした.

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2011年12月25日 (日)

年賀状作成

 みなさまこんにちは,クリスマス休暇中のビザンチン皇帝です.

 世間は三連休という方も多いでしょうが,日本列島に寒気が入り込んでいるようで寒い日が続いています.ちなみに寒いことで有名な北海道陸別町の今朝の最低気温はマイナス10℃だったようです(陸別町の天気).さらにどうでもいいんですが,北半球でも1,2を争う程に寒いロシア・サハ共和国にあるオイミヤコンの今朝9時の気温はなんと!マイナス52.5℃だそうです(オイミヤコンの天気).この辺の気温になると濡れタオルを投げると一瞬で凍りつくとか,凍ったバナナで釘が打てるなどといわれる世界です.こんな環境でも生きている人たちがいるんですから,人間は偉大です.

 さて,連休,ましてや三連休となればほぼ確実にどこかに旅立つ私ですが,珍しくこの連休はおとなしくしてました.で,取り組んでたのが年賀状作成です.例年年賀状は親のために作ってあげるもの,主に友人など私の正体を良く知っている(笑)人たちに配るくだけたバージョン,そして主に仕事関係者に出す(比較的)真面目なバージョンの3種類を作ります.

 くだけバージョンは例年いろんな扮装写真や旅行写真を張り付けてかなり派手な作品になります(爆).いつもはどの写真を使おうか選択に悩むんですが,今年は震災の影響もあって活動がかなり縮小した結果,整理してみたらあんまり写真がないことに気づきました.ということで昨年に比べるとあんまりくだけてないかもしれません.

 宛名等を印刷していたら,足りなくなってしまいました.失敗品の交換もあるし,ちょっと今日は郵便局に出かけてこようと思ったのでした.

 

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2011年12月23日 (金)

日本100名城スタンプラリー100

日本100名城 備中松山城(68番)

 2008年5月から始めた日本100名城スタンプラリー,ついに完結です(とはいっても,実際の登城は今年の1月に完結してるんですが 笑).有終の美を飾る100城目は岡山県の備中松山城です.松山城というと愛媛県にある伊予松山城もあってこちらも有名ですが,県庁所在地にあるという点が有利に働いたのか,普通松山城というと伊予松山城を指すので,岡山のそれは備中松山城と呼ばれています(神奈川の横浜に対する青森の陸奥横浜のようなものでしょう 笑).

Okayamaensei2_135(写真1) 本丸の現存天守 

 とはいえ,この備中松山城,決して伊予松山城の後塵を拝しているわけではありません.ここもまた現存12天守の城だからです(伊予の松山城も現存天守です).備中松山城は岡山県の高梁市にある標高430メートルの臥牛山の山頂に天守をいただく典型的な山城です.岩村城・高取城とならんで日本三大山城とも呼ばれています.

Okayamaensei2_090(写真2) 大手門付近から見上げる石垣と土塀

 この地に城が築かれたのは結構古く,鎌倉時代の仁治元年(1240年)にこの地の地頭だった秋葉重信が築いたのが最初といわれています.その後歴代の城主によって拡張が行われ,戦国時代の三村元親の頃には複数の山の頂にまたがる大城塞となっていました.しかし当時この地は織田・毛利両軍のせめぎ合う土地であり,元親はその間で翻弄されて最終的に毛利氏によって滅ぼされました.その後は毛利方の城として安土桃山時代は過ぎていきます.

Okayamaensei2_100(写真3) 三の丸から見える石垣群,壮観です

 関ヶ原の戦いの後毛利氏の勢力が大きく後退すると,当初この城は天領となりましたが大坂の陣の後,元和三年(1617年)に池田輝政の甥の池田長幸が6万5千石で入封し備中松山藩が立藩されました.池田氏は2代藩主が無嗣改易となり,その後寛永十九年(1642年)に水谷勝隆が5万石で入封,その子水谷勝宗が城の整備を行い今に残る城郭が完成しました(江戸時代になると山城は現実的には政務を行うには不便であるため,山麓に御根小屋と呼ばれる御殿が造られました).

Okayamaensei2_149(写真4) 二の丸から本丸を望みます

 しかし水谷氏もまた元禄六年(1693年)4代勝晴の死後無嗣改易となってしまいました.ちなみにこの時,城明け渡しから城番を務めたのが後に元禄赤穂事件で有名になる大石内蔵助でした.その後紆余曲折を経て,延享元年(1744年)に板倉勝澄が入り幕末に至ります.

Okayamaensei2_143(写真5) これも現存の二重櫓

 明治維新後廃城となり山麓の施設は破壊されましたが,天守など山上の建物は破壊をまぬかれました.城郭保存の機運が高まった昭和に入ってから当時の国宝に指定されて修復が進み,戦後は文化財保護法に基づき天守などが重要文化財に指定され現在に至っています.現在でも天守をはじめ櫓や土塀,石垣などが現存し当時の姿をしのぶことが出来ます.

Okayamaensei2_084(写真6) 城内にはこのような立札がたくさん立っています

 城郭は山城らしく,駐車場のある鞴峠から参道をひたすら登っていきます.しばらく進むと大手門跡に到着,ここから順に三の丸,二の丸,本丸と登っていきます.本丸からはさらに大松山の城跡に行ける道があるんですが,私が訪問した時は残念ながら崩落で通行止めになっていました.

 尚,この備中松山城は現存12天守のひとつという非常に有名なお城なんですが,構内に売店や食堂といった施設はありません(駐車場の自販機のみ).なので昼食等は済ませてから来ないと大変なことになります(登城に必要なエネルギーが確保できません).

Okayamaensei2_110備中松山城へのアクセス: JR高梁駅からバスで10分松山城登山口下車徒歩20~30分(時刻表)です.マイカーまたはタクシーなら鞴峠の駐車場まで行くことが出来ます(ただし土日はふもとの鶴見橋駐車場までで,そこからはシャトルバス利用になります).

スタンプの設置場所 本丸入口の料金所にあります.

登城のハード指数(★★☆ ややハードです) 山城なのでかなり歩くことになります.

68bicchumatsuyamajo登城日 2011年1月25日

 

 

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2011年12月20日 (火)

古い宿舎が

 私の現在の勤務地には敷地内に宿舎が複数あります.圧倒的に新しいのが独身者用の宿舎(看護師,リハ関係の職員用)でここはできてまだ数年しかたっていません.それ以外はずっと古くて昭和から平成のはじめに建てられたところばかりです.比較的新しいとされている私が住んでいるところですら,築30年になるんだそうです(爆).

 そんな私の住んでいる所よりさらに古い宿舎がこのほど取り壊されました.古い宿舎とはいえ,事務の若い人なんかが住んでいたんですが,3月の地震でダメージを受けていたところに,9月の台風でなんと屋根が吹き飛ばされてしまったのです.あまりに老朽化しているので改修するという選択肢はなかったらしく,このたび取り壊し工事が行われているのでした.

2(写真) すっかり解体されてしまいました.

 で今日通りかかったところ,すっかり壊されていたという次第です.跡地には何か建てるのかなと思ったのでした.

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2011年12月19日 (月)

ワークショップ流の祝賀会

 連日晴天が続いています.

 さて,昨日は大学合唱団の後輩(男性)がめでたく結婚したということで,その祝賀パーティに出かけてきました.後輩とはいっても,私とは10歳くらい離れているので,現役生活を共に過ごしたことはなく,3年前にこっちに引っ越してきた後に活動している合唱団でともに歌う関係です(なので後輩なのにさん付けで呼んでたりします 笑).

 で,彼が奥さんと知り合ったきっかけがワークショップなんだそうです.業界が全く違うので私には聞きなれない言葉です.案内にも,ワークショップ流のパーティと書いてありました.

 なんだろう? ワークというくらいだから,参加者に課題を与えて,完成させないうちは料理を食べさせないとか(笑),ワークの出来で酒のグレードが決まるとかだったら怖いな(爆)と恐れていました(笑).が,調べてみたらワークショップとは

 一方通行的な知や技術の伝達でなく、参加者が自ら参加・体験し、グループの相互作用の中で何かを学びあったり創り出したりする、双方向的な学びと創造のスタイル

 という定義なんだそうです.実際には会場で参加者同士が共通の話題等でトークをしたりといった趣向が盛り込まれた祝宴でした.私はというと会場のあちこちで,お酒の話ばかりいていました.実際にこの日はおいしいワインがたくさん並んでいて,自分は食べ物そっちのけでひたすらに飲んでいました(爆).

 そんなわけで,この日は帰宅直後から爆睡してしまいましたとさ.

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2011年12月17日 (土)

日本100名城スタンプラリー99

日本100名城 鬼ノ城(69番)

 日本10名城スタンプラリーもいよいよ99城目,ラス前は古代城として知られる鬼ノ城です.古代城というのは主に古墳時代から平安時代にかけて築かれた城郭です.日本100名城としては東北地方の多賀城,九州にある大野城,そして本日のテーマである鬼ノ城があります.

Okayamaensei1_530(写真1) 鬼ノ城のジオラマ

 このうち多賀城は大和政権の律令国家が東北地方に勢力を伸ばす過程で築かれた出先の城ですが,大野城とこの鬼ノ城は古墳時代の7世紀,663年に白村江の戦いで敗北した天智天皇が大陸からの侵攻に備えて造らせたといわれています.ただ,九州の大野城は日本書紀にそのような記述があるので確実ですが,この鬼ノ城については文献的に裏付ける資料がないとされています.

Okayamaensei1_534(写真2) 復元された西門付近

 鬼ノ城は現在の岡山県総社市にある鬼城山の山頂の周辺を一周3キロ近くにわたって石垣や土塁で取り囲んだ構造となっています.城壁の所々には人や物資が出入りする門や城内の水を管理するための排水口である水門が造られていました.また城壁の内部には居住空間や倉庫などの建物の跡も残されています.

Okayamaensei2_026(写真3) 屏風折れの高石垣

 鬼ノ城という名称ですが,当時朝鮮半島において新羅に滅ぼされた百済国の王子(その名を温羅という)がこの地にすみつき,往来の物資を略奪するなどの狼藉を働いたため,恐れおののいた地元民がここを「鬼が住む城」という意味でそう呼んだという伝説があるそうです(これが桃太郎伝説の原型といわれます).

Okayamaensei1_555Okayamaensei2_057(左写真4) 北門跡,(右同5) 南門跡

 7世紀当時国内では大陸からの侵攻が真剣に心配されていましたが,唐や新羅は当時朝鮮半島北部にあった高句麗への攻撃を優先させたこと,さらには肝心の唐王朝の宮廷内部に,いわゆる武韋の禍と呼ばれる政変が起こったために現実となることはなく,この鬼ノ城も実戦で使われることはありませんでした.

 その後大陸の脅威が薄れるにつれて忘れ去られた城となり,歴史の中に埋もれていきました.

 しかし,1970年代から調査が始まり1986年には国の史跡に指定され,西門を中心とした復元も行われています.

Okayamaensei1_554鬼ノ城へのアクセス: JR総社駅から車で20分.公共交通機関がないのでタクシーまたはレンタカー利用となります.最寄駅はJR吉備線の服部駅ですが,歩くとどれだけかかるかは不明です.

スタンプの設置場所 鬼ノ城入口にある鬼城山ビジターセンターにあります.

登城のハード指数(★★☆ ややハードです) 城内は広く,各史跡が点在しているため結構歩くことになります.

69kinojo登城日 2011年1月25日

 

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2011年12月16日 (金)

職場の銀杏の木

 私の職場には銀杏の樹があります.雌の樹で,秋になると毎年たくさんの銀杏の実がなり,周囲にあの独特の臭いを漂わせます.今年もたわわになっていた実が風が吹くたびにボタボタ落ちていました.

 そんな秋から冬に入りましたが,この銀杏の樹,葉っぱは色付いたもののまだまだ秋の装いのまま頑張っていました.

Gari_006(写真1) ほとんど葉が落ちた職場の銀杏の木

 しかし,当地は今朝から快晴ではあるものの強い風が吹いていました.ちょうどお昼休みに銀杏の前を通りかかったら,この強い風にあおられたのか,たくさんの葉が同じくたくさんの実とともに落ちていました.銀杏の実は踏むと大変なことになってしまうので(笑),踏まないようによけるのが大変でした.

Gari_008(写真2) たくさんの銀杏の実が落ちていて足の踏み場がありません(笑).

 考えたらもう12月半ば,来週はクリスマスウィークなんですよね.あと2週間で年末,今年は本当に時間がたつのが早いです.

Icho(写真3) ちなみに10日前の同じ木です.この時はまだたくさんの葉が付いてました

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2011年12月14日 (水)

職場健診の結果

 今日は12月14日,忠臣蔵で有名な元禄赤穂事件の日です.わが国では年末というと,第九か忠臣蔵かというほどよく知られた話題です.とはいえ,当時の日本は旧暦を使用していましたから,この元禄赤穂事件が起こった元禄十五年12月14日を新暦に直すと1703年1月30日になります(1月下旬といえば,1年でもっとも寒い時期です).

 ネットのニュースでも,この日に合わせたのか,赤穂浪士の遺書の真筆と思われる古文書が発見されたと出ていました.

 赤穂浪士の自筆? 遺書発見

 そのほか,1900年のこの日には,相対論と並ぶ現代物理学のもう一方の柱である量子論の先駆けとなる重要な法則,プランクの法則が発表されたということで,12月14日は量子論の誕生日とも呼ばれるんだそうです.

 さて,先日行われた職場健診の採血結果です.直前2日間の禁酒の効果やいかにというところです.

 私の場合ひっかかるのは中性脂肪とγ-GTPと決まっているんですが,中性脂肪は禁酒の効果か正常上限になりました.一方のγ-GTP は2日間の禁酒ではまだ足りないらしく,若干高めになってしまいました(それでも春の検診の時よりかは下がってますが).次の健診の際は1週間くらい禁酒しようかと決意を新たにしたのでした(笑).

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2011年12月12日 (月)

晴天でした

 週明けの今日は朝から快晴の良いお天気でした.週末の盛岡は寒くて雪が舞っていたんですが,こちらはぽかぽかと気持ちの良い陽気でした.

 職場の紅葉もようやく色づいてきたんですが,ふと見たら同じ樹にも関わらず,部位によって葉の色が違っています.

2(写真1) 色づいた紅葉

 向かって左側(南側)は赤く色づいていますが,その右側部分は黄色になっています.紅葉の原理については中学・高校程度の知識しかないので詳しいことはわかりませんが,南側の部分が赤くなっていることから日照量との関連が示唆されます.

Photo(写真2) 日の光に映えます.

 もう12月なんですが,そうは思えない雰囲気なのでした.

 さて,そんな12月12日はお昼に職場近くのラーメン屋さんに繰り出しました.ここは札幌ラーメン専門店と名乗っているにもかかわらず,おすすめが長崎チャンポンという不思議なお店です(笑).この日ももちろんチャンポンをいただきました.

3(写真3) 札幌ラーメン店おすすめの長崎ちゃんぽん

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2011年12月11日 (日)

皆既月食

 みなさんこんばんは,久しぶりの更新になってしまいました.

 この週末は勤務先に関しては特に当直などもなかったんですが,医局の忘年会があったりして盛岡にきていました.

 実は昨夜12月10日は全国で皆既月食が見られることになっていました.自分もそのつもりで,宴会終了後に空を見上げたんですが,天気は雪…

見事に月が隠れていて,せっかくの月食もなんだかよくわからない状況になっていたのでした(泣).

 ところで,先月に日帰りで喜多方にラーメンを食べに行ったんですが,そのことを職場に会津地方出身の臨床検査技師さんに話したら,このようなお土産をいただきました.

Photo これは数ある喜多方ラーメンのお店の中でも有名なところである,坂内食堂のラーメンです.麺・スープに加えて,ちゃんとメンマやチャーシューもセットになっているのでした.

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2011年12月 6日 (火)

日本100名城スタンプラリー98

日本100名城 津山城(67番)

 日本100名城,岡山県の2城目は内陸部,中国山地の山間にある津山城です.岡山県の中国山地の山間というと,日本を代表するミステリー作家,故・横溝正史氏がしばしば舞台として取り上げていた地域です(八ツ墓村,悪魔の手毬唄等).氏の作品が好きだった私も訪れてみたかった土地です.岡山県北部地方は旧名でいうと美作国になりますが,江戸時代に美作国にあったのが津山藩でその藩庁だったのが津山城です.

Okayamaensei1_516(写真1) 再建された備中櫓

 美作国は古来その地域を中心とする強い勢力がなかったこともあり,常に周辺諸勢力がせめぎ合う最前線でした.そんな美作を初めて安定的に支配したのは関ヶ原の戦いで東軍勝利に大きな貢献をした小早川秀秋でした.彼は戦の功績によって備前・美作55万石の大大名となったからです.しかし彼の本拠は岡山城だったので,この段階ではまだ津山城は存在しません.慶長七年(1602年)に秀秋が急死,小早川家は無嗣改易となると彼の領地は分割され,その美作部分が織田信長の小姓として有名な森蘭丸の弟,森忠政に与えられました.そしてこの美作を中心とする新しい藩の藩庁として築かれたのが津山城です.慶長八年(1603年)から元和二年(1616年)まで足かけ14年かけて建設されました.

Okayamaensei1_456Okayamaensei1_467(左写真2) 三の丸から二の丸へ,(右同3) 表鉄門跡

 津山城は津山盆地の中心にある鶴山に築いた平山城です.山頂部分に本丸を置き,その周辺を二の丸,さらにその外側を三の丸とした構造になっています.各々の外郭は高い石垣で囲まれ,遠方からは三段に構えられた壮麗な石垣が望まれます.本丸の天守台には五層の壮大な天守閣が置かれ,各所には合計60棟の櫓があったそうです(この櫓の数は広島城の76棟,姫路城の61棟についで全国3位なのだそうです).

Okayamaensei1_526(写真4) 濠から本丸を眺める

 森氏が治めた津山藩は元禄十年(1697年)に改易となり,その後は徳川家康の子で豊臣秀吉の養子にもなっていた結城秀康を祖とする越前松平家出身の松平宣富が入り,以後幕末に至りました.

Okayamaensei1_480Okayamaensei1_485(左写真5) 天守台,(右同6) 天守台からの眺め

 明治以後廃城となり,天守をはじめとするすべての建物は解体されましたが,三段にわたる壮大な石垣はほぼそのままに遺されました.昭和38年に国の史跡となり,平成14年(2002年)に築城400年を記念して,備中櫓が木造で復元され,往時の姿を偲ばせています.

Okayamaensei1_444
津山城へのアクセス: JR津山駅から徒歩15分程度です.

スタンプの設置場所 備中櫓の受付にあります.

登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 多少の登りはありますが普通の都市公園です.

67tsuyamajo登城日 2011年1月24日

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2011年12月 5日 (月)

ウルトラマンアート!展

 私の世代はウルトラマン世代です.もっと正確に言えば,幼少期に帰ってきたウルトラマンを始めとする第二次怪獣ブームの中で育った年代ということになります.幼稚園の年長組から小学校低学年にかけて,それこそ夕方から夜まで毎日なんらかの怪獣番組が放映され,飽きることなくそれらを見ていた世代です.親にはいつも,「もう怪獣は卒業しろ」と言われましたが(笑).

Pc040011(写真1) ウルトラマン・アート!展のポスター

 ウルトラマンシリーズは昭和49年のウルトラマンレオでいったん終了しました.しかし,根強い人気からその後もいろいろな作品が作られて現在に至っているのは有名です.私自身はこうした新しいウルトラマンはほとんど見ていないんですが,昭和40年代の作品群に関しては今でも愛着が強いです.

 そんなウルトラマンの世界をひとつの芸術作品ととらえて,当時のデザイン画や造形等を展示し検証する「ウルトラマン・アート!」展が茨城県水戸市の茨城県近代美術館にて開催されています.来年1月15日までの企画展なんですが,こういうのって行こうと思った時に行かないと,結局時間が合わなくて行けずに終わってしまうケースが多いので,12月にしては珍しく丸一日何の予定も入っていなかった昨日(12月4日),水戸まで繰り出しました.

 前日の3日は雨模様の関東地方でしたが,この日は朝から快晴でした(私が出かけるんですから当然です 笑).駅から行き方がよくわからなかったのでタクシーに乗ったのですが,結局1メーターで着いてしまう距離でした.

P1010013(写真2) 涙が出るほど嬉しい構図.

P1010012(写真3) まあ一杯どうぞ(笑)


 チケットを購入して入っていくと,最初に今回の展示会で唯一写真撮影がOKな空間がありました.ここには人間サイズ(等身大ではない 笑)のウルトラマン,ウルトラセブン,ビラ星人・バルタン星人・メトロン星人のフィギュアなどがありました.特にメトロン星人はあの,超有名なちゃぶ台とともに,よく知る者にとっては涙モノの撮影スポットでした.

P1010014
(写真4) ビラ星人

 そこから先は撮影不可でしたが,ウルトラマン・ウルトラセブン(その前作のウルトラQも)誕生の経緯やデザインの変換などを当時の写真や原画さらには残されている造形(着ぐるみの一部等)の展示を通して解説していました.会場には老若男女たくさんの人がいましたが,熱心にメモを取りながら見学している老齢の女性もいました.総じて一番熱心に見学していたのは私と同じような年代の人たちで,中には子供に熱心に解説しているお父さんの姿もありました(逆に子供の中には付き合わされて来たのか,「つまんないから帰ろうよ」などと言ってる子もいました 爆).

Pc050007(写真5) お土産に購入した本です

 結構見ごたえがあって2時間くらい見学しましたが,当時は子供向けの作品と大人たちに言われていたウルトラマンが,こういう美術館で企画展が開催されるような存在になったという点に感動したのでした.

 

 

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2011年12月 2日 (金)

職場健診のデータ

 企業などに勤める人間は必ず定期的に健康診断を受けさせられます.これは企業や団体などの管理者は従業員(労働者)の健康状態を把握してその増進に努める義務があるからです(逆に言えば,自営業の人はそういう義務がないため,自分で検診やドッグに行く必要がある).

 私も一応労働者の端くれなので職場健診とは無縁ではありません.しかも病院ということもあるのか,健診が年に2回あります.

 職場健診の項目としては身長,体重に腹囲(笑),血圧,視力,聴力に胸部写真,心電図,血液検査,尿検査といったところです.血液検査は一般検査(白血球,赤血球,血小板数など)に加えて,生化学検査として肝機能・腎機能・血糖・脂質,さらには病院らしくB型・C型肝炎ウイルスなんかも調べます.

 若いころはともかく,中年に差し掛かるとだんだん異常値が出てきたりするんですが,何とかして正常値をたたき出したいと思うのが人情です.とはいえ,貧血や腎機能,糖尿病なんかは自分でちょっと頑張った程度では数字はごまかせません.しかし,数ある検査項目の中にはちょっとした工夫で何とかなる項目も存在します.それが,中性脂肪(TG)とγ-GTPです.

 中性脂肪はその名の通り,脂肪分の一種です.一般の健診では脂質として中性脂肪(TG),HDLコレステロール,LDLコレステロールの3種を調べるのが一般的です.このうちコレステロールについては,もちろん食事の影響は受けますが,1日や2日手を加えた程度では大して変化はないんですが,残る中性脂肪は食事の影響を強く受けることで知られています.油分の多いものを食べた後はもちろんですが,大量に酒を飲んだ翌日なんかは著明に数値が高くなるんです.なので二日酔い状態の時に検査をすると,異常値が出て健診担当のドクターを困らせる事態になります.なのでよい結果を出したければ採血前夜は禁酒して臨んだ方がいいわけです.

 一方のγ-GTPですが,これは肝機能検査の項目の一つに入れられているもので,具体的には肝細胞そのものではなく胆道系の酵素です.なので,たとえば胆石なんかがあると上がってくるんですが,一方で私たち医師の間ではこれを酒飲み酵素などとも呼んでいます.それは胆石がなくても酒飲みの人にはこれが異常高値を示す人が多いからです.もちろんこうした異常値を修正する方法はただ一つ,禁酒しかないわけです(一般に肝炎など肝臓そのものが痛んだ状態になると,AST/ALTといった酵素も上がってきます).

 なので,酒飲みでいつもγ-GTPが引っかかる人は一定期間禁酒をしてから採血に臨めばある程度はデータをコントロールできるわけです(自分の経験では1週間の禁酒でγ-GTPは半分に下がります 笑).

 というわけで,秋の職場健診,昨日禁酒した私は満を持して今朝採決に臨んだのでした(結果は来週かな).

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2011年12月 1日 (木)

いよいよ師走

 みなさんこんばんは,気が付いたら今日から12月です.子供のころは時間が経つのって結構ゆっくりだと思っていたんですが,年々早くなり,特に就職してからは加速度的に速くなっているような気がします.

 12月は別名,師走とも呼ばれます.師匠も走り回るくらい忙しい月というところから来ているようですが,実際にの付く職業についている自分の感覚からいっても確かに忙しい月です(もっとも師走以外でも年中走り回っている気がしますが…).

 さて,そんな12月1日,ネットのニュースを見ていたらこんな記事が

 ネット流行語大賞2011、金賞は「ポポポポーン」

 これはインターネット上で多用された流行語を投票で決めるというものだそうですが,晴れて金賞に選ばれたのが「ポポポポーン」なんだそうです.これは3月11日の震災の後,民放各局が一般のCMを自粛するなかで,代わって放送されていたACジャパンの公共広告「あいさつの魔法。」の歌詞の一部です.震災直後は慌ただしくてNHK以外は見ていなかったんですが,当時ツイッターでやたらにこの「ポポポポーン」という言葉が飛び交っていて,「なんだこれは」と思った記憶があります(その後テレビでこの公共広告の存在を知った).今後もこの言葉を聞くとあのころを思い出しそうですが,なんだろうなと思ったのでした.

 ちなみに銀賞だった「なでしこJAPAN」は現代用語の基礎知識編の2011年新語・流行語大賞の方にも選ばれたそうです.

 昨日までと変わって一気に冷えた12月1日でした.

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