日本100名城スタンプラリー98
日本100名城 津山城(67番)
日本100名城,岡山県の2城目は内陸部,中国山地の山間にある津山城です.岡山県の中国山地の山間というと,日本を代表するミステリー作家,故・横溝正史氏がしばしば舞台として取り上げていた地域です(八ツ墓村,悪魔の手毬唄等).氏の作品が好きだった私も訪れてみたかった土地です.岡山県北部地方は旧名でいうと美作国になりますが,江戸時代に美作国にあったのが津山藩でその藩庁だったのが津山城です.
美作国は古来その地域を中心とする強い勢力がなかったこともあり,常に周辺諸勢力がせめぎ合う最前線でした.そんな美作を初めて安定的に支配したのは関ヶ原の戦いで東軍勝利に大きな貢献をした小早川秀秋でした.彼は戦の功績によって備前・美作55万石の大大名となったからです.しかし彼の本拠は岡山城だったので,この段階ではまだ津山城は存在しません.慶長七年(1602年)に秀秋が急死,小早川家は無嗣改易となると彼の領地は分割され,その美作部分が織田信長の小姓として有名な森蘭丸の弟,森忠政に与えられました.そしてこの美作を中心とする新しい藩の藩庁として築かれたのが津山城です.慶長八年(1603年)から元和二年(1616年)まで足かけ14年かけて建設されました.
津山城は津山盆地の中心にある鶴山に築いた平山城です.山頂部分に本丸を置き,その周辺を二の丸,さらにその外側を三の丸とした構造になっています.各々の外郭は高い石垣で囲まれ,遠方からは三段に構えられた壮麗な石垣が望まれます.本丸の天守台には五層の壮大な天守閣が置かれ,各所には合計60棟の櫓があったそうです(この櫓の数は広島城の76棟,姫路城の61棟についで全国3位なのだそうです).
森氏が治めた津山藩は元禄十年(1697年)に改易となり,その後は徳川家康の子で豊臣秀吉の養子にもなっていた結城秀康を祖とする越前松平家出身の松平宣富が入り,以後幕末に至りました.
明治以後廃城となり,天守をはじめとするすべての建物は解体されましたが,三段にわたる壮大な石垣はほぼそのままに遺されました.昭和38年に国の史跡となり,平成14年(2002年)に築城400年を記念して,備中櫓が木造で復元され,往時の姿を偲ばせています.
スタンプの設置場所 備中櫓の受付にあります.
登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 多少の登りはありますが普通の都市公園です.
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