日本100名城スタンプラリー100
日本100名城 備中松山城(68番)
2008年5月から始めた日本100名城スタンプラリー,ついに完結です(とはいっても,実際の登城は今年の1月に完結してるんですが 笑).有終の美を飾る100城目は岡山県の備中松山城です.松山城というと愛媛県にある伊予松山城もあってこちらも有名ですが,県庁所在地にあるという点が有利に働いたのか,普通松山城というと伊予松山城を指すので,岡山のそれは備中松山城と呼ばれています(神奈川の横浜に対する青森の陸奥横浜のようなものでしょう 笑).
とはいえ,この備中松山城,決して伊予松山城の後塵を拝しているわけではありません.ここもまた現存12天守の城だからです(伊予の松山城も現存天守です).備中松山城は岡山県の高梁市にある標高430メートルの臥牛山の山頂に天守をいただく典型的な山城です.岩村城・高取城とならんで日本三大山城とも呼ばれています.
この地に城が築かれたのは結構古く,鎌倉時代の仁治元年(1240年)にこの地の地頭だった秋葉重信が築いたのが最初といわれています.その後歴代の城主によって拡張が行われ,戦国時代の三村元親の頃には複数の山の頂にまたがる大城塞となっていました.しかし当時この地は織田・毛利両軍のせめぎ合う土地であり,元親はその間で翻弄されて最終的に毛利氏によって滅ぼされました.その後は毛利方の城として安土桃山時代は過ぎていきます.
関ヶ原の戦いの後毛利氏の勢力が大きく後退すると,当初この城は天領となりましたが大坂の陣の後,元和三年(1617年)に池田輝政の甥の池田長幸が6万5千石で入封し備中松山藩が立藩されました.池田氏は2代藩主が無嗣改易となり,その後寛永十九年(1642年)に水谷勝隆が5万石で入封,その子水谷勝宗が城の整備を行い今に残る城郭が完成しました(江戸時代になると山城は現実的には政務を行うには不便であるため,山麓に御根小屋と呼ばれる御殿が造られました).
しかし水谷氏もまた元禄六年(1693年)4代勝晴の死後無嗣改易となってしまいました.ちなみにこの時,城明け渡しから城番を務めたのが後に元禄赤穂事件で有名になる大石内蔵助でした.その後紆余曲折を経て,延享元年(1744年)に板倉勝澄が入り幕末に至ります.
明治維新後廃城となり山麓の施設は破壊されましたが,天守など山上の建物は破壊をまぬかれました.城郭保存の機運が高まった昭和に入ってから当時の国宝に指定されて修復が進み,戦後は文化財保護法に基づき天守などが重要文化財に指定され現在に至っています.現在でも天守をはじめ櫓や土塀,石垣などが現存し当時の姿をしのぶことが出来ます.
城郭は山城らしく,駐車場のある鞴峠から参道をひたすら登っていきます.しばらく進むと大手門跡に到着,ここから順に三の丸,二の丸,本丸と登っていきます.本丸からはさらに大松山の城跡に行ける道があるんですが,私が訪問した時は残念ながら崩落で通行止めになっていました.
尚,この備中松山城は現存12天守のひとつという非常に有名なお城なんですが,構内に売店や食堂といった施設はありません(駐車場の自販機のみ).なので昼食等は済ませてから来ないと大変なことになります(登城に必要なエネルギーが確保できません).
備中松山城へのアクセス: JR高梁駅からバスで10分松山城登山口下車徒歩20~30分(時刻表)です.マイカーまたはタクシーなら鞴峠の駐車場まで行くことが出来ます(ただし土日はふもとの鶴見橋駐車場までで,そこからはシャトルバス利用になります).
スタンプの設置場所 本丸入口の料金所にあります.
登城のハード指数(★★☆ ややハードです) 山城なのでかなり歩くことになります.
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コメント
(゚_゚)(。_。)ここは、確かにハードです。雪の舞い散る中、登ったら、最後いきをきらして、汗をかきました。(苦笑)しかも、上がった所に皇帝様おっしゃるように売店がなく、確かトイレしかなかったような…。上からの眺めはとてもよかったです。確か城下町には有名なお寺がありました。木野山神社という神社があり、小さな神社ですが、年始年末とても賑わいます〜
投稿: おねえさま | 2011年12月23日 (金) 18:47
おねえさま
おはようございます.こういった山城は冬に限りますね.
以前真夏に山城の八王子城に登城したんですが,暑さと虫の攻撃で散々な目にあいましたから(笑).
そうなんですよ,現存天守のお城ですから,備中松山城レストハウスとかがあるのかと思ってました.
木野山神社,かなり歴史のある神社のようですね.
投稿: ビザ皇帝 | 2011年12月25日 (日) 02:23