日本100名城スタンプラリー96
日本100名城 福山城(71番)
日本100名城,いよいよラスト5つとなりました.ここからは岡山&広島の5城です.2008年に小田原城から始まったこのシリーズ,なぜ最後に中国地方が残ったのか,私にもよく解りません(笑).ともかく,今回のテーマは福山城です.
福山城のある福山市は広島県の最東部に位置し,岡山県の笠岡市に隣接しています(福山からは広島市よりも岡山市の方がずっと近いです).岡山・広島両県は山陽地方といわれますが,この地域を東西に結んでいる道路が山陽道です.現在ならば山陽自動車道や国道2号線がその役割を担っていますが,古来の山陽道は現在のそれよりも若干内陸部を通っていました.そのため,中世における山陽道を要するこの地の中心はかつての深安郡神辺町,現在の福山市神辺にあり,そこには神辺城という城も置かれていました.江戸時代初期にこの地方を治めていた福島正則も神辺城を支城として活用しています.
しかし元和五年(1619年)に正則が改易され(居城であった広島城を幕府の無許可で修繕した咎によるとされています),彼の領地が分割されると,この地には新たに藩が建てられることになり徳川家康の従兄弟にあたる水野勝成が10万石で入りました.この新しい藩の居城として新規に造られたのが福山城です(神辺城が使われなかったのは山城であることに加え,海から遠く海運に不便だった点もあるのでしょう).
城の完成は元和八年とされ,天守に加えて三重櫓が7基もあるという,とても10万石規模の大名の城とは思えない壮大な城郭だったようです.その理由は,この城が毛利氏など西国の外様大名に対する抑えの城と位置付けられていたためと思われます(実際,福山藩ができるまで中国地方には譜代大名家がいなかった).
(左写真4) 再建された伏見城湯殿,(右同5) 同じく再建の月見櫓
その後17世紀末の元禄年間に水野氏は無嗣改易となり,かわって松平氏が,次いで阿部氏が入って以後幕末に至ります.ちなみに幕末のペリー来航時の老中首座阿部正弘はこの福山藩主です.
明治維新後,全国他の城郭と同様廃城になり,天守や一部の櫓を除くほとんどの建物が解体されました.そして第二次大戦末期の空襲によって天守も焼失してしまいました.戦後は本丸・二ノ丸部分が公園として整備され,昭和40年代には天守や一部の櫓の再建が行われ現在に至っています.
今に残る遺構としては石垣のほか,福山城建設とほぼ同時期に廃城となった伏見城から移築されたといわれる伏見櫓や筋鉄御門などがあります.福山城はJR福山駅の目の前にあるため,駅のホーム(特に新幹線のホーム)からその雄姿を拝むことができます.
スタンプの設置場所 天守に置いてあります.毎週月曜日の定休日には隣の管理事務所にあります.
登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 普通の都市公園です.
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