日本100名城スタンプラリー95
日本100名城 大分府内城(94番)
日本100名城,九州最後の城郭は大分の府内城です.府内というのは現在で言う大分市中心部のことで,古来ここに豊後国の国府がおかれていたことに由来します.国府があったことからこの地域でも重要な土地だったことは明らかで,戦国時代には戦国大名の大友氏の領域でした.その後安土桃山時代になると,豊臣秀吉の家臣だった福原直高が入り,彼によってこの地に築城が開始されました.しかし,秀吉の死およびその後の関ヶ原の戦いによって大名の改易・転封があり,結局慶長六年(1601年)に入った竹中重利(秀吉の軍師として有名な竹中半兵衛の従兄弟)によって一応の完成を見たといわれています.
府内城は大分川と大野川によって形成された三角州(大分平野)上に築かれた城です.現在は内陸にありますが,築城時は河口の船着き場に面して建っていたそうです(400年の間に海岸線がかなり後退したわけですね).
(左写真2) もう一つの現存構造物の宗門櫓,(右同3) 帯曲輪の跡
構造は天守のある本丸を中心に,濠を挟んで主として西と南側に西の丸・東の丸がそれを取り囲み,さらに濠を挟んで三の丸や北丸や山里曲輪が配置されるという構造になっていました.一方で北東方面は帯曲輪を隔てて直接海と接していて天然の要害となっていたようです(現在の姿からは海と接していたことは想像できませんが,この帯曲輪の遺跡が残っており,その面影をしのぶことはできます).
府内城は江戸時代を通じて府内藩の藩庁となりました.藩主は当初の竹中氏(2代)から日根野氏(1代),松平氏(10代)と代わり明治維新を迎えています.明治後廃城となりましたが,一部の櫓などは破壊を免れて現存しています.現在は大分城址公園として整備され,現存する宗門櫓・人質櫓(人質を収容していたことからその名がある)に加えて,いくつかの櫓やさらには大手門などが復元されています.また,かつての西の丸には大分文化会館が置かれており,私が訪問した時には歌謡ショーが行われていました.
スタンプの設置場所 文化会館の2階にさりげなく置いてあります
登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 普通の都市公園です.
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