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2011年9月27日 (火)

ホームページを移転しました

 みなさんこんばんは,コンスタンチヌス21世です.

 かねてから予告していました.ホームページの移転ですが,実はさる9月25日に場所を移してオープンしました.URLはここです

 http://byzantine21.com (シンプルでわかりやすいでしょ 笑)

 内容的には以前のものとほとんど変わらないんですが,せっかくだからとトップページをちょっと変更してフレーム付きのにしてみました.ただ,他のPCや iPad での見え方なんかを参考に微調整を図っております.以前のものも今日現在まだ見られるようにはなっています.しかし,このまま2つのサイトが並立する形も不自然なので,来月にはリンク付きのトップページを除いて閉鎖しようと思っています.

 遊びに来てくれていた方々,これからは上記新サイトの方にいらしていただけると幸いです(ちなみにこのブログの左上,井上源三郎扮装の下にあるリンクをクリックすると,ダイレクトに新サイトに飛びます).

 新しいサイトは,その名も新 ビザンチン皇帝の部屋にしました.これは場所だけが変わって中身が変わらなかった千歳空港→新千歳空港にあやかったものです(1ヶ月くらいしたらまた元の名前に戻る気がしますが 爆).表紙の中央には,なにやらネズミのようなウサギのようなげっ歯類の写真が出ています.これは我が家で飼っているペットのアロイジア嬢じゃなくてナンネル嬢です.

 現在中身を充実させるべく,旅行記録(2009年 イスタンブール編),第20回しながわ,第13回ひのパレレポなどを鋭意製作中であります.出来次第サイトのトップに大々的に宣伝するつもりですので引き続き注目してあげて下さい.

 誕生から今年でちょうど10年,最初はホームページビルダー6を買って使っていましたが,10年の間の進歩は凄く(途中で10にバージョンアップ),今回の改定ではビルダー15(バージョンアップ版)を購入して作りました(OSが7になり,従来のバージョンではきちんと動作しないため).こうした方がいいんじゃないかというような意見がありましたら,ぜひお寄せいただけると嬉しいです.

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2011年9月26日 (月)

第21回しながわ宿場まつり

 秋の時代扮装イベントの定番,第21回しながわ宿場まつりに参加してきました.例年このお祭りは9月の最終土日に開催されているんですが,今年は春の大震災とその直後の自粛ムードの中,開催が不透明だったんですが,実行委員会の方々の努力のなか無事に開催が決まったものです(この影響で例年7月の応募開始が8月上旬にずれ込んだ).

 毎年なんとなくテーマを決めて参加している私ですが,今年もやっぱり幕末の呪縛からは逃れられず(笑),結局は幕臣の勝麟太郎になりました(いわゆる勝海舟).

 先週は台風の影響で関東は大荒れでしたが,その後ということで,この日は朝から晴天でした.とはいってもいわゆるカンカン照りではなく,気温は低めでけっこう涼しい一日でした.前日に都内で複数の用事があったために,朝は比較的のんびりです.9時過ぎに着替え場所の尾張屋さんに入りました.周辺を見渡すと常連さんのお姿も,思うにこのお祭りは毎年同じ役柄の人が結構いますね(松平長七郎とか二宮金次郎とか).

 着替えは比較的順調にいって,あっという間に幕臣勝麟太郎の出来上がり,なんですが…

110925_113859(写真1) 勝安房守の誕生

 なんか見たことあるなぁと思っていたら、そうです,おととしやった出羽庄内藩の清河八郎にそっくりです.鬘と着物はほぼ一緒,袴の模様と紋が違うだけでした(あとは羽織紐が白くて太いものになっていた).ようするに幕末期の侍は明らかな浪士と当時それなりの地位に着いていた人物以外はみな一緒ということなのでしょう(笑).

Shinagawa2009_082(写真2) 2年前の清河八郎


 そんなわけでパレードに突入,弟子の坂本龍馬(笑)を従えて更新しました.しかし,二宮金次郎や龍馬のように一目でそれとわかるキャラはともかく,勝麟太郎なんて言わなきゃだれも気づきませんでした(お侍さんとか,お殿様とか呼ばれていました).そんな中,「勝海舟ですよね」と言いながらやってきた観客の方がいました.どうして分かったんだろうと思っていたんですが,紋でそれとわかったとのこと.なんでもその方の家紋が勝海舟の紋と一緒なのだそうです.

P9250013_2P9250059_2(左写真3) 坂本龍馬との子弟写真,(右同4) 幕末のロックバンド

 パレードは1時間ほどで終了,その後は(長~い)フリータイムとなります.実はこのフリータイムがこのお祭りのミソで,時代扮装した人々が通りを歩くことで,古の宿場の雰囲気を盛り上げようという趣向なんです.私も食べ歩き,飲み歩きをしたり写真を撮ったりして過ごしました.

P9250043(写真5) 勝先生ですから,当然こういう写真も(笑)

 商店街には人力車も出ていたんですが,これに乗る時車夫の方に「お名前は?」と聞かれたので,「勝海舟です」といったら

「勝海舟ご夫妻御出立~」

と大声で宣伝されたため,それを聞いていたと思しき沿道の方々に「よっ,勝海舟」といわれ,ようやく一部で顔と名前が一致したのでした.

P9250066(写真6) ウチのKは武士の奥方役でした(ということはお民?).

 このお祭りは非常に楽しいので,また機会があればぜひ参加したいと思います.来年は幕末を離れて,眠狂四郎なんかに挑戦してみたいと思ったのでした(まずは減量が必須ですが 笑).



 

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2011年9月22日 (木)

台風一過

 西日本から東日本,北日本にかけて猛威をふるった今年の台風15号,関東地方では昨日の午後から電車などの公共交通機関が軒並みストップしてしまい,通勤の足に大きな影響が出ました.ウチの職場でも帰宅できずに院内に泊まったという職員も大勢いました.市内の一部が停電になったこともあり,全国ニュースでも当地が登場していました(結構珍しいです 笑).

2(写真1) 散乱した銀杏の実


 そんな台風から一夜明けた今日の午前中は,まさに台風一過の快晴でした.ただ,敷地内にはあちこちに台風の爪痕が残っていて,途中で折れてしまった木や吹き飛んだ木の葉などが散乱していました.中でも例年11月ごろにボタボタと実を落として周囲に独特のにおいをまき散らす銀杏の木も,昨日の強風にあおられて,まだ青い実がたくさん落ちていました(青くてもやっぱりあのニオイが少しは漂います).その他,病院の古い宿舎の屋根が吹き飛んだなどの被害もあったようです(ウチの職場には,築50~60年の古~い宿舎がいまだある).

 今週は連休の狭間ということで,外来や検査はやや控えめ加減(休暇を取っている人も多い),お昼過ぎには午前中の業務終了となrました.

110922_124512(写真2) 今日食べたピリ辛味噌ラーメンです.


 で,この日は昼食に珍しく近所のラーメン屋さんに出かけました.そこで食べていたら,店主のおじさんと常連客と思しき人との会話が耳に入りました.

店主: 昨日,この辺の台風の状況が知りたくて,テレビ神奈川付けたんだけどやってねんだ.くだらない番組ばっかりやって,肝心の時に全然役に立たない.横浜ベイスターズもいいけど,ちゃんとやって欲しい.

 と,ご立腹の様子でした(どうでもいいけど,昨夜はベイスターズの試合はありませんでした 笑).

考えてみたら,地方のローカル局の大きな仕事のひとつが,災害時などの地域の情報です.実家の岩手県のローカル局だと,おそらくこんな時は県内各地に記者が飛んで報告している様子がテレビに映ります.しかし神奈川県ではそうではないもようなのでした(昨夜は我が家ではNHKを付けていた).思うにこの辺って,民放はほぼ東京そのままなので,ローカル放送が貧弱で、情報的には灯台もと暗し状態なのかもしれません.

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2011年9月21日 (水)

SFタッチの暴れん坊将軍

 テレビ番組の中で時代劇といわれるジャンルがあります.水戸黄門や遠山の金さん,必殺仕事人なんかも有名ですが,松平健さんを主人公にした暴れん坊将軍もよく知られた作品です.

 暴れん坊将軍は松平氏扮する江戸幕府八代将軍徳川吉宗が,旗本の三男坊のふりをして江戸市中を歩き,さまざまな悪事に遭遇しては,悪人たちをやっつけるという120%勧善懲悪のドラマです.昭和53年から平成14年まで30年近くにわたって放送された作品ですが,水戸黄門や遠山の金さんとは違って,主役を演ずる俳優が最初から最後まで変わらなかった作品としても知られています.

 30年もシリーズが続くとそれこそいろんなエピソードが登場するのは当たり前ですが,その中でも一部で非常に有名な作品があるんです.それは,ちょうど世間でノストラダムスの大予言が注目されていた1999年に放送された作品,「江戸壊滅の危機,彗星激突の恐怖」です.この作品の再放送が9月15日にあるということで,DVDに録画して(放送は日中なので絶対に見られない)いたものを,鑑賞しました(笑).

Dbf46faf(写真) OPタイトル,なんだか昭和40~50年代の特撮テイストです

 ある夜望遠鏡を覗いていた吉宗が地球に向かってくる赤い彗星を発見,直ちに幕府の天文方の役人に監視を指示するところから始まります.作品では,この彗星衝突の危機をあおって世の中を騒がせ,その隙に盗みを働く悪人一派が出てきたり,彗星の軌道を計算させるために吉宗の命で招かれた長崎の学者が登場したりするんですが,番組終盤,件の学者によって計算された彗星の落下地点はなんと! 多摩の日野でした.とりあえず江戸は大丈夫だと安心する一行,最後ははるかかなたで彗星が爆発するシーンもあるんですが,江戸は大丈夫でも日野にはそうとうの被害があったんではと思いました.

 新選組の土方歳三が登場する100年以上前の話ですが,言ってみれば吉宗からは「しょうがないな」程度にしか思われていなかった当時の多摩,新選組の土方や近藤は「御公儀のため」といって奮闘しますが,100年前の将軍のこの仕打ちを知ったら歴史は変わってしまうんじゃないかなどとどうでもいいことを思ってしまったのでした.

 

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2011年9月18日 (日)

こういう当たりは…

 昨日の土曜,当地は晴れ時々土砂降りといった感じで,晴れてるなと思った次の瞬間にはザザザ~っとスコールのように降って,また晴れてしばらくしたらスコールという感じでした(亜熱帯地方の雨季みたい).

 で,午後からは東京の合唱団の練習で都内へ.練習は5時からというわけで,余裕を持って久しぶりにロマンスカーに乗りました.うつらうつらしながら乗っていたら,途中の町田駅手前で停車,なんだと思っていたら車内放送があり,「人身事故のため停車します」とのこと,困ったなと思いつつも仕方ないのでそのまま待っていたら,しばらくして運転再開,結局30分遅れで新宿に着きました(当初の予定では練習の20分前に余裕で着くはずが,ちょっと遅れてしまいました 泣).

 そして,8時すぎに練習が終了.この日は指揮者の先生がいらしていたので,練習後は懇親会というパターンでした.いつもなら参加するんですが,実は翌18日(つまり今日)が当直だったので早めに帰ろうと駅で夕食を摂って,またまたロマンスカーに乗りました.満員の乗客を乗せた電車はほぼ定刻に出発,このまま行けば夜の11時には家に着くな,などと考えていたら…

 またまた中途半端なところで電車が停まってしまいました(登戸のあたり).「ま,まさか…」と思っていたら車内放送が,またまた人身事故で停車しますとのこと.「往復で人身事故かい」と思いつつも,「まあ待っていれば動き出すだろう.ムギュムギュ電車じゃなく特急にしてよかった」などと余裕をかましていました.しばらくすると電車が動き始めましたが,そこで車内放送が.

 「本日この電車は新百合ヶ丘で運転を打ち切ります.特急券は全額払い戻します

 う,うっそー 払い戻さなくていいから連れてってよ,と泣きたくなりました.どうやら復旧に時間がかかる模様.強制的に下された新百合ヶ丘駅では行き場を失った大勢の人がたむろしていました.さあ,どうしようと困った私,下り線は当分動きそうにありません.再開まで待とうかとも思いましたが,この様子では仮に再開しても電車はスーパーウルトラ超満員で死にそうになることは明白だったので,結局新宿に戻ってJRに乗り換えることに(JRならグリーン車で座って帰ることが可能).ちょうど上り電車が一本動くということで(各駅停車でしたが),それに乗って新宿に戻り,なんやかんやで結局乗ったのはJR東海道線の最終電車,なんのことはない,いつも合唱団の懇親会に参加するのと変わらない時間となったのでした(家に着いたら午前1時40分).

 まさに大当たりの一日でしたが,宝くじならいいけど,こういう当たりは勘弁してほしいと思ったのでした.

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2011年9月17日 (土)

ホームページ移転計画

 私のホームページビザンチン皇帝の部屋は2001年に開設されたんですが,利用しているのがniftyによる@Homepage というサービスです.10年間ずっと使っているんですが,この間のネットの進歩はすさまじく,このサービス今ではすっかり時代遅れになっています.なにしろサイトの大きさが基本100MBといういまどき無料のブログでもありえない低容量なんです.現在は追加料金を払って容量を拡大していますが,それでもMAXは300MBに過ぎません(裏を返せば,ビザンチン皇帝の部屋はそんな小容量のHPなわけです 笑).結局HPに直接動画を載せるなんてことは不可能な容量なので,Youtubeを張り付けたり,ブログとリンクさせたりしてごまかしているのが実態です.

 実は nifty の方ではとっくの昔に見切りをつけているようで,この @Homepage は昨年から新規受け付けは終了,いまだにこれで頑張っている奇特な会員に対してのみ細々と(仕方なく 笑)やっているのが実情です.そしてすでに新しいホームページサービスが始まっていて,しかも@Homepageの容量300MBの料金よりも新サービスの容量1GBの料金の方が安く設定されているという状態ですから,niftyの方でも@Homepageの利用者を新サービスの方に移行させたいのが本音だと思います.

 そんな状況と,今回PCが新しくなったこと,OSがwindows7になったために今まで使っていたホームページビルダー10がうまく動作せず新しいバージョンを買う必要が出てきたこと等から,ホームページの移転を計画することにしました.niftyの新サービスに移行するか,それともよそに引っ越すのかまだ検討中ですが,決定しだいこちらでも周知したいと思います.ただ,トップページには私の独自ドメイン www.http://byzantine21.com から飛べるので,こちらからなら引っ越しの有無にかかわらずいつでも飛ぶことができます.

 今後ともよろしくお願いいたします.

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2011年9月15日 (木)

マイナー教科

 ネットで見つけたニュースです.

 国際地学オリンピック・イタリア大会、日本代表は全員メダル獲得

 数学のオリンピックというのは聞いたことがありますが,地学にもオリンピックがあったとは… 初耳でした.

 いわゆる主要教科のひとつに理科があります.小学校の時は単に理科ですが,中学校になると物質の性質や物体の運動,電気などを扱う第一分野と,生き物や天体など主に屋外のものを扱う第二分野に分かれます.そして高校になると,物体の運動や電気,波動などを扱う物理,物質の性質や変化を扱う化学,動物や植物の構造や生理・生態を扱う生物,そして地質や気象,天文を扱う地学の4つに分かれます.中学でいえば物理と化学が第一分野,生物と地学が第二分野にあたります.

 高校で理科4科目をどう学ぶかはさまざまです.普通高校か実業高校か,文系か理系かでも異なります.ちなみに私が現役の高校生だった頃は,(理系では)1年次に生物Ⅰと地学Ⅰが必修,2年次に物理Ⅰと化学Ⅰが必修で,3年次には4科目のⅠ,Ⅱのうち2科目を選択という感じでした(ちなみに文系は1年次は同じで,2年次は物理Ⅰと化学Ⅰのどちらかを選択,3年次は4科目のⅠのうち2科目選択、ただし理系より時間数が少ない)だったと記憶しています.私立文系クラスでは3年次には理科はなかったと思います.

 その後大学に入って,いろいろな学校の事情を聴いているうちに,世間ではだいぶ様相を異にしているらしいことを知りました.すなわち自分の学校は4科目の選択の余地が比較的あったのに対して,学校によっては選択の余地が限られているところも多いようなのです.

 その場合,4教科が平等に扱われるということは決してなく,一般に

 物理=化学≧生物>>…>>地学

 

という感じらしいのです.学校によっては地学の授業がなかったとか,そもそも地学の先生がいなかったというところもあったのです.

 もっともこれには理由があって,地学を選択した場合,大学受験の際に受験できるところが極端に少なくなってしまうからです.

 たとえば,工学部の場合国公立私立を問わず,ほとんどの大学が理科は物理と化学を必須にしていました.また医歯薬農学系では物理・化学・生物の3科目から2科目選択というパターンがほとんどです.すなわち理系の場合地学で受験できるのは私立は皆無で,国公立の場合でも旧帝大系の理学部のみという状況でした(例外として,東大のみは理科Ⅰ類からⅢ類まで地学で受験できたように記憶しています).一方で国公立の文系の場合は理科が出てくるのは共通一次だけなので,地学でも受験できるんですが,わざわざ文系の共通一次だけのために地学の授業を設定するのも面倒なのか,こちらも半強制的に他3科目から2科目選択というケースが多いようでした(極端な学校だと理系は物理と化学,文系は化学と生物と決められているところもあったらしいです).

 そういえば私の母校も,物理・化学・生物に関してはそれぞれ専用の教室と実験室,教官室がありましたが,地学のみはそのような部屋はなく生物の部屋に居候になっていました.この状況から地学の先生も「地学は弱小教科だから」と言っていました(教員自体は2人いましたが).

 そんなマイナー教科である地学にオリンピックがあって,日本の子供たちが活躍しているという記事に感動したのでした(マイナーではあっても地学は,今話題の地震や台風,さらには天文といった興味深いテーマが多くてとても面白いんですが).

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2011年9月13日 (火)

日本100名城スタンプラリー93

日本100名城 大野城(86番)

 日本城郭協会の認定した100名城,その約3分の2を占めるのが近世城郭です.立派な石垣や壮麗な天守があるなど,普段私たちがイメージする日本のお城はこの近世城郭のことです.

Donbe_014(写真1) 増長天地区に遺る倉庫の跡

 一方で残り3分の1に入っているのが,北海道や沖縄など当時日本の中央政府の支配が及んでいなかった地域の城や古代・中世の城郭ということになります.今回のテーマ,大野城は時代としては古代の城郭ということになります.

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(左写真2) 太宰府口城門跡,(右同3) 城門の礎石

 大野城の歴史は7世紀にさかのぼります.当時の東アジアは大陸に隋の後をうけたが建国されて隆盛しつつありました.日本は大化の改新によって律令体制を整え始めていました.一方朝鮮半島は高句麗百済新羅が並立する状況でしたが,唐と結んだ新羅が勢力を拡大,660年には百済を滅ぼしてしまいます.この時百済の遺臣の要請を受け,当時朝廷で権力を握っていた中大兄皇子の指示のもと遠征軍が編成され大陸に渡りました.663年,この日本・旧百済連合軍と唐・新羅連合軍の間で起こったのが白村江の戦いです.この戦いで日本側は敗れ,撤退を余儀なくされます.その後国内では,唐が余勢をかって逆に日本に攻め込んでくるのではという観測が流れました.そのため,敵の上陸が想定される九州北部の拠点である太宰府を防衛するための城がいくつか作られました.大野城もそうした城郭のひとつです(他には巨大な濠と土塁からなる水城が有名).

Donbe_031Donbe_040(左写真4) 土塁の様子,(右同5) 城の周辺では土塁にそって歩くこともできます.

 大野城は太宰府の北,四王寺山(当時は大野山)という標高410メートルの山全体を要塞化した典型的な山城です.その位置から言って,海からの侵入に対して太宰府を守る防衛拠点と位置付けられているのがわかります.山の尾根にそって土塁が築かれ,一方で土塁が途切れる谷部分には石垣が築かれ,山全体を覆うような構造になっていました.土塁や石垣の内部には建物が造られ,万一の場合にはここに籠城できるように,食料が備蓄されたほか,水源となる井戸も掘られていました.尚,築城に当たっては亡命百済人が陣頭指揮に当たっていたようで,大陸の影響を強く受けたいわゆる朝鮮式山城となっています.

Donbe_034(写真6) 当時の面影を残す鏡池(井戸)

 しかし,その後大陸では唐・新羅連合による高句麗攻撃が本格化したこと,唐ではいわゆる武韋の禍と呼ばれる政権内部での混乱が発生したことなどから,結局大陸からの侵攻が現実のものとなることはありませんでした.大野城も実戦の舞台となることはなかったのです.

Donbe_023Donbe_058(左写真7) 大石垣,(右同8) 百閒石垣

Donbe_068(写真9) 百閒石垣の全景

 現在この地は国の特別史跡に指定され,山頂付近は県民の森となっています.今から1400年前の城郭であり,当時の建物などは一切残っていませんが,石垣や城門の跡などから当時の雰囲気をしのぶことができます.

Donbe_070


大野城へのアクセス: 西鉄太宰府駅から徒歩40分ほどで太宰府口城門に着きます.地理不案内なら同駅からタクシーで県民の森管理事務所へ,そこで地図等をもらう手もあります.

スタンプの設置場所 山頂付近の県民の森管理事務所にあります.麓の太宰府展示館にもあるようです

登城のハード指数(★★☆ ややハードです) とにかく広いので歩く距離が膨大となります.ただ歩道は整備されているので,それほどの疲労感はありません

86onojo登城日 2010年11月27日

 

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2011年9月12日 (月)

まゆ

 昨日思い立って新しいデスクトップPCを購入しました.やっぱり新型は動作が快適です(なにせメモリーが4Gもあります.今まで使っていたのが512M,自分の先代のモバイルノートに至っては128Mでした).

 一方,お役御免となった古いデスクトップですが,大事な作業をするには信用できない状況ですが,リカバリーすればインターネットやゲームだけやる分にはまだまだ使えるんじゃないかと思います.なので実家の母親にあげることにしました.今実家では私の先々代のデスクトップ(なんと! Windows 98)がまだ現役で,母親のネット&ゲームのお伴をしていますが,さすがにここまでOSが古いと遊べないゲームもあるからです.

 昨夜梱包をしたんですが,精密機械であるため,衝撃から機械を守るクッション材が必要です.そこで登場するのがこういうシロモノ

Mayu(写真) 繭のような緩衝材

 これを隙間に埋めていくんですが,なんだか繭を連想させます.着いた先で箱を開けたら,この繭が全部羽化して蛾になってたら驚くだろうな,などと想像してしまいました(笑).

 

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2011年9月11日 (日)

9・11

 今日9月11日は久しぶりに特に予定もない日曜日でした.

 9月11日といえば,21世紀最初の年である2001年のこの日にアメリカ同時多発テロ事件が発生してからちょうど10年になります.

 10年前のこの事件,実は鮮明に覚えています.当時私は盛岡市の南部にある某総合病院勤務だったんですが,夜10時ごろに帰宅してテレビをつけたらちょうどNHKのニュース番組をやっていました.そこでアナウンサーが,ニューヨークで旅客機が世界貿易センタービルに激突したという速報を話していました.「こりゃ悲惨な事件だな」と最初は思っていました.テレビの画面には煙を発するビルの映像が流れていました.その時突然,画面の右から飛行機の機体が現れそのままビルへ突入,巨大な火炎が上がる映像が流れました.この時,これはただ事ではないと背筋が凍りついたのを覚えています.この日からアメリカはテロという見えない恐怖と向き合う時代に突入,その後アフガン戦争,イラク戦争へと突入していったのは記憶に新しいところです.この日はまさにアメリカの人々にとって忘れられない日となったのでした.

 一方で,今日9月11日は,2011年3月11日に発生した東日本大震災から半年の節目の日です.この日のことはもちろん鮮明に記憶しています.この日は偶然院長・副院長ともに不在で,私のような身分の人間にとってはまさに鬼の居ぬ間のなんとかで,ちょっと嬉しい日でした.ちょうど医局で執筆作業をしていた昼下がり,突然の揺れを自覚,最初は「また地震か」くらいに思ってたんですが,30秒くらい過ぎても収まらず,これはただ事ではないとなり,病棟の安全を確認した後で医局のテレビをつけたところ速報で仙台市で震度6強,三陸に大津波警報発令となっていたのです.

 つい数年前まで東北地方で生活していた人間にとって,非常に衝撃的な光景でした.以来自分にとってもいろんな思いがあったこの出来事は,日本人にとって忘れられない日となりました.

 そんな節目のこの日,まったく偶然にも自宅のパソコンがあやしい状態に陥り,新しいのを衝動買いしてしまいました.私のデスクトップPCとしては3代目になります(初代が富士通のWindows98,2代目がNECのWindows XP,そして今回は富士通のWindows 7です).セットアップを済ませてこの記事を書いていますが,なんてスムーズなんだと感心しているのでした.

 テレビも今日は震災関係の番組が多いです.これからも心に留めていかなければならないと思ったのでした.

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2011年9月10日 (土)

自宅のPCが…

自宅のPC、2006年の正月に購入以来使っています(NECのvaluestar)。2009年の3月にマザーボードが壊れて、その際はデータ復旧と修理でなんとか復活しました。以来使っていたんですが、最近またまたいろんな点で調子が悪くなっています。

そろそろ替え時かな、などと考えているのでした。このままではブログの更新もままならないし(ちなみにこの記事は iPad からの更新です)。

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2011年9月 5日 (月)

日本100名城スタンプラリー92

日本100名城 佐賀城(89番)

 日本100名城シリーズまだ九州シリーズが続きます.今回のテーマは佐賀城です.

Kyushuenseineo_304(写真1) 佐賀城の現存する建築物,鯱の門と続櫓

 佐賀城があるのは佐賀県佐賀市,私のような東日本の人間にとっては,なんとなく地味なイメージの場所です.東隣りに九州最大の人口を持つ福岡県が,西隣りに観光地として知られ,歴史や演歌にも非常によく取り上げられる長崎県があり,そのメジャー2県に挟まれているというところに原因の一つがあると思われます.さらに私の世代にとって佐賀県のイメージを下げているもう一つの要因が昭和58年に放送されていた朝ドラ「おしん」です.東北の山形県の庄内地方(日本海側)出身のおしんが大人になり結婚,その相手の実家が佐賀だったんですが,劇中佐賀でおしんが姑に苛められる場面が出てきたからです.別に姑が意地悪な理由と佐賀とは直接関係ない(別に東京でも大阪でも構わない)はずなんですが,このことで当時全国的に佐賀のイメージが悪くなり,佐賀の人たちからNHKに抗議の電話がたくさんあったというウワサです.

Kyushuenseineo_302(写真2) 天守台です

 ただ,歴史的にみると肥前佐賀は賢君鍋島閑叟を擁して幕末維新期には薩長土肥の一角を占めているなど結構重要な場所だったりします.また佐賀牛や玄界灘の魚介類など食材も豊富で,有田焼や唐津焼などの焼き物も有名です.

 もっとも江戸時代には今の佐賀県の地域は北部の唐津藩と南部の佐賀藩に分かれていましたから,佐賀城は今で言う佐賀県南部の中心地となります.

Kyushuenseineo_291(写真3) 巨大な濠です

 佐賀城を築いたのは,戦国時代にこの地域に勢力をのばしていた龍造寺氏で,当時は村中城と呼んでいました.のちに龍造寺家の実権は重臣の鍋島氏に移り,江戸時代に入って慶長十二年(1607年)に龍造寺氏が断絶し,鍋島氏が正式に佐賀藩主になってから本格的な改築が行われました.

 佐賀城は典型的な平城で,周囲をほぼ正方形の広い濠で囲まれていました.本丸には五層の天守が置かれ,その威容を誇っていましたが,江戸時代中期の享保年間に火災により焼失,以後再建されることはありませんでした.

Kyushuenseineo_290Kyushuenseineo_288(左写真4) 再建された本丸御殿,(右同5) 内部の様子

 明治後廃城となりましたが,明治七年(1874年)の佐賀の乱ではここが戦場となり,多くの建物が焼失してしまいました.現在は佐賀城公園となり,鯱の門と続櫓それに石垣の一部が現存している他,本丸御殿が再建され佐賀城本丸歴史館となっています.

佐賀城へのアクセス: JR佐賀駅バスセンターからバス(6)佐賀城跡線または(25)広江・和崎線,佐賀空港線,どちらも10分前者は佐賀城跡バス停,後者は博物館前バス停下車です.駅から徒歩の場合30分ほどかあります.

スタンプの設置場所 本丸御殿の受付にあります

登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) よく整備された公園です

89sagajo_2登城日 2010年5月23日

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2011年9月 4日 (日)

袋田の滝

 台風12号が猛威を振るっていたこの週末ですが,今日ドサクサにまぎれて茨城県北部,大子町にある袋田の滝を観に行ってきました.青春18きっぷの使用期限が迫っているのと,こういう日に観光に行く人は少ないから空いているだろうというヨコシマな理由からです(笑).

Fukuroda_065 (写真1) 滝の最寄り駅,袋田駅です

 袋田の滝は俗に日本三大瀑布(幕府ではない)に数えられる名瀑です.他の二つは和歌山県の那智の滝と栃木県の華厳の滝ですが,この二つはどちらかというとその落差が評価されているのに対して,袋田の滝はその四段にわたって落ちしていくさまが素晴らしいといわれています.私自身は那智と華厳は複数回行ったことがあるんですが,ここは初めての訪問でした.

Fukuroda_019(写真2) 第2観瀑台から見た滝の全景

 台風の影響で関東地方は時折激しい雨の予報だったんですが,細かい天気予報では袋田の滝のある大子町はなんとか大丈夫そうとの感触を掴み出かけました.上野駅から常磐線,水戸から水郡線に乗り換えて向かいます(当然全て普通電車なので4時間近くかかった).最寄り駅の袋田で下車,ほかに何人か同じ目的地と思われる観光客の姿がありました.

Fukuroda_046_2 (写真3) こちらは第1観瀑台からの様子

 駅から路線バスで10分ほど,終点から徒歩さらに10分ほどで観瀑台の入り口につきました.心配されたお天気ですが,雨はなく時々日が差すほどの好天に恵まれました(日頃の行いが良いからです 爆).やっぱり台風の影響なのか,休日とは思えないほど観光客は少なかったです(観瀑台に昇るエレベーターが待ち時間なしでした).

Fukuroda_062 (写真4) こちらは別な角度から

 袋田の滝は岩肌を滝が四段になって落ちており,その上から三段目の高さに第1観瀑台が,その40メートル上に第2観瀑台があります.滝の全景が見渡せるのは第2の方ですが,迫力という点では第1のほうがあります(水しぶきがかかります).今回は空いている観瀑台からゆっくりと滝を堪能できました.

Pb030140 Nikko_042

(左写真5) 那智の滝,(右同6) 華厳の滝

 ちなみに世界三大瀑布というのもあって,北米のナイアガラの滝,南米のイグアスの滝,アフリカ南部のビクトリアの滝をさしますが,残念ながら私は全て未訪です(泣).

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2011年9月 2日 (金)

9月に入りました

 台風12号の影響による大雨が降ったりやんだりしていますが,気が付いたら9月に入りました.今年の夏も暑い日が続いていましたが,そういえば最近の朝夕は涼しい風も感じられるようになっています.やっぱり秋なんですね.

 自分にとって例年9月はいろんな意味で活動的になる季節です.仕事方面では夏休みシーズンが一段落して各種学会や研究会が始まりますし,趣味関係ではコンサートシーズンの幕開けでもあります.

 で,毎年9月に行われるイベントのひとつが,しながわ宿場まつりです.ことしは東日本大震災の影響もあってどうなるのかといわれていましたが,例年通り9月の最終土日に開催されることが決まっています.8月に入ってから申し込みが始まり,ちょうど夏休みの旅行の後に申し込んでいました.

3 今日帰宅してポストをのぞいたら一通の封書が.見たらしながわ宿場まつりの実行委員会からでした.参加決定&参加費払ってね通知でした.配役はとりあえず申し込みどおりでした.さあ来週にでも振り込んでこようと思います.

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