日本100名城スタンプラリー92
日本100名城 佐賀城(89番)
日本100名城シリーズまだ九州シリーズが続きます.今回のテーマは佐賀城です.
佐賀城があるのは佐賀県佐賀市,私のような東日本の人間にとっては,なんとなく地味なイメージの場所です.東隣りに九州最大の人口を持つ福岡県が,西隣りに観光地として知られ,歴史や演歌にも非常によく取り上げられる長崎県があり,そのメジャー2県に挟まれているというところに原因の一つがあると思われます.さらに私の世代にとって佐賀県のイメージを下げているもう一つの要因が昭和58年に放送されていた朝ドラ「おしん」です.東北の山形県の庄内地方(日本海側)出身のおしんが大人になり結婚,その相手の実家が佐賀だったんですが,劇中佐賀でおしんが姑に苛められる場面が出てきたからです.別に姑が意地悪な理由と佐賀とは直接関係ない(別に東京でも大阪でも構わない)はずなんですが,このことで当時全国的に佐賀のイメージが悪くなり,佐賀の人たちからNHKに抗議の電話がたくさんあったというウワサです.
ただ,歴史的にみると肥前佐賀は賢君鍋島閑叟を擁して幕末維新期には薩長土肥の一角を占めているなど結構重要な場所だったりします.また佐賀牛や玄界灘の魚介類など食材も豊富で,有田焼や唐津焼などの焼き物も有名です.
もっとも江戸時代には今の佐賀県の地域は北部の唐津藩と南部の佐賀藩に分かれていましたから,佐賀城は今で言う佐賀県南部の中心地となります.
佐賀城を築いたのは,戦国時代にこの地域に勢力をのばしていた龍造寺氏で,当時は村中城と呼んでいました.のちに龍造寺家の実権は重臣の鍋島氏に移り,江戸時代に入って慶長十二年(1607年)に龍造寺氏が断絶し,鍋島氏が正式に佐賀藩主になってから本格的な改築が行われました.
佐賀城は典型的な平城で,周囲をほぼ正方形の広い濠で囲まれていました.本丸には五層の天守が置かれ,その威容を誇っていましたが,江戸時代中期の享保年間に火災により焼失,以後再建されることはありませんでした.
明治後廃城となりましたが,明治七年(1874年)の佐賀の乱ではここが戦場となり,多くの建物が焼失してしまいました.現在は佐賀城公園となり,鯱の門と続櫓それに石垣の一部が現存している他,本丸御殿が再建され佐賀城本丸歴史館となっています.
佐賀城へのアクセス: JR佐賀駅バスセンターからバス(6)佐賀城跡線または(25)広江・和崎線,佐賀空港線,どちらも10分前者は佐賀城跡バス停,後者は博物館前バス停下車です.駅から徒歩の場合30分ほどかあります.
スタンプの設置場所 本丸御殿の受付にあります
登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) よく整備された公園です
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