« 2011年5月 | トップページ | 2011年7月 »

2011年6月28日 (火)

紫陽花

 梅雨時ですが,今日は昼前から夏空が広がっていました(暑さと湿気がたまりません).

Ajisai_004(写真1) アジサイの花

 さて,梅雨時に似合う植物といえば,なんといってもアジサイ(紫陽花)です.元々は日本古来のもので,その土壌の成分によって青い花を付けたり赤い花になったりとリトマス試験紙みたいな味わいがある花です.近代に入ってヨーロッパに紹介されて品種改良されたのがセイヨウアジサイで,今一般にみられるのはこちらが多いようです.

Ajisai_007(写真2) こうして群生している姿が素敵です.

 当地近くを走る箱根登山鉄道は沿線に10000株ものアジサイが植えられていることから,梅雨時には車窓からそれを眺める楽しみがあります.特に夜間にライトアップされたアジサイのスポットを走る特別列車「夜のあじさい号」はなかなか切符が取れないほどの人気列車です.

200906221927001(写真3) 昨年乗った夜のあじさい号


 が,今年は震災とその後の節電の影響から夜間のアジサイのライトアップが中止になってしまい,夜のあじさい号の運行されていません(あじさいそのものはもちろん咲いています).楽しみにしていた人も多いのでとても残念です.

 登山電車の沿線はともかく,私の勤務地にもたくさんの紫陽花が咲いています.梅雨時を代表する植物アジサイですが,もう一つ梅雨を代表する動物がいます.そう,カタツムリですね.

 というわけで,梅雨時を代表する動植物のコラボが実現しました(笑).

2a1c このままではよくわからないので拡大します.

Fb92 なんか絵になるなぁ~ と一人感心しています(雨が降った日のショットです).


| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年6月27日 (月)

好きな冷たい麺は?

ブログネタ: 冷たい麺類、好きなのはどれ?参加数

 

 今日はココログのブログネタに挑戦してみます.テーマは”冷たい麺類、好きなのはどれ?”です.私の場合,好きな冷たい麺といえば”冷麺”に決まっているんですが,困ったことに今回の選択肢には冷麺がありませんでした(あったのは①そうめん・冷麦,②冷やしそば,③冷やしうどん,④冷やし中華,⑤冷製パスタ).

 最近ではそうでもありませんが,盛岡以外の土地に行くと「冷麺=冷やし中華」だと思っている人が多くいました.昭和50年代に市販されていたハウスの即席麺に冷麺という名の商品があったんですが,実はこれ見事にそのまんま冷やし中華だったほどです.

 平成に入ってからは冷麺も盛岡冷麺の名前でメジャーになり,最近では他の街でも見かけるようになりましたが,それでも盛岡で食べる冷麺が一番美味しいと感じます.ちなみに冷麺は盛岡の焼肉屋さんでは標準装備のメニューですが,必ずしも焼肉の締めに食べるわけではなく,冷麺を単品で食べるケースも一般的です(そのためか盛岡では一人で焼肉屋さんに入るのに違和感がありません).

 冷麺は主にジャガイモのでんぷんを主原料とした押し出しの麺(歯ごたえが強力でゴムみたいと表現される)に牛肉の冷たいスープをかけ,さらにはキムチ・肉・茹で卵等を盛り付けたものです.一般にはスイカやナシといったフルーツが載りますが,盛岡冷麺の元祖食道園の冷麺はフルーツが付きません.

Morioka_010Reimen(写真) 左は盛岡駅前の盛楼閣の冷麺,右は老舗の食道園の冷麺です.

 こんな記事を書いていたら,冷麺が食べたくなりました.最近はネット通販でも冷麺が購入できるので便利ですが,やっぱりお店に食べに行きたいなと思ったのでした(10日くらい前に食べたばかりなのに 笑).


| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年6月25日 (土)

日本100名城スタンプラリー89

日本100名城 平戸城(90番)

 今日6月25日は六本木で総司忌が行われていたと思うんですが,私は当直のため行けませんでした.それはともかく,約1ヶ月ぶりの100名城ネタです.

 長崎県は戦国時代以来日本と外国を結ぶ玄関口の役割を果たしてきました.なかでも長崎県の西端に位置する平戸は戦国時代末期の1550年(天文十九年)にポルトガル船の来航を皮切りにスペイン,オランダ,イギリスの貿易船が次々に来航して,当時の日本における国際貿易港として賑わいました.日本に初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルもこの地を訪れています.

Kyushuenseineo_117 (写真1) 平戸城の石垣

 そんな港町だった平戸はまた,水軍で知られる松浦氏の本拠地でもありました.戦国時代から安土桃山時代に入ると,この地も豊臣秀吉による全国統一の中に組み込まれていきます.松浦氏の一派,下松浦党の松浦鎮信は秀吉の九州遠征に参加したことから当地の所領を安堵されました.そして秀吉没直後の1599年(慶長四年)に初めてこの地に城郭を築いたのです.これが最初の平戸城です.松浦氏のような水軍が城郭に定住するようになったということは,時代が戦国から太平の世に移ったことを示す重要な出来事でした.城は平戸島の北部,九州本土に面した岬の丘陵に築かれました.

Kyushuenseineo_122 (写真2) 現存する狸櫓,元々は多門蔵といったそうです

 しかし,この最初の平戸城は慶長十八年(1613年)に松浦鎮信自身の手で破却されてしまいます.時は大坂の陣の直前,松浦氏が豊臣家と親交が深かったために家康から疑いをかけられ,それを払拭するための政治的配慮といわれていますが,実際のところは不明です.

Kyushuenseineo_127 (写真3) 同じく現存する北虎口門

 ともかく,松浦氏は大坂の陣後も所領を安堵され,以後幕末に至るまで松浦氏の平戸藩として存続しました.ただ,城は破却されているため平戸港をはさんで反対側の高台に御館が建てられ藩庁が置かれました.その後18世紀の初頭,元禄年間に至って幕府の許可が下り元の場所に城郭が再建されました.これが今に残る平戸城です.築城に当たっては軍学者山鹿素行の思想が強く反映されたものとなっています.天守は置かれず,二ノ丸にあった乾櫓が代用されました.

Kyushuenseineo_130 (写真4) 本丸には天守がありますが,本来は存在しなかったものです

 平戸城は明治維新後は全国各地の他の城郭と同様廃城となり,現存する狸櫓北虎口門を除く全ての建築物は破却されました.

 昭和30年代から整備が行われ,各種櫓のほか本来はなかったはずの天守も造られています(模擬天守).

Kyushuenseineo_141Kyushuenseineo_138 (左写真5) 再建された懐柔櫓,(右同6) 同じく再建の見奏櫓

 平戸城へのアクセス: JR佐世保駅から西肥バス平戸行きで1時間半,平戸市役所下車徒歩数分(時刻表),または松浦西九州鉄道たびら平戸口駅からも西肥バスで行けるようです(ただし本数が少ない).

スタンプの設置場所 天守の受付にあります

登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) よく整備された公園です

90hiradojo 登城日 2010年5月22日

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月22日 (水)

2011年夏至考察

 今日6月22日は2011年の夏至でした.夏至とはいうまでもなく,一年で最も昼が長い日(北半球だと太陽の南中高度が高い日)ということになります.要するにこの日を境にしてあとは日が短くなる一方なわけで,まだ真夏はこれからなのに… と複雑な気分にもなります.

 日本では夏至の季節は梅雨時でもあるため,一般に天気が悪いことが多いんですが,今年の夏至は朝から晴天で太陽が燦燦と輝いていました.夕方からちょっと出かけたんですが,午後7時くらいでも結構明るかったです.

 夏至は昼が長くて当時は夜が長い,まさにその通りではありますが,日本は緯度的に北緯30~40度の中緯度帯に位置しているので,東京あたりでは夏至の昼は14時間半,冬至の昼は9時間半程度とその差は5時間くらいです.夏至と冬至の昼夜のアンバランスは緯度が高くなるほど激しく,低くなるほど少なくなりますから,日本よりも緯度が高いヨーロッパではより露骨になります.この時期にフランスのパリ辺りに行くとサマータイムの採用もあいまって(サマータイムを採用すると南中時間が遅くなるため日の入り時刻がいっそう遅くなる),午後9時でもまだ明るい状態で感激します.そして更に緯度が高くなって,66.6度を越えるとついには夏至の季節には一日中太陽が沈まない白夜の状態になります(英語では white night とは言わず,midnight sun と呼ぶ).

 ひと口に白夜と言っても北緯70度付近の白夜は真夜中には夕方のように薄暗くなりますが,より北の北緯80度付近まで行くと一日中景色が変わらないスーパー白夜になります.

10ji06 (左) 北緯80度の夏至頃の真夜中(2003年訪問 スピッツベルゲン島ロングイヤービーエン),(右) 北緯70度の夏至頃の真夜中(1999年訪問 ノルウェー・ノールカップ) ともに方角は真北です.

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月21日 (火)

盛岡に行って来ました

 この週末盛岡に行って来ました.

 土曜日は仕事関係の会議が,日曜日には所属している合唱団のコンサートがあったためです.土曜日の会合は私のように遠隔地に勤務している人間にとっては欠席するわけには行かないイベントでした.

Scan10048  で,今日の本題は日曜日のコンサートの方です.これは東日本大震災の復興支援のためのチャリティーコンサートとして行われました.曲目は,コンサートの副題が~東日本大震災の犠牲者に捧ぐ~となっていることから,

 1.大中寅二 交声曲「主よわれをあわれみたまえ」から

 2.J. S. バッハ モテット2番 BWV 226 「御霊は我らの弱きを助けたもう」

 3.W. A. モーツァルト レクイエム二短調 K.626    

 でした.実はこの中の2.と3.は本来今年の5月にドイツ演奏旅行で歌うことを目標に準備していたものです.特にモーツァルトのレクイエムは自分が学生合唱団にいたころに歌った作品で,以来二十云年ぶりということで感慨もひとしおだたのですが,今回震災をうけてのチャリティーコンサートの演目となり複雑な気持ちになりました.

 当日は午前中に本番に向けてのゲネプロが行われ,開演は午後3時でした.会場の盛岡市都南文化会館キャラホールはほぼ満員のお客さんでした.最初の大中寅二さんの作品は日本語によるミサ曲ともいうべき作品です.ここの合唱団は普段ラテン語やドイツ語の作品を取り上げる機会が多いのですが,母国語である日本語の歌ならではの難しさを感じました.次のバッハのモテットは一転してドイツ語の非常に子音の多い曲で,特に前半部はテンポも速く難しい曲です.私自身はコンサートで歌うのは初めてでした(おしまいのコラール部分は学生時代にちょっとやったことがありましたが).

 そして第Ⅱ部,今回のメイン曲がモーツァルトのレクイエムです.大作曲家モーツァルトの最後の作品として,また彼の死によって未完成のまま残された曲として様々な伝説とともに有名な作品です.学生合唱団時代には純粋に音楽作品としての興味が主体だった曲ですが,自分も不惑を過ぎる年代となり(生涯青春がモットーではありますが 笑),当時とは違った面から作品を見ることができるようになり,月日の流れを感じました.

 コンサートは午後5時ごろに終了,その後レセプションに少し顔を出して,東京行き最終の新幹線で帰宅となりました.

 こうしてビザンチン皇帝にとって6月最大のヤマとなる週末が終了しました.

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年6月15日 (水)

置き字その2

 だいぶ昔,置き字の話題を書きました.

 置き字というのは漢文を訓読する際に読む必要がなくて余ってしまう字のことです.

 例 「朝聞道夕死可矣」 訓読 「朝ニ道ヲ聞カバ、夕ベニ死ストモ可ナリ」.この場合最後のが置き字ということになります.もちろん訓読の際には読む必要がないだけで,無意味な文字というわけではありません.

 漢文以外にも置き字がないのかということで以前取り上げたのが仙台市北部にある七北田という地名です.これでなんと読むかというと,実はななきたです.ななきただではありません.「ななきた」なら,七北すなわち最初の二文字で完成しています.最後の田は読む必要のない置き字ということになります(笑).  

 こういうパターンのが他にもないかと探していたんですが,ついに見つけてしまいました(爆).

Hakosoba_007 (写真1) 小田原駅の箱根そば,節電のため看板の電気が消されています.

 小田急沿線の駅にある立ち食いそば屋があります.その名も箱根そば,まあ小田急の華ロマンスカーの終点が箱根湯本ですから納得できるネーミングです.で,これ「はこねそば」なんだと思っていました….

Hakosoba_006 (写真2) お店そばにある看板

 だがしか~し,ふと看板の下のアルファベット表記を見たら…

Hakosoba_005

 なんとHAKOSOBAだそうです.ハコネソバじゃなくってハコソバとは,つまり箱根の根の字は読む必要がない置き字ということになります.しかも今回は文末ではなく,途中に挟まれた置き字ということになります(笑).これはスゴイ!

 と思ってたんですが,調べたら名称は「ハコネソバ」で,愛称が「ハコソバ」なんだそうです.紛らわしいことするな小田急(笑).

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年6月12日 (日)

第20回日本トンデモ本大賞

 まだまだ妙に忙しい日常が続いているビザンチン皇帝です.

 この週末は珍しく当直や出張などがまったくありません.というわけで,11日の土曜日午後はオタクの祭典(笑),第20回日本トンデモ本大賞に参加してきました.会場は銀座ブロッサム,普段は結婚式なんかに使われる場所だそうですが,この日はトンデモ物件好きなオタク一色になっていました(笑).

20110612150223

 トンデモ本というのは,「著者が意図したものとは異なる視点から読んで楽しめる本」のことです.ですから最初から読者を笑わせようという意図で書かれた本などは該当しません(天才バカボンなんかは,とんでもない内容で大笑いしてしまいますが,この理由からトンデモ本とはいわないようです).つまり,著者は大真面目に主張している内容が,科学的間違いや著者自身の無知などからとんでもない方向に行っているのに,著者自身が気付いていないような本ということになります.世の中に出回っているそんな本(または物件)を集めて,その年で最もトンデモない作品を選ぶというのが,この日本トンデモ本大賞です.

 今年は記念すべき20回目(ひのパレよりも歴史があるぞ)ということで,歴代の大賞受賞作の中から最優秀トンデモを選ぼうというのが今年の趣旨でした.言ってみればNHKのど自慢のチャンピオン大会のようなものでしょうか(笑).歴代の大賞受賞作品がズラリと紹介される様子はまさに壮観でありました.

 関係ないんですが,発表イベントの休憩時間と言うとイコールトイレタイム,一般にコンサートなどの男女比が1対1に近いイベントだと,休憩時間には男子トイレはまずまずで女子トイレは長蛇の列という光景が見られます.しかし,この日の休憩時間では女子トイレはスカスカで男子トイレが長蛇の列になっていました.最近は女子人口が増えたとはいえ,オタクの世界はやっぱり男中心だなと思いました.

 大会ではそのほかに,ゲストを招いてのプレゼンなんかもありましたが,感激だったのは,あのUFOスペシャルで有名な矢追純一氏(通称ミステル・ヤオイ)が来たことです.これまでと学会からはあれやこれやとネタにされていたのにやって来た精神って,心が広いのかそれとも鈍いのか… まあ,素晴らしいゲストではありました.

 会場ではそのほか,宇宙人の解剖くじなんてのもやっていました.自分も挑戦しましたが,なんと!UFOが当たりました(笑).

Ufo_002  これはうつろ舟といって,江戸時代後期の19世紀初頭に今の茨城県の海岸に流れ着いたとされる円形をした小舟(?)のことです.中には異国の女が乗っていたとのことで,南総里見八犬伝の作者,滝沢馬琴が紹介したものです.景品はそれをモチーフにした風鈴なのでした.電力不足が予想される今年の夏,涼をとるには風鈴が有効かもしれません.

 で,トンデモ本大賞の後は六本木の芋侍というお店に繰り出して宴会でした.さすがは強烈な面々が集まっただけあって濃厚な飲み会になったのでした.

| | コメント (12) | トラックバック (0)

2011年6月 7日 (火)

アップルの陰謀

 みなさんこんばんは,ビザンチン皇帝です.気が付いたらもう6月,実に2週間ぶりの更新となりました.別にどこか具合が悪かったというわけではなく,先月下旬から何かに取りつかれたかのように忙しくなって,更新するガッツがなかったのが実情です(笑).

 前置きはともかく,本日の話題です.ウチのMacユーザーの同僚が iPad を入手しました.で,さっそく iTunes と同期しようとしたら,なんとOSのバージョンが古くてダメだったとのことでした.

 iPadと同期させるにはMac OS X バージョン10.5以上じゃないとダメなんだそうです.ちなみにこのバージョンが発売されたのは2007年秋なので4年前に購入したまんまのOSは使えないということになります.ちなみにWindows だと XPサービスパック2という,2004年秋のバージョンで十分なんです.

 他社製品の場合は7年前で大丈夫なのに,自社のOSは4年前でダメとは,

「自社ユーザーに冷たすぎるんじゃないかアップル!」

と思ったんですが,考えてみたらMacユーザーというのは,2000年前後のMac大丈夫か?という時代からずっとMacを使い続けてきた確信的な人たちであり,少々の不満はあっても簡単には裏切りそうにない層です.一方でWindowsユーザーというのは,別にマイクロソフトが好きなわけではなく,よくわからないままPCを買ったらたまたまOSがWindowsだったという人が大半です.こういう人たちはいわゆる無党派層と同じで,風向きで流れが変わる可能性がある層です.思うにWindowsユーザーには優しい顔を見せて,一人でも多くの新規顧客を獲得する一方で,確信的な自社ユーザーに対しては厳しくしても,決して裏切ることはないだろうというアップルのしたたかな計算がはたらいているような気がしてなりません.

 件の同僚ですが,結局1万数千円を払って新しいOSにバージョンアップしていました.まさにアップルの思惑通りの展開です(自分だったら怒り狂って,安いネットブックに乗り換えそうな気がする).

| | コメント (4) | トラックバック (0)

« 2011年5月 | トップページ | 2011年7月 »