日本100名城スタンプラリー89
日本100名城 平戸城(90番)
今日6月25日は六本木で総司忌が行われていたと思うんですが,私は当直のため行けませんでした.それはともかく,約1ヶ月ぶりの100名城ネタです.
長崎県は戦国時代以来日本と外国を結ぶ玄関口の役割を果たしてきました.なかでも長崎県の西端に位置する平戸は戦国時代末期の1550年(天文十九年)にポルトガル船の来航を皮切りにスペイン,オランダ,イギリスの貿易船が次々に来航して,当時の日本における国際貿易港として賑わいました.日本に初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルもこの地を訪れています.
そんな港町だった平戸はまた,水軍で知られる松浦氏の本拠地でもありました.戦国時代から安土桃山時代に入ると,この地も豊臣秀吉による全国統一の中に組み込まれていきます.松浦氏の一派,下松浦党の松浦鎮信は秀吉の九州遠征に参加したことから当地の所領を安堵されました.そして秀吉没直後の1599年(慶長四年)に初めてこの地に城郭を築いたのです.これが最初の平戸城です.松浦氏のような水軍が城郭に定住するようになったということは,時代が戦国から太平の世に移ったことを示す重要な出来事でした.城は平戸島の北部,九州本土に面した岬の丘陵に築かれました.
しかし,この最初の平戸城は慶長十八年(1613年)に松浦鎮信自身の手で破却されてしまいます.時は大坂の陣の直前,松浦氏が豊臣家と親交が深かったために家康から疑いをかけられ,それを払拭するための政治的配慮といわれていますが,実際のところは不明です.
ともかく,松浦氏は大坂の陣後も所領を安堵され,以後幕末に至るまで松浦氏の平戸藩として存続しました.ただ,城は破却されているため平戸港をはさんで反対側の高台に御館が建てられ藩庁が置かれました.その後18世紀の初頭,元禄年間に至って幕府の許可が下り元の場所に城郭が再建されました.これが今に残る平戸城です.築城に当たっては軍学者山鹿素行の思想が強く反映されたものとなっています.天守は置かれず,二ノ丸にあった乾櫓が代用されました.
(写真4) 本丸には天守がありますが,本来は存在しなかったものです
平戸城は明治維新後は全国各地の他の城郭と同様廃城となり,現存する狸櫓と北虎口門を除く全ての建築物は破却されました.
昭和30年代から整備が行われ,各種櫓のほか本来はなかったはずの天守も造られています(模擬天守).
(左写真5) 再建された懐柔櫓,(右同6) 同じく再建の見奏櫓
平戸城へのアクセス: JR佐世保駅から西肥バス平戸行きで1時間半,平戸市役所下車徒歩数分(時刻表),または松浦西九州鉄道たびら平戸口駅からも西肥バスで行けるようです(ただし本数が少ない).
スタンプの設置場所 天守の受付にあります
登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) よく整備された公園です
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