日本100名城スタンプラリー85
日本100名城 今帰仁城(98番)
100名城シリーズもいよいよ終盤,ここからは九州・沖縄シリーズになります.今回は沖縄本島の北部にある今帰仁城です.
沖縄の歴史において,琉球王国が成立する前の14世紀から15世紀にかけて,沖縄本島は3つの勢力が割拠する三山時代でした(北山,中山,南山).このうち,島北部に勢力を張っていた北山の拠点となったのが今帰仁城です.同年代の中国の王朝である明の史書である明実録のよると北山の王として怕尼芝(はにじ)・珉(みん)・攀安知(はんあんち)の3人の名前が出てきます.
北山ら三山はいずれも明と交易をおこなっていましたが,徐々に中山の勢力が強くなっていきます.そして1416年(室町幕府,四代将軍足利義持の時代)に北山は中山に滅ぼされてしまいました.ついで1429年には南山も滅亡,ここに沖縄は琉球王国のもとに統一され,これ以後今帰仁城は琉球王国の北方支配の拠点(監守)となりました.
しかし,1609年に関ヶ原の戦いで西軍についたものの所領を安堵された薩摩の島津軍が琉球に侵攻してきました.島津軍は沖縄本島に橋頭保を築くため,まずは北方の拠点である今帰仁城を攻撃してきました.鉄砲などの進んだ兵器を持つ薩摩軍の前に琉球側は敗北し,落城となってしまいました.その後1665年には最後の監守が首里城に引き上げたため廃城となり,以後は地元の人々の精神的な拠り所として,火神の祠などの宗教的な施設がおかれました.
2000年に世界遺産に登録されたのち整備が進み,現在では石垣等の復元が進んでいます.一番高いところに位置する主郭(本丸に該当)を中心に,数多くの郭が置かれその面積は約8万平方メートルにもおよびます(首里城とほぼ同規模).特に外郭に連なる美しい曲線を描いた城壁は,内地の城郭には見られない型です.
今帰仁城へのアクセス: 名護バスターミナルから66系統バスにて40分,今帰仁城跡入り口下車.その他定期観光バスもあるようです.
スタンプの設置場所 今帰仁グスク交流センターにあります
登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 整備された公園です.
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