日本100名城スタンプラリー84
日本100名城 明石城(58番)
3月11日以来このブログも震災関連の記事ばかりでしたので,今日は久しぶりの100名城ネタです.今回は兵庫県の明石城,近畿地方最後の城郭です.
山陽道の大阪と姫路の中間に位置し,海峡を挟んで対岸には淡路島,さらには四国の徳島と向かい合う明石は交通の要衝でした.戦国時代にこの地にあったのは船上城で,キリシタン大名の高山右近の築城と言われています.
関が原の戦い後,明石の地は池田輝政の姫路藩の一部となり,船上城も支城のひとつとなりました.しかし大阪の陣の後池田氏が鳥取に転封になると,この地に新たに明石藩が立てられ,譜代の小笠原忠真が藩主として赴任します.この際将軍徳川秀忠は明石が要衝の地であることから,西国の外様大名への押さえの城を築くことの必要性を考え,忠真に新たな城の建設を命じました.こうして元和四年(1618年)から築城が始まったのが明石城です.
(左写真3) 伏見城から移築したといわれる巽櫓,(右同4) 坤櫓
将軍秀忠の肝いりで始まったこの建設には,幕府からの財政援助や当時の姫路藩主本多忠政の協力もあり,工事は約2年で完了しています.建築資材には廃城となった近隣の城やさらには京都の伏見城のもものも利用されています.
(左写真5) 堀と高石垣,(右同6) 本丸の天守台
城郭は中央の本丸から西に稲荷曲輪,東には二の丸・三の丸・東の丸が連郭式に配され,周囲は堀(一部は池)がめぐらされた構造になっていました.平野部にある城ですが,本丸部分が小高い台地上にあるため,平山城に分類されているようです.本丸には天守台が造られましたが天守が置かれることはありませんでした.
明石藩は江戸時代前半を通じて藩主の交代が著しく(これは明石城に限らず,要衝の地に置かれた小藩はいずこもそうだったようです),なかなか藩政が安定しませんでしたが,天和二年(1682年)に親藩の松平直明が入ってからは,そのまま松平氏の下で幕末に至りました.
明治維新後廃城となり,一時皇室の御料地となったものの,大正年間に明石公園として開放され現在に至っています.遺構としては堀や石垣のほか,本丸の四隅に築かれていた4つの櫓のうち,巽櫓と坤櫓が現存しています.
明石城へのアクセス: JR明石駅から徒歩数分です
スタンプの設置場所 正面から入ってすぐ右手のサービスセンターにあります
登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 普通の都市公園です.
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コメント
ビザンチン皇帝さま、100名城毎回楽しみにさせて頂いております♪今年は新選組まつりは中止になりましたが、本来の趣旨とは異なりましたが5月5日から歳三忌の8日まで行事が連なります。リンク先よりご覧ください。
100名城番外として日野来訪の際には「滝山城」にもお越しください。東征軍に追われ、佐藤彦五郎とのぶ(歳三姉)が尾根伝いに滝山城まで逃げ、日の出町(大久野)羽生家に匿われました。 高幡城、百草城もどうぞ・・・。
投稿: munn | 2011年3月22日 (火) 06:33
munnさん
こんばんは,コメントありがとございます.
新選組まつりの中止は残念でしたが,私の方の連休の用事も中止になってしまったので,今年はゆっくりとした時間が過ごせそうです.栗塚氏の来訪が注意になっていないのなら,くらやみ祭り含めてぜひ行ってみたいと思います.
滝山城ですか,勉強して行ってみます.
投稿: ビザ皇帝 | 2011年3月22日 (火) 15:00