日本100名城スタンプラリー83
日本100名城 高取城(61番)
2011年に入って2回目の100名城記事です.今回のテーマは奈良県の高取城です.奈良県には他にも豊臣秀吉の弟秀長の居城だった大和郡山城なんかもあるんですが,日本100名城に指定されたのは高取城の方でした.
標高583メートルの山頂に築かれた典型的な山城で,城郭の総面積6万平方メートル,城内だけでも1万平方メートルにも達する広さを誇ります.岩村城・備中松山城と並び3大山城とも呼ばれています.
高取城の歴史は南北朝時代にさかのぼるといわれ,この地の豪族越智氏によって築かれたのが始まりとされています.以後越智氏の支配が長く続き,戦国時代末期に織田信長のい勢力下に入ります.信長没後は洞ヶ峠で有名な筒井順慶によって改修が行われ,その後この地に入った本多利休によって今に残る城郭が整備されました(天正年間 16世紀末).関ヶ原の戦いに際して利休の子俊政が東軍についたことから,戦後加増を受け江戸時代には高取藩の居城として幕藩体制に組み込まれました.江戸時代初期に本多氏は改易となり(跡継ぎがいなかったため)その後は植村氏が藩主となり幕末まで続きました.
明治維新後廃城となり建物は全て失われてしまいましたが,山奥にあったのが幸いし石垣などの遺構はそっくりそのまま保存されて現在に至っています.
往年の高取城は山頂にそびえる天守をはじめ,27の櫓と33の門を有する壮麗な城郭だったようです(明治初期の古写真からも当時の様子がしのべます).特に下界から本丸を目指すとたくさんの門をくぐっていかねばならず,攻める側にとってはまさに難攻不落の要塞でした(関ヶ原の戦いの前哨戦でも石田光成の軍に攻められながらも撃退に成功しています).
高取城へのアクセス: 近鉄壺阪山駅から徒歩1時間くらいです(タクシーなら七つ井戸まで連れて行ってくれます.ここから本丸までなら坂はきついですが5分ほどです)
スタンプの設置場所 麓の夢創館にあります
登城のハード指数(★★☆ ややハードです) 山城なので相当歩きますが,登山道は整備されています.
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