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2010年11月30日 (火)

どん兵衛

 学会が終了し長府を観光した翌日11月28日は日曜でした.まだ1日あるじゃないかと,当初は現在収集中の日本100名城スタンプラリーでまだ未訪問な大分の2城(岡城,大分府内城)や広島の福山城あたりを訪問しようかと思っていました.

 しか~し,先週の月曜日に私の琴線をおおいにくすぐる話題が発生しました.

 どん兵衛訴訟で和解

 日清食品の超有名カップうどんと同名のうどん屋チェーン店があるんだそうです.山口県の萩に本店があり,山口県を始め愛知・岐阜などに約20店舗ほどが展開されているそうです.これに対して日清側がブランドのただ乗りだとして今年の7月に訴訟を起こした裁判が,この日和解に至ったということでした.和解の条件として店名の変更が含まれています.

 こういうB級ネタが好きな私,この日さっそくどん兵衛のHP(日清ではなくうどん屋さんの方)を見たんですが,美味しそうなうどんが… ぜひ店名が変わる前に行ってみたいものだと思いました(その後火曜日の段階でHPは閲覧不能になってしまいました 泣).そこに今回の学会出張があったわけで,こりゃ行くしかないとなったわけです(笑).

 朝,下関駅から山陰本線の2両編成ディーゼルカーに乗り込みます.山陰本線は京都と下関を主に日本海側を通って結んでいる路線で,現在日本一長い鉄道路線です.元々それほど人口が多い地域を走っているわけではないので,電化・複線化された部分も少なくローカル色あふれる路線です.特に最西部に位置する益田駅から下関駅に至る部分は特急や急行列車が存在しません(つまり全て普通列車).

Donbe_108 (写真1) 山陰本線から見える日本海

 下関を出発した列車は市街地を走って行きます.この部分は3本の線路が並走していて,東に向かって左側から山陽本線上り,山陰本線,山陽本線下りです.しばらく走ると次の幡生駅に到着,厳密に言うとここが山陰本線の始まりです(下関-幡生間は山陽本線).幡生駅を過ぎると真ん中の山陰本線の線路が段々低くなっていきます.そうして山陽本線の上り線をくぐるようにして左に大きく曲がって分岐,その後は日本海を左手に見ながらひたすら走っていくのです.途中には瓦そばで有名な川棚温泉やなんと読むのか普通の人にはわからない特牛駅(これでこっといと読みます)があります.下関から萩までの直通列車はないため途中で乗り換えたりしながら,萩の中心駅である東萩に到着したのは約3時間後でした(100キロを3時間だから平均時速33キロということになる).

Donbe_122 (写真2) ここが話題のどん兵衛萩本店です

 めざすどん兵衛本店は東萩駅から徒歩数分の場所にあります.行ってみたらちょうど昼食時でそれなりに混んでいました(うどん屋訪問の前にまだ押していない新しい方の100名城スタンプ帳に萩城のスタンプを押しに行きました).もしかして店名が変わっていたらと恐れていましたが,まだどん兵衛のままだったので安心しました.ニュースではうどん店となっていましたが,見るとうどん・そば・丼となっています.どん兵衛のどんどんなのかもしれません.メニューもうどんが中心ですが,そばもちゃんとありました.しかも店内には「新そば打ち始めました」の文字が,そばも本格的なようです.

Donbe_120Donbe_121 (左写真3) 肉天うどんです.(右同4) 新そばの張り紙も

 この日はHPで美味しそうに見えたエビ天と牛肉のうどん(肉天うどん)を注文しました.待つこと数分でうどんが登場,ネギは西日本風の万能ねぎです.出汁も薄味で,甘く煮つけた牛肉との妙が素敵でした.

Donbe (写真5) カップうどんのどん兵衛とうどん店どん兵衛のロゴ,何となく似ています

萩には過去何回か来ていますが,この店の存在は知りませんでした.考えてみれば今回の事件がなければこの店の存在すら知らなかったわけで,世の中どこでどう変わるかわからないものです.ちなみに店内には今回の訴訟でお客様にご心配をおかけして申し訳ありませんという趣旨の張り紙がありましたが,具体的にいつ店名変更するのかには触れていませんでした.

 うどんを食べたらこの日はもう萩に用はありません(滞在時間1時間半 爆).今度は駅前からバスに乗って新山口駅に向かいます(元来た路線を引き返すとはてしなく時間がかかるので).新山口駅は昔は小郡駅と言ったんですが,合併によって今の名前になったようです.ここから新幹線で小倉へ,約80キロですが20分かかりません.さすが新幹線と感心しているうちに到着しました.小倉から在来線で日豊線の朽網駅へ,ここから今度はバスで北九州空港に向かいました.

 北九州空港といえば,あのお方がいるハズです.期待しながら中に入ると…

 いた~!

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 北九州空港名物(?)のメーテルです.しっかりとインフォーメーションセンターの受付に立っていました(鉄郎で来れば良かったと後悔 笑).松本零士氏は生まれは久留米ですが,少年時代を小倉で過ごしており,ゆかりの人物なのでした.

 こうして空路帰宅となりましたとさ.

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2010年11月29日 (月)

学会でした

 この週末学会で九州は博多に繰り出しました.会議は26日,27日の二日間でしたが,せっかく九州まで行くのに学会だけでそのまま帰ってくるなんていう言葉は私の辞書にはありません(笑).まずは九州から海を隔てた下関は長府へ.龍馬イヤーの今年,ここも坂本龍馬ゆかりの地ということで,いたるところ龍馬龍馬龍馬でした(笑).

Donbe_101Donbe_100(写真1&2) 下関駅名物の床屋さん「ゑき」は健在でした

 まずは長府の博物館へ.ここも坂本龍馬の特別展(龍馬の遺書や愛用の飯椀などが展示)が開催されていたんですが,私が何よりみたかったのは元治元年の馬関戦争時に下関から持ち去られてフランスに渡りその後里帰りを果たした大砲でした.実は以前パリのアンヴァリッドでそのうちの一門を見ていたので,こちらのものもぜひ見たいと思っていたからです.

Paris20 (写真3) パリのアンヴァリッドの大砲,右から2本目が長州の大砲です.

 展示されていた大砲は天保十五年製の青銅砲で,パリのものより小型の印象でした.このサイズで実際に沿岸から航行中の船舶を砲撃できたのかはなはだ疑問で,もしかすると擬砲だったのではというウワサもあるそうです(馬関戦争時,長州藩の主力は禁門の変で京都に出払っていたため,兵や大砲がかなり不足していたようです).なお撮影禁止だったので写真はありません(笑).

Donbe_074 (写真4) 紅葉が見ごろです

 博物館の後は近くの功山寺へ.ここは元治元年12月に高杉晋作が藩内クーデターを決起した場所です.ちょうど紅葉が見ごろで多くの観光客が来ていました.寺の境内には有名な高杉晋作の像が立っています.高幡不動の土方歳三像、桂浜の坂本龍馬像と並んで幕末三大像などと呼んでいる人もいます.

Donbe_076 (写真5) 学会ついでなのが見え見えです

 お寺の一番奥には前年の8・18の政変で京都を追われたいわゆる七卿のうちの5人が潜伏していた部屋もありました.最初七卿潜居の間と書かれた部屋に入ったら6畳くらいの小さな部屋で,三条実美以下の公卿がこの部屋に雑魚寝していたのか(!)と思いましたが,よく見たらその奥にもっと大きな部屋がありました(爆).記録によると決起当日高杉はここで七卿たちに「是よりは長州男児の腕前お目に懸け申すべく」と挨拶したそうです.

Donbe_091 (写真6) 攘夷です(笑)

 その後は壇ノ浦にある砲台へ,ここには馬関戦争時に長州藩が設置した大砲のレプリカが並んでいます(古写真と同様5門並んでいました).目の前には関門海峡,そしてちょっと先はもう九州です.この狭い海峡を通る外国船,本当に至近距離だなあと思ったのでした.ちなみに100円入れると音と煙が出るというのでやってみましたが,轟音がするのかとビビっていましたが音は小さく(ドカーンではなくボボーンという感じ 笑),煙もチョロチョロでした.

 というわけで学会の二日目(11月27日)の最後はこんな感じでした.明日もまた続きます.

 で,10月4日から2カ月にわたってやってきました.ネクタイ企画,この週末でついに完結しました.まずは学会前日11月25日のネクタイです.

Donbe_003  私にしては珍しいピンクの一本です.シャツも同じピンク系にしてみました.これは比較的最近入手したものです.

 そしてついにオーラスの一品は… 

 黒系の地に玉虫色の模様がはいった物です.なかなか渋い光沢が気に入っているのでした.このラストが37本目,以上私の所有する全ネクタイ(たぶん 笑)でした.

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2010年11月24日 (水)

アクセスカウンター

 海の向こうできな臭い事件が発生した勤労感謝の日が終わるともう11月末です.来週からはいよいよ12月になるわけです.

 さて,このブログを立ち上げて4年4カ月になりますが,当初から設置してたアクセスカウンター,気が付いたら199000を超えています.記念すべき200000まであと1000弱,今のペースなら1週間かからないところです.

Himo_005 (写真) 今日お昼の段階で199096でした.

 記念すべき200000番を踏んだ方,名乗りを上げていただけると嬉しいです.ちなみに100000番は2009年3月13日に達成されました.ブログの立ち上げから10万まで2年9カ月でしたが,10万から20万になるのには1年8カ月とペースが上がっています.これも来て下さる皆さんのご愛顧のたまものです.

 今後ともよろしくお願いします.

 さて休み明けのネクタイです.本日の一品は珍しいオレンジ色のものです.これも普段は締める機会が少ないものでした.

Himo_002 通算35本目になりました.

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2010年11月23日 (火)

日本100名城スタンプラリー79

日本100名城 篠山城(57番)

 100名城シリーズの関西編,まだまだ続きます.本日のテーマは兵庫県にある篠山城です.「篠山」城,まずはこれが読めるでしょうか.有名な写真家の姓と同じ字ですが,じつこれで「ささやま」と読みます.所在地は兵庫県内陸部にある篠山市,JR福知山線の沿線です.

Hyougo1_092 (写真1) 篠山城跡の入り口

 築城されたのは慶長十四年(1609年)ですから関ヶ原の戦いの後ということになります.100名城の中では歴史の新しい城といってもよいでしょう.築城者は松平康重ですが,築城を命令したのは徳川家康でした.ここ篠山の地は京都や大阪から山陰・山陽に向かう街道を抑える地点として重要な位置にありました.当時の家康にとって最大の関心事は大阪城にあった豊臣家の動向でしたから,将来的に大坂方との戦になった場合に西の抑えの城と考えていたわけです.城の縄張りをしたのは築城の名手藤堂高虎で,これに加藤清正,福島正則,浅野幸長ら西国にある豊臣恩顧の多くの大名を中心に20の大名が工事に参加しました(家康の狙いはもちろんこうした豊臣系大名の経済力を削ることにもあります).これだけの大名が参加した工事なので城はわずか半年で完成しています.

Hyougo1_096 (写真2) 往年の篠山城

 完成後築城主の松平康重が入りましたが,転封となり代わって元和五年(1619年)に松平信吉が,さらに慶安二年(1649年)に松平康信が入りました.その後寛延元年(1748年)に青山忠朝が入り以後幕末に至るまで青山氏の居城となったのです.

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(左写真3) 復元された大書院,(右同4) 天守台

 篠山城は城郭としての規模はそれほどではありませんが,洗練された高石垣や堀,よく遺されている馬出などの遺構から往時をしのぶことができます.城郭の中央には大きな天守台がありますが,実際にここに天守が造られたことはなかったそうです.またこの城を代表する建造物が大書院で,その規模は京都の二条城の御殿にも引けを取りません.昭和19年に失火で焼失してしまいましたが2000年に復元されてかつての威容を取り戻しています.

Hyougo1_138 Hyougo1_141(左写真5) 石垣の石には普請に参加した大名の名前も,これは池田輝政を意味する三左之内の文字,(右同6) 立派な石垣

篠山城へのアクセス: JR篠山口駅西口2番バス停からバスで20分ほど,二階町下車後徒歩10分程度(時刻表

スタンプの設置場所 大書院受付にあります

登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 普通の都市公園感覚で大丈夫です.

57sasayama 登城日 2010年1月2日

 

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2010年11月22日 (月)

群馬寮歌祭最終回

 またまた週末が終わりました.今週は土曜日に渋谷のオーチャードホールでオペラ鑑賞,昨日日曜日は群馬県前橋市で開催された群馬寮歌祭に参加してきました.私の深層心理には寮歌が潜んでいるので,それを発散させるためです(笑).

Ryoka_010 (写真1) 旧制高校を現役で過ごした方々,最年少でも80歳近くになります.

 全国各地で寮歌祭が開催されていますが,何しろ現役で旧制高校を体験した人々も高齢化が進んでおり,年々開催自体が難しくなっています.先月東京で行われた日本寮歌祭に続き,この群馬寮歌祭も今年が最終回となるんだそうです.エリート主義と批判されることもある旧制高校ですが,その理念に共感する自分としてはやっぱり寂しいなとも思うのでした.

Ryoka_025 (写真2) 札幌にあった北大予科の徽章,気のせいかサッポロビールを思い出します

 さて,そんな週末から今日にかけてのネクタイです.

 まずは11月20日,オペラ劇場での一品です.

Ryoka_005  黄色系の作品です.いつ入手したものか全く覚えていませんが,10年くらいはたっているんじゃないかと思います.

 ついで今日11月22日のネクタイです.うす緑系の無難な柄です.無難すぎて面白みがないためかあまり着用機会がありません(泣).このネクタイで通算34本目になりました.

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2010年11月19日 (金)

ボジョレ・ヌーヴォー

 今年もボジョレ・ヌーヴォーの季節がやってきました.ボジョレは地名,ヌーヴォーはフランス語で新しいという意味です.日本語に訳すとボジョレ地方の新酒ということになるでしょうか.

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 ワインの原料はブドウですから,ワインの質を左右するのもまたブドウということになります.有名なワインの産地というのはすなわち良いブドウが採れる所でもあります.ただ,ブドウも農産物ですからその年の天候によって出来の良し悪しはあります.よくワインで,~の○△年物なんていいますが,同じ銘柄であっても年によって良し悪しがあるわけです.なので,その年のブドウの出来がどうなのかはワイン業者にとっては重大な関心事であるわけです.

 ボジョレ・ヌーヴォーはボジョレ地方でその年に採れたブドウを使って作った新酒ワインのことです.収穫からワインの完成まであまり猶予がありませんから,じっくり熟成なんてできるはずもなく,急速醸造された製品です.簡単に言えば浅漬けのワインということになるんでしょうか(漬物に例えると吉野家に置いてある,あのお新香ですな 笑).

 本来はその年のブドウの出来を見るための試飲用のワインということになります.なので本当は一般向けというよりも業者向けともいえます.ただ日本人には昔から初物好きの風習があるので(女房を質に入れても初鰹を食えといわれるくらい),こういった新しいものに目のない人がいるのでしょう.実際にボジョレ・ヌーヴォーの消費量,フランスに次いで第2位が日本なんだそうです.

 ちなみに私はと言うと… 土用に鰻を食べるのと同じ感覚で飲んでいるのでした(笑).

Nekuta_022  さて恒例のネクタイです.まずは昨日11月18日の一品は私にしては珍しいピンク系です.

Nekuta_016  とはいえ淡い色彩なので本来は春物なんですが,今回はネクタイラリーということで無理やり引っ張ってきた次第です.

 で,続いてが今日11月19日です.

Nekuta_017  これは恐らく私が所有する全ネクタイの中で一番安い一品と思われます.なぜなら,200円カプセルに入っていたものだからです(爆).ここまでで通算32本目になったわけです.

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2010年11月17日 (水)

宝くじが当たったら

 週末に盛岡に行ってたんですが,街を歩いていて見つけた看板です.

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 ここの売り場から1億円の当選が出たということのようでした.

 宝くじ,ものすごく低い確率でしょうが誰かが当たります.もし3億円が当たったらなんていう話をしている人も周囲にはいますが,一方で仮に3億当たったとして本当に幸せになれるのか疑問に思うこともあります.

 もちろん自分の周囲に,実際の当選者がいないのでウワサにすぎないのかもしれませんが,当選したことが知られるといろんな団体から寄付の依頼が殺到するとか,親戚からの借金のお願いが凄いとか,その他妬みや何やらで人間不信になってしまい精神を病んでしまった人もいるとかあまりいい話を聞きません.もちろん当選したことをナイショにできればいいんでしょうが,逆に自分だけの秘密にしておくと,どこかで漏れるんじゃないか、あの銀行員がチクルんじゃないかとか疑心暗鬼になりそうです.

 というわけで,もし仮に自分が3億円当たったらどうするか,考えてみました.まずは全てをインターナショナルな銀行に入れて,すぐに国外脱出,モーリシャスレユニオン(日本人があんまり行かないリゾート地)あたりの超高級ホテルに滞在して優雅に暮らすのがいいかなと思うのでした.一泊10万円のホテルに滞在して毎日10万円の食事をしても1日20万円なので2億円使うのに3年かかります.人のうわさもなんとかで,3年もたてばほとぼりが冷めているだろうと残金が2000万円くらいになったところで帰国しようかと思います(唯一の問題点は帰国した時に仕事があるのかということですが).

 究極のとらぬ狸の皮算用ですが,こんなことを想像すること自体が宝くじの楽しみなんでしょうね(本当に当たるのなら,100万円くらいの方が誰にも注目されないのでかえって幸せかもと思うのでした).

 さて,恒例のネクタイです.

101116_204152  11月16日は紺色の作品,胸元に白熊の絵がプリントされています.実はこれは2003年にスバールバル諸島に行った際,現地のショッピングモールで購入したものです.白熊の下には島の名前 Spitzbergen の文字が書かれています.

 続いて11月17日通算30本目のネクタイです.黄色系のネクタイは意外に合わせるのが難しくて,自分は黒やグレー系のシャツに組み合わせています.

Neku_002

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2010年11月16日 (火)

11月15日

 (注 この記事は11月15日中にアップする予定だったですが,同日夜に宴会があって終了後はそのまま爆睡してしまったため一日遅れの投稿になってしまいました).

 旧暦と新暦の日付を比較することについて議論はありますが,今日11月15日は坂本龍馬の命日です(慶応三年11月15日,ちなみにグレゴリオ暦なら1867年12月10日).今年の大河ドラマの主人公として知名度も抜群の人物です.徳川慶喜による政権の朝廷への返還,いわゆる大政奉還の実現に大きな役割を果たしたとも言われ,彼をモデルにした司馬遼太郎氏の小説「竜馬がゆく」によって国民的な有名人になりました.歴史好きの間では一緒に飲んでみたい歴史上有名人の第1位にも輝いているらしいです(お酒をいっしょに飲みたい歴史上の有名人).

 そんな彼はまた,誕生日と命日が同じ日という点も知られていて,暗殺された慶応三年11月15日はまた,彼の誕生日でもあったわけです(ただ当時は今の満年齢の概念はほとんどなかったので,この日龍馬は中岡慎太郎とお誕生会をやっていたわけではありませんし,彼自身にも「今日はワシの誕生日じゃ」というような感慨はなかったはずです).

Oumiya1_2 (写真) 龍馬&慎太郎殉難の地に建つ碑

 結局同日夜刺客に襲われて絶命しました.暗殺者については一般に京都見廻組の佐々木只三郎以下とされていますが,諸説があり本能寺の変の黒幕と並んで,現在でも日本史上の謎とされています(元々龍馬は倒幕派ではあっても武力討幕派ではないため,佐幕派側はもちろんのこと,当時武力討幕に舵を切っていた薩摩藩などからも狙われる可能性があったからです).

 龍馬が最後に食べようとしていた軍鶏,う~んこれからは鍋の季節だなと思ったのでした(軍鶏鍋が食いたい 笑).

Ryomaphoto (写真) そういえば昔,こんなことをして遊んでいたな

 さて,そんな11月15日週明けのネクタイです.

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 黒を基調として,シルバーのラインが入った一品です.通算28本目ということになります.このシリーズ,いったいどこまで続くんでしょうか(笑).

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2010年11月14日 (日)

盛岡に行って来ました

 本当は京都の坂本龍馬提灯行列に参加するハズだったこの週末,地元の盛岡に行って来ました.仕事関連の重要な会議があったからです.朝9時過ぎに家を出て在来線を乗り継いで東京駅へ(約1時間40分),そこからは東北新幹線はやて号に乗ります.東北新幹線最速のはやてだと東京-盛岡は2時間半の行程です(盛岡発着のやまびこだと3時間半,仙台発着の200番台のやまびこ利用だと… 想像したくありません 笑).そういえば,東北新幹線の新青森駅延伸に伴い,新型の車両が投入される予定だそうで,その車両の愛称がはやぶさなんだそうです.元々は東京-西鹿児島のブルートレインの愛称だったんですが,今回東北新幹線の愛称として採用されたわけです.はやぶさが運用開始された後もしばらくは従来型のはやても存続するらしいんですが,私のようなマニアにとって「はやぶさ」,「はやて」と聞くと昔の陸軍の戦闘機を想像してしまいます(一式戦闘機隼と四式戦闘機疾風).このうち隼(はやぶさ)は大戦前期の戦闘機で疾風(はやて)は後期のものです.スペックを見てもわかりますが,スピードは疾風の方が断然速いです.が,新幹線の方ははやぶさの方が速いという点が違和感を感じるのでした.

 一式戦闘機隼(二型)    最高速度 515km/h

 四式戦闘機疾風(一型甲) 最高速度 640km/h

101113_132450 (写真) はやてとこまちの連結部に群がる観光客

 それはともかく,盛岡駅に到着しホームに出ます.もっと寒いのかと思ってたんですがそれほどでもありませんでした.盛岡駅新幹線ホームといえば,はやてとこまちが分離・連結するところを見ようといつも観客が群がっています.この日もやっぱりそうでした.

 その後は市内に移動して定番の白龍のじゃじゃ麺へ.2時過ぎに行ったので空いているだろうと思ってたんですが行列ができていました(ほとんど観光客).白龍の店内ではいつもNHK総合テレビが流れているんですが,ちょうど土曜スタジオパークの時間でした.待っている間見てたんですが,この日のゲストの柳沢慎吾さんが大河ドラマ獅子の時代に出てたんだそうです.全然記憶にないんですが,なんと商家の丁稚役でした(気づかないわけだ 笑).

 白龍の後は近くの盛岡城跡公園を散策,紅葉の盛りという感じでした.

Koyo_003Koyo_006_2  散策の地仕事上の会合に出席,その後は宴会となったのでした.

 そんな週末のネクタイです.まずは11月12日の品です.

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 いつ購入したものか忘れてしまいましたが,こげ茶色系のものです.

 続いては昨日11月13日のネクタイ,通算で27本目です.シルバー系の一品でした.どちらかというと冬向けでしょうか.

Koyo_007

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2010年11月11日 (木)

ネクタイラリー24&25

 ここ数日晴れてはいるものの,風が強くて気温の低い日が続いています.職場のイチョウの木は連日臭いを発しています(笑).ちなみに今日11月11日はポッキーの日なんだそうです.

 仕事の方は昨日今日と順調でした.そんな2日間のネクタイです.通算24&25本目ということになります.

Nekuta_005  まずは昨日11月10日の一品です.これは1999年にノルウェーに行った際に購入したもので,グリーン地にトナカイの絵柄が描かれています.ノルウェー北部にアルタという街があるんですが,ここにある世界遺産の岩絵になんとなく似ています.

 次に本日11月11日の作品です.

Nekuta_006  ネクタイというと棒状のものがイメージされますが,蝶ネクタイも立派なネクタイです(笑).これは2006年にウィーンの国立歌劇場の売店で購入したものです.タキシードなんかに付ける蝶タイよりもやや大きめで,黒字に♪の絵柄が描かれています.

 公式イベントに付けるのは気がひけますが,日常業務やちょっとした外出にはぴったりなお気に入りの一品です(これで外来に出るとかなりウケます).

 さて明日はいよいよ週末,土曜日には仕事で盛岡入りなのでした.

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2010年11月 9日 (火)

強風

 今日は一日晴天でしたが,風の強い一日でした.ウチの職場のイチョウの木にたわわに生っていた銀杏の実が風にあおられてぼたぼたと落ちていました.

Pb090001  これが車に踏みつけられて凄~い臭いになるわけです(笑).見たら近所の人が一生懸命拾っていました.

 そんな1月8日のネクタイです.

Gaqzo_001_2  茶色系の一品です(いつ入手したものか忘れてしまいました).

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2010年11月 8日 (月)

一年の半分以上

 気が付けば11月,今年もあと2ヶ月を切っています.

 私が社会人になって何年になるのか忘れてしまいましたが,就職してからは1年の大半は仕事に出ています(すっかり慣れてしまったので今ではなんとも思いませんが).

 で,今朝ふと思い出したのが,今を去ること20年以上前の大学教養部での某文系科目教官のこの発言です.

 「まあ,大学というところは1年の半分以上が休みですから…」

 前後の文脈は忘れてしまいましたが,このフレーズだけはしっかりと覚えています.当時大学1年生だった自分にちょっとした衝撃を与えた発言でした(笑).半分以上休みというと凄いことのように感じ,実際に授業そっちのけで計算した記憶があります(笑).たしかに当時の授業の概要を見たら,講義は前期後期それぞれ13週ずつになっていましたから,それだけで授業のある週13×2=26週,つまり残り24週は休みになってしまいます.これに週末の休みを加えますから,たしかに軽く1年の半分以上が休みです.実際に計算したら年間休日数は約200日あまりでした.

 ついでに,大学の授業には講義と演習と実験・実習の種別があります.講義は普通の授業,演習は英語やドイツ語などの外国語科目,実験・実習はその通りです.で,一般に講義は週1コマ通年で4単位,演習は週1コマ通年2単位,同じく実験・実習は1単位です.なんか不公平な感じがしますが,一応これにも理由があって,講義の場合「1時間の講義に対して自習室等での3時間の準備を必要とする」とされているからです.要するに1時間の授業に対して3時間は予習復習しろというとなわけです.一方で外国語は「1時間の演習に対して1時間の準備」という建前になっているんだそうです.大学の(特に教養の)講義1時間に対して本当に3時間予習復習していたかは議論の余地がありますが(爆),実際はそういう建前になているのでした.

 で,先週末から今日にかけてのネクタイです.

Aozora_008_2  まずは11月4日,メタリック系の黒を基調とした一品です.模様はなんとなくメソポタミア風な(なんのこっちゃ)感じです.

 続いては11月5日の一品です.

Jiburi_004  紺色をベースにして下駄の歯みたいな(笑)模様が入っています.どういう意味合いなんでしょうね.

 そして最後,本日11月8日のネクタイです.

Jiburi  モーツァルト柄とは異なる赤いネクタイです.実はこのネクタイかなり歴史が古く,自分が学生時代から使っている一品だったりします(軽く20年物か 笑).

 

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2010年11月 3日 (水)

日本100名城スタンプラリー78

日本100名城 和歌山城(62番)

 江戸時代,徳川家康が作った幕藩体制は特にその大名統制に妙があります.その基本方針は

 金のある者に権力を与えない,逆に権力を持つ者に金を与えない です.

 江戸幕府の政治中枢を担う老中など幕閣になれるのは,いわゆる三河以来といわれる譜代大名に限られました.そして譜代大名は彦根藩の井伊家を除き石高は20万石未満がほとんどでした.反対に大きな領土を持つ外様大名は江戸から遠くに配置され,幕政には一切関与できませんでした.一方,幕藩体制には譜代,外様のほかに徳川将軍家の一族である親藩大名家がありましたが,この親藩大名にも権力は与えられませんでした.普通なら自らの権力基盤を堅固なものにするために一族を重用しそうな感じがしますが,逆に一族内での権力争いを避ける目的だったのでしょう(権威のある者にも権力を与えない.その辺の家康の慧眼ぶりはさすがです).

 親藩大名には徳川の姓を許されたいわゆる御三家とそれ以外の松平家があります.注意が必要ですが,松平=すべて親藩ではありません.一口に松平と言っても血縁の近い遠いがあり,家康以後に分かれた一族は親藩とされていますが(会津松平や越前松平等),家康の親の世代以前に分かれたものは同じ松平姓であっても譜代扱いになっています(白河松平等).面白いのは藩主の血筋がどうかよりも,その家の家格で決まるという点です.たとえば江戸中期の寛政の改革で有名な松平定信は実は八代将軍徳川吉宗の孫なんですが,譜代の白河松平家に養子に入ったことから譜代大名として老中になったのです.

Hyougo1_025 (写真1) 和歌山城天守

 前置きが長くなりましたが,本日のテーマである和歌山城は御三家のひとつ紀伊徳川家の居城です.御三家は将軍に継嗣がいないときに代わりに将軍を出す家柄ですが,徳川幕府260年の歴史の中で実は八代吉宗以降の将軍は最後の十五代慶喜を除きすべて紀伊徳川家の系譜です.

Hyougo1_003 (写真2) 堀と大手門

 紀伊国の中心の和歌山は,紀伊半島を横断するように流れる紀ノ川が紀伊水道に注ぐ河口に開けた街です.この地に城を築いたのは豊臣秀吉の弟秀長で,天正十三年(1585年)のことです.実際に築城を担当したのは築城の名手といわれた藤堂高虎でした.

Hyougo1_045 (写真3) 天守から見た二の門櫓(左)と乾櫓(右)

 江戸時代になると紀州藩の藩庁となり,一時は浅野長政の子幸長が藩主になりましたが後に浅野家は広島に転封となり,代わって入ったのが徳川家康の十男の頼宣です.彼は和歌山入りすると大規模な城の改修と城下町の整備を行い,結果大小天守を持つ壮麗な城郭を作り上げました.江戸時代を通じて何度か火災による焼失がありましたが,江戸後期の弘化年間に天守を含めて再建されています(本来天守の再建は幕府に禁止されていましたが,御三家の威光からか特別に許されたようです).歴代の藩主の中で有名な人物をあげると後に八代将軍となった第五代藩主吉宗,十四代将軍になった十三代藩主慶福がいます.

Hyougo1_023 (写真4) 本丸御殿跡は現在水道局の施設になっていて入れません

 明治になって廃城となり多くの建物が解体されましたが,天守や櫓など本丸を中心とて保存されたものもあり,城跡は和歌山公園として整備され,昭和10年には当時現存していた建物11棟が国宝(今の重要文化財に当たる)に指定されました.しかし昭和20年に空襲によって焼失,現在見られる建物はすべて戦後に再建されたものです.ただ,岡口門追廻門という2つの門が当時のまま残っています.

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(左写真5)現存する岡口門,(右同6)同じく現存する追廻門

和歌山城へのアクセス: JR和歌山駅(②番乗り場)からバスで10分公園前下車(バスは毎時7~8本あります),または南海和歌山市駅から徒歩10分

スタンプの設置場所 本丸受付にあります

登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 普通の都市公園です.

62wakayama 登城日 2010年1月2日

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ネクタイラリー No.19

 一日遅れいなってしまいましたが11月2日のネクタイです.

Sanpo_013  これは現在私が所有する最古のネクタイになります.1991年夏にパリに行った際にカルチェラタンの露店で購入したものです.非常に息の長い一品ということになります.

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2010年11月 1日 (月)

今日から11月

 今日から11月,今年も残すところ2ヶ月というわけです.

 台風が接近した週末が終わり,今日は久しぶりに晴れ間の見えた良いお天気でした.気温の方も先週は冬の気配かと思われるほど気温が低い日がありましたが,今日は温かく過ごしやすい一日だったと思います.

 さて,例年ビザンチン皇帝が一番活動的になる秋ですが,そのフィナーレを飾る11月,どんな予定が組まれているか列記してみます.

 まずは今週末久々の扮装イベントがあります(9月のTDCでの松本零士あわせ以来).そしてその次の週末には,京都の坂本龍馬提灯行列を吹き飛ばしたにっくき仕事関係のイベントが(笑),その翌週には寮歌イベントのひとつ「群馬寮歌祭」が行われます.そして,その次の週(すなわち11月最終週)には学会で九州の福岡に飛びます(長浜ラーメンは必須ですが,それ以外にも観て歩きたいな).その間にオペラ鑑賞の予定も組まれています.

 こうして1日が36時間くらいあればいいのにと思う日々が続くのでした.

 で,業務再開のこの日のネクタイです(通算18本目).

Bumei_001 たしか10年以上前に入手した一品だと思います.

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