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2010年11月23日 (火)

日本100名城スタンプラリー79

日本100名城 篠山城(57番)

 100名城シリーズの関西編,まだまだ続きます.本日のテーマは兵庫県にある篠山城です.「篠山」城,まずはこれが読めるでしょうか.有名な写真家の姓と同じ字ですが,じつこれで「ささやま」と読みます.所在地は兵庫県内陸部にある篠山市,JR福知山線の沿線です.

Hyougo1_092 (写真1) 篠山城跡の入り口

 築城されたのは慶長十四年(1609年)ですから関ヶ原の戦いの後ということになります.100名城の中では歴史の新しい城といってもよいでしょう.築城者は松平康重ですが,築城を命令したのは徳川家康でした.ここ篠山の地は京都や大阪から山陰・山陽に向かう街道を抑える地点として重要な位置にありました.当時の家康にとって最大の関心事は大阪城にあった豊臣家の動向でしたから,将来的に大坂方との戦になった場合に西の抑えの城と考えていたわけです.城の縄張りをしたのは築城の名手藤堂高虎で,これに加藤清正,福島正則,浅野幸長ら西国にある豊臣恩顧の多くの大名を中心に20の大名が工事に参加しました(家康の狙いはもちろんこうした豊臣系大名の経済力を削ることにもあります).これだけの大名が参加した工事なので城はわずか半年で完成しています.

Hyougo1_096 (写真2) 往年の篠山城

 完成後築城主の松平康重が入りましたが,転封となり代わって元和五年(1619年)に松平信吉が,さらに慶安二年(1649年)に松平康信が入りました.その後寛延元年(1748年)に青山忠朝が入り以後幕末に至るまで青山氏の居城となったのです.

Hyougo1_113 Hyougo1_120

(左写真3) 復元された大書院,(右同4) 天守台

 篠山城は城郭としての規模はそれほどではありませんが,洗練された高石垣や堀,よく遺されている馬出などの遺構から往時をしのぶことができます.城郭の中央には大きな天守台がありますが,実際にここに天守が造られたことはなかったそうです.またこの城を代表する建造物が大書院で,その規模は京都の二条城の御殿にも引けを取りません.昭和19年に失火で焼失してしまいましたが2000年に復元されてかつての威容を取り戻しています.

Hyougo1_138 Hyougo1_141(左写真5) 石垣の石には普請に参加した大名の名前も,これは池田輝政を意味する三左之内の文字,(右同6) 立派な石垣

篠山城へのアクセス: JR篠山口駅西口2番バス停からバスで20分ほど,二階町下車後徒歩10分程度(時刻表

スタンプの設置場所 大書院受付にあります

登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 普通の都市公園感覚で大丈夫です.

57sasayama 登城日 2010年1月2日

 

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