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2010年3月31日 (水)

年度末に

 今日3月31日は年度末,明日からは新しい年度ということで職場でも人事異動に伴うメンバーチェンジがあります.

 私の職場では新しい副院長がやってくることになっており,部屋の準備やら何やらで関係者は忙しくしていました(私にとっては上役ということで気を使う人が1人増えるわけだ).

4月といえばもちろん春なんですが,ここのところ寒い日が続いています.こちらでも既に桜が開花を迎えましたが,寒くて花見という気分にはなりません.

 で,所用で都心に繰り出したんですが,ちょうど赤坂のスペイン坂の桜並木がライトアップされていました.まだまだ満開ではありませんが,ちょっと幻想的な気分に浸ったのでした.

100329_203851 (写真1) 桜と月の妙が素敵です.

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 (写真2) 桜は綺麗ですが寒いのでビールを飲もうという気分にはなりません(笑).

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2010年3月30日 (火)

今年のひの新選組まつり

 今年のひの新選組まつりパレードの参加通知が届いているようです.私のところにも日曜日の深夜に沖縄から自宅に戻ったらポストに入っていました.

201003301925000 (写真1) 4月2日までに振り込むようにとあります.もう日にちがありません.

 紆余曲折はありましたが,今年も衣装持ち込み一般隊士&コンテストという基本形での参加となりました.今年は例年と違いコンテストが前日ではなく,ゴールデンウィーク前の4月29日に行われます.ということは,コンテストまでもう一カ月を切っているわけです.どういうPRでいくか頭を悩ませているのでした.

 すでに各地で話題になっているようですが,今年は29日の隊士コンテスト,昨年も行われた恋人コンテストの他に,パレード前日に箱館時代の歳三の小姓市村鉄之助役を決めるコンテストも急遽行われることになったようです.なんでも今年は市村役を希望する人が多かったためなんだそうです(お友だちも参加するので絶対行かなくては 笑).

Img0071 P5070005_2 11hino6so_3 Img20090509_10 (写真2~5) 過去4年間の私のコンテスト写真.考えてみれば屋外でやったのは第10回だけだなぁ.

 追記: 久しぶりに日野市観光協会のHPを見たら隊士募集の記事がマイナーチェンジしてました.以前は「8,9,10番隊長のコンテスト選出はありません」的な表記だったハズですが,今日見たら「5,7,9番隊の選出なし」に変更されていました.ということは平助と原田が復活したわけですね.関係者おめでとうございます.ただ今後もマイナーチェンジがありそうで目が離せません.

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2010年3月29日 (月)

皇帝誕生日に

 昨日3月28日は私,ビザンチン皇帝の誕生日でした.何歳になったかとかは別にして,せっかく休みだから(亡国の君主なので残念ながら国の祝日ではありません)と,久しぶりに遠出しました.行った先は… 

 沖縄です.

 今回は日本100名城関係を中心に,沖縄本島をレンタカーで回りました.金曜日の夕方仕事が終わってから羽田に走り,ANAの最終便で沖縄入りしました.まだ肌寒い羽田から爽やかな夜の那覇空港とのギャップが素敵です.

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(左写真1) 今帰仁城,(右同2) 中城城

 お天気が心配されましたが,晴れ男の私がしかも誕生日記念旅行で行くんですから,晴れないはずはないと念じたらやっぱり晴れでした(笑).3月の沖縄は夜は涼しいものの,日中は結構暑かったです.北海道生まれ東北育ちの人間にとって,3月は雪も降ってまだまだ寒い季節なんですが,半袖で歩いている人たちを目にするとあらためて日本は広いなぁと認識したのでした.

Okinawa1_052 (写真3) 元日本三大がっかり観光地のひとつ守礼門にて

 沖縄の城は石垣の組み方や形なんかがこちらのと異なり興味深かったです.ちなみに沖縄では城をグスクと呼び,たとえば今帰仁城はナキジングスクということになります(そういえば北海道ではチャシですね.ごちゃまぜにして今帰仁チャシとかオンネモトグスクとか言ってはいけません).日本100名城もこれで合計87城となり,いよいよ岡山周辺の5城と九州の8城を残すのみとなりました.

 

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2010年3月26日 (金)

池田屋騒動

 幕末史に残る京都の一大事件が池田屋事件です.

 元治元年6月5日,三条小橋の西にある旅籠池田屋に集結していた尊攘派浪士を新選組が襲撃,宮部鼎蔵・吉田稔麿ら多くの著名浪士が死亡した事件です.この事件で明治維新が1年遅れたとも,逆に早まったともいわれています.一方でこの事件によって新選組の名前は一気に天下にとどろくことになりました.

 池田屋は元々長州藩の定宿だったことから,事件後主人も捕えられ旅籠も結局廃業に追い込まれたようです.明治以後は人出にわたって旅館等に利用されていた時期もありましたが,その後はパチンコ屋などを経て,昨年(2009年)居酒屋として新装開店したのは記憶に新しいところです.

200911141956000 (写真) 昨年新装なった池田屋はなの舞.11月に行った際に撮ったものです.

 そんな池田屋で再び騒動が起こったようです.

 ニュースによると昨夜夜7時半ごろ池田屋はなの舞の調理場でガスボンベが爆発,従業員3人がけがをしたとのことです(平成の池田屋騒動?).幸い客への被害や火災等の二次被害もなかったようです.

 記事によると魚焼き機のそばに置いてあったカセットボンベが爆発いたとのことで,魚焼き機からの熱でボンベが膨張したのが原因ではと言われているようですが,かつて多くの血が流されたこの地で起こった事件,なんとなく感じいるものがあるのでした.

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2010年3月25日 (木)

アイスバイン

 昨夜新宿の新国立劇場にオペラ鑑賞に行ってきました.演目はR.ワーグナーの神々の黄昏,上演時間4時間以上という大作です.上演時間が長いため途中45分ずつの休憩が入り,そのため午後4時開演で,終演はなんと10時半でした.

 こんなに長いと途中お腹が空いてくるため,開演前に軽く食べて(しっかり食べると演奏中睡魔に襲われる危険性が大なので),あとは45分間の幕間に食べることにしました.

 新国立劇場内にはマエストロというレストランがあって,上演日には幕間メニューが提供されています.45分間という限られた時間のため,お店に入ってからメニューを見て注文,そして調理なんてやってると開演に間に合わない恐れがあります.このため幕間メニューはコンサート前に予約しておいて席に着くと同時に食べられるようになっていました.今回のメニューをにてちょっと気になりました.

20100325005336  ニシンのマリネは判ります.問題は2皿目,アイスヴァインとありました.

 アイスヴァイン=Eis Wein(英語なら Ice wine),氷結ワインが出てくるのか,と思っていたんですが,出てきたのは氷結とは正反対の温かい豚肉料理でした.

 じっくり煮込んでコラーゲンたっぷりという感じの料理でしたが,調べてみたらこれはアイスバイン(Eisbein)というドイツ料理なんだそうです.どうやらお店の方で綴りを間違えていたようです.

20002725_6  写真が今回出てきたアイスバインです.

 食事をいただいた後,いよいよ劇のクライマックスを鑑賞したのでした.

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2010年3月22日 (月)

月シリーズ

 だいぶ前にここで,エドガー・ライス・バローズの火星シリーズの話題を書きました(火星シリーズ).火星シリーズはバローズの代表作ですが,彼は多作家なので他にも色々な作品を書いています.

 とくに有名なのがターザンシリーズで,本国アメリカではこちらの方が有名です.

 その他にも地底シリーズ,金星シリーズなどもありますが,その中でちょっと異色なのが,表題の月シリーズです.本シリーズは三作品からなり,原題は” The Moon Maid ”(邦題 月のプリンセス),” The Moon Men ”(邦題 月からの侵略),” The Red Hark ”(邦題 レッド・ホーク)です.日本では2分冊になっています.

Maid Men

(写真) ウチにある創元推理文庫版のもの

 この3作品,三者三様の魅力があって,第1作はスペースオペラ,第2作は社会派小説,第3作は西部劇といった感じです.三部作ではありますが,実はバローズ自身が書きたかったのは第2部で,実際に第2部が最も早く執筆されました.これは月人による地球侵略と征服,月人の圧政下に置かれ虐げられる人類と,その境遇から立ち上がる人々の姿を描いたかなりハードな小説です.火星シリーズなどの定番になっているハラハラ,ドキドキからハッピーエンドという形式では全くありません.

 ではどうして彼がこんな作品を書いたのかということですが,それは当時の時代背景が関係しています.この作品が作られたのは第一次世界大戦の終結後,世界中に厭戦気分が蔓延していた時期です.人類に未曾有の惨禍をもたらした大戦の反動で主要国には軍縮ムードがただよっていました.そんな時代にバロウズは当時静かに勢力を増しつつあった共産主義の影に脅威を感じ,世間の軍縮ムードには批判的な態度をとっていたのです.第2部の冒頭で描かれる,大戦後の反戦ムードから世界各国で軍備の縮小・廃棄が続きすっかり平和ボケしてしまった人類が,月人の侵略の前になすすべもなく屈服しその支配に甘んじてしまう流れは,まさにこのままではいずれアメリカをはじめとする資本主義諸国は共産主義勢力に圧倒されてしまうという恐怖を近未来小説の形で描いたものなのです(月人が社会のあちこちに監視者・密告者を張り巡らし地球人の自由な言論を封じるやり方や非効率的なシステムなどは明らかに共産主義国家を意識しているように思えます).

 しかしながら,彼の考えは当時の人々の受け入れるところとはならず,この作品は11もの出版社を回ったものの全て断られてしまいました.そこでやむなく,より一般に受け入れられやすくするために第1部と第3部を書きたすことでエンターテイメント性を増して現在の形に落ち着いたという次第です.

 実際には第2部執筆時のソ連はロシア革命後の混乱で周辺国ではともかく,遠いアメリカでは脅威と感じられてはいない時期でしたが,その後の第二次大戦から冷戦へと続く歴史からはバローズの先見の明が感じられます.

 今回久しぶりに引っ張り出してみたんですが,執筆から90年もの年月を感じさせない秀作であるとの認識を新たにしたのでした.

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2010年3月21日 (日)

2010年 春分の日 18時の暮れ行く空

 今日は春分です.一年のうちで昼と夜の長さが一緒になる日で,この日以降北半球では昼が夜よりも長くなります(北極点では今日から半年間毎日昼ばかりになります).

 さて,ブログ仲間のまーうささんの発案による,2010年春分の日18時の暮れゆく空という企画に参加することにしました(イワガタマユ・ソシテワタシハキョウモアルク!).実は今日は当直だったので,職場構内の高台に登りました.

Yuhi_004  結果は…

 太陽はすでに隠れた後でした.考えてみれば当地は日本標準時の経線よりも東にあるため,春分の今日は日没が18時前なんですよね.今度は夏至にやってみたいなと思ったのでした.

 ちなみにここの高台,桜並木がありまして4月初めには綺麗な桜が咲きます.ただ,今日現在はまだ枯れ木のままでした.

Yuhi_001  そういえば,ほんのりつぼみが赤いような気もします.

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2010年3月20日 (土)

日本100名城スタンプラリー73

日本100名城 鹿児島城(97番)

 九州の最南部に位置する鹿児島県,その県庁所在地の鹿児島市の中心部にあるのが鹿児島城です.

Kyushuensei_086 (写真1) 鹿児島城(鶴丸城)

 鹿児島の地は鎌倉時代から江戸時代に至るまで600年間,ほぼ一貫して島津氏の支配する土地でした.群雄割拠の戦国時代や頻繁に国替えが行われた江戸時代を通して存続し続けたことは,鹿児島の地が幕府が置かれた鎌倉・京都・江戸から遠く離れており,幕府の干渉を受けにくかったということもあるでしょうが,なんといっても島津氏自体の実力がそれを許さなかったという点が重要と思われます.

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(左写真2) 鹿児島城の堀,(右同3) 御楼門跡

 そんな島津氏の鹿児島支配の拠点となったのが鹿児島城です.この地に城が築かれたのは慶長六年(1601年),関が原の戦いの翌年です.このお城自体は小規模で本丸と二の丸しかなく,天守も存在しない,堀も本丸部分にしかないなど薩摩藩77万石という大藩の城とは思えないものです.

Kyushuensei_085 (写真4) 鹿児島といえば西郷隆盛です

 しかし築城時期が関が原の直後ということで,西軍に付きながらも所領を安堵されていた島津氏としては徳川家康を刺激したくないという思惑があったものと思われます.ただ,城自体は小さくても,背後には城山という一種の山城が控え(明治10年の西南戦争で西郷軍が最後に篭った場所です),また領内各地に中世式の山城を多く残した外城制を採用することで藩全体の防御を図っていたため,鹿児島城自体が小さくても問題はなかったと思われます.

Kyushuensei_079 (写真5) 城山からは桜島と錦江湾が見えます

 明治維新後廃城となりその跡地は第七高等学校造士館,第二次大戦後は鹿児島大学キャンパスとなっていましたが,現在は鹿児島県歴史資料センター黎明館や図書館などが建っています.

Kyushuensei_102 (写真6) 西南戦争時の銃弾跡が残る石垣

 城の遺構としては櫓などの建物は残っていませんが,堀や石垣などから往時をしのぶことができます(石垣には西南戦争時の銃弾の跡も残っています).

鹿児島城へのアクセス: JR鹿児島中央駅から市電鹿児島駅前行きで9分,市役所前下車徒歩5分です.

スタンプの設置場所 歴史資料センターにあります

登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 城山に徒歩で登るならややハードですが,麓の城はあっという間に散策できます.

97kagoshima 登城日 2009年9月20日

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2010年3月18日 (木)

別な視点

 出張強化週間,昨日も講習会に出かけてきました.この日のテーマは治験です.

 治験というのは,新薬の発売に先駆けてその効果を検証するために,実際に患者さんに投与する形で行われるものです.現在日本では原則として国内での治験を経ないで新薬が認可されることはありません.

 しかしながら従来日本の治験は,時間やコストがかかって遅々として進まず,結果欧米ではとっくに認可されて幅広く使われているにもかかわらず,日本国内では使えない薬が存在するケースがしばしば見られました.

 しかし,新薬が次々に開発されEBM(Evidence Based Medicine: 経験ではなく科学的根拠に基づく医療)がいわれるようになった21世紀に入ってから,これではマズイと日本でも治験の重要性が認識されるようになり,それまでは個々の医師が独自に行っていた治験を医療チームとして組織で行っていこうという流れになっています.結果,今では日本の治験もかなりスピードアップしてきています.

P3170001

(写真1) 渡された資料から.厚労省&文科省の通知の日付にツボりました(自分だけか 笑).

 そんな治験についての研修会でしたが,会場に入って参加者名簿を見た瞬間なんか違和感が… 「参加者の中で医師は自分だけじゃないか?」 見ると他はすべて薬剤師,臨床検査技師,普段から治験に携わる事務や看護師ばかりでした.どうなんだろうと思っていたんですが,予想通り… その講習内容は見事にコ・メディカル用のものでした.なかなか辛い講習でしたが,普段見ることのない部門の一面を知ることができたのは有意義だったかもと思いました.

F127 (写真2) あんまり楽しくない出張が続くと夜にはこんなことをしたくなるのでした(笑).

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2010年3月15日 (月)

出張強化週間

 3月に入ってから呪われたように出張が多いんですが,今日も都内に繰り出しました.本日のネタは,今春の診療報酬改定に関する説明会です.ウチの職場からは事務方1名と私が参加しました.

 診療報酬とは保険診療を行った際に医療機関に支払われる報酬のことです.一般の社保や国保ではそのうち7割が保険機関から,3割が被保険者の窓口負担となっています.これがすなわち医療機関の収入というわけです.診療報酬は2年に1回改定されますが,最近は国の医療費抑制政策のためにマイナス改定,とりわけ病院に厳しいマイナスが続いていました(政権やその支持団体の思惑もあり,診療所よりも病院に厳しい改定になっていました).しかしながら政権が変わったこともあるのか,今回は10年ぶりのプラス改定,それも病院に有利な改定となった模様です.

201003152206000 (写真) 事前に配られた資料

 会場には各地から大勢の人が集まっていました.あらかじめ渡されていた分厚い資料に沿って説明が行われます.担当するのは厚労省の官僚でしたが(何とか課の課長補佐という女性でした),さかんに「今回は病院さんに厚く配分されています」と強調していましたが,過去のマイナス改定から相当病院に恨まれていると思ったのでしょう(笑).

 なが~い説明(3時間くらい)がようやく終わって,質疑応答の時間です.会場からの質問に答えるのかと思いきや,「では,あらかじめ受け付けたご質問にお答えします」とのこと.どうやら質問は事前にすることになっていたらしいです.で,答えるのはやはり厚労省の男性官僚でしたが,きちんと練られた(らしい)答弁書を読み上げていきます.なんか聞いたことあるなぁと思ったら,よく国会中継の委員会審議なんかで見られるあの官僚答弁です.理路整然としているように聞こえるものの,あくまでも建前論・一般論に終始し,こちらが聞きたい個別の各論の答えにはなっていない,あの官僚答弁です(笑).当然声に抑揚はなく無味乾燥としています.分野別に出された質問に一々答えていきます.結局40分かかりました.

 考えてみなくても,あらかじめ受け付けた質問に答えるだけなら,こんな3時間の説明会で参加者がくたびれた状況で原稿を棒読みしなくても,プリントにして配ればいいのにと思ったのでした(それとも,疲れて反論する元気のない状況下で一気に答えることで,あとで文句を言わせない作戦だったりして 笑).

 そんなわけで,みんなぐったりして会場を後にしました(あさってもまた出張だ).

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2010年3月14日 (日)

運転免許の更新

 久しぶりの更新です.

 3月に入ってから呪われたかのように出張が入ってます(今週も月・水と都内に繰り出します).

 そんな狭間の今日は免許の更新に行ってきました.盛岡へ…(笑) 実は当地に越してくるとき,もしかして1年かもしれないということで住民票を移していなかったんです.で,そのままずるずると今に至るわけです.

 今まではゴールド免許だったので,何もなければ今回もゴールドだったはずなんですが,実は3年くらい前に軽微な違反(泣)をやっているのでゴールドというわけにはいきませんでした.

 免許センターに出向き受付をします.今の免許証を機械に入れると申請用紙が印刷されて出てきます(便利な世の中になったものだ).お次は収入証紙の購入,行くと「交通安全協会」の看板が出ています.以前は手続きをしているうちに有無を言わさず安全協会に入会させられる雰囲気だったんですが,数年前に問題になってからはそういう強引な勧誘ではなく,「よろしければ入会していただけませんか」に変わっていた.

 その後適性検査・写真撮影と進み,長い講習(笑)を受けて無事終了です.渡された免許証は青いものでした.今回からICチップ内蔵の免許証ということで以前より若干厚めになっていました.

Menkyo_002_2 (写真) 免許証の写真ってどうしてこんなにガラが悪いんでしょうか.

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2010年3月10日 (水)

雨のち晴れ

 最近全然晴れません.と思いつつ今日の天気予報を見たら,なんと「雨のち晴れ」でした.雨のち曇りとか,曇りのち晴れとかではなく,いきなり雨のち晴れです.いったいどんな天気だろうと注目していました.

 とはいえ午前中は雨,朝は小雨でしたが10時頃には本降りに.晴れのの字もありません.こりゃ天気予報はハズレかと思ってたんですが,12時ごろにわかに外が明るくなってきました.もしかしてと思い外に出たら,なんと晴れ間がみるみる広がっていきます.結局天気予報は大当たりでした(笑).

Hare_001 (写真) あっという間に晴れ間が広がりました

 それはともかく,今月は出張が多いです(泣).一般に年度末にあたる3月は学術関係のイベントは少ないんですが,かわって事務的な会議とかが多いんです.学術系ならちょっとは興味が沸くんですが,事務系は眠いばかりでお世辞にも楽しくないイベントです.まずは今週末に出張があって,更には来週も2回出張があるのでした(事務系の出張は帰って来た後報告しなきゃならないのが辛いです).運転免許の書き換えにも行かなきゃないし,まだ遠出はお預けのようです(笑).

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2010年3月 9日 (火)

新快速

 昨日の踊り子に続いてもう一本鉄道ネタです.

 関西方面に旅行に行った際,都市間移動でもっとも重宝するのがJR西日本の誇る”新快速”電車です.列車種別としてはあくまでも快速なので,追加料金なしの乗車券のみ,すなわち青春18きっぷでも乗車できるという非常にありがたい電車です.

Takatori_122 (写真) JR西日本の新快速

 この新快速,なにが素晴らしいかというと運行本数の多さ(15分に1本)もさることながら,そのスピードです.関西地区の東海道本線山陽本線は複々線化されていて,線路もまっすぐと高速運転に適した路線なんですが,そこに持ってきて大半の駅を通過する快速運転をすることで,姫路-京都間130キロを90分という速達性が実現できたのです.表定速度は時速87キロに達し,実はこれ秋田新幹線とほぼ一緒なんです(秋田新幹線は盛岡-秋田127キロを95分前後).ちなみに昨日紹介した新幹線より割高なスーパービュー踊り子の表定速度は時速79キロと特急なのに関西の新快速に及びません(笑).首都圏の快速では一番速そうな湘南新宿ライン特別快速でも小田原-大宮124キロを102分(表定速度時速73キロ)ですからとてもかないません.

 乗車券のみでこんな速い電車に乗れる関西の人が羨ましいかぎりですが,その背景には元々関西地区はJRと大手私鉄が並走している部分が多く,競争が激しいからと言われています.すなわち競争原理が働いてということなんでしょうね.もっとも過度の競争によって無理な列車運行がなされて事故につながることもあり(2005年の福知山線脱線事故の背景にもJRと他社との激しい競争があったといわれています),まず安全が第一であることはいうまでもないでしょう.

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2010年3月 8日 (月)

特急踊り子

 この週末母親と妹がやって来たため熱海に行ってきました.

 当地から熱海は普通電車で20分ちょっとなのでそれで行くんですが,東京からの場合は他の選択肢もあります.

 一番安上がりなのが東海道線の普通 or 快速で,これだと1890円で済みますが所要時間は100分を要します.それに対して東海道新幹線を使うと時間は45分と普通電車の半分以下で行けますが,費用は3570円と倍近くかかります.時間を取るか料金の安さを取るかといった感じでしょうか.

 で,実はこの区間には第三の選択肢もあります.それが東海道線の特急列車です.

 一般に新幹線が開業すると在来線の特急列車は廃止されてしまうケースが多いんですが(かつて東北本線にはひばりやまびこはつかりといった特急が走っていたが,東北新幹線開業と同時にひばりやまびこは廃止されはつかりは新幹線が走らない盛岡以北のローカル特急になった),熱海は一大観光地である伊豆の玄関口であり,熱海駅から伊東線・伊豆急線に乗り入れる観光列車としての需要があるからです.そんな東海道線の特急が踊り子で,これにはただの踊り子リゾート踊り子スーパービュー踊り子の三種類があります.

201003080748000 (写真) 通勤ライナーにも使われるただの踊り子号です

 このうちただの踊り子は朝夕は通勤ライナーとしても使われるような,結構古い電車が使われていて,何の変哲もないただの特急です(私はボロイ踊り子と呼んでいます).一方リゾート踊り子は伊豆急のアルファ・リゾート21という電車を使用するタイプで,全席指定・展望席ありとそれなりに豪華な観光列車となっています.そして最後のスーパービュー踊り子はJRの一部2階建て車両が使われているより豪華な特急です.

 一般に在来線の特急料金は新幹線より安いんですが,このスーパービュー踊り子に関しては新幹線自由席利用よりも高いのでした(ちなみに所要時間は70分と新幹線と普通電車の中間くらいです).

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2010年3月 5日 (金)

日本100名城スタンプラリー72

日本100名城 人吉城(93番)

 ビザンチン皇帝の100名城シリーズ,ついに九州編に突入です.ここからのシリーズは2009年9月のいわゆるシルバーウィークに九州に繰り出した時の記事です.まずは熊本県の人吉城です.

Kyushuensei_016 (写真1) 球磨川沿いに広がる人吉城跡

 人吉城は熊本県南部,九州山地・球磨山地等に囲まれた人吉盆地を流れる球磨川沿いにあります.この城の歴史は古く鎌倉時代にさかのぼります.幕府の御家人の相良長頼が源頼朝の命で平家の残党を討ってこの地に入ったのが始まりです.以来鎌倉・室町時代を通じてこの地は相良氏の支配するところとなります.

Kyushuensei_025 (写真2) 復元された堀合門

 戦国時代になって相良氏は球磨地方を統一し戦国大名となりますが,天正十五年(1587年)豊臣秀吉の九州征伐を受けて彼に臣従,以後球磨郡2万2千国の大名となって豊臣政権,さらには江戸時代を生き延びました(関ヶ原の戦いの時相良氏は西軍でしたが,戦の最中に寝返ったため戦後改易を免れ,所領を安堵されました).

Kyushuensei_032 (写真3) 御下門跡.ここから二の丸,本丸へと登っていきます.

 相良氏の血統は江戸時代の中期,宝暦九年(1759年)相良頼央が世継ぎを残さぬまま死去したため断絶してしました.しかし家臣の努力で他家から末期養子を迎えることに成功し,家名は幕末まで続くことになります.

Kyushuensei_020 (写真4) 武者返しと呼ばれる独特の石垣です

 人吉城は鎌倉時代から明治維新にいたるまで続いた城であり,当然同じ姿のままであったわけではありません.特に戦国時代から江戸時代初期にかけて改修が行われ,近世城郭へと生まれ変わりました.北は球磨川,西は胸川を天然の堀とし,南と東は屋山の断崖に堀をめぐらした城郭となりました.山頂に本丸,その北側に二の丸,その北の球磨川沿いを三の丸とした構造で,本丸には天守はなかったといわれています.城の改修はその後も行われ,堀合門付近にある幕末期の石垣には武者返しといわれる西洋の築城技術の影響を受けたものも存在します.

Kyushuensei_061 Kyushuensei_066

(左写真5) 古写真に写った多聞櫓(手前は胸川),(右同6) 復元された多聞櫓

 明治維新後,西南戦争においてこの城は西郷軍の拠点となったため官軍の攻撃を受け石垣を除いてほとんどの建物が破壊されてしまいました.現在は人吉城公園として整備され門や櫓などの復元も行われています.

Kyushuensei_024

人吉城へのアクセス: JR肥薩線人吉駅から(産交バス)で3~4分新町下車.駅から徒歩なら20分程度.

スタンプの設置場所 人吉城歴史館にあります

登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 少し登りはありますが気軽に散策できる公園です.

93hitoyoshi 登城日 2009年9月19日

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2010年3月 3日 (水)

素晴らしきネーミング

 今日所用で都内に繰り出しました.

 そして腹ごしらえとばかりに小田原駅のBellmartで弁当を物色していたらこんなものが

201003031738000 (写真1) これが箱根駅弁です

 箱根駅弁って… あまりにもストレートすぎるネーミング.しかも右上にはランナーの絵も(笑).箱根駅伝の便乗商品であることは120%確実です(笑).

 感動のあまり購入してしまいました.

 で,新幹線に乗り込んでから早速開けてみたんですが,出てきたのは

201003031745000  いなり寿司とカツサンド(勝つに引っ掛けてあるんだそうです 笑),小田原名物のかまぼこと梅干し,そして玉子焼きでした.確かに駅伝を観戦しながら食べるにはいいお弁当ですが,あまりのストレートぶりにモーレツに感動しました.

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2010年3月 2日 (火)

隊士コンテストの選出枠

 今日何気に日野市観光協会のHPを見たら,今年のひのパレの募集概要がバージョンアップされていました(日野市観光協会).すでに巷に流れていた変更が書かれていたんですが,ふと気になることが…

 *コンテストでは、土方歳三、近藤勇、1〜7番隊隊長、そしてお琴役の10人を選出します。8番隊、9番隊、10番隊隊長の募集はありません。あらかじめご了承ください。

 ん? 今年は12人全員選出じゃなかったのか… どうやら昨年同様一部の隊長は別枠のようです.しかも8,9,10番の後方3つの隊長が別枠ということは,おそらく昨年同様グループ参加隊に割り振りそうな雰囲気です.しかし8番隊といえば人気のある魁先生藤堂平助じゃないですか,平助ファンはがっかりしそう… また原田役もないということはあのお方が(へ○み隊長~)… 松原役が復活したのがせめてもの救いでしょうか.

 結局隊長選出枠は9つ,昨年より1つ増えましたがなんにせよ熱き戦いになりそうです(自分はどうするんだ? うーん).

 また午後のパレードについては昨年はいなげや前で終了でしたが,今年は中央公園がゴールのようで,とすればあの上り坂が復活するようです(喜).

 今後もマイナーチェンジがありそうなので,随時観察が必要そうです.

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2010年3月 1日 (月)

新境地か?

 私ビザンチン皇帝にはいろんな趣味があります.HPの御挨拶にも触れていますが,その中にコスプレ(あまりディープではない)という一文があります.

 まあ扮装と言ったって時代扮装がメインだし,そうでない場合は職場の忘年会など内輪の会でちょっとやる程度なのでこういう表現になっています.ですからいわゆるコスプレイベントの類に参加したことはありませんでした.

Img_1733486_31734064_2 (写真1) 私の代表的な非時代扮装(トチロー)

 しか~し,お友だちのおりんさんに誘われてついにパンドラの箱を開けてしまいました(笑).今回はある程度の人数で宮崎アニメのキャラをやろうということで彼女の呼びかけで集まった面々です.

 チリ地震の影響で日本の太平洋沿岸各地に津波警報・大津波警報が出された2月28日,繰り出したのはお台場のTFT(東京ファッションタウンの略だそうです)で,東京ビッグサイトのそばです(こちらは学会で来たことがあります).イベント名は東京コスプレキャラクターショウ,ショーではなくショウというのがミソです(ウソ).受付開始は10時なんですが早く行かないといい場所が確保できないとのことで朝9時に最寄駅に集合しました.天気は… 雨,おかしいな昨年秋の京都の時は降水確率を80%から20%に下げたほどの晴れ男なのに,こりゃ強力な雨男 or 雨女がいるに違いないと確信しました.

Sankahyou (写真2) 参加証です

 会場に向かうとすでに行列ができています.先頭から並んでいくんですが,本当に女子ばっかしでした(扮装系って基本的に女性が中心です).幸い自分たちが並んだ位置には屋根がかかっていて雨にぬれずにすんだのは日頃の行いかなどと考えました(笑).

 時間になり受付開始,次々に会場内に人が吸い込まれていきます.場所を確保してまずは時間がかかる女性陣の着替え,その後男性陣です.

 今回の我々のテーマは宮崎アニメで,風の谷のナウシカ天空の城ラピュタを中心に構成しました.ちなみに私はというと,風の谷のナウシカに登場する辺境一の剣士と呼ばれるユパに扮しました.

201002262303000 (写真3) 今回一番苦労した帽子です

 ユパ衣装はマントや帽子,ヒゲが特徴です.コスプレ業界(?)ではメジャーとはいえない存在で,既製の衣装など売っていないため自作することにしました.ネットから型紙をダウンロードしてそれを適宜手直しして布を裁断,縫製とやっていきます.縫製に関してはスーパーウルトラド素人の私の惨状を見かねてウチのKが半分呆れながら手伝ってくれました(感謝).ヒゲに関しては昨年のひのパレで晩年の永倉新八を演じた際に使用したクレープヘヤーを使用して作成しました(昨年の経験が生きたわけです).

 そんなこんなで完成した衣装を着こみました.

Jiburi_132 Jiburi_118 (写真4,5) 辺境一の剣士ユパ・ミラルダ

 天気が良ければ屋外での撮影も可能でしたがあいにくの天気ということで,中でいろんな写真を撮りました(ネタ写もいっぱい撮ったんですが,手元にないので集まったらHPの方にでもアップします).

 仲間内で写真を撮っていたら周囲の人たちからも写真を撮らせて下さいというオファーが結構多かったです.ウワサではこういったイベントでジブリキャラがこれだけ揃うのは珍しいんだそうです.

 もちろん私たちの周囲にはより強烈なキャラに扮した人たちが大勢いて会場はものすごい熱気でした(本当に濃かった.とんこつ味噌背脂チャーシューメンのバター入りといった感じ 笑).こんな世界もあるんだと感慨を新たにした皇帝でした.

Jiburi_077 (写真6) 今回一緒だった面々です.ありがとうございました.

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