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2010年2月25日 (木)

隊士コンテストが…

 5月8日~9日に行われる第13回ひの新選組まつり,日野市観光協会のホームページによると,5月8日に行われる予定だった隊士コンテストの日程が変更になったようです(日野市観光協会).

 新日程はというと… なんと!4月29日だそうです.

 う~ん,どういうことなんでしょう.記事によると5月8日にはコンテスト合格者が衣装をバッチリ決めての披露があるんだそうです.たしかに前日がコンテストだと,衣裳のサイズやらなにやら実行委員会の方の準備が大変なのかもしれません.また例年お祭り期間には日野市内の新選組関連私設資料館でも特別展示を行っていたりするのですが,参加者,特にコンテスト参加者は2日間びっしりスケジュールのために,これら資料館や史跡の訪問ができないという問題もありました.コンテストを早めることで,参加者もこうした施設等の見学がしやすくなるというメリットもあります.

 しかしその一方,この日程だとコンテスト参加者は4月29日と5月8~9日と2回にわたって日野入りすることになります.近郊の人間はいいんですが,遠隔の人には辛い変更です.もちろん日野市のお祭りですから,「2回も行くのは大変だ」なんてことを他所者が言うのは筋違いなんですが,例年全国からたくさんの人たちが集まってくるこのお祭り,今年はコンテストには参加できなくなる人が出てくるんじゃないかと心配です.

 さらに心配なのがコンテストの盛り上がりです.もちろん出場者と審査員のみのコンテストなんてことはないでしょうが,はたして例年並みの観衆が集まってくれるのか不安があります.観客が少なければやっぱり盛り上がりには欠けます.また例年ならいよいよ明日はパレードという高揚感の中でのコンテストのため,否応なく盛り上がれるんですが,今年はコンテストからパレード本番まで10日間もあり,しかも間にはゴールデンウィークがあるので参加者や観客のモチベーションが維持できるのか心配です.

 とはいえ参加する側としては,決定に従うしかないのですが,今後また変更がある可能性もあり,しばらくは様子を見たいと思います.

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2010年2月23日 (火)

出没するものは?

 本日はココログのブログネタに挑戦します.○○県に▲が出没するという落書きがテーマです.

 で,即座に頭に浮かんだのがこれです.

Neta_038_cocolog_oekaki_2010_02_2_2  昔渡辺美智雄という政治家がいました.栃木県大田原市出身で,大蔵大臣や外務大臣など政府の要職を務めた人物です.その独特のキャラから大衆にも人気があったんですが,失言癖がありちょくちょく物議を醸し出していました.

 そんな彼の発言のひとつで,たしかテレビの政治討論番組だったかと思うんですが,和歌山が話題になった際,

「和歌山なんてのは,イノシシがその辺を走っているようなところだ」

というような発言をしました.その後和歌山県民の反発もあったようですが,私の医学部時代の大田原出身の友人がこの発言を聴いて,「大田原の方がよっぽどイノシシが走ってるぞ」と言ってたのが面白かったです.

 ただ,最近でも

こんなニュース(3人襲い逃走中、市街地でイノシシ大暴れ)や

こんなニュース(イノシシ:住宅街などに出没 住民2人軽傷)を見ると,彼の発言自体はウソじゃなかったんだなと感じるのでした.

 ちなみに私の故郷では熊が病院の外来に出没したことがありました.また今の私の勤務地は付近をタヌキが走り回っています.

ブログネタ: 【落書き】○○県にはいったい何が出没するんでしょうか参加数拍手

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2010年2月22日 (月)

ゾロ目の日

 今日は平成22年2月22日,2ばっかりの日です.鉄道会社などでは2が並んだ記念のきっぷを売り出し行列になっているところもあるようです.

 そんな今日,モノ好きな私はせっかくだから22年2月22日22時22分22秒に時計の写真を撮ろうと家の電波時計を引っ張り出しました.残念ながら22年は表示されないんですが,見事に2が揃いました(嬉).

Tokei_011  ところが,撮影の段になって気付いたんですが

 気温が表示されてる!!

 これを22.2℃にできたら完璧だったのに…(号泣).

 悔やんでも悔やみきれない瞬間でした(あと0.4℃だった).

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2010年2月21日 (日)

日本100名城スタンプラリー71

日本100名城 五稜郭(2番)

 久しぶりの100名城ネタです(約1カ月サボってました 泣).

 日本100名城の中で,「~城」という名称でないのがいくつか存在します.栃木県の足利氏館,山梨県の武田氏館,佐賀県の吉野ケ里遺跡と北海道の根室半島チャシ跡群,そして同じく北海道の五稜郭です.

Hakodate_016 (写真1) 五稜郭タワーからみた五稜郭

 五稜郭は安政元年(1854年)の日米和親条約締結によって開港された箱館の防御のために幕府の命によって安政四年に着工されました.築城にあたってはヨーロッパの築城術が参考にされました.そのために形も五角形となり,一方で敵の大砲に照準をつけさせないために天守などの高い建物も配されました(結局後に函館奉行所が置かれてしまったため中途半端になってしまいましたが).

Hakodate_023 (写真2) 入口に建つ碑と案内板

 工事は幕府の財政難もあって進まず,結局規模を縮小して慶応二年(1866年)にやっと完成しました.当時は亀田役所土塁と呼ばれていたそうですが,現在では五稜郭の名で知られています.

Hakodate_031 (写真3) 兵糧庫

 こうして国防のためにようやく完成した五稜郭ですが,皮肉なことにこの城が実践を迎えたのは外国からの侵略ではなく戊辰戦争という内戦のためでした.大政奉還に伴う幕府崩壊後箱館奉行所は平和裏に新政府の箱館府に業務を引き継ぎましたが,明治元年10月に榎本武揚率いる旧幕府艦隊と大鳥圭介・土方歳三らの旧幕府陸軍部隊は北海道に上陸します.まともな武力を持たない新政府の箱館府が退却したため,10月26日に五稜郭はほぼ無傷で旧幕府軍の手に落ちました.以来半年にわたってここを拠点としていた旧幕府軍ですが,翌明治2年春から新政府軍の反撃が始まり5月11日に土方歳三が戦死,5月18日にはついに榎本武揚も降伏し五稜郭は開城となりました.

Hakodate_037 (写真4) 土塁から見える五稜郭タワー

 明治維新後は陸軍の管轄となり駐屯地などとして使われていましたが,大正3年(1914年)からは公園として開放され現在に至っています.

 五稜郭は銃や大砲を主力兵器とする近代の戦争を意識して作られた城郭なので,壮麗な天守や櫓などはなく,土塁と堀を中心にした平面的な城郭です.このため地上からではその全貌が想像しにくく,実際に現地についても実感がわきません.このため現在は近くに五稜郭タワーが設置されて,ここから全体を眺めることができます.五角形に造られたその城郭は本州以南に一般的な日本式城郭とは異なった趣を見せています.

 注: 2010年2月現在箱館奉行所は改装中で,2010年7月にオープンの予定です.

五稜郭へのアクセス: JR函館駅前から市電湯の川行きで16分五稜郭公園前下車徒歩(市電はほぼ5~6分間隔で運行しています)あるいはバスです(五稜郭タワーへのアクセス

スタンプの設置場所 五稜郭内の管理事務所にあります

登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 普通の都市公園です.気軽に散策できます.

02goryokaku 登城日 2009年4月26日 

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2010年2月16日 (火)

~の方

 今日は会議デー,午後3時から入れ替わり立ち替わりいろんな会議に出ているうちに夕方になってしまいました.それにしても日本人は会議が好きっていうか,みんな飽きないなぁと感心していました(笑).

 で,そんな会議中に気になったのが,司会の人が発する次の言葉です.

 「~の方(ほう)」

 「では次に薬局の方,お願いします.」「看護科の方は」「では医療安全対策委員会の方お願いします」.次々に出てくる「~の方(ほう)」,一度気になるととことん気になります.なぜ「次に薬局お願いします」「医療安全対策委員会お願いします」じゃダメなんだろう? はたしてこの表現,日本語として正しいのか? 誰か国語の得意な方(かた)教えて下さい(笑).

 そういえば以前,「消防署の方から来ました」といって消火器を高く売りつける悪徳業者の話題がありましたが,この業者のミソは「消防署から来ました」といえばウソになるのに,「消防署の方から」といえば,方向があっていればウソではないところにあるのでした.ということは,「薬局の方お願いします」と言われた場合,とぼけて同じ方向にある臨床検査科の人が答えてもウソではないということでしょうか(今度やってみようかな 笑).

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2010年2月15日 (月)

今年もこの季節が

 先週の土曜日に帰宅してポストをのぞいたら,日野市からのはがきが入っていました.恒例のひの新選組まつりの案内状です.今年もまたその季節がやってきたのかと思って日野市観光協会のHPをのぞいたら,さっそく参加者の募集が始まっていました.

P2150001

 参加方法は今年も3パターン,①衣装貸出で隊士として参加(定員100名),②衣装持ち込みで隊士として参加(原則全員参加可能),③同時代の人に扮して参加 のようです.

 私はというと,参加するのは当然ですが(笑),どういう形で参加するのか思案しているのでした.

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2010年2月14日 (日)

にせウルトラマン

 今日はバレンタインデーです.

 お菓子業界の陰謀の日というウワサもありますが,これもひとつの景気刺激策になっていると思えばいいんでしょう(笑).

 で,それとは全然関係ないんですが,こんなものが手に入りました.

Magi_009 これはダイドードリンコから出ているウルトラサイダーシリーズの仲間のようで,ウルトラコーラウルトラ怪獣レモネードなんだそうです.ウルトラサイダーはラムネ風味で私も結構好きだったんですが,コーラはどうなんだろう… 

 コーラといえば,コカコーラとペプシコーラが世界のシェアの大半を占めています.ただ,それ以外のメーカーからも時々発売されることがあるんですが,残念ながらというべきかやっぱりというべきか味の方がイマイチで,すぐに市場から消えてしまうケースがほとんどです(昔サスケなんてのがあった).なので,このウルトラコーラ,どんな味なのか心配です(笑).

 ちなみにコーラの製法についてはコーク,ペプシともに完全な企業秘密で特許はありません(特許申請してしまうといずれ切れてしまうため).ですから世界中どこでもコーラはアメリカから輸入したシロップを炭酸で割って作っているんだそうです.

 それはともかく,写真の缶のデザインですが,左は初代のウルトラマンに出てきた科学特捜隊の制服がモチーフです.で右はウルトラマンかなと思ったんですが,

 なんと,これはにせウルトラマンなんだそうです.

Magi_010 にせウルトラマンはザラブ星人が化けたもので,その筋では非常に有名なキャラです.解説によると体に黒いラインが入っているのが本物との違いとあり,良く見るとたしかに缶のデザインにも黒い線がありますね.その他解説には目が吊りあがっていて人相が悪いなどひどいことが描かれています(笑).

 こんなものまで清涼飲料に登場するのかと嬉しくなったのでした(次はにせウルトラセブンか 笑).

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2010年2月10日 (水)

バスはぼくらのスニーカー

 地方都市の公共交通機関の代名詞といえばやっぱりバスです.近年はマイカーの普及で経営的に苦しい会社が多いのですが,やっぱりその存在意義は失われてはいないと思います.

 私の故郷の盛岡市は市内中心部に大きな川が複数あることもあり,朝夕の道路の渋滞がひどいので,公共交通機関が重要な街です.

 で,そんな盛岡市内のバスに乗っていると時々耳にする忘れられない曲があります.市民に対してバスの利用を促進しようという趣旨の曲なんですが,これが一度耳にすると頭から離れられない曲なんです.

 先日盛岡に行った際,ついにその曲の収録に成功しました.さあ,みんなで聴いて見ましょう.

 「♪ バスはぼくらの~ スニーカ~ ♪」

「buskyogi.mp3」をダウンロード

 注: この曲を初めて聴いた時「バスはぼくらのスリッパー」かと思いました(それでも意味は通じるんですが 笑).

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2010年2月 9日 (火)

暖かい一日

 先週の寒さがウソのように今日は非常に暖かい一日でした.当地では気温も20℃近くまで上がったようで,春が来たのかと思うほどでした.

 で,先月胃の検診がありその結果が帰ってきました.

201002091128000  とりあえずは何ともないようです.

この検査は今年で3回目なんですが,初めての時に比べてバリウムを飲む辛さが軽減していると感じるのは慣れのせいなんでしょうかね.

 なんにせよ,元気で日々を送りたいものです.

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2010年2月 8日 (月)

第83回キネマ旬報ベスト・テン祝賀パーティー

 第83回キネマ旬報ベスト・テンの祝賀パーティーにウチのKともども参加してきました.

 先週末の仙台&盛岡での演奏会から家に戻った2月1日の昼過ぎ,自宅のポストに1通の封書が入っていました.

 「なんだ,またダイレクトメールか」と思って封を切ると,なんと当選の文字が…

3239  キネマ旬報ベスト・テンの表彰式と祝賀パーティーは例年映画関係者のみで行われているんだそうですが,今年は私がメインに使っているクレジットカード会社が協賛しているとのことで,会員特別招待のキャンペーンをやっていたんです(去年の秋頃だったか).

 で,なにげに応募していたものが当選したということのようでした(普段くじ運がゼロなので応募した事実すら忘れていました 笑).

 キャンペーンは昼の表彰式と夜のパーティーに分れてたんですが,どうせなら飲み食いができるパーティーにと申し込んでいました.当選するなんて夢にも思っていなかったので,予定もなにも調整していなかったんですが,イベントが行われる2月7日の夜は奇跡的に当直等もなく空いていました.

 招待状はドレスコードにも触れていて,そこにはセミフォーマルの文字が.

 セミフォーマルはフォーマル(正礼装)に準じた服装(準礼装)という意味です.男性の場合正礼装は燕尾服(ホワイトタイ)なので,準礼装とは昼間ならディレクターズスーツ,夜ならタキシード(ブラックタイ)のことになります.そこまで気合が必要なのかと驚くと共に,そういえばタキシードはクリーニングに出していたなと思ったのでした.これは確認した方がいいと思いカードデスクに電話したところ,そこまで気合を入れなくてもいいとのことでした(結局学会用のスーツにしました).

 演奏会明けの週は結構忙しくしていましたが,いよいよ7日がやってきました.ただこの日は午後3時から東京文化会館での藤原歌劇団によるプーランクのオペラ「カルメル会修道女の対話」を観劇するために上野へ.「カルメル会修道女の対話」はフランス革命期の修道女たちの殉教をテーマにした作品です(フランス革命,特にジャコバン派の時代って教会関係者が迫害された点ではロシア革命に似ています).普段ロッシーニやヴェルディに慣れた人間にとってはかなり濃い作品でした.

 終演は5時45分ごろ,祝賀パーティーの受付は7時半からなのでまだ時間があります(開宴は8時).カフェ等で時間をつぶしてから向かいます.会場は銀座のベージュ アラン・デュカス 東京,超一流のフランス料理店です(ビザンチン皇帝でもなかなか行けない店だ 笑).レストランのあるシャネル銀座ビルの入り口には係員が立っていました.中に入ってエレベーターで10階へ昇ります.周囲には取材に来たらしい関係者の姿もありました.10階に到着してコート等を預けてから店内へ,レストランは落ち着いた内装の良い雰囲気で,ウチのKは気にいったようでした.開宴はまだとのことで係員に促されてソファへ,そこでシャンパンとおつまみ(このおつまみが旨かった)をいただきました.

 8時ごろになって続々と受賞者らが登場,いっきに華やかな雰囲気になります.開宴の言葉や受賞者のあいさつ(松たか子さんも来ていました)に続いて,乾杯となります.主催者あいさつでは,今年で83回目を数えるキネマ旬報ベスト・テンは米国アカデミーよりも歴史が古い(アカデミーは今年で第82回)ことを力説していました.パーティーは立食形式でお酒はワインにシャンパン,お食事は軽食中心でした(とはいってもお肉や魚介はアツアツをいただけました.さすがに一流フレンチは美味です).

 パーティーの雰囲気を堪能していると,向こうから見るからに外国人の方がやってきました.聞くと協賛のシティカードジャパンの社長とのこと,今夜はいかかですかとかいうようなことをおっしゃっていました(この会の出席者は映画関係以外はクラブの会員だから,私のところにやってきたのは私が映画関係者には見えなかったということなのでしょう 笑).さらに当社にご要望があればいつでもおっしゃって下さいと言っていましたが,

 「ガス料金の支払いもクラブポイントの対象にして下さい」

 なんて口が裂けても言えませんでした(笑).

Kine_006(写真) 終宴後にレストランからいただいたお菓子です

 かくしてあっという間に時間は過ぎ,最後は木村大作監督の締めでパーティーはお開きとなりました.これまでいろんな経験をしてきましたが,こんなイベントに参加したのはもちろん初めてです.こんな世界もあるんだなぁとちょっと感動しました.ちなみにこのイベントはカメラ&録音機材の持ち込みが禁止だったため写真はありません(2月21日にBS-TBSで放送するそうです).

 

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2010年2月 6日 (土)

ロ短調ミサ曲演奏会~盛岡編~

 ちょっと遅れてしまいましたが,リリングのロ短調ミサレポ完結編です.

 一夜明けて1月31日,いよいよ地元盛岡での演奏会本番の朝がやってきました.この日の集合は9時半ということでホテルで朝食を取って近くのコンビニで昼飯を買いこんでそのまま会場入りしました.会場は盛岡駅西口にある盛岡市民文化ホール,過去に何回かステージを経験したこともあるいわばホームグラウンドともいうべきホールです.練習だけの日はビル5階の事務室があるところから入るんですが,今日は本番ということで大ホールの入口が開放されていました.

 中に入ってまずは控室へ,荷物を置いてから集合場所のホワイエに集まります(昨日の萩ホールとは違って全フロアがホワイエでした 笑).昨日は仙台宗音が主幹ということで,宗音のメンバーによる発声指導でしたが,この日はMBKVメンバーによる音頭でした.

 発声練習後はホールに移動です.この日もステージ上の山台には椅子が用意されていました.10時半からリリング氏が登場してリハーサルが開始,この日は合唱中心のリハーサルでした(盛岡のメンバーはこの日がOEKとの初顔合わせのため).リハーサル後は立ち座りの練習,そして合唱指揮の佐々木正利先生からの最終的な注意事項の説明がありました.

 1時過ぎに解散となり,控室で各自昼食を摂ります.友人はいつものように本番前のセレモニーでユンケルの蓋を開けていました.昼食後着替えには早かったのでちょっとホールの外に出たんですが,なんとそこで私の母親に遭遇しました.彼女はは交友関係が広いので,盛岡の演奏会ではいつもチケット販売マシーンとして大活躍してもらっている(笑)んですが,この日も仲間を連れてきていました.私はといえばコーヒーを一杯飲んでから再びホールの控室に戻ります.ちょうどいい時間になっていたので着替えをしていよいよ集合時間です.

 昨日の萩ホールは舞台袖が狭いので廊下に集合でしたが,この日は舞台袖にスペースが十分なので合唱団一同舞台袖に集合です.予鈴が鳴って本鈴がなり,ステージマネージャーの方の合図でいよいよ入場,この日の私の立ち位置は最後列だったため必然的に最初の入場になります.拍手に迎えられての入場,ふと見ると前の方に私の母親とその仲間が陣取っていてこっちに手を振っていました(笑).客席を見渡すと昨日同様かなりの入り,気分が高まります.その後OEKが入場してチューニング,昨日同様コンマスの合図で客席にお辞儀,そしてソリストとリリング氏の入場です.

Hmoll_041 (写真1) リリング氏(中央)とソリストの先生方

 リリング氏の登場でひときわ大きくなった拍手が落ち着き,いよいよ演奏の開始です.合唱指揮の佐々木先生から「最初の4小節が勝負」といわれていたその場所です.リリング氏のタクトがおり,第一声のKyrie,なんとかきまったのではと思いました.その後演奏は粛々と進んでいきます.第1部が終わって,休憩をはさんで第2部へ.第2部は合唱のウエイトが大きく,厳しい曲の連続です.特にクレドの中間からは "Et in carnatus est" から3曲,バリトンソロ1曲を挟んで "Confiteor" 以下4曲の大きな合唱曲が続く難所です(ロ短調ミサ曲はマラソンのような曲で,後半に難所が待っているため,前半張り切りすぎると後半力尽きてしまう危険性があります.特にクレドの最後からサンクトゥスにかけての部分を私はマラソンにたとえて35キロ地点と呼んでいます).

 そうした難所を越えていよいよ終盤へ.アルトソロの "Agnus Dei" (神の子羊)からいよいよ終曲の "Dona nobis pacem" に入ります.合唱団全員の目がリリング氏のタクトにそそがれ,そしてフィナーレです.こういった演奏会では時にフライング拍手(終演時に余韻に浸る暇もなく起こってしまう拍手)の恐怖があるんですが,幸いこの日はそのようなものはなく感動のうちに終演となりました.

Hmoll_007 (写真2) レセプションでのリリング氏

 その後は着替えをして駅前のホテルでリリング氏やソリストの先生も交えてのレセプション,さらには二次会へとなだれ込み12時頃まで飲んでいたのでした.

 翌6日は二日酔いの中起きて仕事の待つ職場に戻るべく新幹線に乗り込んだのでした.こうしてビザンチン皇帝にとって今年前半最大と思われるイベントは終了したのでした.

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2010年2月 2日 (火)

ロ短調ミサ曲演奏会~仙台編~

 1月30日,いよいよ仙台での演奏会本番の朝を迎えました.お天気は快晴とはいかないもののまずまずの様子です.この日の集合は10時半ということでホテルで朝食をとり,お茶を飲んでからの出発です.楽譜とステージ衣装以外の荷物はすべてホテルに預けることにしました.途中で昼食と飲み物を購入(萩ホール周辺にはコンビニがないため),バスで会場入りしました.会場に着いたのは10時前でしたが,既に大勢の合唱団員が集まっていました.みんなやはり程よい緊張感に包まれた表情です.

 10時半にホワイエに集合,宗音のメンバーの指示で発声練習に入ります.ほどほどに喉が温まったところでステージに移動,入退場練習や演奏中の立ち座り(ロ短調ミサ曲は合唱曲だけではなくソロの曲もあることと,2時間という長丁場のため,ステージ上に合唱団員用の椅子が用意される)の打ち合わせを経て,リハーサルの開始です.この日からはソリストの先生方も加わっての練習になります.リハーサルはソロの曲を中心に行われました.合唱の合わせは昨日結構やっているということと,本番までそれほど時間がないので喉を大事にしようという指揮者の意図なのかもしれません(1998年にパリで今回と同じロ短調ミサ曲のステージを経験したんですが,この時本番は夜だったにもかかわらず,リハーサルは午前中に軽めに終わってしまい,後は夜まで自由時間といわれて拍子抜けをした記憶があります.日本では本番直前というと,それこそぎりぎりまで必死で練習というケースが特に学生時代にはありました.しかし西洋では直前は無理をせず本番に備えてしっかりと英気を養うという考え方らしく感心した記憶があります.今回もそんなものかもしれません).

 リハーサルが終わったのは午後1時過ぎ,本番は3時からなので昼食を摂ってしばしの待機です.ホワイエに出て外を見るとなんと雨が降っていました.で,ふとホールの案内図を見ていたんですが気になる表記が…

 萩ホールの客席への入り口には1階,2階,3階があるんですが,各階のホール前の空間の名称が1階部分はエントランスホール,2階はホワイエ,3階はロビーとなっていたんです.

Hmoll_032Hmoll_031 Hmoll_025 Hmoll_026 (写真上) 2階ホワイエの様子,(同下) 3階ロビーの様子

 私の頭に「ロビーとホワイエってどう違うんだ?」という素朴な疑問が沸いてきたのはいうまでもありません(本番前に何を考えているんだか).気になっていろんな人に意見を求めました.人が集まることを前提に作られた空間がホワイエで,基本的に通路として造られた空間がロビーなんじゃないかという意見(たしかに写真のようにホワイエはロビーより広い)もありましたが,ネットで調べた友人はによると「ホワイエってフランス語で,英語ではロビーのことらしいよ」ということでますますわからなくなりました.要するに3フロアともすべてホワイエで問題ないらしいのです.ただその後の議論で(だから本番前に何をやってるんだか),仮に1階ホワイエ,2階ホワイエとした場合,たとえばホワイエで待ち合わせした時に出会えない恐れがあるため,わざとフロアごとに呼び名を変えているんじゃないかという見解に落ち着いたのでした.

 その後控室で着替え,学生時代からの友人の中にはこういった演奏会のセレモニーとして直前にユンケルを飲んでいる者もいました.

Hmoll_038 (写真) 着替えた私

 外を見るとまだ少し降っているようでしたが,既に多くのお客さんが開場を待っているようすでした.そして合唱指揮の佐々木先生から直前の指示があり,さあいよいよ本番です.

 開演10分前に舞台袖に集合していよいよ入場,客席を見るとほとんど満員に近い盛況でした.いやがうえにも気持ちは高ぶります.

 その後オケが入場し,コンマスの合図でオケだけでなく合唱団一同お辞儀をしました.これまでステージで合唱団がお辞儀をするという場面に出くわさなかったので,これがOEK流なのかと感心しました.オケのチューニングに続いてソリスト,最後にひときわ大きな拍手に迎えられてリリング氏が登場しました.そしてリリング氏の指揮棒が振り下ろされます.

 Kyrie!

 合唱団の第一声がホールに響きます.背筋がぞくぞくする瞬間でした.その後途中の休憩をはさんで演奏は一気に進み終演となりました.音楽的な感想はお客さんや専門の方に譲りますが,本当に充実した演奏だったのではと思いました.

 終演後は急いで着替えをして外に出ます.仙台の公演は終了ですが明日は地元の盛岡での演奏があり,それに向けて移動しなければなりません.路線バスに乗ろうと思ったら予想通りバス停は聴きに来ていただいたお客さんで長蛇の列,というわけで歩いてホテルに向かいました(途中でタクシーを拾いましたが).

 ホテルで荷物を引き取って一路新幹線で盛岡へ,駅前のホテルにチェックインしてその後盛楼閣で焼肉と冷麺を食べて明日への英気を養ったのでした.

Gene_009 (写真) 盛岡駅前の盛楼閣

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2010年2月 1日 (月)

ロ短調ミサ曲演奏会~前哨戦~

 ほぼ一週間更新が停まっていました.このブログが開設されて3年半,海外旅行以外でこれほどの期間更新がなかったのは初めてかもしれません.もちろん病気をしたとかいうわけではありません.

 実は以前もどこかで書いたんですが,先週末に仙台と盛岡で演奏会がありそれに参加するために走り回っていたため,とても更新できる状況&心境になかったというのが実際です.演奏会が無事に終わった今,この激動の一週間を振り返ってみます(2010年我が家の十大ニュースの上位に来ることは間違いないイベントでした).

Hmoll2

 今回の演奏会はオーケストラアンサンブル金沢(OEK)のコンサートに私も所属している合唱団(盛岡バッハカンタータフェライン MBKV)がが共演するという形式でした.曲目はバロック時代を代表する作曲家,J. S. バッハミサ曲ロ短調です.これはバッハの晩年にまとめられた彼の宗教音楽の総決算ともいうべき作品で,演奏時間2時間の大曲です.私のような教会音楽を愛好する人間にとっては憧れの作品で、サッカーでいえばワールドカップ,高校野球なら甲子園みたいな存在です.私も過去に何度かステージを経験したことがありますが,今回は指揮者に著名なバッハ指揮者のヘルムート・リリング氏をお迎えするとのことで,気合の入り方は半端ではありませんでした.

 合唱団は盛岡ですが,私自身は関東在住ということでなかなか普段の練習には参加できません,そんなわけで月1回の強化練習や年1回の合宿には頑張って参加してきました.で,直前の練習には万難を排して参加しようとなりました.

 そんなわけで直前のスケジュールです.

1月27日(水) リリング氏の合唱練習(盛岡)

1月28日(木) リリング氏の合唱練習(仙台)

1月29日(金) オケ合わせ(仙台)

1月30日(土) リハーサル&本番(仙台)

1月31日(日) リハーサル&本番(盛岡)

 まずは27日の盛岡での練習,午前中仕事に行って,午後から年休を取って一路盛岡に向かいます(ウチのKも同行).東海道&東北両新幹線を乗り継いで盛岡駅に着いたのは17時22分でした.そこから在来線に乗り換え岩手飯岡駅へ、ここから徒歩10分弱で本日の練習会場キャラホールに到着です.18時ごろから発声練習が始まり,19時にいよいよリリング氏の登場です.テレビやDVDなんかでは目にしたこともある人なんですが,私の第一印象は…

 「メタボなお腹だな 笑」

 映像作品ではあまり気がつかないんですが,こうして見るとかなり立派なお腹,愛煙家とのウワサもあり生活習慣病は大丈夫だろうかと心配になりました(目の付けどころが間違っている気が… 笑).

 それはともかく,さっそく練習開始です.冒頭の第一曲からやっていきます.指揮の動きにちょっと戸惑いもありましたが,時間とともにどんどんリリング氏の世界に引き込まれていきます.途中やり直しをさせる時に,「○○小節から」と(もちろん日本語ではなく)となんと楽譜を見ないで指示を出されるリリング氏,楽譜がすべて頭に入っているんですね.さすがです.

 そんなこんなで約2時間の練習はあっという間に終了,リリング氏には概ね良い評価をいただいたのではと思いました.

287c (写真) 私が乗ったドリーム盛岡らくちん号

 練習後は市内でリリング氏を囲んでの懇親会となるんですが(Kは参加),私はというと翌木曜日は外来日で,ここに穴をあけると後が非常に厳しくなるため,いったん戻らなければならないのでした.とはいえ既に東京行の新幹線は終わっており,夜行バスでの移動でした.

 翌朝5時40分ごろにバスは東京駅日本橋口に到着,ここから電車に乗り換えていったん家に戻ります.シャワーを浴びて軽い朝食を取ってから職場へ,午前中はあくせくと外来をこなし,午後も処置をしたりしてこの日は14時45分に早退です.またまた新幹線を乗り継いでこの日は仙台です.会場は萩ホール,東北大学の川内キャンパスにあるホールで,以前は川内記念講堂という名前でしたが,最近リニューアルされて名前が変わりました(昨年8月に私もいた学生合唱団の50周年記念演奏会で行った).ホール内部全体が茄子色というかサツマイモの皮色に統一されていて,萩ホールでサツマイモ色… うん? 萩と薩摩,さては薩長ホールかなどと関係ないことを考えてしまいました.

Hmoll_020_2 Hmoll_021 (写真左) 萩ホールの外観,(同右) 内部はサツマイモ色です 

 18時からまずは合唱指揮者の佐々木先生から注意事項の確認がありました.その後19時からリリング氏が登場,練習の開始です.この日も非常に密度の濃い練習でしたが,昨日と会場が違うせいか周囲の声が聴きずらくてちょっと苦戦しました.

 こうして盛岡と仙台と2回練習があるのは,盛岡公演での合唱団はMBKVですが,仙台のそれは仙台宗教音楽合唱団(宗音)という別の合唱団だからです.実際には両方のステージに乗る人間も結構いるんですが,片方しか乗らない人も多いため,こうして2回練習が設定されているのでした.リリング氏はその時の合唱団の状態に応じて指示を変えてくるようで,同じ曲でも盛岡とは指示が異なっていたところもありました.

 宗音には学生時代からの友人もいるので,練習後は久しぶりの親睦というわけで市内のお寿司屋さんに繰り出しました(旨かったです).この日は仙台泊まりです.

 翌29日はオケ合わせなんですが,夕方からということでゆっくりです.久しぶりに朝寝坊をして床屋に行ったりしてのんびりと過ごしました(もちろん楽譜も見ています).そして夕方バスで萩ホールに向かいました.ちなみに最寄りのバス停なんですが,私がいた頃は「扇坂」という名前だったんですが,今では「東北大学川内キャンパス・萩ホール前」という非常に長いバス停名になっていました.

 この日はついにオーケストラアンサンブル金沢(OEK)が登場,ということで非常にワクワクしていました.発生練習の後ステージに並び,いよいよオケ合わせです.OEKはさすがに素晴らしい音色を聴かせてくれました.合唱団の方もエンジンがかかってきましたが,かかりすぎて走ってしまう場面もあり注意を受けました.

 そしていよいよ翌日から公演本番を迎えるのでした.

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