日本100名城スタンプラリー71
日本100名城 五稜郭(2番)
久しぶりの100名城ネタです(約1カ月サボってました 泣).
日本100名城の中で,「~城」という名称でないのがいくつか存在します.栃木県の足利氏館,山梨県の武田氏館,佐賀県の吉野ケ里遺跡と北海道の根室半島チャシ跡群,そして同じく北海道の五稜郭です.
五稜郭は安政元年(1854年)の日米和親条約締結によって開港された箱館の防御のために幕府の命によって安政四年に着工されました.築城にあたってはヨーロッパの築城術が参考にされました.そのために形も五角形となり,一方で敵の大砲に照準をつけさせないために天守などの高い建物も配されました(結局後に函館奉行所が置かれてしまったため中途半端になってしまいましたが).
工事は幕府の財政難もあって進まず,結局規模を縮小して慶応二年(1866年)にやっと完成しました.当時は亀田役所土塁と呼ばれていたそうですが,現在では五稜郭の名で知られています.
こうして国防のためにようやく完成した五稜郭ですが,皮肉なことにこの城が実践を迎えたのは外国からの侵略ではなく戊辰戦争という内戦のためでした.大政奉還に伴う幕府崩壊後箱館奉行所は平和裏に新政府の箱館府に業務を引き継ぎましたが,明治元年10月に榎本武揚率いる旧幕府艦隊と大鳥圭介・土方歳三らの旧幕府陸軍部隊は北海道に上陸します.まともな武力を持たない新政府の箱館府が退却したため,10月26日に五稜郭はほぼ無傷で旧幕府軍の手に落ちました.以来半年にわたってここを拠点としていた旧幕府軍ですが,翌明治2年春から新政府軍の反撃が始まり5月11日に土方歳三が戦死,5月18日にはついに榎本武揚も降伏し五稜郭は開城となりました.
明治維新後は陸軍の管轄となり駐屯地などとして使われていましたが,大正3年(1914年)からは公園として開放され現在に至っています.
五稜郭は銃や大砲を主力兵器とする近代の戦争を意識して作られた城郭なので,壮麗な天守や櫓などはなく,土塁と堀を中心にした平面的な城郭です.このため地上からではその全貌が想像しにくく,実際に現地についても実感がわきません.このため現在は近くに五稜郭タワーが設置されて,ここから全体を眺めることができます.五角形に造られたその城郭は本州以南に一般的な日本式城郭とは異なった趣を見せています.
注: 2010年2月現在箱館奉行所は改装中で,2010年7月にオープンの予定です.
五稜郭へのアクセス: JR函館駅前から市電湯の川行きで16分五稜郭公園前下車徒歩(市電はほぼ5~6分間隔で運行しています)あるいはバスです(五稜郭タワーへのアクセス)
スタンプの設置場所 五稜郭内の管理事務所にあります
登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 普通の都市公園です.気軽に散策できます.
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コメント
ビザ皇帝様 こんばんは!
出ました五稜郭!待ってましたよ~!
今までに2度行ってますが、いずれもまだ歴史に興味のなかった頃なんで、大人になった今行きたいところの1つです。
確かgoogleアースか何かで空から見るとこの星型(五角形)がはっきり見えるんでしたよね?タワーに上ってみたいなぁ~…
雪が写ってますね。相当激しく降ってたんですね。
投稿: まーうさ | 2010年2月21日 (日) 13:38
<まーうささん>
こんばんは.
五稜郭は私も修学旅行で行ったんですが,当時はほとんど印象に残りませんでした.
ここはタワーから見るのがいいですね.
昨年の4月の訪問でしたが,なんと大雪に見舞われました(この2週前は宇治と高遠でお花見だったんです).
今箱館奉行所が工事中なので,完成する今年7月以降にまた行きたいと思います
(その時に写真を撮り直します).
投稿: ビザ皇帝 | 2010年2月22日 (月) 15:21
ああっ!イカール星人迎撃の
本拠地!ゴリョウカク!!!
マイナーっぽかったイカール星人の
存在も今では広く知れ渡り
イカール星人の思惑にしっかり
ハマっている~!
>一番ハマっているのは私(^^;
あれから続きのビデオができないけど
どーなったんだろーなぁ・・・。
投稿: フミヲ | 2010年3月 4日 (木) 01:50
<フミヲさん>
こんにちは.コメントありがとうございます.
>イカール星人迎撃の本拠地!ゴリョウカク<
最近はイカール星人も相当メジャーになりましたね.凾館ではホテルの朝食もイカソーメンというくらいイカが食べられてますから,今後も期待です.
新しいビデオは,予算がつき次第でしょうか(笑).
投稿: ビザ皇帝 | 2010年3月 5日 (金) 06:31