日本100名城スタンプラリー70
日本100名城 松前城(3番)
日本全国にはそれこそ数多くの城郭,城跡があります.その中でもいわゆる日本式の城郭として最北に位置するのが松前城です.
幕藩体制下北海道には唯一の藩として松前藩がありました.石高は1万石(後に3万石)でしたが,ここは米がとれない土地のため,その収入はアイヌとの交易や漁業によるものでした.藩の政庁が置かれたのが今の松前町福山でしたが,幕藩体制下では北の辺境に位置すると思われていたため,関東周辺や西国のような大きな城郭が築かれることはなく,陣屋が置かれた程度だったようです.
(写真2) 本丸御殿の玄関は明治以後小学校の玄関として使われていましたが,今は再び城内に保存されています.
しかし19世紀になって欧米諸国の船が日本近海に出没するようになると状況は一変しました.幕府は外様大名の反乱ではなく,外国の脅威に対応しなければならなくなったわけです.特に北からのロシアへの備えとして松前藩の立場は重要と考えられ,松前城の改修が行われることとなり,安政元年(1854年)に完成しました.この時に三重の天守も作られました.また近代戦を意識してたくさんの砲台が築かれています.
(写真3) 石垣の遺構,ところどころの穴は函館戦争時の銃弾の跡でしょうか.
幕末期に完成した城郭であり,日本の近世城郭では最も新しい部類に入る城です.前述のようにもともと外敵への備えとして作られましたが,ここが戦場になったのは皮肉にも戊辰戦争という内戦においてでした.
明治元年(1868年)秋に蝦夷地に上陸した旧幕府軍の攻撃を受け,同年11月5日に落城の憂き目にあったのです.この時の幕府軍の指揮官が元新選組副長の土方歳三でした.
しかし翌明治2年になると新政府軍の反撃が始まり,松前城も奪還されてしまいます.維新後は廃城となり建物の多くは解体され,さらにわずかに残った天守など本丸の建物も昭和24年に火災で焼失してしまいました.現在は本丸御門が現存しているほか,遺構として石垣や堀などが残されています.また天守も昭和30年代に外観復元されました.
現在は資料館や藩屋敷などを有する施設として,また春には桜の名所として多くの観光客を集めています.
松前城へのアクセス: JR木古内駅からバスで1時間半です(松前城へのアクセス).
スタンプの設置場所 天守内にあります
登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 普通の都市公園です.気軽に散策できます.
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コメント
ビザ皇帝様 こんばんは!
昭和になってから火災で焼失というのが悲しいですね。
松前城、土方歳三・・・あぁ、大河を思い出します。
日本のお城それぞれに歴史を刻んでいますね。今はその歴史を伝えつつ、桜の名所として四季の移り変わりを伝えているお城が多い事に気付きますね。
投稿: まーうさ | 2010年1月23日 (土) 14:14
<まーうささん>
こんばんは.
松前城の焼失は,たしか当時同じ敷地にあった町役場の火災が延焼したのだそうです.
残っていれば最北の天守閣だったので残念です.
日本各地のお城,特に町にあるお城は近代以降公園になったところが多いので,市民の憩いの場として桜が植えられたんでしょうね.たしかに桜の名所が多いです.
これからも残していきたい日本の文化ですね.
投稿: ビザ皇帝 | 2010年1月25日 (月) 12:08